第24話 完全に可憐な少女
王宮の離れの一室の、どこか妖艶さを漂わせる緋色の壁紙に見たこともない豪奢な家具がしつらえられていた。
贅美の極みを見たかのように茫然とする少年を、王太子は、緋色のベルベットの一人がけソファに座らせた。
王太子が手を叩くと、部屋に猫脚のバスタブが用意され、湯を注がれた。
少年は、「やっぱり王宮に来るときは、身体を洗えってことかな」、と恥ずかしく思った。
王太子はソファの前に膝をつき、座っている少年の、粗末なシャツのボタンを、一つずつ外していく。
「な……にをなさるんですか」
少年はうつむきながら顔を真っ赤にする。王太子は少年の可愛らしい耳に囁いた。
「着替えようか……、エリアス。座ったままでいいから、私の前で全部脱いでみて」
言われた通り、この場に似合わぬ粗末な服をすべて脱ぎ、一糸まとわぬ姿になる。
そのしなやかな身体と、陶器を思わすなめらかな白い肌に、王太子はまた我を忘れたように茫然とし、ごくりと唾を飲んだ。
長い栗色の巻き髪と手で前を隠そうとする少年の楚々とした仕草にも見入っている。
「……さ、お風呂に入っていいよ」
王太子は少年をバスタブに入れた。手が叩かれると、侍女たちが入ってきて、少年の身体をくまなく洗った。
だが、そこから先が——信じられなかった。
いつのまにか、絹の布がかかった寝台の上に素裸でうつ伏せにされ、王太子自らに、身体や髪にラベンダーと鈴蘭の香りのする香油を塗りこまれていた。
「でんか……?」
「目を閉じていていいよ。とても気持ちがいいだろうから」
そういって王太子は動揺する少年の頭を撫でた。確かに身体の凝りが
「……はい」
気がつけば、少年は長い睫毛を閉じ合わせ、安らかな寝息を立てていた。王太子が髪や首筋にくちづけをあびせていることなど全く気づかず。
目がさめると、少年は化粧を施され、髪を結い上げられ、宝飾品で飾られ、白とくすんだ薔薇色の、リボンの目立つバッスルドレスを着せられて寝台に仰向けに寝かされていた。
「目が覚めた?」
王太子が微笑む。ちょうど少年のしなやかな右足を持ち上げ、美しい令嬢用の靴を履かせているところだった。
「……殿下、ぼく……は、その、男……ですけど」
起き上がりながら動揺する少年の言葉がくちづけで遮られた。
「うん、そうだね。でも可愛いからいいじゃないか」
王太子は微笑し、少年のほっそりした手をとると、姿見の前に立たせた。——自分でも自分を見間違えてしまうほどに、完全に可憐な少女でしかなかった。生花で飾られた髪飾りが自分によく似合っていた。
少年は王太子を見上げると、彼は少しだけ微笑を
「エリアス、君はこの格好をして私を楽しませるんだ。これは、君の一族がみんなしてきたことだ。君の祖父ぎみは私の祖父が何より愛した寵姫だった。君の父上も、私の叔父上が妃を迎えることさえ忘れ、当時の宰相をはじめとした貴族たちと争ったほどの美姫だった」
祖父や父に何があったのだろう。少年は全くわからなかった。王太子は続ける。
「ただ、あまりに私の祖父や叔父のように、一方的に相手に強制するのは嫌だ。何か望みを叶えよう。なんでも言ってごらん。もちろん君とその家の暮らしを支援はするから、それ以外で」
何か望みを叶える、と言われた少年は考え込んだ。ああ、そうだ、と思いつく。
「王室の図書室は、王国最大の蔵書数を誇るって聞きました」
「そうだ。我が王国の知の至宝だ。王族以外では、王立の研究機関に所属するごく限られた研究者しか立ち入ることは許されない」
「王室の図書室の本を好きなときに自由に読ませていただいて、大学へいく勉強をさせていただくことはできますか?」
王太子の紫水晶の瞳が
「……何故?」
「はい。いっぱい勉強したいから。将来は役人になって、母上やおばあさまを楽にさせたいから。ぼくはローゼンキルヒェンの言葉が話せるから、もっと勉強して外交官になりたいです」
何かの光を見たように、王太子は非常に満足した顔をした。少年をきつく抱きしめた。
「わかったよ。許可をあげよう」
それがとても嬉しかった。王室の図書室に入れる代わりに、ただ女装して王太子の話し相手になるくらいなら、なんてことはない。——少年はそう考えるほうの人間だった。
それからは、王太子がこよなく愛する歌劇に連れて行ってもらったり、教養ある貴婦人が主催するサロンでの絵画鑑賞会に連れて行ってもらったり、王太子のピアノのレッスンに付き合ったりした。
これで家族の暮らしが安定するなら少年としては問題がなかった。
王室の図書館へも自由に出入りできる。
王太子の手で、歌劇や絵画や音楽の素晴らしさに開眼さえした。何の不服も不満もありはしない。
だが、少年は妙に気になることがあった。
最近、自分はよく王宮の離れに泊めさせられる。話が長引いてしまっているわけではない。王太子は執務で離れに来ないことの方が多い。だが、離れに泊まるよう仰せがあるのだ。断るなどという発想もなく、唯々諾々と従っていた。
そして、夜中に王太子が訪れてきて、自分が眠っている隣に身を滑り込ませてくる。優しく抱き締められ、身体を至宝のように撫でられる。
「エリアス……、今日も香油を塗ろうか」
耳に名前を囁かれて、少女が着るようなレースの寝衣に身を包んだ少年は体を起こす。
「はい」
王太子は微笑むと、レースの寝衣を脱がせ、少年の身体に香油を塗りつけた。
理由はわからない。だが、やめてほしかった。あまり裸体を貴人の前に晒すものではないと思った。
そう訴えると、王太子は少年の唇を吸いながら答えた。
「大丈夫だよ。むしろ、私はエリアスの全てをこの目におさめておきたいんだよ」
「すべて……?」
「そう、すべて……」
王太子は羞恥に頬を染めている少年の耳に囁きながら、そのまだ小さな手を自分の胸に当てた。
「とても可愛いから」
香油を塗るのは自分がやはり貧乏暮らしで、王宮の離れにいる時以外はあまり風呂に入らないからなのだろうか。優しい人柄なので、臭いのを我慢しているのだろうか、と気に病んでしまう。
王太子の真意を詮索して気に病んでいたある日、その夜がやってきた。
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