僕とM

乱狂 麩羅怒(ランクル プラド)

僕とM



 町に夏が訪れた。急激に強くなった日差しのせいで、町の建物は絵画のように強い陰影を描かれる。


(町)の住民はたいてい移動していた。手段はそれぞれ鉄道に乗る人、車に乗る人、自転車に乗る人、歩く人、走る人、さまざまである。そして(町)に住む人はたいてい忙しそうにしている場合が多い。例外なく僕の両親も橢(町)の中で忙しく暮らしている。やがて僕もそうなるだろう。

しかし、僕はその(忙しさ)の実感を持てないまま、まだ子どもと大人の間を行き来する学生だ。僕は学生特有の、自分は頭のわるい人間ではないか? という不安に悩まされていた。

 今朝もその不安について考えながら学校へ向かう仕度をしていた。家を出ると雨が降っていたので、雨合羽を着て自転車に乗り学校へ向かう。(町)の人々も傘をさしたり、雨合羽を着たりして雨と対峙している。彼らはまるで一方的な理不尽に耐えるかのような表情をしながら移動をしていた。僕もその内の一人に紛れていた。

 通学路を行くと同じ研究室の仲間を何人か見かけた。かれらは僕と同じ研究室でも違ったことを研究している。例えば(町)の地理だったり、都市工学だったりする。彼らはその研究のために忙しく(町)を駆け回ることが多い。僕が研究室で研究している内容は(町)について考えること。つまり(町)の哲学を研究している。それについては特に忙しくはない。ただ机に向かって(町)に関する書物を紐解くだけだから、必要になれば(町)に出ることもあるが、それも彼らほど頻繁ではない。僕の研究はおそらく(町)に住む人々の役にたたないだろう。地理や都市工学の研究の方がよっぽど生産的だ。では、なぜ僕が(町)の哲学という非生産的な研究するかというと、僕自身にあっていると思うからだ。自分に似合う服を着るのと同じ理由でしっくりくる。それに僕はもともと役にたたない人間だからだ。生産的な物事は生産的な人間に任せるほうが良い。

やがて仲間の内の自転車に乗っているNに声をかけられる。Nは(町)の地理を研究していて、近いうちに(町)の地理に関する論文を学術的雑誌に掲載する予定らしい。僕も挨拶をかえす。

―今朝の新聞見たか? 同じ研究室のTが大麻で捕まったらしいぜ―とNは話を切り出した。そのことを聞いて僕は驚く。僕はTの婚約者のHを思い出した。婚約はどうなるのだろうか? おそらく破談だろう。だが、結婚の先にある道のことを考えるとHはこれで良かったのかもしれない。

―あいつもバカだよな。上手くバレないようにすればいいのに―Nは僕の瞳の奥の方を見ていった。彼は僕の隠し事を見つめていた。

 そのうち交差点で信号待ちをする。信号が赤から青にかわり、集団は一つの波になり交差点を横断する。だがここの信号はすぐに変わることが多い。僕は集団の波に乗り遅れ、もう一度信号を待つことになった。

すると、一台の自転車にのる女が信号を無視して渡った。彼女は車の存在に気づいていなかった。車は急ブレーキをかけ停車した。車の運転手はサイドウィンドウをおろし、女に怒声を浴びせかける。しかし、女は身動きひとつせず車の運転手をじっと見つめている。やがて車の運転手は女を不気味に思ったのかその場から立ち去る。再び信号が青に変わった。今度は上手に集団の波に加わる。


 やがて学校が見えてくる。指定された自転車置き場へ自転車を止めた。向こう側からSが僕の方へやってきた。Sは(町)の気象を研究している。だが、彼の気象予測は当たらないことが多かった。Sは噂話が好きでいつも学校内の噂を僕に投げかける。今日はおそらく大麻で捕まったTの事だろう。案の定Sは僕にペラペラと噂話を垂れ流すが、僕はそれを適当にあしらい、教室へ向かって歩き出した。廊下でTの婚約者のHが泣きながら歩いているのを見かける。不意に僕は心配と好奇心から彼女に話しかけた。

―Tのことは大変だったね。―

―ええ。なんであんなことになったのかしら?―

―こんな時にも学校にくるなんて… 大丈夫? 気分はどう?―

と僕が失言すると、彼女は

―どうしてあなたが捕まらなかったの?―と僕をにらみつけた。それは僕の中にある罪を発芽させる。僕は彼女の言葉を無視して教室に向かった。


 すべての講義がおわった午後5時ごろに雨は止んだ。暗い雲が流れ去り、新鮮な肉のような色の夕空がむき出しになり、夕焼けの光は痛みを伴いながら滴り落ちる血のように教室の窓を刺す。

不意に教室の後ろで5人の知人が僕に関して話しているのが部分的に聞こえてくる。

 彼らは僕の話をしていた。

―……やっぱり、あいつの出来は悪いから―と知人Aは僕に対して否定的な見解を述べた。

―でも保護する義務はある。なんとかならないかな―と知人Bは僕を庇おうとしている。

 他の三人は何も言わない。

 僕は逃げるように教室を出た。(町)に関する論文の続きを書こうと研究室へと向かう。

 廊下を歩いているとさっきとは別の教室で話し声が聞こえてくる。僕は立ち止まる。

 教室内で女生徒が教壇の上に立ち、その女友達が教卓のそばで女生徒を見ている。彼女らふたり以外は誰も居ない。

―私は子供を堕胎した―と教卓の前で女生徒は懺悔を始めた。彼女は目に涙を浮かべている。懺悔とはここでは主に女生徒が行い、大方が娼婦であること、そして客との間にできた子供を堕胎したことを告白することが多かった。聴衆がいるかいないかは、そのときどきだ。彼女は途中から泣きながら話しているので何を言っているか分からなくなる。僕は立ち去る。

 やがていつも使われていない廊下の袋小路になっている教室へ赴き、そこに入りかけたとき、僕の女友達のMが教卓に立ち涙ながらに懺悔を始めようとしている。僕は彼女に恋をしている。僕はすぐに壁に背をつけ懺悔を聞こうとしたが、Mは僕に気づき、僕のほうに向かってくる。僕は動けない。Mは僕の前で立ち止まる。Mの涙の向こうにある目が僕をとらえる。Mは僕の頬に手をあて、

―やっぱり、あなたは何でも知っているのね―と言う。

僕は逃げたいと思った。息を思い切り吸い込むと、体が風船のように膨らみ、そのまま宙にういて天井にぶつかり、バウンドしながら廊下の窓から外にでて、そのまま上昇を続ける。しかし、Mは僕のことを捕まえようと考える。僕はMの考えを知り、何とかしようとするがどうにもならない。Mが世界の支配権を握っている。一瞬重力が反転したかと思ったが、世界が反転して、空が地面に、地面が空になる。僕は灰色のリノリウムの床の空へと上昇し着地すると、Mは膨らんだまま身動きできない僕の背中に乗り後ろに手を縛る。Mが僕の背中に乗ることで僕の膨らんだ体は元に戻ってゆく。僕の周りにいる10羽以上の鷹が僕を啄もうとすると、Mがそれを制する。Mは鷹を統制している。

―私があなたをつくったの。コピーかと思ったけれど、この鷹たちはオリジナルにしか反応しないからあなたがオリジナルね―とMは言う。そのとき僕は背中にMが馬乗りになって後ろ手に縛り僕のことをとらえていたのと、Mが僕のオリジナルを見つけてくれたことに対してとてもうれしく思った。


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僕とM 乱狂 麩羅怒(ランクル プラド) @Saitoh_nagisa

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