白鯨のレゾンデートル

性癖の煮凝り

0話目 プロローグ

その日は散歩をするのに丁度良い天候であった。

空の上からは暖かい陽光が降り注ぎ、冬の名残りである冷たい風が混ざり合い、過ごしやすい気温をキープしている。

レンガ造りの童話のような街並みを人々は何食わぬ顔で通り過ぎていく。

中には観光客であろう人が、カメラを片手に街を見渡しているが、お昼時ということもあり、人の流れに身を任せて商店街へと足を運んだ。

その人の波を逆らうように歩く少女が一人。

学校帰りだろうか、制服に大きめのリュクサックを背負い、器用に人々の間を掻い潜っていく。


「あぁ、また閉まってる!」


少女の目線がある一点に集中した。

ココアブラウンの扉。

その扉には『CLOSE』と書かれた看板が風に揺られている。

見たところ、小さなカフェのようだ。

この少女の行きつけの店であったのだろうか、肩を落として再び人混みに紛れ、そして見えなくなる。

ぶわりと吹きあがった風が少女の背中を押し、深緑の葉を巻き上げて快晴の空へ溶け込んだ。

――カタン。

乾いた音が響く。

誰かが看板をひっくり返したようだ。

ノックだと勘違いしたのか、扉が開き派手な金髪の青年が顔を覗かせる。

その青年と向かい合うように、レジ袋を片手に扉の目の前で仁王立ちする男を一瞥し。


「遅刻や。カフェの開店時間まであと十分。パンケーキの生地作りどうしてくれんねん」


ブツブツと小言をたれながら、男を部屋に引き入れた。

ただいまも何も言わず、男はキッチンの方へと一直線に向かい、レジ袋を乱雑に置く。


「バルター、仕事だ。今から日本に行く。着いてこい」


男が初めて声を出した。

ただ、その内容は目の前の金髪男にとっては無理強いそのもので。


「はぁぁあぁ!?今から!?」

「急用だ。またが出たらしい。フランツから報告は受けている」


野次を飛ばしながらも素早く私服に着替え、臨時休業の貼り紙を書き出すあたり、金髪は男の無茶ぶりに慣れきっているらしく、ものの五分で身支度を終わらせる。

対する男は、その場から動く気配を見せず空いた手でスマートフォンをいじっていた。

静かな店内に春の陽射しが入り込み、室内を程よく照らす。

穏やかそのものだが、それが嵐の前の静けさである事を二人は重々分かっていた。


「準備できたな、行くぞ」

「ちょ、仲間を待つことを知らんのか?」

「急用、だ。急げ」

「無愛想なやっちゃな…」

「あと、カフェは閉めなくていい。フランツに任せてる」

「それを先に言えやっ!」


自分のペースで先々行こうとする男を金髪が追いかけた。

閉鎖されていた空間に春の陽気と花の香りが迷い込んで、扉が閉まると同時に苦いコーヒーの香りに上書きされていく。

その奥、居住スペースの隅に置かれたラジオからアナウンサーの声が響く。


「各国で多発するテロ行為は徐々に脅威を増しています。日本では先日、原因不明の火災や爆発事故が相次ぎ、死亡者も出ているようです。警察及びアメリカのFBIは、これらの原因究明を急ぐと共に事故の未然防止に努める方針です。我が国では確認されていませんが…」


誰も聞く人は居ないのに。

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