拾った少女は吸血鬼でしたが可愛いので問題ありません

癸未須(きびす) 圭介

序章 セイラとの出会い

一 少女を拾いました。

 青年は夜の王都を歩いていた。理由は特に無かった。

 ただ、深夜をもう少しで迎える王都は、特に理由もなく歩いて無事に済むような場所では、普段は無い。

 しかし今日は違った。彼もそれには気づいていた。

 静かだ。彼の足音が、リズムよく石畳や石造りの家々に反響する。

「……どうかお恵みを……」

 路地の奥から、乞食らしき男のの小さな声が聞こえてくる。しかし青年は近づかない。過ぎ去ると、何人かの悪態が聞こえてきた。そう。罠だ。

 そして今度こそ、本当に静かになった。

 彼は広場に出ると足を止めた。なかなか珍しいこの状態を、目一杯味わおうと思ったからだ。

 呼吸の音だけが聞こえる。動物や幽霊すらも、どうやら今日だけは眠りについているようだった。

「んん。」

 ちょっと声を出してみる。そこそこ低い音が、予想より遥かに響いた。

 そして再び静寂。

 青年もそろそろ飽きてきた。

 だから立ち上がって、帰路につく。

 周りは相変わらずだ。だから空を見上げる。今日は月が細いから、星がよく見えた。見えたところで星座などは分からなかったが。

 そうして一つ曲がれば家のある通りにつくというところで、青年は出会った。

 道の端で、少女が壁に寄りかかって項垂れていた。

 かなり幼いように見えた。

「……大丈夫?」

 近寄りながら声をかける。反応がない。

 寝ているだけと思うこともできたが、どうしてか青年の心には不安があった。

「おーい。」

 少女の肩を揺すってみる。しかし顔を上げる様子はない。だから頬を触ってみた。

 冷たい。それも体温が低いというレベルではない。彼はこの冷たさを自分の祖父で経験した。これはもうだめだと、青年は立ち上がろうとした。

 瞬間、ズボンの裾が掴まれた。しかも彼が体勢を崩すほどの強い力で。

「……いや……。」

 掠れた小さな声。驚きと共に、青年は再び腰を座らせた。

「大丈夫か?!」

 少女の目蓋が上がる。

 仄かに赤く光る瞳が、彼を見つめた。

 生きたい。と、切に願っていると分かった。

「……うち、来るか?」

 瞳が赤く光るなど、どう考えても人間ではない。面倒事は避けたかったが、それでも放っておけなかった。

 少女は小さく頷いた。青年はその軽く細い体を抱き抱えて帰り、大急ぎで家にある果物を片っ端から細かく刻んだ。

 風邪の時はリンゴを食べるから、こういうのが良いのではないだろうか。と考えたのだ。

「ほら、食べられるか?」

 少女が小さく口を開ける。青年は半ば強引にスプーンを突っ込んだ。

 喉が動く。飲み込めたことにひと安心して、ゆっくりと次を運ぶ。そして五口ほど食べさせたところで、小走りで隣のキッチンからぬるま湯入りのコップを持ってきた。

 故郷から送られた貴重な氷を効率も考えず使ってしまったわけだが、それに落ち込むのはまた後での話だ。

「ぬるま湯だ。飲んでくれ。」

 コップを傾けると、かなりの量が零れたが、それでも喉は動いていた、

 そこからはひたすら繰り返し。氷室に入れていた氷は半分がなくなった。そして外はうっすらと明るくなっている。

 少女は安定した寝息を吐いていた。よく見ると、年は十代前半くらいに思える。少なくとも異常な軽さであるのは間違いなかった。

「はぁ……。」

 青年はぐったりして壁に寄りかかった。

 窓の外を見る。そして時間に気づいた。

「嘘じゃん……。」

 ため息を一つ吐いてスプーンを軽く摘まみ、目を閉じる。仮眠だ。

 深呼吸をして、考えを排除する。そうして寝ている状態と寝ていない状態の間に意識を置く。スプーンは落とした音で目覚めるためだ。

 しかし、スプーンが仕事をすることはなかった。

 ――カラーン!カラーン!カラーン!

 高らかな音が響く。王都の目覚まし、教会の鐘だ。

 教会には時間を正確に刻むという、よく分からないからくりがあって、それに合わせて鳴る鐘が王都の人々の生活の基盤となっている。

 そして一番最初の鐘は、市場の取引開始の合図でもある。

 彼はいまいち冴えない頭を振って、仕事の準備を始めたのだった。


 ◇ ◆ ◇ 


 クオルス宝石店は、王都の平民街のど真ん中にあるという珍しい宝石店だ。

 今年で創業から三十二年を数え、今は創業者の孫が二代目として店を経営している。長く続いているだけあって、評判はとても良い。

 そう。貴族からは当然のことながら、宝石など縁のない平民からもだ。

 それにはちゃんと理由がある。

 ――チリンチリン

 入店を知らせるベルが可愛らしく鳴った。

「いらっしゃいませ。」

 宝石の並ぶ小さな店内に入ってきたのは、筋骨粒々とした男性だ。彼は革製の鞄を下げている。

「おはよう、リック。頼めるか?」

 今の店主は名前をリッカード・クオルスという。齢は今年で二十二歳になる。もう立派な職人である。

 そんな彼の立つカウンターには、ノコギリと柄が取れてしまった金槌が出された。

「おはようございます。急ぎです?」

「あぁ。できればすぐに。」

 リッカードはため息を吐いた。

「まったく。壊れたならすぐ持ってくれば良いのに。その方が安く済むんですよ?」

「すぐに直せちまうお前が悪い。」

「ほんに……。」

 苦笑いすると、リッカードは奥の工房に引っ込んだ。そして物を叩く音や研ぐ音がして、次の鐘が鳴らないうちに戻ってきた。

「はい。どうぞ。」

 彼は柄が新しくなった金槌と、パッと見は分からないが、きちんと研がれたノコギリを返した。

「銅貨八十枚枚だよな?」

「いえ、銀貨一枚です。」

 男は首を傾げた。

「値上がりか?」

「いえ、あなたが懲りないから、これからは多く取ることにしたんです。」

「分かった。銀貨一枚だな。」

 男はまったく懲りる様子はなかった。恐らくこれからもギリギリで持ってくるだろうとは容易に想像できた。

「……疲れてるか?」

「えぇ。今朝道端で孤児を拾って。」

 男は呆れた表情を浮かべた。

「お人好しなのは分かるがなぁ……たかられるぞ?」

「今回だけですよ。」

「ほんとかぁ?」

「そりゃそうでしょう。孤児なんて当たり前のようにいるんです。いちいち構ってられませんよ。」

「そりゃそうだ。……どんなの拾ったんだ?」

「女の子でしたね。おもっきし裾捕まれちゃって。」

「可愛かったんだろ?」

「ちょっと分かんないですね。」

 にやける男。青年は本当に分かっていないのだが。

 慌てて着けたろうそくの細い光で、顔をはっきり見れるはずもない。

「ま、お前が責任を途中で投げ出すやつじゃないのは知ってるからな。頑張れよ。」

 男は爽やかな笑顔と共に出ていった。そして客が来なそうなのを確認して、慌てて二階へ向かった。

 少女はまだ寝ていた。

 ただ、明るくなったお陰で色々とはっきり見えた。まずはぼろぼろ、かつサイズの合っていない服。そして汚れながらも綺麗な肌。髪は黒く、顔は非常に整っている。どこかの貴族の隠し子ではないかと思えた。

 ――チリンチリン

「はいはい!今行きます!」

 リッカードは降りる。今度はご夫人の包丁の研ぎ依頼だった。

「急ぎで?」

「お昼に取りに来るわ。」

「分かりました。」

「よろしくね。」

 すると再び鈴が鳴る。それを三回。ご夫人二人に大工だ。

 そして次に鐘が鳴れば、町では仕事が本格的に始まり、人はしばらく来なくなる。

 また二階へ。

「あ。」

 赤い瞳が青年を捉える。

「!」

 少女は目を覚ましていた。

「おはよう。元気か?」

 コクりと頷きが返ってくる。

「お腹は?」

 次は首を傾げた。

 貧民だから、言葉がよく分からないのかもしれないと思い、リッカードは言い直す。

「何か食べたいか?」

 今度は頷いた。

「分かった。ちょっと待っててくれ。」

 今回もまた果物を刻んだ。それと平行してトマト、豆と野菜を刻んで鍋に突っ込み、火を起こす。これは彼自身の朝ごはんだ。

「はい。これ。」

 スプーンも添えて出したのだが、まさかの素手で食べ始めた少女。しかもがっついているから、ぼろぼろと零れている。

「……お腹減ってたんだな。」

 すると咳の音が響いた。少女がむせたのだ。リッカードは急いでぬるま湯を差し出した。

「大変だ……。」

 流れ落ちる水、そして零れた野菜。それはリッカードの布団なので、後の掃除が大変そうだなと密かに頭を抱えた。

「……ありがと。」

 一段落つくと、少女はそう口にした。思ったよりは落ち着いた声だった。

「話せたのか。」

「ちょっとだけ。」

「そうか。言葉はどれくらい分かる?」

「ちょっと、だけ。」

「そっか。」

 リッカードは少女の手を取った。細く、冷たかった。

「あったかい。」

「そんなこと、始めて言われたよ。」

 少女の顔に笑顔が浮かぶ。リッカードは目をそらした。彼には女性関係が一度もない。つまりそういうことだ。

「さて、俺も朝ごはん食べるか。」

 氷室からパンを引っ張り出し、トマトスープは鍋ごとベッド脇のテーブルへ。

 トマトの良い匂いが部屋に充満した。

 口に運べば、汁の温かさが昨日の夜から起きっぱなしの体に染みた。

 視線を感じる。相手は言わずもがなだ。

 しかしリッカードが顔を上げても、少女はあからさまにそっぽを向いていた。

 だからもう一度下を向いて、すぐに戻す。

 やはり見ていた。がっつりトマトスープを。

「見てるよな。」

「見てない。」

「じゃあいらない?」

「うぅ……。」

 可愛らしくて、思わず笑みが零れる。

「ほら。パンは固いから、ちゃんとスープにつけて食べるんだぞ。」

「うん。」

 今度は、少女はちゃんとスプーンを使った。リッカードを窺いつつ、多量に零しながらも懸命に使っていた。無理しなくていいと言っても、頑張っていた。

「ごちそうさまでした。」

「ごちそぉさまでした。」

「うん。よくできました。」

「?」

 少女は先ほどの行為の意味をよく分かっていないようだった。というか、食事中もずっとリッカードの真似をしていた。

「飲み物はいるか?」

「うん。」

 今回は果物を絞ったジュースを出した。少女は一気に飲み干して幸せそうな表情をしていた。

「……さて。じゃあ、修道院に行こうか。」

 首をかしげる少女。

 お別れの時間だった。

 この少女を育てられないわけではないが、自分のところにいるより、修道院で人と触れあい、学んだ方がいいと思ったからだ。

 とはいえそれを悟られたらどうなるか分からないから、彼女には伝えない。

 抱っこして、修道院へ。

 リッカードの腕の中で、彼女はとても嬉しそうだった。だから悲しくなった。

「……シスター。すみません。」

 修道院前で、掃き掃除をしている若いシスターに声をかける。

「はい?何でしょう?」

「えっと……」

 視線を少女に向ける。すると女性も察したようで、中に案内された。

「お嬢さんはこちらへ。お兄様は奥の部屋へどうぞ。」

「はい。」

 言われた通り、奥の部屋へ向かうリッカード。ちらりと少女を見ると、相変わらず明るい表情をしていて、辛い気持ちになった。

 テーブルに向かって座っていると、間も無く老齢のシスターがやって来た。

「ごきげんよう。本日は孤児を保護したから預けたいという要件でいらっしゃったと伺ったのですが、間違いありませんか?」

「はい。」

「まずは経緯をお聞かせいただいても?」

 と言われたから、ありのままを話した。目の事は話していない。

「なるほど。分かりました。では、引き取りに関してなのですが……」

 女性は少し下を向いて、申し訳なさそうな顔で言った。

「残念ですが、当修道院では受け入れかねます。」

 これにはリッカードも驚きを隠せなかった。

「なぜです?!」

「受け入れたいのは山々ですが、あいにく既に孤児で一杯でして。……おや?」

 何かに気づいた女性。リッカードにも聞こえた。泣き声だ。それがこちらに近づいてきて、そして別の女性の声も聞こえる。

 扉が開いて、少女が泣きながら彼に飛び付いてきた。

「いや!捨てないで!いや!」

 必死に乞う少女。尋常ではない力で体を掴まれていた。

「ごめんなさい!私が余計なことを……」

 女性はその言葉を止めると、少女に優しく微笑んだ。

「安心しなさい。あなたはこれからも彼のもとにいられますよ。」

「!」

 少女はすぐに泣き止んだ。女性はリッカードに視線を戻す。

「正直、ちゃんとした修道院はどこも同じです。まさか子供を奴隷商に売り払うようなところに預けたいわけではないでしょう?」

「えぇ。それは……はい。」

「失礼ながら、お仕事は何を?」

「えっと……宝石商です。」

 リッカードが言葉に詰まったのは、宗教上、あまりこの商売が望ましい職ではないからだ。

「欲深い商売ですね。しかしあなたが強欲とは思えません。ですから少女を養うことで、あなたが他の宝石商とは違い、素晴らしい人間であることを示すのです。さすれば死後の安寧が約束されるでしょう。」

 いつの間にか説教をされていた。

「そうですかねぇ?」

「えぇ。そうですよ。」

 断れる空気ではなかった。その上少女もすっかり目元を晴れ上がらせていて、きっとこの方は自分に、意見を変えるきっかけを与えてくれているのだと感じた。

 それに正直、この少女と暮らすのを嫌とは考えていなかった。

 だから、答える。

「分かりました。うちで引き取ります。」

 すると女性はとても嬉しそうにした。

「よかった!お嬢さんも大層懐いているので、あなたならきっと幸せにできますよ!」

 少女を見ると、未だに不安そうな表情をしていた。だからその頭を撫でて、言葉をかける。

「捨てないよ。」

 すると、花が咲いたように少女は笑顔になった。

「では、誓約をいたしましょう。」

「はい。」

 それはつまり、逃げられない責任を負うということだ。

 しばらくすると、カソックを着た老人がやって来た。その手には聖典が載っている。

 彼は少女に優しい笑みを向けた。しかし彼女は少し怯えていた。それもそうだ。何しろ彼は身長がかなり高い。

「……あなた、お名前は?」

「リッカード・クオルスです。」

「その子に名前は?」

 そういえばと気づいて、リッカードは少女に目線を合わせて聞いた。

「名前、あるか?」

 少女は首を傾げた。

「な、ま、え。分かる?」

 今度は首を横に振られた。

「でしたら名前をつけて差し上げてください。」

「えっ、俺が?!」

「それはそうでしょう。まぁ、わたくしがつけても構いませんが。」

 それはなんか違う気がして、リッカードは頭を全力で回した。

 そして思いついた名前を言おうとした時、止められた。

「それはわたくし達ではなく、その子に向かって。」

「あっ。」

 リッカードは再び目線を合わせた。

「君の名前は、セイラだ。」

「?」

 ゆっくり言ったのだが、いまいち分かっていないようなので、もう一度はっきり伝える。

「セイラ。」

「せいら?」

「そう。名前。セイラだ。」

「セイラ。……セイラ……へへ。」

 少女、もといセイラが笑った。リッカードも笑った。シスターや老人も笑顔を浮かべていた。

「では、誓約を。」

 誓約は、聖典の上に手を置いて行う。

「汝……」

 老人がリッカードをじっと見た。あ、忘れたんだ。と察しがついた。だから小声で教える。

「……リッカード・クオルスです。」

「リッカード・クオルスは、神、天使と偉大なる使途の下に、この者、セイラを守り、養い、幸福にすることを誓うか?」

「誓います。」

「よろしい。誓約はここに成った。これが全うされるのは、神より許しがあった時、もしくは天命により死が二人を分かつ時のみに限られる。もしその他において破られたのなら。そのときは然るべき罰が下るであろう。よいな?」

「はい。」

 次に、セイラに目線が合わせられる。

「ここに手を置いて。」

 リッカードの時とは違い、ずいぶん優しい声色だった。

「セイラちゃんは、このお兄さんとずっと一緒にいたいかな?」

 言葉もずいぶんと砕けていた。セイラは頷いた。

「よろしい。では、二人に祝福あれ。」

 するとシスターの一人が部屋を早足で出ていき、しばらくすると鐘が鳴り響いた。これが誓約の証だ。ちなみに時を知らせる鐘よりも音程は低いため、聞き違えることはない。

 そして出ていく時も、シスター総出の拍手に送り出されるため、その人達が誓約を結んだのは周囲に知れ渡り、無責任なことをすれば一発で話が修道院に向かうというわけだ。

「どうかお幸せに!」

 そんな言葉を受けて、リッカードはセイラを抱えて修道院を後にする。周囲の人々も、誓約の内容は分からないながらも「お幸せに!」と声をかけてきた。それらには丁寧に返すのがしきたりだ。

 そして一刻としばらくぶりに家に帰ってきた彼は、少女を降ろすと、扉を開けて中へ。

「ただいま。」

 次に振り返って、セイラに声をかける。

「お帰り。」

 するとセイラは少し迷ったようだったが、言った。

「ただいま?」

「そう。ただいま。」

 セイラは再びぱっと笑った。この笑顔を守りたいと、心から思った。

 彼女は今度こそ、はっきりと口にした。

「ただいま!」

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