マッチング・リザード【完結編】

 異種族が混在する国だが、幼少の頃はみながほとんど変わらない、人間の子供である。

 多くの種族が、人間からの分岐先であるため、種族の個性が出る以前は人間の姿なのだろう……、だからリザードマンであるオカモトも、中学を卒業するまでは人の子と同じ姿だった。


 異種族でも、同じ環境にいれば、人の子と同じように育つ。

 同じ感性が育ち、同じ発想をする――、だからオカモトも、みなと同じように恋をした。

 毎日顔を合わせる女子を好きになった。

 その子も当時は、エルフだけど今ほど耳は尖っていなかった――。


 同級生だけど、少し年上に感じたのは、彼女の真面目さのおかげだろう。それともオカモトがあまりにも頼りなくて、情けなくて、だから世話をしてくれたのかもしれない……、男として足りないものが多過ぎると自覚しながらも、彼女からの助け船が出されることを期待して、克服することはしなかった。この関係が、居心地が良かったのだ。


 ――結局、恋は恋のまま、実ることはなかった。

 勝負さえしていないのだから成功も失敗もしていないけれど……いや、今後も勝負をする気がないなら負けと同等だろう。

 いつも助けられていたオカモトは、自分だけの力で進むことができなかったのだ。


 中学を卒業し、彼女がいなくなれば――オカモトは一人になった。

 だから妄想した、理想を書いた、こうなればいいな、なんて夢を書き連ねた。それがいつしか、大人の目に留まり、気づけば作家として働いていた。

 それは今も変わらず――理想や夢を書いて提出すれば、どれか一つが商品となる。そんなことを繰り返し――、オカモトは中学の時から時間が止まったまま……年齢だけを重ねていく。


 初恋も、終わっていなかった。




「…………ん」

「あ、起きた」


 少し大人びたあの子の顔だった。

 寝落ちした昼休み、目を開けてみれば、隣の席の彼女の優しい顔が目の前にあって――


「……タチバナ……さん」

「久しぶりだね、オカモトくん」


 中学生にしては大人びて見えて――……いや、違う。

 ここは中学の教室ではない。自宅……大人になった自分の、一人暮らしの部屋で……。

 どうしてそんな聖域に、彼女がいる?

 初恋相手のタチバナさんが――?


「え、なん、タチバ……ッッ」

「はいはい、熱が上がるから冷静に、ね」


 おでこにひんやりとしたものを当てられた。

 首の裏にも同じように冷えたそれがあり……、体の熱も、おかげでだいぶ引いたようだ。


 顔や首元の汗を、タオルで丁寧に拭ってくれる。まるで、中学時代に戻ったように。

 彼女が甲斐甲斐しく、お世話をしてくれる……。

 情けないと思いながらも、身を委ねている自分がいた……。


「大丈夫? つらくない?」

「うん、平気だよ。……気持ちいい……ありがとう、タチバナさん」

「どういたしまして」


 すぐ近くに腰を下ろしたタチバナ。

 もしかして、ずっと傍にいてくれたのだろうか……?

 だとすると、寝言で変なことを口走っていないか、心配になる……。


「それにしても驚いたよ、まさかオオアゴ先生が、オカモトくんだったなんて」

「あ…………、ご、ごめん、騙してて……あ、いや、正直に、正体を明かさないで……」


「気にしてないよ。まあ、昔とがらりと見た目が変わっちゃったもんね。今は脱皮中で、昔の姿だけど、しばらくすればリザードマンに戻っちゃうんでしょう?」

「うん……だいたい、二か月に一回くらいは、こんな風になっちゃうんだよ……」


「へえ、リザードマンって、そうなんだね……」

「どうだろ……おれが、中身が成長していないからかもしれないけど……」

「そうなの?」


「だって……、ガキみたいな妄想を、書き続けているんだよ……。中学卒業してから、やってることは変わってない……書いてることは変わってるけどさ。人付き合いをしなければ社会経験もない。おれは…………あの頃から止まってるんだ――」


 その分、物語を作ることには膨大な時間を使ってきた。

 でも、やっぱりそれは、人間性を成長させてはくれない。


「だから会いたくなかった、ってのもあるけど……」

「成長していないから?」


「……うん。みんなが先に進んでいる中、自分だけが、止まっているから……並んでほしくなかったんだよ……」

「だから同窓会もこなかったんだ」


「……あれは、参加するかどうかの時に、色々と、立て込んでて……面倒だったのもあってさ……。正直、原稿を書いている方が楽しいんだよ……みんなには悪いけど」

「ううん、それは好みだし、いいんじゃない?」


 元々、無理強いする会ではないのだ。

 きたい人がくればいい、そういうお誘いである。


 空気を読めないからって仲間外れにするわけじゃない。そういうのはもう学生で終わったのだ。大人でそれをしたところで、他にも居場所はある――。


 旧友に嫌われても、今の友人がいれば満足するのだから。


「……今日はごめん、迷惑かけた。すぐに治して原稿を進めるから――」

「ああ、うん。それはありがたいけどね、少し休みなよ、頑張り過ぎだよ」

「好きでやってる部分もあるよ」

「じゃあ、違う部分もあるんだ?」


「…………」

「ねえ、あたしのために頑張ってるとか……ある?」

「タチバナさんの、ため……?」


「あたしの担当作家が結果を出せば、あたしの評価に繋がるし、だから、あたしのことを先に知ってたオカモトくんが、風邪を引くほど頑張っていたのかなって――」


「……そうか、おれが頑張れば、タチバナさんが評価されて……」

「やめなさい。今、立ち上がって原稿を書こうとしてたでしょ」


「だ、だって!」


「いいから安静に。……その様子だと、あたしのためではなかったけど、事情を知ればあたしのために頑張るってことよね? ……いいのよ、そんなことしなくて。普段通りで……。でも普段通りだとちょっと働き過ぎだから、もう少しペースを落としてくれるとありがたいわ。オカモトくんが……、いえ、オオアゴ先生が倒れて長期間もリタイアしたら、あたしたちが困ってしまいますからね」


「…………、頑張りたいって言っても、ダメなのか?」

「え?」


「タチバナさんのために頑張りたいと思っても、それは迷惑でしかないのかな……」

「そんなことはないけど……だから、その、自分の体調のことを考えて――」


「自己管理ができるなら、君のために書いてもいいんだよね? ちょっとくらい無理したって、いいんだよね!?」

「自己管理をちゃんとしているのに無理をするのって、矛盾してない……?」


 興奮しているのか、オカモトの熱が上がっていく。

 首裏の氷がじんわりと溶けていった。


「書きたいんだよ……、君の力になりたい」


「確かに、先生の面白い作品が、あたしの評価に繋がるけど……、無理をさせていたらマイナス評価になってしまうから……。気持ちは嬉しいからさ、肩の力を抜いて、」


「――やっぱり、格好良いところを見せたいよ。昔は見せられなかった、ダメダメな、世話が焼ける弟みたいなおれでも、今は誇れる武器がある。その武器しかないけど、その武器で君の力になれるなら――寝る間だって惜しんで見せたいんだよ――だって……」


「…………」

「…………」


「だって……なに?」


「――パソコン」


「え?」

「パスワードは『ooago1224』だから。右下のフォルダに原稿がある。それを読んでくれればいいよ――」


 じゃあおれは寝る、と、オカモトは逃げた。


 極度の緊張状態で意識が朦朧とした中での、最後の力を振り絞って伝えたのだ。

 逃げたわけじゃない。

 まあ、不調に乗じて逃げた部分がまったくないわけではないけれど……。


「……分かったわよ」


 パソコンを見たタチバナは、右下のフォルダを開く……たぶんこれだろう。

 デスクトップ上に、多くのフォルダがあって、多くの原稿があって目を引かれたけど、開くべきは一つだけだ。フォルダの中には、原稿……ではなく。


 中学卒業と同時に書いたであろうテキストデータがあった。

 その年から毎年、同じようにデータを追加しているらしい……日記か?


 思って読んでみれば……日記とも言えた。

 当時、彼がなにを思い、なにを目標に頑張り、生きてきたのか……赤裸々に語られていた。

 オオアゴ先生にしては珍しい、作者の顔が出るエッセイである。さすがに赤裸々過ぎるので出版はできないが、内容は、やはり作家としての才能があるからか、読みやすく面白い。

 ついつい、次々と読んでしまう……。


 彼のコンプレックスや、トラウマや、成長、生きがい、目標、道のり――数年間の記録が残されていた。そして当然そこには――恋のことも。


 だからこれは、エッセイに見せかけて、自分オカモトのために記録しているという皮を被って、その実は、ラブレターなのだ。


 たった一人に伝えたい。

 それだけのために書かれた……恋文。


 そして、最後のデータには、こう書いてあった……『遺書』。



 あなたとの物語を書いて死ぬ。

 始まらないなら妄想する。

 始まったなら忘れないように記録し、物語とする。

 それが私の、最後の作品となる。



 オカモト――もとい、オオアゴ先生の遺作は、既に決まっていたのだ。


 デビューするよりも前から。

 処女作よりも前から。


 先生はたった一人の少女に思い焦がれて、どんな結末になろうとも、(決して完結はしないだろうけど)書き切ると決めていた。

 そのための今だ。

 そのための多作で――頑張る理由だった。


「…………」


 読み終えたタチバナは、緊張と安堵により深い眠りについたオカモトの元へ向かった。

 彼の頬に手を添えるタチバナは、彼の思いを受けて微笑んだ。


 アカバネの分かりやすい強引な方法を体験しているせいか、オカモトの遠回りで分かりづらい方法に、その真剣さに、心を揺さぶられた。


 揺れている。

 だからって、彼の好意にすぐ応えるわけではないけれど――。


 でも、


「……うん、考えておいてあげる」


 彼女も自覚していた。

 考えておくと言いながらも、答えに辿り着いてはいる、前向きな返事だった。



「――じゃあ、どうしたら付き合ってくれるの?」

「え――ちょ、起きてたの!?」

「どうしたら、いいの?」


 言われ、顔を背けるタチバナは、袖にかかる力に笑みがこぼれそうになった。

 ちょいちょい、と催促されている……。


 頼りないことをコンプレックスに感じているオカモトだが、タチバナからすればそういう仕草は好みだったりするのだ。

 それに、頼りないように見えて、強い意志がある……、オカモトのことを頼りないとは思ったことがないタチバナだ。


「君が望むなら、絶対に達成させる」


「じゃ、じゃあ……、アニメ化、とか……?」


 ハードルは低いように思えるが、オオアゴ先生の作品はアニメ化には向いていないと編集部では話題になっていた。なので、低いようで、高いハードルだろう。


「分かった」


「ただし! ……無理はしないこと。あたしのためだからって無理をして、また倒れたりしたら、達成しても付き合ってはあげないからね!」


「うん、それも分かったよ」

「ほんとに分かっているのかしら……?」


 心配するタチバナだ。

 だが、タチバナが言えば無理をしないだろう、という信頼が、オカモトにはあった。

 頑張り屋で、無茶をする性格だけど、好きな子が心配するような無理はしないはずだ。


「約束ね? じゃ、じゃあ、安静に、寝ていなさい。あたしは少し席を外すから……」

「タチバナさん」


 席を立ったタチバナが振り向くと、オカモトが手を伸ばしていた。

 その手を、無意識に掴んでいたタチバナは、「あ」と声を漏らす。


「……待っててね」

「ええ、いつまでも……」


 しかし、そう長く待つ必要もないだろう……。

 タチバナの元にはまだ届いていないが、上司である岸は既に知っている。


 ……オオアゴ作品の、アニメ化に関する依頼である。




 …了

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