人間工学

@illthy

第1話

  人間工学


「これからは人間工学の時代だ。人間の構造、力学をしっかりと考慮したものこそが売れる」

そう商品企画部のS部長が言った時、誰もが首を縦に振った。S部長は辣腕家で、部下に有無を言わさなかった。

「そうです! これからはオーダーメイドだ」

S部長に賛同する声が聞こえ、S部長はゆっくり頷いた。

「私達は一人一人のニーズに応えるのだ」


 企画会議が終わるとS部長はさっそくサービスの展開にとりかかった。

「あなたのあらゆるニーズにお応えします! 私達はあなたのニーズを受け止め、あなたのニーズに最適なソリューションを提供する企業です!」

そんな折り込み広告が世の中に頒布された。

 とある日、S部長のもとにこんな電話が掛かってきた。

「私の生き写しを作ってください」

S部長がその顧客の話を詳しく聞くと、どうやら生き形見を作りたいらしい。変わり種の依頼だと思ったがS部長はすぐに実行した。

「クライアントをここに来させるんだ。すぐに型をとる」

S部長は、この初注文だけは必ず自分のみで面倒を見切ると部下全員に強く念を押した。さて、応接室に通されたのは深窓の令嬢といった感の、大変美人で品のある若い女性だった。

「話は伺いました。あなた自身の生き写しをお望みだとか」

妙齢の女性は艶っぽい声で応えた。

「はい、そうです。私の分身を作りたくて」

ふん、見かけによらず高慢ちきな女だ。どうせ、自身の美貌を保存するだとかの金満家の暇潰しに違いない。S部長は喉を鳴らした。

「喜んでお作りいたしましょう。少々値段はいたしますが」

「構いません。完成まではどれくらいですの?」

S部長は腕組みした。

「そうですな、丸三日といったところでしょうか」

「あらお早いんですね」

女性は艶笑を見せた。S部長の眉根が僅かに震える。

「うむ! では型をとらせて頂きます」

S部長は女性を別室へと招いた。赤いカーペットの廊下を三度右に曲がると途中の部屋へ入った。

「今後のサービス向上の参考にもしよければお聞きしたいのだが、どうしてご自身の生き形見をとろうなどと思われたのですかな」

女性は少し俯いて、上目遣いでS部長を見た。

「私、一人っ子でずっと妹みたいな存在が欲しかったなって、あのチラシを見て思い出したんです」

「ほう、なるほど。それは、寂しさを紛らわせたい、といったところになりましょうか」

女性は軽く握った右手の第二関節を顎に当てた。

「ウフフ。双子の妹ですね」

「分かります分かります。私共はお客様のあらゆるニーズに応えて差し上げる為に今回のサービスを打ち立てました。必ず、お役に立ってみせましょう」

女性は両手を重ねて下腹部の辺りに添えて、お辞儀をした。

「お願いいたしますわ」

S部長は初めてのお客に大変満足していた。

「では私は部屋を出ますので、ここで衣服をお脱ぎになったら隣のあの狭い入り口から成形室へとお入りください。私は隣の操作室から成形室のスピーカーを使って指示をお伝えしますので」

「分かりました」

S部長がウンウン頷き、部屋を出ようとすると女性は艶っぽく見つめ続けた。

「どうかなさいましたかな?」

「あの、私はどんなポーズをとったらいいんですか?」

「ふむ。ですから部屋のスピーカーでお伝えしますと」

「だって誰かに聞かれるかもしれない。ねえ、私はどんなポーズをとったらいいと思いますか、教えてください」

「困りましたな。ご自身でお決めになった物のほうが後腐れもなく後悔も無いかと存じますが」

女性はいじらしく目を背けた。

「私、あんまり物事を自分で決めたことがなくて。あなたにポーズを決めて頂きたいのです」

S部長が眉根をひそめる。

「そう仰られるのでしたら仰せのままにいたしましょう」

S部長は腕組みしつつ考えたがちっとも良いと思われる案が思い浮かばなかった。

「では、直立姿勢にいたしますか?」

「こんな感じですか?」

女性はS部長に向き直り、S部長の返答を待った。

「ああ、良いですな。実に良いものになりそうだ」

女性の両前腕が上腹部あたりに添えられていて、純白の繻子織りに淡い陰影を落としていた。

「本当?」

幼い調子で女性が尋ねた。

「ええ、とてもいい生き形見になりましょう」

では、とS部長は慌てて部屋を出た。


 成形室には意思疎通の為にスピーカーとマイクがあった。成形室の隣のオペレーター室にS部長が入ると、中は狭く、長机が奥の壁際に設置されており、机上には操作盤とマイク、ヘッドホンが置いてある。

「あーあー、聞こえますか?」

「はい、聞こえます」

成形室からの声がオペレーター室のヘッドホンに届く。

「準備はよろしいですか?」

「今から何が始まるんですか?」

「あ、これは失礼しました。まずは決めたポーズをとって頂いて、準備完了とお伝え頂ければ、型とりを開始いたします。型をとる際は部屋の中が段々狭くなって一度完全に周りが閉じ込められますが、この物質は今回のプロジェクトの為に新規開発した最適な剛性を持つ合成物質ですので、圧迫感など殆ど感じないまま、すぐに終了いたします。ですから、あまり不安などは抱かず、お客様にはポーズを維持し続けることに専念して頂きたく存じます。そうすれば、すぐに型とりが完了いたしますので」

「分かりました。では準備しますね。ご丁寧な説明、ありがとうございます」

「いえいえそんな」

「今ってそこに居るのはSさんだけですか?」

「はい? そうですが」

「この私の声を聞いているのも?」

「はい、そうです」

「よかった」

「何がです?」

「実は私、とてもSさんに感謝してるんです。今回あのチラシを見て、やっと何かよく分からない虚しさを克服できそうだと思って。本当に感謝しているんですよ。こんな事、他の方にお聞かせするのは恥ずかしくて」

S部長は胸が熱くなった。

「そう言ってくださると、私としては仕事冥利につきます。今回初めてのお客様があなたのような方でよかったと本当にそう感じております」

女性の上品な笑い声が聞こえてくる。

「まあSさんったらお上手ですね。私をその気にさせてリピーターに仕立て上げる作戦でしょ?」

S部長はかぶりを振った。

「いやはやそんな、滅相もないことでございます。しかし幸いにも、真にお客様が本サービスをお気に召すようでしたら、その時は私共、全力を以ってお応えさせて頂く所存です」

女性の嬉笑の様子が伝わってきた。

「ねえ、Sさん。もしよかったら私、あなたの為にポーズをとりたいな」

「え?」

「今回私が初めての客になるんでしょう? でしたら、Sさんにとっても記念になるような物ができたらいいなって。Sさん本当に仕事に誠実で、素敵な方だから」

S部長は机上に両手を乱暴に乗せて、項垂れた。

「いや、本当にお上手だ! お世辞を言うのは私の仕事です」

「お世辞だなんて。私、本気だったのに」

「あ、いや、申し訳ない! 失礼しました!」

「じゃあSさん、私にどんなポーズをとって欲しい?」

「あ、いや、お客様、少しお待ちを」

「私、Sさんの為ならどんなポーズでもとれますよ?」

「え、それは本当ですか? いや! 今のは忘れてください」

「フフフ、恥ずかしがらないで。私はどうせならSさんの為にも、少しでも良い物ができたらいいなって、そう思ってるだけだから」

なんて献身的で利他的な女なんだろう、ガサツでうるさいうちの女房とは大違いだと、S部長は思った。

「しかしですね、お客様。私の趣味がお客様に合うかどうか」

「どんな趣味をお持ちなんですか?」

「え! えっとそれは、でなくて、そういうことではなくて」

「何だか煮え切らないですね。Sさんって私の思うより意気地が無いのかしら」

S部長は心底悲しくなった。

「申し訳、ありません」

「もういいや! それじゃあ私、適当に丸まってジャガイモみたいなポーズにでもしますから! もうそれでいいんですよね!」

「あ! ジャガイモは嫌だ!」

S部長はハッと口を押さえた。俺はマイクに向かって何を言ってるんだと思った。

「ふーん。じゃ、どんなのがいいの?」

女性の子供をからかうような声にS部長はカッとなった。

「ならまずは、床に横たわりなさい」

「仰向けになりました。次は?」

「足を」

「足を?」

あの子は生き形見が欲しい。そして俺の満足がいくものでもあって欲しい、そう言ったのだ。

「足を、開きなさい」

「どれくらい?」

「君が開けるだけ」

「やだ、過激」

「開けないのか?」

「あなたの為ならいくらでも」

「よし、やれ」

「あ、いたた。もう開けない」

「よし、それでいい」

S部長の頭の中には深窓の令嬢が裸でなおかつはしたない姿態が明確にイメージされていった。

「ねえ次は? 私、自分で物事を決めるのが苦手なの」

「よし分かった。両腕を思い切り高く上げなさい。両耳に肩がくっつくように」

「分かった。よいしょ」

「上がったか?」

「上げたよ。Sさん」

「よし、いい子だ」

「次は? Sさん。私、どうしたらいい?」

「そうだなあ。もう思いつかないが、あ、目と口を閉じて、眠っている時みたいな安らかな表情をしてくれ」

「ん」

「閉じたか?」

「ん」

「うんうんいい子だ。では型をとるからね、準備はいいかい?」

「ん」

「では、始めるよ」

成形室を作動させるボタンを押すと同時に、S部長は自分が完璧にイメージした生き形見が出来上がるのを早く見たくてたまらなくなった。ヘッドホンには成形室の動作音だけが聞こえるようになったので、聴音をオフにし、作業終了を待った。

 ほどなくして、型とりが終了した。

「もういいですよ。お疲れ様でした」

「あ、本当にもう終わったんだ。ありがとうございました」

「痛くありませんでしたか?」

「いいえ。全身がクッションに包まれた感じで心地よかったです」

「それは良かった。では服をお着替えになってください。五分後、そちらに伺います」

「はい」

五分後、S部長が部屋に入ってきた。女性は服を着て待っていた。

「お疲れ様でした。それでは先程の応接で、個人情報保護に関する書類等にご記入頂きますので、ご移動願います」

「分かりました」

廊下を三回左に曲がって応接室に入った。

「ではこちらが先程申し上げた書類になりますが、こちらにサイン頂けますか」

女性が受け取り、女性の目線に合わせてS部長が要旨を伝える。

「代金は現物と引き換え。保証期間は一年でその間に壊れた場合は無償で再製作。型のデータの所有権は本人に帰属。データセンタに保存された型データは保証期間と同じ一年を過ぎると消去されるが、オプションにより月額で保証期間を延長可能。型データを会社が無断で使用することは無い」

女性は読み終えると同意を表すチェックを書き入れ、S部長に渡した。S部長はコピーをとってくると言って応接室を出た。数分後、書類を二枚持ったS部長が戻ってきた。何やら顔色が悪い。

「お客様、その、大変申し訳ないのですが、生き形見を二つ製作させて頂きたいのですが」

「え、どういうことですか?」

「つまりですね、一つは当初と変わらずお客様に引き渡して、もう一つは当事業のモデルケースとして実物例にしたい訳です」

「それってつまり、もう一つは展示物にするってこと」

「はい、そうなります」

女性は顔を真っ赤にした。

「そんなことできる訳ないじゃないですか! あんな、あんなポーズをした私を皆に見せるってことでしょ? 顔だってすっかり綺麗に分かるって」

「はい、お顔はバッチリ再現されます」

「ふざけないでください!」

「やはり駄目ですか?」

「当たり前じゃないですか! 大体あんなポーズをモデルケースにするなんて、会社の評判が落ちちゃいます」

「ぐ、確かに」

「Sさんがそんなことも分からないなんて、ちょっと、ショックです」

女性が俯く。S部長が慌てた。

「ああ申し訳ない! でしたら私に下さいませんか? 私はどうしても今回の仕事の第一号を手元に置いておきたいんだ。全く個人の願望で申し訳ないことは重々承知の上で、どうかこの通り! お願いしたい」

S部長が頭を下げた。女性が顔を上げる。

「なんだ、初めからそういうことだったんですね。 いいですよ。Sさんになら差し上げても」

「え! 本当ですか」

「はい。Sさんがいなければ今回生き形見を作る話にはなりませんでしたから」

「おお! ありがとうございます!」

「ちなみに生き形見を一つ製作すると代金はいくらほどになりますか」

「そうですね。代金は、サラリーマンの平均年収をまず超えます」

「そうですか。ならそれだけの妥当な代金を私に頂けましたら、どうぞもう一つお作りになって構いませんよ」

「え?」

「型データの所有権は私に帰属するんですよね? でしたら私のデータを使う以上は契約が発生するのは必然です」

S部長は唸った。

「仰る通りです。分かりました。代金をお支払いいたしましょう」

「はい、よろしくお願いいたします。あ、あと私の分の生き形見は作って頂かなくて結構ですよ」

「え、どうしてまた?」

「元々寂しさが募ってお願いした、というのは私がSさんにお話した通りです。でもあなたが私の生き形見を大事にして下さるって聞いちゃったら私、何だかそれがとても嬉しくて、満足しちゃった。もう自分で持つ必要も無いかなって、あなたが大事にしてくれてるって思い出すだけで、もうそれで心が一杯だから。だから、いいんです。Sさん、ありがとう」

S部長は万感の思いに浸った。

「ようくあなたの気持ちは分かりました。三日以内に代金をお支払いいたします」

女性はニコッと笑った。

「お願いします」


 女性はS部長のニーズに応え、S部長は彼女の生き形見を手に入れた。S部長は彼女に恋してしまい、生き形見を大切に飾った。家族には気味悪がられ、見放されたが本人は満足気だった。女性は自身の生き写しと引き換えに、一年遊べるだけのお金を手に入れた。S部長が始めたプロジェクトは続き、会社の業績を三割向上させたが一年後、会社の設備を私的改造、使用していたとしてS部長が懲戒解雇された。成形室を勝手にタイマー作動にし、あの生き形見と一緒に裸でいる現場を発見されたという。部下に悲しむ者はなかった。

 かくして、S部長の宣言通り、プロジェクトの初案件はあらゆる願いを叶えることに成功した。

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