最強格闘家少年、異世界に行く

アトラック・L

第1話

 体の中を駆け巡る、赤き血潮の感覚がする。龍崎和也りゅうざきかずやが目を覚まして最初に感じたのはその感覚だった。


「ここは……」


 和也は目を開ける。やけに寒い。それに加えて臭いが、あるいは音が、自身の感覚器官とは思えないほどに鋭敏になっている。

 これは、死者の臭いだ。

 これは、生者の悲鳴だ。


「どこだ、ここは」


 視界は異常なまでにクリアで、視力が自身の――いや、人の視力の限界を超えているかのように感じられた。それこそ、柱の一本一本にある、小さな染みまでが手に取るようにわかる。

 和也は周囲を見る。ファンタジー・ロール・プレイング・ゲームの祭壇をイメージさせる、神秘を宿した建物。その中心に魔法陣が描かれていて、彼はそこに立っていた。

 祭壇の隅には二人の人間。一人は老紳士で、もう一人は美女。どちらもコスプレじみた格好をしていた。彼の好きだったゲームの登場人物さながらの格好だ。

 龍崎和也はごく普通の少年である。中学二年生、部活は総合格闘ミックスト・マーシャル・アーツ部で、そこでは全国大会に出場する程度の実力。言ってしまえばそれぐらいの特徴しかない。後は、好きなキャラクターの口調を真似する程度。

 故に、彼は困惑する。ここはどこで、俺はなぜここに居るのだろうと。


「おお、目覚めたか。戦士よ」


 そんな彼に、声を掛ける者が居た。


「あんたは?」


 祭壇の隅に立っていた老紳士に、和也はそう言った。

 老紳士は、仰々しい動きで、


「ワシはアレクセイ。アレクセイ・ネーメジス。ガラヴィア王国の王……という事になっておる」


 自己紹介をする。


「ガラヴィア、まるで聞きなじみのない国だな。ここはどこだ? 俺はなぜここに居る?」


 和也は一歩、前に出る。立った一歩、前に出たつもりだった。

 だが、現実は違った。一歩で十歩分の距離を歩いていた――否、その速度は走ったも同然だった。ほんの一瞬で、彼はアレクセイに肉薄して見せた。

 それは、自身の肉体が見知らぬ強靭な肉体になっているかのようだった。


「なんだ、この力は」


 アレクセイはそれを予期していたかのように、


「ここは首都ベラハーン。お主の質問に答えるのならば、召喚術式によって召喚された戦士がお主という事になる」

「召喚? まるでビデオ・ゲームだな」


 和也は表面上冷静を装う。だが、その内面はある種の高揚状態にあった。

 これではまさしく小説やアニメにある異世界転移そのものではないか。聞き覚えのない国名、この祭壇。憧れてはいたが、まさか自分がまきこまれるとは。

 しかしこれは、ある種の夢ではないか、とも思う。だって、あまりにも現実感がないから。


「今我が国は、内戦状態にある。革命軍が我が首都に攻め入ってから、既に三ヶ月。我が国の兵士は日に日に疲弊し、ついには首都ベラハーンは陥落寸前まで追い込まれた」


 ははぁ、これはアレだなと和也は当たりをつける。これに近い展開のアニメを知っているからだ。


「つまり、その革命軍を倒しうる戦力として、俺が召喚された?」

「話が速い。つまりはそういう事だ。召喚の際、お主の身体には霊石イガリマを埋め込ませてもらった。その身体能力はそれによるものだ」

「勝手な話だな。俺があんたらの敵に回ったらどうするんだ?」


 そう言いながら、和也は祭壇の外に出る。高台に作られた祭壇からは、街の様子が良く見えた。

 石畳と煉瓦の街並みは、あまりにも悲劇的だった。火の手と、死者と、虐殺。それらが彼の眼に、耳に、鼻に入ってきたから。

 使われているのは、剣と弓。それから魔法。魔法の発動方法は不明だが、魔法陣から炎が出ていることを見るに、詠唱か魔法陣を書くかのどちらかだろうと推測する。


「革命軍は、革命とは名ばかりの利権を求める連中ばかりだ」


 和也を追って、アレクセイが祭壇の外に出てくる。


「民を、守ってくれ」


 和也とて、そうできたらいいと思う。だが、この惨状を見て、誰がハイ、戦いますと言えようか。

 そもそも、彼はただの中学生に過ぎない。霊石イガリマとて、現実感のない存在でしかない。


「頼む――」


 ひゅ、と風が吹いた。否、それはただの風に非ず。それは音速を超える速度で命を刈り取る死神の刃。

 アレクセイの首を刎ねるその風の動きを、和也の眼は捉えていた。飛び散る血液と、地面に転がるアレクセイの頭部。

 しかし、和也にその意味を理解させるだけの暇はない。

 次いで、彼の首にその刃が迫る。音だけの、物理的な力を持たない刃。


「な⁉」


 和也はいきなり襲い来るそれを、半ば本能だけで跳躍して躱す。


「まったく、ようやく出てきたと思えば、よもや異界からの戦士を召喚しているとは思いませんでした。ですが、聖域である祭壇から出てしまえば、我々シュルシャガナの破片を埋め込んだ存在も手を出せる」


 そんな彼の前に、一人の男が着地した。


「あんたが、アレクセイを殺したのか」

「おや、生きているとは思いませんでした。なるほど、彼の王がイガリマを持ち出したという話は聞いていましたが、なるほどなるほど」


 男は白いフードを身に着けていて、顔が見えない。体格は実に良く、戦闘を行う者の体格だと、部活動の経験から和也は察する。


「答えましょう。私が彼を殺しました。これにて革命は成った、というわけですね」

「……ああ、バカげている」


 こんなにも簡単に、人を殺す奴が革命者だと?

 和也の内部に怒りが蓄積される。

 和也にとって、アレクセイは他人だ。だが、一度でも会話した相手が殺された、という事実は彼を怒らせるのには十分な理由だった。


「さて、あなたを捨ておくことは簡単ですが、後々の事を考えるとそれはよろしくない――」


 男が、強烈な殺気を放つ。瞬間、


「くっ!」


 男が爆ぜた。地面すれすれまで身をかがめ、和也に殴りかかる。和也はとっさに反応し、男のアッパーカットを右腕で受け流す。

 なんて威力だ。普通の人間なら、この一撃で再起不能になっていた。イガリマとやらの力が、俺の身体を強化していなければ今の一瞬で死んでいた。

 男は二撃、三撃と素早く拳を振るう。和也はそれを上半身を前後左右にスライドさせることで避ける。

 見える。彼の攻撃、その全てに追いついていけている。だが、攻撃は最大の防御という。こちらから攻め込まなければ、いずれはやられるだろう。

 和也は相手の動きを観察する。右、左のジョブからのアッパーカット。この速さならば、ターゲットの首を刈る事も可能だろう。

 攻撃は上から下への殴りつけに。それは大技、今の和也からしてみれば、愚行でしかない。ここだ、と和也は身を横に引き、足払い。


「――ほう、良いですねぇその冷静さ。格闘家かくあるべしです」


 しかし、その隙は隙に非ず。男は一瞬跳躍し、和也の頭にチョップを仕掛ける。和也はそれを直に喰らい、一瞬意識が飛ぶ。

 その隙を男が逃すはずがない。男は瞬間和也を蹴り上げ、彼は祭壇の壁に体を打ちつける。


「――がはぁっ!」


 痛い。この感覚は、骨の数本は逝ったかもしれない。冷静に彼は自身の負傷を分析する。


「いいでしょう。私を前にしてそこまで生き延びたのはあなたが初めてです。それに敬意を表し、名乗る事にしましょう。私はエンキ」

「へ、良い名前だ。やってる事が虐殺だって知ったら名付け親が泣くな、こりゃ。いいぜ、俺は和也。ここからは手加減無しだ」


 と、和也は強がってみる。無論、これまでも本気で戦ってきた。否、彼は人生における全ての試合を全力で戦った。

 いける。ようやくこの体に慣れてきた。

 和也の分析はそう言っていた。だから、ここからは手加減しないのではなく、ここからが全力全開だという事。

 これは大きな違いを持っている。手加減するというのは、相手を侮る事。全力を以って迎撃するという事は、それ以外の要因で全力を出せなかったケースも内包される。例えば、有り余る力に闘い方が最適化されていない場合などだ。


「良い事を言いますねぇ」


 明らかな怒気を含んで、エンキが言う。エンキのシンプルなストレートが和也を襲い、


「そこまでよ!」


 戦いは突然に中断された。

 

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