キルキルミチル

ささやか

 一か月に最低一人は殺さないと凄まじい苦痛に襲われ発狂し、最終的には全身から血液を噴き出して死に至る奇病、通称キルキル病が世界で蔓延してからずいぶんと時間が経ち、命の価値はすっかり軽くなったように見えてその実意外とまだ重さを保っているのかもしれない。ギンギンラギンに輝くの海散みちるが笑顔が目の前にあって、あー海散のためなら地球人口の三割くらいなら余裕で敵に回せるなって感じだった。五割超えると根性論で解決できないから無理めだ。

「あーちゃんできた」

 海散が簡易殺人器を両手にぎゅっと握りしめて報告するので、華奢な体をやわらかに抱きしめて彼女を褒める。

 必要は発明の母とはよく言ったもので、キルキル病がパンデミックしてから、老若男女問わず誰もが気軽にサクッと殺人できる道具が求められるようになり、その結果、スタンガンのように人体に押しつけてスイッチを押すだけで人を殺せる道具、殺人器が爆誕した。当初は道徳的倫理的な非難が溢れかえったらしいが、それならば非力な幼児は惨たらしく全身から血を噴き出して死ぬか、素手で自分より非力な赤子を縊り殺すか、自殺覚悟の特攻を大人にしろとでも言うのだろうか。生きる機会を与えないそちらの方が残酷であるように思う。だって必要だから。シンプルな需要の大きさはやがて軟弱な道徳を吹き飛ばし、だんだんと価格や性能が改善されていった殺人器はキルキル病の医療器具として普及し、簡易殺人器として海散の手にしっかり収まっている。

 広告によると最新の簡易殺人器は相手に苦痛を与えることなく確実かつ即座に殺人できるらしく、簡易殺人器をくらった体験談を見聞きしたことがないので、多分嘘偽りないなのだろう。それはきっと良いことだ。死に際して苦痛を与えることは可哀そうだと一応思う。

 海散のために死ねることができた幸いなる男は道端でたまたますれ違っただけなので詳しい情報は全くわからず、所持品を漁れば氏名くらいは判明するだろうがまあ至極どうでもいいことだ。回収アプリで住所を伝えておけば行政から委託された回収業者が持っていってくれるだろう。

 海散と手をつないでゆっくりと帰り道を歩く。歩きながら時折彼女のやわい手を強く握れば同じように握り返してくれるので、あー可愛い海散最高愛してる私の天使様って、やわらかな幸福を骨の髄まで浸透させているとあっという間に自宅に着いてしまうのでブラジルくらい離れていてほしかったと荒唐無稽な願望が湧き出てしまう。でも海散と一緒にいるのに思考が飛躍しない方がおかしい。

 海散がまだ小学生だった頃、私たちの両親は十把一絡げに尊い犠牲となった。幸いにして公的扶助や遺産のおかげで生活できるだけの金銭的余裕はあったものの、まだ幼い海散は施設送りされそうになったため、私が同居することを申し出た。

 キルキル病のせいで人口が激減した結果、家族制度も崩壊に瀕し、政府が遺族によるより簡便な共同体を構成することを奨励していたことを私はきちんと調べてあげて知っていた。なんならここ最近では政府主導のもと工場で人間を量産しており、個人向けにカスタマイズするサービスもあるようだ。時代は進んでいる。どこに向かっているかは知らないし興味もないが。

 結論として私の申し出はあっさりと許可され、この日から魅惑のワンダフルライフが開幕した。

 二人暮らしがはじまった後、私は適当に高校を卒業し、適当にトレーダーとしてお金を稼ぎつつ、全力で海散との生活を満喫した。まともに勉強して働くなど馬鹿のやることだ。そんなことしてたら海散と過ごす時間が確保できない。馬鹿すぎて死ねる。

 私は朝昼晩と海散の華奢なからだを構成する食事を供給し(不本意ながら給食や外食で毎食とはいかないこともある)、お風呂場で貴いからだを隅々まで洗い、一緒のベッドで眠りにつく。そして、海散のからだが瑞々しく甘いことを知っている生者は私しかいない。

 ああ海散チルチル海散ああ海散。

 海散だけが私の全てだ。

 海散はとっても可愛い私の天使様だったし、今でも天使様で、これからも天使様で、ずっと最愛なのだがちょっとおてんばなところもあり、具体的にどうおてんばかというと殺人器を使うことが大好きなのだ。殺人器の用途はキルキル病の治療それすなわち殺人なので、海散はバンバン人を殺すことが大好きということでまあ間違っていない。

 以前なんで好きなのと訊いてみたら「ぷちっとね、終わっちゃうのが気持ちいいの!」と満面の笑顔で答えてくれた。まあ可愛い。

 これが生来の気質なのかキルキル病にかかってから後天的に獲得した気質なのかはわからないがそんなことはどうでもよく、海散が人を殺したければ殺せばいいのだ。海散の楽しみのために費やされるなら実に有意義な最期じゃないか。ひれ伏して感謝してもいいくらいだし、私ならそうする。海散が喜ぶなら死ぬべきだ。

 月に一度程度ならキルキル病の医療行為としてなんの問題もないがバンバン殺すとなるとさすがにちょっとは人目を気にしなくてはいけない。私は海散に殺したくなったら一緒に行くから教えてねとよく言い聞かせ、彼女のお楽しみ現場に一緒に行き、海散に危害が加えようとする不届者や不要な目撃者の排除して、不慮の事故が起こらないよう対処している。私は珍しくキルキル病にかかっていないのだが、それでも殺人器はとても便利な道具だなと思う。

 ある日海散がお楽しみに選んだのは小さな児童公園で、三人ので男児が交代でブランコに乗ってはしゃいでおり、ブランコから少し離れたところに設置されているベンチには無精髭の中年男性がぼんやりと座っていたので、今日は楽でいいなとブランコに向かっていく海散を横目で確認してからベンチに座る中年男性にこんにちはと声をかけると同時に簡易殺人器を押しつけ、すぐにさよならする。

 白いシャツに藍色のジーンズというシンプルな格好をした海散は児童公園という場に不思議と馴染んでいた。海散にはどこにいても自分の場所にしてしまうような存在感がある。

 海散は朗らかな笑みを浮かべながらリーダー格っぽい背の高い男児に声をかける。ブランコ楽しいとか私も乗せてとか言っているのだろう。海散は贔屓目を抜きにしてもアイドルかと思うくらい整った容姿をしているので、その魅力にあてられる者は多く、海散が軽やかにお礼を述べると、太った男児と眼鏡の男児も積極的にブランコを譲り出した。

 ちょこんとブランコに乗った海散が男児らに背中を押すよう頼むと、顔を赤くした男児らがガラス細工にふれるかのようにおそるおそる背を押すがそれではブランコに勢いがつくことはなく、海散はもっともっと押してと歓声をあげ、それにつられて男児らがようやっと強く海散の背を押し、ぐわんぐわん、ぐわんぐわん、ブランコが曇りない青空に近づき、太陽がまぶしく、何よりも思い切りはしゃぐ海散の笑顔がまぶしく、ブランコをこいで太陽に迫る海散はまるでひとりだけ映画の世界にいるようだった。

 海散はひととおりブランコを楽しんでから、両足をそろえて着地し、いえいとピースサインで男児らに笑いかける。男児らも笑顔になる。そのまま海散はハイタッチハイタッチと背高、デブ、眼鏡と順番に小気味よく両手を合わせ、それが終わると右ポケットから簡易殺人器を取り出し、ごく自然に背の高い男児に押しつけた。

 背の高い男児は笑顔のままピクピクンと痙攣して倒れた。直に死ぬだろう。

 海散がえーいと倒れた男児の頭部を軽やかに蹴りあげると、固まったように動かなかった眼鏡の男児がポケットに手を入れたが彼が中の物を取り出すよりも早く海散の簡易殺人器が押しつけられ、そこでようやく悲鳴をあげて太った男児が逃げ出したので、海散は鬼ごっこのように追いかけ、簡易殺人器でタッチする。海散に捕まった太った男児は鬼籍に入った。

 それから海散はアップテンポで讃美歌を口ずさみながら、できたてほやほやの死体を何度か足蹴した後、ベンチに座る私のもとに戻ってくる。

「おかえりー。楽しかった?」

「ただいまー。楽しかった!」

 海散はいつものように満面の笑みを浮かべる。私の横で死体になってる中年男性のことなど気にも留めなかった。

「やっぱり子どもって可愛いなあ。優しくしたくなるのわかる。私が小さい時、あーちゃんもそうだった?」

「もちろん海散は可愛かったし、優しくしたくなったよ。でもそれは子どもだからというより海散だったからかな」

「そうなの?」

「そうなの」

 私は肯定する。別に子どもが好きなわけじゃない。可愛いどころかどうでもいいとさえ思っている。私にとっての天使様は海散だけだ。

「でもあーちゃんがいたから、私もお姉さんになってみたいな。それで小さな子をたっぷり甘やかして優しくするの。あーちゃんみたいに」

「私そんなに甘かった?」

「うん、とっても!」

 そこまで断定されれば自覚もあるので否定はできず、ただ苦笑せざるを得ない。

 私は海散のやわい手を握り「帰ろか」と歩き出す。

「ねえ、あーちゃんは生まれ変わってみたいと思う?」

「うーん、いや、別にいいかな」

 海散からの唐突な問いに答える。生まれ変わることができようと、そこに海散がいないならなんの価値もない。それなら最初から生まれてこない方がマシだ。

「ふうん」

 海散はそれで満足したのか、もう一度同じ相槌を繰り返した。

「ふうん」

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