狂世の淵、唄いし彼らに敬礼を。

性癖の煮凝り

とある日の記録

――旧ハネルナラ国郊外、国境周辺。

辺りには黒煙が立ち込めており、岩陰や隆起した大地に身を隠しながら進む仲間が見て取れた。

廃墟と化した塔の上でスナイパーライフルを構え、仲間を切り裂こうとする化け物共を一掃していく。

ここは戦場の最前線。

ここを超えれば、あいつらの国へ着く。

気持ち悪く、人知を超えた力を持つ化け物は殺さなければならない。

生まれた時から教育されたことであり、化け物の討伐に多大なる貢献をしたものは毎日遊んで暮らせる程の大金が手に入る。

だから、俺はこの仕事を選んだ。

なのに。


『…番隊に…告ぐ、退却…よ!退…きゃ……せ』

『やめろ!やめてくれ!死にたくない!あ、…』


耳につけた通信装置から、仲間の声が、悲鳴が、命乞いが聞こえる。

戦況は不利であり、退却の指示が出ていた。

前線の仲間がバタバタと倒れていく。

でも、自分はここから逃げようと思わない。


(ここで戦況をひっくり返せば、英雄だ)


化け物共の数はそう多くないと、作戦の時に聞いた。

オマケに幹部直々に戦場へ出てくるらしい。

そのタイミングで幹部を一人でも殺せば、化け物共の軍は指揮が取れず、混乱に陥るだろう。

スコープを覗く。

荒れ果てた戦場、背中に生えた翼をはためかせながら奥へと退却していく化け物の大群の下。

煙管をふかしながら、こちらへと歩く一人の男の姿を見つけ、心臓が一気に高鳴る。

紺色のローブ、右目につけられたモノクル、煙管。

上官から伝えられた幹部の特徴が、完全に一致した。

溢れ出る手汗を軍服で拭い、銃を構え直した。

射程圏内、標準を男の頭につける。

男はこちらに気づいてないようで、呑気に立ち止まって煙を吐いている。

最期の一服にしてやろう。

ズバンと大きな反動と共に、弾が発射される。

反動こそでかいものの、身体の軸はぶれていない。

確かな手応えを感じ、スコープから目を離した時だった。


『ずいぶん熱烈なラブコールだね、お兄さん。そんなに俺の首が欲しかったのかい?』


通信装置から仲間でも上官でもない、気だるげな声が聞こえた。

まさかと思い、再びスコープを覗く。


『そんな熱心に探さなくても』

「もうココに居るじゃないか」


通信機と背後から声が聞こえ、咄嗟に腰につけていたナイフを抜いて振り向きざまに振るう。


「おおっと…危ないな」


煙管の煙が霧散した。

ヘラヘラ笑いながらも、確実にナイフを避けたこの男。

つい数秒まで数キロ離れていた場所に居たのに、何故ここにいるんだ。


「珍しいなぁ、多くの人は俺を見て兎みたいに走って逃げるのに」


ライフルを構え直した。

男との距離は数メートルで、確実に当たる。

追い詰められた時ほど冷静になれ、そんな上官の言葉も忘れるほど慌てながらトリガーを引く。

一発、二発、三発。

続けざまに銃声が響く。


「な、なんで…!」


当たった。当たったはずなんだ。

手応えもある。弾道も見えた。


「お兄さん、俺が誰か分かってるかい?」


男は、無傷で笑っている。

三日月のように歪んだ口元が気持ち悪い。

あぁ、気持ち悪い気持ち悪い!


「来るな、来るなぁ!この化け物め!!」


半狂乱になってライフルをぶっぱなした。

男に向かっていく弾丸は、いつ現れたのかも分からない魔法陣のようなものに吸い込まれていく。

手汗で滑るトリガーを、何回引いたことだろうか。

――バンバン、カチ。

弾切れという、絶望の音が聞こえた。


「おや、弾切れかい?」


目の前の男が笑った。

口を開けて助けを呼ぼうとするも、引き攣って吐息しか出ない。


「化け物と言われる事に慣れてしまってね。どれだけ罵倒されても何も感じない。しかし、俺にはちゃんとした名前があるのさ」


一歩踏み出した男が、指をこちらに向ける。

その指先を中心に、紫色の線が空中に色をつける。

線は円となり、模様となり、そして。


「まぁ、教えてあげないけど」


魔法陣から数多の弾丸がこちらに迫るのを最後に、脳漿が飛び散った。




十数発にもなる弾丸により踊る兵士の身体を見ながら、煙管を吹かす。

兵士が倒れ込んだのと同時に紫煙を吐き出した。

唇をなぞるように出ていく煙は、さながら魂のようだ。

もっとも、自分に魂などは無いのだが。

辺りに散らばっている薬莢や銃の破片などを蹴飛ばして、鼻歌まじりに本部を目指す。

瞬間移動すればいい話なのだが、こうやって戦場跡を見ながら今日も勝てたのだと感傷に浸るのが楽しみの一環でもある。

軍靴の足音のみが聞こえる焼け野原を歩いていると、背後からバサバサと羽ばたく音が聞こえて、ゆるりと首を動かした。


「やぁ、悪魔くん。今日の戦争は楽しかったかい?」


自分の後ろにいる青年は、背中の羽を畳み、ポケットに手を突っ込んで退屈そうに


「…別に」


と呟いた。

しかし、彼の赤い目は爛々と光を放っている。

それを指摘したら顔を真っ赤にして怒るだろうから、胸の内に留めておこう。


「基地まであと何分かかる?」

「んー、歩いて40分くらいかな」

「…めんど。おい、テレポートしろ」

「その様子だと、戦闘で全部の魔力を使い果たしたらしいねぇ。困ったら俺を頼るところは昔のロナを思い出すよ。昔は兄ちゃん兄ちゃんって…痛っ、髪引っ張らないでっ」

「うるさい」


我儘な愛弟子であり、悪魔であるロナに言われるがまま、再び魔法陣を展開させた。

青い光が自分達を包み、一瞬だけ目を細める。

再び目を開けた先には、見慣れた城壁と街の風景が広がっていた。

テレポートした先はハルネナラ国、軍基地の正門だ。

突如現れた自分達に驚いて、門番のデュラハンが鞭を片手に身構えている。


「ごめんごめん、びっくりさせたね。俺だ、魔術師のハンロだよ」


そういうと、一礼をして門を開けてくれた。

デュラハンは自分の姿を見られるのを極端に嫌う。

化け物同士なら危害は出さないが、元人間だった自分は勘違いされて、鞭で目を潰そうと身構えてしまうようだ。

最近は無いが、軍に所属したばかりの頃は…いや、言うのはやめておこう。

門を潜り抜け、ロナと共に総統室へ向かう。

今回の戦争の報告をするためだ。


「…ヤヨイもレイも帰ってきてるのか」

「彼らは余計なことをしないから帰るのも早いんだよ。あくまで俺たちの目的は人間をこの国に入らせないことだから、深追いはしないのが鉄則だ」

「やべぇ、今日ちょっと人間追いかけて国境超えたかも」

「俺もさ。一緒に書記長様のお叱りを聞こうか」


自分達は「ビースト」「怪物」「化け物」と呼ばれる、人間と異なる存在である。

人智を超えた能力や異様な容姿により迫害された者たちは、このハルネナラ国の門を叩くのだ。

この星で唯一の、化け物だけの国。

異変が起きたのは数百年前だ。

人間が大群を率いて、この国に攻めて来たのである。

迫害から抹消に目標を変えたらしい。

断続的な戦争が始まったのは、この頃からだ。


「人間も飽きもせず戦争してるよな。俺らは特にちょっかいかけてねぇじゃん」

「俺たちの力は人間の遥か上を行くからね。やられる前にやる、とかよく言うじゃないか。それと同じだよ」


赤いカーペットが敷かれた床の先、重厚感ある木製の扉をノックする。

扉の奥から足音がして。


「…おかえり」


顔の左半分を包帯で覆った、黒髪の男が顔を出した。

名はライヒェ。この軍の総統補佐兼書記長であり、腐りかけのゾンビである。

目の下に隈が出来ているあたり、また夜更かししたのだろう。


「目の下凄いね。睡眠薬あげようか?」

「いや、今日の夜までに書類仕上げないといけないから…。それが終わったら寝るよ」

「おーおー、こんなゾンビが夜中出てきたら、俺余裕でちびるわ」

「漏らしたら掃除しろよ。…で、何しに来たの」


いつもより声に覇気がないライヒェに、侵入してきた部隊を壊滅させた事を伝えると、了解と素っ気ない返事が返ってきた。

あぁ、これは今日の夕方にはぶっ倒れるな。

医務室のベッド空けておいて、点滴も用意しておかなきゃ。


「総統は?いねーの?」

「ルガンは、今椅子に縛り付けて書類やらせてるとこ。溜め込んだあいつが悪い」


少し身体を横にずらすと、扉の隙間から我が総統、ルガンの様子が見て取れた。

ハネルナラ王国を統率する王であり、この国軍を指揮する総統も担っている。

まぁ、役職としては後者の方がしっくり来るであろう。

そんな威厳あるリーダーであるが、今は顔を真っ青にし、ヒーヒーと情けない声を上げながら山積みの書類を捌いている。


「相変わらずで」

「極端な書類嫌いだな」


そう。ルガンは書類仕事が嫌いだ。逃げ出すくらい。

年末の決算書を書く時など、国全体を使っての鬼ごっことなる。

こうして目の届く所で、尚且つ縛り付けておかないと何をするか分からない。


「ひぃん…腕が痛い…」

「リッチだろ。死んでるから痛くない」


そして、この情けない総統はゾンビの王である。

人間の産業革命により、一度だけハネルナラ国が負けそうになった事があった。

その時は国軍などなく、呆気なく攻め込まれて沢山の同胞が捕虜として人間に連れ去られて行ったらしい。

そこに現れたのが、このルガンという男だ。

彼は一人で捕虜を助け出し、また国の再建に尽くしたらしい。

あくまで噂だが。


「用事はそれだけ?」

「うん。ヤヨイもレイも帰ってきてるらしいね。俺たちが一番遅かったかい?」

「毎回毎回お前らが一番遅い。早く帰ってきて書類作成手伝え。あと、ロナ。この前の戦争の報告書がまだ出てない」

「あー…」


ライヒェの鋭い視線に耐えきれなかったらしい。

すぐ出す、と小さく呟いて小走りに自室へ帰って行った。


「ハンロも署名が抜けてる、明日までだから早めに」

「おや」


手渡された書類を見ると、右下の自分のサインが書かれていなかった。

このまま自室へ帰ってもいいのだが、再度此処へ来るのも手間がかかる。


「ライヒェ、ルガン、ちょっと失礼していいかい?署名を書くだけだから」


どうぞ、という声が聞こえて総統室に身を滑り込ませる。

小綺麗に整頓された部屋の中央にあるデスクには、文字通り山のように書類が積み重なっていた。

書類でぎゅうぎゅう詰めの机に置かれていた万年筆を取り、机の端を借りて署名を書く。


「…ハンロ、今だけ役職交代しないか?」

「僕は別に良いんだけど、目の前の書記長様が許すわけないじゃないか。悪いけど、面倒ごとには巻き込まれたくない」

「…ケチ。いった、足踏んで…!」


戯言をほざくルガンの足を踏んずけた状態で、ライヒェに書類を渡す。

ライヒェは一通り目を通し、その書類をファイルに挟み込んだ。

この調子では全員揃っての夕飯には間に合いそうにないことを察し、自室へ向かう道中に食堂へ寄り道することを決めた。


「じゃあ、またロナ連れて来るね」

「あぁ、早めに頼む」


立ち去り際に、こっちを睨んでくるルガンに魔法をかけておいた。

ドアを閉めた時に悲鳴が聞こえたので、今頃ルガンは書類の数が五倍に増えて見える幻覚に慄いていることだろう。

ざまぁみろ。

廊下内をフラフラと進み、食堂を目指す。

食堂への道中に甘い香りがしたので、内心ラッキーと思いながら歩を進めた。

甘い香りがする時は、彼がお菓子を作っているときだ。


「ヤヨイは居るかい?」


食堂のキッチンに顔を出すと、浅葱色の着物が振り返った。


「おかえり。遅かったね」

「帰るの毎回早いね、ヤヨイは」


キッチンで焼きたてクッキーを皿に盛り付けている、着物の男もといヤヨイは朗らかに笑った。


「ハンロが遅いんだと思うよ…。で、クッキー要る?」

「あぁ。あと手軽に食べれるものを貰って良いかい?また懲りずに仕事をしている書記長への差し入れに」

「りょーかい」


すぐ側の椅子に座り、ヤヨイが調理をする姿を淡々と見つめる。

米を研いで、鍋に入れて火にかける。

その間に鮭を焼き、冷蔵庫から漬物を取り出した。


「なにずっと見てるの?お腹空いた?」

「それなりに。僕の分も作ってくれるとありがたいな」


苦笑いしながら問う彼に、ちょっとした我儘を言った。

とはいえ、彼はそれを我儘だとは思ってないらしく、テキパキと手を動かしながら祖国の料理を作っていく。

談笑しながら軽食を作る彼の額には、象牙のような赤く艶光りするツノが生えている。

ヤヨイは、はるか極東からここまで来た鬼神、つまりは鬼だ。

奴隷として捕縛、売られていた所をルガンが引き取った。

朗らかに笑っているが、ひとたび戦場に出れば狂戦士となる。


「出来たよ。温かいうちに食べてね」

「お、これは……」


おにぎり。炊きたてのご飯に解した鮭を入れたそれは、まさに書類仕事の間に食べるものとして正解なものである。

パンよりも腹持ちが良いのもあるし、彼の作るおにぎりが好きだからというのもある。


「こっちがルガンので、こっちがライヒェの。で、このラップに包んだのがハンロのね。あと焼きたてクッキーをレイ達の所に届けてくれる?あ、これもハンロの」

「分かった」


ご丁寧に弁当箱に入れられたおにぎりと、小分けにされた袋の中に入った甘い香りのクッキー。

お弁当は総統室へ、クッキーはもう一人の弟子の所へ。

渡された手提げ袋を肩にかけて、自分用のおにぎり片手に総統室へ舞い戻った。


「ただいま、書類の方はどうだい?」

「ルガンが凄い勢いで終わらせてるんだけど、めっちゃ悲鳴あげてる…何かやった?」

「いや、何も。あとヤヨイから差し入れのおにぎりだ」

「お、やったー」


ノックをして勝手に扉を開ける。

書類に必死なルガンの邪魔をしないように、袋から弁当箱を取り出してライヒェに渡す。

この匂いは鮭だな、ライヒェが呟いた。


「当たり。鮭だよ」

「ゾンビの嗅覚を舐めてもらったら困る。じゃあ、ヤヨイによろしく言っといて」

「拝命しました」


だいぶ軽くなった袋を片手に、そのまま外へ出向く。

もう一人の愛弟子は、思慮深く優しい子だ。

彼がいるのはきっと。


「…レイ?」

「おや。ハンロさん」


基地のハズレにある小さな教会。

その扉を開くと、近くに居た神父が挨拶をする。


「レイは、相変わらずかい?」

「ええ、信心深いのは良い事ですが…」


祭壇と数席の椅子しかない、本当に小さな教会で一人の青年が祈りを捧げていた。

近づいてみると、ひたすらにごめんなさいごめんなさいと懺悔をしている。

眉間に皺を寄せ、固く目を瞑り、額に汗を浮かべている。

その様は酷く苦しそうだ。


「レイ」


名前を呼ぶとようやく気づいたようで、勢いよく振り返った。


「…兄さん。おかえりなさい」

「これ、ヤヨイの手作りクッキー。一緒に食べるかい?」


綺麗に包装された袋を掲げると、首を縦に振った。

傍らに置かれた聖書を、黒い手袋をつけたまま拾いあげようとした彼に対し。


「これ以上、ここに来るのは止めようか。君は死神だ。神に背いた死の象徴。そろそろ辞めないと、君が壊れてしまう」


そう言い放ち、聖書を奪い取る。

古い聖書には黒く焼け焦げた、手形のようなものが所々に着いており、ページを捲ると血の跡まで見えた。


「でも、沢山殺してしまったから。これが俺の罰だから」


レイ・シャーレーン。

ロナと同じ俺の愛弟子であり、死神という種族の中でもトップを誇る殺しの達人である。

眠るように死なせることが出来る、そんな天使のような術を手に入れた代償にあるものを失った可哀想な子だ。


「よいしょっと」


出入り口に立てかけてあった二メートル越えの鎌をレイに手渡し、聖書を神父に返す。


「レイ君。私もそうですが、君の場合はもっと負担が大きい。この聖書が良い例です。幾ら手袋をしているとはいえ、聖なる力は君には毒になります」

「分かってますよ。だからこそ、です」


兵器以外にも、化け物に対抗する術がある。

それが宗教だ。

聖水や十字架、教会、賛美歌など、神を讃えたり願いが強いものに関しては、特定の種族に大ダメージを与える。

科学的に立証されてないため、使われていないもしくは非科学的だと存在を抹消されているのだろうが、これは兵器以上に脅威であった。

レイも、神の名が入っているのはいえ、化け物には変わりは無くそれらに触れるだけでも火傷をおったりする。

教会の空気ですら、身体を蝕む毒ガスになってしまう。

では、何故このようなものが化け物の国の本拠地にあるのかというと。


「あ、神父さんもクッキー食べましょうよ。ヤヨイ兄さんの手作りですよ!」

「アインの分もあるけど、どうするかい?」

「頂いてもよろしいでしょうか。丁度お腹も空きましたし」


神父がそう答える。その言葉を紡ぐ唇からは鋭い歯が見え隠れし、首に掛けられた白いストールとは対照的な、畳まれた黒い翼が動いた。

アイン・ハリヴェント。

かつて人間であったものの、事故により吸血鬼へと変貌したしがない村の神父であった。そして、俺より前に軍に居た、古参と言うべき存在。

軍に所属しているものの、戦闘要員ではなく外交官や街の整備を担っている。

そんな三人で並んで教会を出て、神父が趣味として整えている庭園でクッキーを食べる。


「あ、蝶々」

「ほんとですね。春うららです」


チョコチップの混ぜられたサクサクのクッキーは、焼きたてから少し冷めてしまっているもののそれはもう甘美であった。

レイが飛んでいる蝶に興味を示し、神父がそれに頷く。

ふわふわと優雅に羽を広げ、神父とレイの周りを飛び回る。

そして、疲れたのだろうか。その細い足でレイの指先を掴んだ。

クッキーを齧りながら、レイの顔を見る。


「あ、神父さん見てください。蝶々が止まりましたよ!」

「おやおや。長旅でしたのでしょう」


レイは朗らかに笑い、その蝶を春風から守るように手を翳し。

――ぐしゃり。

その手で、蝶を押し潰した。


「あ…」

「やっちゃったかー……」


レイは、口元を歪めて笑っていた。

その白髪に隠れていた黄金色の瞳は、赤い絵の具を垂らしたように鮮やかに染まっている。

蝶は藻掻くように足を動かしていたが、次第にその動きも緩慢になっていき、青い羽はちぎれ、足は変な方向に折れ曲がり、触角が一つとれてそのままぐったりと動かなくなってしまった。

そうして数秒後。


「……ぁ、おれ、今…また、こ、殺して?」


レイは我に返ったように周りを見渡し、そして手の中を覗き込んだ。

そこにあるのは蝶の死骸。

もう動かない、魂の無い骸だ。

バラバラと羽が崩れ、地面に落ちていく。


「あ、あぁ…っ!ごめんなさい、ごめんなさいっ…おれ、おれまた殺しちゃ…殺したくない、ごめんなさい…っ!」

「落ち着け、レイ。大丈夫だ」


半狂乱になって謝り倒す彼の手に、そっと自身の手を被せる。

これ以上見せたら、きっと彼は泣いてしまう。


「レイ君、蝶々さんはハンロさんに任せて。私達は夕餉の準備でもしましょう」


神父がレイの頭を撫で、落ち着かせている間に転移魔法で死骸を草むらに移した。

まともな墓も無いが、どうしようも無い。

すまんね。


「じゃあアイン。レイを頼むよ」

「分かりました」


神父がレイの手を掴んで、基地内へと戻って行く。

その様を見えなくなるまで見送って、先程蝶を転送した場所まで移動し、その死骸のすぐそばに小さな墓穴を掘ってなるべく綺麗な状態まで戻して、土を被せた。


「…永遠の眠りと、幸せな夢を。来世はもっと良い生涯を」


祈りの姿勢を取り、大雑把だが言葉も添えた。

実際、頭の中はレイの精神状態のことでいっぱいだ。


(毎回こうだと、レイも時期に鬱になってしまうな)


死神という種族は、本能的に生きるものを殺したくなる習性がある。もちろん、生きとし生けるもの全てを狩り尽くす訳ではなくある程度の理性があり、中には動物や人間と友好関係を結ぶ死神もいる。

しかし、レイはその習性が強いのか、人間はもちろん昆虫や動物までもを無意識下で殺めてしまうのだ。

死神としてはかなり仕事の出来るエリート級の才能で、レイがそれに誇りを持っていたのなら良かったのだが、レイはとても心優しい子だった。

死神界で教えられる事とは逆で、殺す事は悪い事と思っている。

だからこそ、尚更レイは自分で自分を苦しめていた。


「殺しちゃったーって喚いてるけどさ、殺すのが死神の使命なんだからいい加減慣れてもらわないと。訳の分からん宗教にのめり込んで消滅されたら困る」

「あぁ。俺も同意見だよ、ロナ。で、書類は終わったかい?」


ぶわりと風が吹き、黒い翼が姿を表した。

ネクタイを直しながら颯爽と登場したロナに書類の進捗を聞くと、もう渡してきたとの返事。


「流石俺の弟子だね。頭なでなでしてあげよう」

「触った瞬間に消し炭にするからな」

「おや辛辣」

「黙れ」


口ではレイを厄介者扱いしているが、本心はレイが心配のようだ。

その証拠に、スーツのポッケの中にはレイ用の精神安定剤が入っている。一番タッグを組む回数が多いためいつも常備しているうちにレイの精神状態に敏感になってしまったようだ。

お兄ちゃんは魔法を自由自在に使えるからね、透視したら何もかもお見通しだよ。


「なにニヤニヤしてんだ」

「別に?」

「…俺は戻るぞ」

「じゃあ俺も戻るよ。夕飯まであと一時間あるだろうし、魔法の研究もしたいからね」


茜のグラデーションで綺麗だった空は、いつの間にか藍色で染まりきっている。

夜に、変わる。

黒いベールは世界を包み込んで、その姿を隠して眠りに誘う。

しかし、それは人間の話。

夜は俺たち化け物の独壇場だ。


「今日も、町は賑やかになりそうだね。レイの調子が良ければ、城下町に行って少し遊んで行くかい?」


教会の庭の一辺は、切り立った崖になっており城下町の風景を一望出来た。

見下ろす街にはポツリポツリと明かりがつき始め、陽の光を遮っていたシャッターが開き、本来の街の姿を取り戻していく。

漆黒の翼のはえた子供が辺りを駆け回り、恰幅の良いゴブリンが露店を出して叩き売りをし、見習い魔女がゆらゆらと不安定な箒に乗って届け物をしている。


「…射的対決。俺とレイ、どっちか勝ったらドーナツ奢り」

「その賭け、乗った。俺が勝ったら…。そうだな、マンドラゴラ一本で」

「はぁ!?お前、マンドラゴラ最近高いの知って……!」

「だからだよ。遊びとはいえ男同士の本気の戦いだからね」


ロナは頭をガシガシと掻きむしり、一呼吸置いてから分かったよと吐き捨てた。

負けず嫌いなのは相変わらずだ。


「じゃ、一回基地に戻ろう。夕餉もあるし」


下ろしていた腰をあげて、ぐっと伸びをする。

今日もいつも通り。

軍靴を鳴らし、鼻歌を歌いながら基地へと続く舗装路を歩く。


「ヤヨイが手ぇ振ってる。走るぞ」

「おやおや。今日は夕餉が早いらしい」


地面を蹴った。

息切れするほど走っているのに、鼓動は変わらない。

否、動かない。死んでいるのだから。

その心臓を、総統に捧げているのだから。

逝きている。活きている。

死にながら、生きている。

人間は自分たちを指差して口々に「死んでいる」と言う。

死んでも動き回る化け物だと。

じゃあ、自分は人間に問い直そう。

心臓は止まれど自由に動き回り、友と楽しみを分かち合い、将来を考えることが出来るとして、それは『死』といえるのだろうか。

化け物として嘲笑われ、友を、家族を目の前で殺される凄惨たる光景を前にして死にたくない、生きたいと願うその感情を持っている。

ほら、人間と何ら代わりはないでは無いか。

ただ身体の作りが違うだけで。


「ハンロ、なに笑ってんだ」

「いや、なんでもないよ」


ただ醜く、貪欲に、平和を願って暮らし明日を、その先を生きたいだけの集まり。

それが何時しかこんな国にまで成長してしまった。

ならば国民の安全を守るのは、軍として当たり前の事だ。

――生きたいと願う、国民に最高の明日を。









名前は忘れてしまったが、とある博愛主義の哲学者は『生』についてこう述べたという。

「例え心臓が止まっていようと、身体が腐って骨だけになろうと。その人に『心』があるのならそれは『生きている』。その心というのは、自らの考えを信じること。自らの真理を信じること。自分を自分だと信じることで、『生』というものは簡単に得ることが出来るのだ」

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