実家から数十分歩いた場所に、鬱蒼と茂った森がありました。幼心、森とは称しておりましたが、おそらく定義的には林と呼ぶのが正しかったのかもしれません。この森は四方を畑と雑に整備された歩道があるばかりで、民家のようなものは少し離れた場所まで歩かなければ無かったと記憶しています。


 さて、この森というのは、木々の奥まったところに小さな祠がある場所でした。それが何に由来するものなのか、どういうものなのかは当時定かではありませんでしたが、実家のある集落の子供たちの間では肝試しスポットとして人気を博しておりました。

 男の子たちが夕暮れどき、門限ぎりぎりにそこへ行って度胸試しをしただなんて話は数知れず。そこで何かを見ただとか見ていないだとか様々な話は聞きましたが、総じて皆「祠には触れていない」というので、おそらくば彼らの心の治安だけは良かったのだと思います。

 大人たちにはそもそも人気がなく危ないので、夕方や夜は近づかないようにと言い含められていましたし、やはり森自体も薄気味悪いと幼心に感じていましたので、子供時代の私は誰に誘われようとついぞ行きはしませんでした。


 あれは、中学に上がった年だったでしょうか。当時の私は反抗期真っ盛りで、母と何度も口喧嘩を始めとした衝突を繰り返してばかりでした。その日も夕暮れどき、何かを皮切りにひどい口論になり、母が「あんたなんか家出ていきなさい!」と言ったのに逆上して「じゃあもう帰らないから!」などと返して家出を決行したのを覚えています。

 しかし行く宛も思いつかずふらふらと外を出歩きつつ、帳の降りるさまを眺めていた夜九時前後。ふと腰をきちんと落ち着ける場所に行きたいと思いついた私は、幼少期よく遊んでいた集落向こうの大きな公園に行くことを決めました。しかし既に夜も更けた時間帯、その公園に行くには例の森の前を通る以外の道はありません。やはり当時も薄気味悪いと感じていたその場所なので、出来ることならば近づきたくない。この森の目の前には舗装された道が一本通っており、そこから大きな畑をひとつ挟んで向こう側にもう一本、砂利道がありました。その砂利道を通って行くのが一番良いのではないかと思い、私はそこへと向かうこととしました。


 街燈のひとつもない暗い道を、私の足音だけが響きます。どこかで犬の遠吠えがかすれるように聞こえ、収穫を終えたらしい畑の向こう側に見える小さな民家の灯りだけが心の頼りでした。公園まで行けばひとまず安心するだろう。そう思いながら歩く私は、ふと、遠くに聞こえる犬の遠吠えに混じって、何か人の声がすることに気付きました。

 太い、男の声のようなものでした。犬の声に混じっているせいではじめ分かりにくかったのですが、遠吠えに合わせるように誰かが声を発しているようなのです。最初、私は母から事情を聞いた父ないし親族の誰かが探しに来たのではないかと警戒して足を止め、声のする方へと意識を集中させました。なにせその声は間延びしながら、少しずつ近付いているような気がしたからです。

 真っ暗な道の、畑を挟んだ向こう。そこから声がしているようでした。目を凝らして人影を探そうとした、私の視線の先。物影から何か小さく、白いものが揺れたのが見えました。白いTシャツか何かを着ている人だろうか。そう思った瞬間、ぞわりと背筋が凍るほどの恐怖が駆け上がって、私は弾かれるように集落側へと走り出していました。

 背中越しに、未だ太い男の声がします。遠くはありますが、その時の私はただ、追いつかれるとまずいと思っていました。砂利道を転げるように走り、集落の家々の灯りの傍まで辿り着いて、ようやく息を深く吸えるような心地になりました。


 まずい、というよりは、いけないものを見た、に近いのかもしれません。あの時、視線の先にあったのは白いTシャツを着た誰かではなく、、だったと当時の私は認識しておりました。それが間違いなく、あの森の向こう側──祠がある場所から出てきて、私に向かって呼び掛けてきていたのだと、そう思いました。

 ただ、上記でも記した通り、森を含めたその周辺は街燈ひとつさえない真っ暗闇です。いくら目が良いとしても、当時黒いTシャツを着ていた私を道と大きな畑ひとつ挟んだ向こう側から認識するのは困難でしょう。更に言えば同じ条件下だったはずの私がそれをはっきりと目視できたのは、その真っ白な何かがです。間違いなくあちらは私を認識している。その事実があまりにも恐怖で、私は咄嗟に逃げ出してしまった、というわけでした。


 結局その出来事の後、懲りずに散々な逃避行の末、私は探しに来た父に見つかって無事自宅へ帰ることとなりました。この話は両親や大人たちに話したことはありません。

 それから十数年を経た、ちょうど今からですと数年前のことでしょうか。まだコロナが流行るだいぶ前に、既に実家を出ている私宛に父から連絡がありました。

 ──あの林、壊されることになったらしいよ。その話を聞き、私はふとあの祠はなんなのかが知りたくなりました。ネットで調べても有益な情報がうまく出なかったため、実家への帰省も兼ねて訪ねてみよう。そう思い、向かうことにしました。

 父から聞くところによると、祠自体は残しつつ雨除けなどの簡易的な祠のためのおうちを作るのだという話で、そのために周りの木が邪魔になるとのことで伐採が決まったのだということでした。元々薄気味悪いもんね、と電話口で父に話した時に、まああまり良いものではないからね、と返した父の言葉が妙に引っ掛かったというのもありました。


 初夏のとある昼下がり頃には、その祠へと辿り着きました。確かに森の木は大分枝が落とされ、あとは幹を切り落として根を掘り出すだけになったのだろう裸の木々の合間に、祠はぽつんと置かれていました。小さなそれはひとつの大きな石を祀っているようでしたが、特段何かが書かれているというわけでもありません。目の前には簡単な祭壇なのでしょう、酒や水が入ったコップが置いてありました。地方のごくごく小さな無人神社や祠なんかではよく見られる光景でした。

 一分程度手を合わせてから辺りを見回しましたが、無論何もありません。あれからすぐ来ているならまだしも、もう十数年が経過しているのです。何かがある方が問題か、と祠を出た先、ふとその場から私はあの時、自分がいた道へ向かって視線を上げてみました。そこでとあることに気付いたのです。


 当時森は、まだ木々が青々と生い茂っておりました。枝が落とされた今は視認性がよく、一本向こうの道の人影もおそらくば辛うじて見えることでしょう。しかしあの時は木の枝の茂り具合から考えても、祠のすぐ横側の歩道からでは見えないのです。見ようとするのならば、更にその横の畑へと大きく入っていくか、祠の目の前の舗装された道まで出て行かないと見えないはずでした。

 それならば、あれは、どうやって私を認識していたのでしょうか。


 どこか遠くで、犬の遠吠えが聞こえます。

 嫌な思考が巡った私でしたが、きっと、おそらくば、すべてが中途半端に信じてしまう私の都合の良い解釈なのでしょう。

 あれも見間違いである可能性だってあるのですから。

 如何せん私には所謂そういう霊視的能力はありませんので、きっと思い違いなのでしょう。


 そう思い歩き出してから、ふと頭の隅をとあることが過ぎりました。


 そういえば、数十年前のあの家出した日。そして今日。

 どちらも、初夏にしてはひどく暑い日だったと、記憶しています。

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