1-2. 博打と硬貨

「ワンペア」

「ストレートだ」

ですね」


 居酒屋のテーブルの上で、三人の男がダイスを振っている。


「またかよ!」


 テーブルに積み上げられた銅貨が、舌打ちと同時に一方へ押し込まれた。

 酒場に集まった見物人たちが、それを見て大声ではやし立てる。


 数十年前のフランス革命以降、ヨーロッパには大きな変化が始まっていた。

 その中の一つに、農村から都市への人口流入がある。

 これに伴い酒場が発達し、週末にはあふれるほどの人が集まるようになった。

 そこは労働者の息抜きの場となり、カンツォーネと呼ばれる音楽が鳴り響くようになり、職業斡旋などの場にもなり、そしてまた、賭場にもなった。


 今、彼らがやっている賭博は五個のダイスをテーブルに転がし、出た目でワンペア、ツーペアなどの役を作って勝負する。

 細かいルールはテーブルによって違うが、ポーカーに近い。

 この地方では普通のポーカーのほうが盛んだが、今日は珍しくダイスが始まっており、そのせいで野次馬も多かった。


 このゲームにはディーラーがいないが、それでもたいていの場合は文句は出ない。ダイスが疑われることはめったにないからだ。

 十三世紀以降、ヨーロッパで生産されるダイスは標準化が進み、目がほぼ均等に出るようになっている。

 ダイスへの信頼は、ギャンブルを支える柱だった。


 だが、この卓では今、その信頼が崩れ始めていた。

 

「臭えやつがいるな」

「ああ、薄汚ねえ奴だ」


 場にいた二人がそれぞれのワインボトルをテーブルに叩きつけた。

 片方は捻ったひげに黒のチョッキ。

 もう片方は剃り上げた頭の丸く太った男。


 二人の視線の先は、目を閉じて杖を肩にかけた、例の男である。

 場に出た銅貨をガサガサとかき集め、ぎこちなく懐に入れていた。


 彼が盲目であることは野次馬の全員が理解している。

 この男を騙したら、必ず誰かが声を上げる取り決めまでしてあった。


 ところが実際にゲームが進むと、勝つのはその男だけだ。

 疑いの目は晴眼者ではなく、彼の側へと移っていた。


 チョッキの男が葉巻を手に取り、黄燐のマッチで火を点けた。

 ケンタッキー・リーフが強い土の香りをまき散らす。


「どうなんだい、よそものさんよ!」

「へ、どうとは、どういうことで……?」


 言われた男が、へへへとにやけた顔を返した。


「なあ、ひとつ東からいらっしゃったゲスト様に教えてやるよ。

 大切な神様の教えってやつをよ。

 いいか。ダイスってのはな。いろんな目が出るようにできてるんだなあ。

 それも公平にだよ。わかるかい?」


「そ、そりゃあ、当たり前じゃございませんかね?」


 男は手の中で転がしていたダイスをおずおずと机の上に置いた。

 五個の四角い玩具がころりと音を立てる。


「そうよ。それがわかってんなら、次に言う事もわかるよな」


 机を平手でたたきつけ、タバコの煙を吐きながら顔を近づける。


「俺にはあんたのダイスだけが、そうなってないように見えて仕方がないんだよ。

 お分かりいただけましたかね?

 中国人のチェーコさんよ?」


 肩に腕を回して、ぽんぽんと叩く。

 言われた男は身を固くして動こうとしない。

 

「いやいや。そ、そりゃ、二つ間違いがございますよ。

 まずサイコロについては、旦那のご気分の問題でござんしょう。

 そんな日もありますよ。天気と一緒でね。

 あと、あたくしは中国人のチェーコじゃなくて、日本人のチェーコですね」


 チョッキの男は大きく顎をしゃくると、怒り出すこともなくむしろ機嫌を良くしたように、笑顔で大声を出した。


「ほうほう! まだ言うかい!

 いいねえ! 実にいい度胸だねえ!

 東から来るお客さんは、とても面白い冗談をおっしゃる!

 そう思わないか酒飲み諸君!」


 うっと声を立て、野次馬が輪を広げる。

 男が腰の刀を抜いたのだ。

 カトラスと呼ばれる刃物の柄に、商船を護衛する船団の紋章が刻まれている。

 荒事に慣れている証だった。


 ドッと鈍い音を立てて、男が切っ先を机に突き立てた。


「金は返してもらうぞ。色をつけてな」

「そ、そりゃ殺生な。そんなの、泥棒じゃないですか」

「泥棒はどっちかこいつに聞いてみるか!」


 男がテーブルに刺さった刀の柄を握り、切っ先を男の頬にあてた。


「何をなさるんです」

「黙ってな」


 テーブルの上に並べたダイスに向かって、男がカトラスを振り上げた。


「おらあ!」


 白杖の男が使っていたダイスに向けて、刀を上からたたきつける。

 一つがガキッと音を立てて割れ、テーブルにまで深々と傷がつく。

 床に落ちたかけらを、何人かがひろって確かめた。


「どうだ」

「……いや、何も入ってねえぞ」


「そんなわけがあるかよ! 一の目ばっかりだったじゃねえか!」

「落ち着けよ。他のダイスだろ」


 男がもう一度カトラスに力を込める。

 ところがそこで、その腕が別の手に押さえられた。


「なんだおい?」


 刀を振りかぶろうとした男が振り向いた。

 黒チョッキの後ろに、派手な身なりの男が立っている。

 赤のシャツ、黒のマント。

 カトラスよりも細身の剣を下げていた。

 腰の反対側には、派手な金色の装飾をつけたピストル。


「なんだ。ジュゼッペの旦那ですか」


 舌打ちをしながら、チョッキの男が刀を鞘に戻した。


「なんだって水を差すんです?」

「仲裁だ。酒場に迷惑をかけるのは良くない」


「こいつが悪いんですぜ!」

「いや、そんなことはない」


 派手な身なりの男が淡々と諭した。


「旦那はずいぶんと平和主義者でございますねえ!

 俺たちが汗をかいて稼いだ金を失っても構わねえと?

 ただでさえ帝国のいけすかねえ値上がりで苛ついてんですよ。

 このタバコだっていつまで吸えるかってのに!」


 男が葉巻の先をテーブルに押し付けて消す。


 彼が言う通り、この時期の欧州は動乱の年であった。

 当時、ピサを含むイタリア半島一帯には多数の国が割拠していたが、その大半は北方の強国ハプスブルク帝国オーストリアの影響下にあった。


 それが、この一月に転機を迎えたのだ。


 イタリア半島から少し離れたシチリア島で暴動が起こり、帝国からの分離独立の要求が始まると、同地のサルデーニャ=ピエモンテ国王カルロ・アルベルトは、これを契機として三月に帝国へ宣戦を布告、第一次イタリア独立戦争を開始した。


 そこからやや遅れて、この街から近いミラノでも葉巻の値上げへの反発運動に端を発する暴動がおきた。

 これ見よがしに煙草の煙を吐く帝国の兵士に怒り狂った市民は軍を排除し、一時期は市政を握るまでになったのだ。


 戦い自体は帝国側の反撃で決着したが、これ以来、人々の革命に対する思いは急速に波及していった。


 これからどういう風が吹くのか。

 このトスカナの住民にとっても、第一の関心事はそれであった。


「生きるのはタバコのためでない。

 未来のためだ」


 ジュゼッペと呼ばれた男は群衆をかき分け、盲目の男の隣へ立った。


「それに、皆はわかっていなかったようだがな。

 トリックはダイスの側じゃない。

 彼の手だ。彼が出したい目を投げたのだ」


 ざわっと、囲む男たちがお互いの顔を見合わせた。


「何バカ言ってんです?」


 太った裸の男が眉を引き上げて言い返した。


「彼は毎回、中指と薬指で全部のダイスをそろえていた。

 それから同じ高さから、同じ力で振ったのだ。 

 恐るべき器用さだ」

「いやいやいや!」


 伊達男に気おされながらも、腕を組んで太った男が言い返した。


「それができりゃあ、誰だってやってますでしょうが!」

「いや、そのはずだ。貴公、そうであろう」


 ジュゼッペが杖を持った男へ声をかけた。

 落ち着いた目は、好奇心に満ちた輝きを放っている。


「貴公のご回答をいただきたい。そうであろう?」

「よく見破られましたね。この国では初めてだ……」


 目を閉じた東洋人がぼそりと答えた。


「故郷の賭博は胴が振るんで、ずっと難しゅうございましてね。

 この国では自分でサイを振れるんだから楽なもんです。

 おっしゃる通り、あたくしは好きな目を出せます。

 一でも、二でも」


 まさかと誰かがつぶやいたが、ジュゼッペの顔には得心が浮かんでいた。


「だったらそんなはした金で恨みを買うのはもったいない。

 このトスカナには、もっと面白い博打があることを教えなければな」


 それを聞くと、盲目の男が見えない目を大きく開いた。


「どういうことでございましょう?」

「それに答えるには、そうだな。

 たとえば貴公が先日、人狼を斬ったその腕を賭けてみては?」


 ジュゼッペが面白そうに言った。


「なんですって?」


 集団が再び、先ほどよりも大きな声でざわめいた。


「こいつが人狼をやった? どういうことです?」


「数日前、山道で人狼が一体、真っ二つになっていた。

 脳天から一物の先までだ。

 人狼が普通の剣で死ぬことはないが、ああなっては身動きがとれない。

 息の根を止めたのは私の弾丸だが、あんな楽な退治は初めてだった」


「それをこんなチェーコがやったってんですかい?」

「そうだ。私はその晩、返り血を浴びたこの方とすれ違った。

 それ以来ずっと街を探していた。さっきの博打で確信した」


 そう言うと、伊達男は形の残ったダイスを一つ手に取った。


「腕を披露しよう。見えんだろうし聞いてくれ」


 男がダイスを指で弾くなり、マントがバサッとひるがえった。

 ほぼ同時に、腰の拳銃を抜きざまに撃つ。

 射撃の音とほぼ同時に、ダイスが木っ端微塵になった。


「ジュゼッペだ。フランス領ニースの生まれ。

 人狼討伐人として各地を回っている」


 それを聞きながら、盲目の男は机を撫で、指でダイスの欠片を探り当てた。


「ははあ。これは見事なもんでございますね」


 粉のようにばらばらになったダイスを指でつまんで言う。

 ほうと感嘆のため息が酒場に流れた。


「次は貴公の番だ」

「いやいや。あっしはこんな見事な腕は持ち合わせておりませんよ」


「ではこの賭博は貴公の負けだ。今日の儲けを出してもらう」

「おや、そういう理屈があるんですかね?」


 盲目の男が浅く口角を上げる。


「それじゃあ、もし似たようなことができたら、あっしの儲けが倍になるみたいに聞こえてしまいますね」


 へへへ、と男は頭をかきながら続ける。

 ジュゼッペは腰にピストルを収めながら答えた。


「そうだと言ったら」

「乗り気になるじゃありませんか」


 ジュゼッペが硬貨が詰まった袋を取り出し、どんと机の上に置く。

 それから残った三個のダイスのうち、一つを手に取って指の上に乗せた。


 盲目の男は深くうなずくと、杖を両手で握りしめた。


「杖の中に剣か」

「はい。目開きの皆さんを驚かしたくありませんので」


 微笑と共に、男が立ち上がった。


「いいだろう。その刀でダイスが斬れたら貴公の勝ちだ」


 外野が一斉にざわめきだした。


「あのチェーコ、何言ってやがんだ」

「アホなんだろ。斬れるわけねえや」


 横に手を出し、ジュゼッペが群衆を黙らせる。


「できなければ彼が掛け金を失うだけだ。さあ、下がれ」


 ジュゼッペが集団の作る輪を広げる。

 その中、男がトン、と軽く机の上に手を置いた。


 瞼の間からのぞく白目を伊達男へ向け、杖の男がゆっくりとつぶやくように言う。


「もう一度念を押しますでございますが。

 あっしはただ、を斬ればいいんでございますね」


 全員が静まっていたためか、妙にその声が大きく響いた。


「そういうことだな」

「ようがす」


 男が鼻と耳を小さく動かす。


「聞き忘れていた。貴公の生まれとお名前は?」


 ジュゼッペがダイスをのせた指を突き出した。


「遠く日の本は常陸の国、笠間の生まれ。下館の育ち」


 男が杖を握り直しながら答える。


「座頭の、市と申します」

「よし、市。いくぞ……」


 緊張を握りこんだ拳から軽い音が跳ねた。

 ダイスが天井近くまで跳ね上がり、落ちていく。

 市が両手で握った杖を左右に分ける。


 男の抜刀は逆手だった。


 刀身が異様な光を放つ。

 ひゅんひゅんと二度、ランプの明かりがさえぎられる。


「おおっ!」


 直後。

 空中を降りてきたダイスはテーブルの中央に止まり、美しく等分されていた。

 テーブルには傷ひとつ付いていない。

 歓声が広がった。


 その中、ジュゼッペだけは手を突き出したまま黙っていた。

 額に脂汗を浮かべ、テーブルの上のダイスをにらみながら。


「斬れたぜ!」

「旦那、どうするよ。持ってかれちまったぞ」


 言われてもジュゼッペはまだ身を固めたままだ。

 ややあって、ようやく絞り出すように声を出した。


「……すごい」

「ははは、ずいぶん素直なお言葉だ。ありがとうございますね」


 緊張した顔のまま、ジュゼッペが手を開く。

 それを大きく振り上げると、バシッとテーブルの天板をたたいた。


 投げたダイスは一個。

 しかしそのほかにも、テーブルの上にダイスは二個残っている。


「うわあっ!」


 そばで見ていた男たちが腰を抜かし、のけぞって床に転がった。

 市が刃を振ったのは二度。

 その間に三個のダイスが半分になっていたのだ。

 

「全部、斬れましてございますね」


 ジュゼッペは片腕でバラバラになったダイスをテーブルから押しのけ、布袋を男の前に押し出した。


「全然足りんな。前金にもならん」

「それじゃあの旦那さんは、もっといい儲け話をご存じなんでしょうかね」


 ジュゼッペが市の手を握りしめた。


「そうとも。次の仕事で、貴公は今日の十倍を稼ぐ」

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