治療院の雑用係と、屍狼に呪われた騎士
森沢
1-1 雑用係と呪われた騎士、夜の洗濯室で遭遇する
洗濯室のドアが開く音に驚き、ルネは手にしたシーツを取り落とすところだった。
日の落ちた、夜中と言われる時間。治療院ではそれなりに長く働いているが、この場所にくる人は今まで居なかった。
ドアを開けたのは背の高い見慣れぬ男だった。
部屋の中で固まっているルネを見て「治療院の人か」と呟くように問われる。
元が分からないほど色褪せた服と、擦り切れた白い前掛けはみすぼらしいが、その姿は確かに治療院で働く格好である。
驚きでまだ声が出ないルネは、頷いて肯定してみせるのがやっとだった。
「こんな時間に人影が見えたんで。一応確認しとくかと」
ルネに無駄に使える灯りなど無い。洗濯を畳むぐらいなら、窓越しのわずかな星明りと暗闇に慣れた目で作業が出来た。
しかし始めて見る相手を確認するには、心もとない。
暗がりでも分かったことは、彼は片手に持った杖に寄りかかるように、やや猫背で立っている……ということだった。
彼は「あ、俺の方が怪しいか」と思い当たったようで「ここで世話になってる病人」で「いやいや、けして怪しくない」と説明される。
確かに男が身に着けている締め付けないゆるい衣服は、ルネが先ほどたたみ終えたばかりの病衣だった。入院している人だとは思う。けれど、怪しいか怪しくないかは判断が難しい。
「ずいぶん遅くまで働いてるんだな。いくら敷地内でも危ないだろ」
「……昼間が、忙しかったので」
「で、こんな時間に一人で?」
「ええ、まあ」
一人でこの時間、暗い場所で洗濯をたたむことはルネには日常的な作業だった。
話しながら、その男は足を引きずるように杖をつき入り口から手探りで進む。
歩くたびに床がきしむ音がした。彼は机の脚につまずき「痛て」と不格好に前のめりになりながら、長椅子に座り込んだ。
窓の近くに移動したことで、男に巻かれた包帯と、額から首にまで大きな斑点の浮かぶ痣のような発疹が広がっているのが見えた。
座ってしまった。
彼の出て行かない様子に、ルネは内心で困っていた。気まずいと思いながら、暗いところに二人きり、無言で向き合う圧力に耐えきれず「あなたはどうしてここに」と話しかけるしかなかった。
療養の入院している人が寝泊まりしている北棟には、夜間の見回りがいる。怪我や病人のいる場所で、外部から侵入がないように、また不用意に内部から外に出ないように、出入り口に人が立っている。
それなのにこの時間で歩いているというだけで、彼の存在には不審さがある。
「眠れないのにベットの上に居るのは退屈でなぁ」
「出歩いて、痛みなど症状はないんですか」
「なくは無いが。手足が痺れて気分が悪い」
言われて杖に添える手に目をやると、小刻みに震えていた。彼は一体何の病気なんだろう。
「それなのに出てきたんですか」
「夜の散歩で気を紛らせようかと。死ぬ気で歩いてきた」
「……あなたのほうが本当に危ないですよ。出歩くなら、せめて昼間のほうが」
言いながらルネは手の中にあった、冷たいシーツを折りたたむ。四角くなった白い布を古めかしい棚に積み上げた。
「昼の光は目が痛む。それが最近ひどいし、何より眠りたいのに眠れない夜は辛くてな。……あ、すまん。初対面で、しかもこんな時間に病人の愚痴なんて」
「いえ」
知らない人だから話せるということはわりとある。
「こんな時間に働くなんて、君も大変な仕事だ」
彼は、やれやれと首を振った。
「悪い。残業中、邪魔をした」
杖を手に、苦笑し立ち上がろうとする。
その身体がよろけ「あ」とルネは思わず手を伸ばし、その腕を支えた。結果、彼は再び椅子に戻る形となった。支えた腕は病人とは思えないほど筋肉が付いていたが、包帯が巻かれ覆いきっていない指先にも発疹が出ていることに気が付いた。
「大丈夫ですか。ごめんなさい、突然掴んでしまって。痛みましたか」
「いや。悪いな、気持ち悪いもんに触らせた」
「それは、病気なんですから気にしません。それともうつるものでしたか」
再び座る形になってしまった男はルネの言葉を意外な反応だと、少し笑ったようにも見えた。
「さあ、どっちだろう。今のところ、うつったと直接聞いたことはないんだが。まあ後で消毒してくれ」
男が病名を言わないのは、わからないからか。言いたくないからか。
「立ち上がることすらやっとなんて、全く情けない。動けないんだから、せめて眠れればいいんだが」
己を蔑む、苦い笑いだった。
苦しいのだ。
彼はその中で、自我を保とうと努力している。偶然、会ったばかりの雑用女にも丁寧に口を利く。優しい、器の大きな人にみえた。
「……私は癒し手ではないので、病気は直せません」
それでも何か出来ないかと思ってしまった。
余計なことを言っているという自覚はあった。けれど、目の前の苦し気な相手を見て、もしもそれを軽減出来るの力があるのなら使うべきではないか。
そう思う気持ちが浮かんでいた。
誰かとのまともな会話が久しぶりだったせいもある。雑用をする使用人への滅多にかけられない、いたわりの言葉が嬉しかった。
「上手くいくか分かりませんが、……でも、もしかしたら眠れるお手伝いが出来るかも知れません」
ためらいながらも提案をする。
歯切れの悪いルネの申し出に、期待をしていない顔を向けられる。
「いい薬でも持ってるのか」
「いえ。……私の母はここよりも山深い地の治療院で働いていて。その母に子供のころ眠りをうながす技を教わりました」
山間の森の開けた合間にぽつんとある集落の、部屋が一つしかない小さな治療院だった。
父を亡くしたばかりの母とルネは、転がり込むようにその治療院の横にあった粗末な小屋で暮らしていた。それは、もう遠い昔の話だ。
「治療で病人の家を訪ねる母について、最後に私が眠りを促す術をかけていました。長いこと誰かに使っていなかったので、効果は薄いかもしれませんが」
「それは傷や病を治す癒しの力じゃなのか」
「そこまで強い力ではありません」
この治療院に来た当初は癒しの力も使えたが、今のルネには失ったものだった。
「よくわからんが、少しでも眠れるなら、もはやどんな怪しげな術だろうがかかりたい」
頼むという声は切実であり、自暴自棄でもあった。
「その前に、一つお願いが」
男は何だ今さらと言う顔をしている。
「上手くいっても私がしたことを、誰にも話さないでください」
「どうして」
「私は、雑用係なので。勝手なことをすると叱られます」
男は器用に片方の眉だけ持ち上げる。
「そんな力があるなら、癒し手になれるんじゃないのか。たとえ癒し手でなくとも、何か力を活かす役目を貰って待遇もよくなるんじゃないか? それともそんな怪しげなものか」
「怪しくはないと思いますが、あなたが話さないという約束を守れないならできません」
「わかった。話さない」
あまりに返事が軽い。
「本当ですね」
「本当です」
目を合わせ、お互いを疑い合うような沈黙。
「信じろ」
最初に言い出したのはルネである。あとはもう彼を信じるしかなかった。
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