入院の一夜

田中ざくれろ

入院の一夜

 発熱外来に来ました! 体温高いけどワクチン真面目に打ってるからCOVID-19じゃないと思うので、抗原検査して陰性の証明書ください!


「ナニ? 高熱と一緒に腹も痛い? この医者行ってCT撮ってきなさい」


 CT撮影してきました! 証明書ください!


「これが検査結果か。もっと大きな病院で診てもらいなさい。はい紹介状」


 その足で大きな病院へ来ました! 証明書ください!


「よく来たね。よし入院しなさい、緊急手術だ」


 ドっひ~ッ!!


★★★


 う~ん! 腹切られちゃったよぉ~……。

 高熱でも病院のベッドは氷枕で寝心地いいけど、寝返り打つのが怖いな……。

 水も食事も絶ってるから空腹感で腹がギュルギュル言ってるな……

 何日入院するんだろ……。


 寝つけないな。

 隣の爺さんのイビキが物凄いな。本当にジェットエンジンに頭突っ込んでるみたいだ。肺活量どうなってんだろ。

 消灯後は何もする事ないから妄想が暴走するな。

 ああ昭和特撮ソングが頭の中で派手にリフレインする。ザ・カゲスター★


★★★


 病院初日の睡眠間際ドリーミング・ハイの時間がやってまいりました!

 ベッドに寝っ転がったまま、頭の中でグルグル回るデジタル・クリオネと共に、直方体の組み合わさったトンネルをリフトアップする浮遊感。

 サイケ!

 サイバー!

 怒涛の如きビビッドな藤紫の砂嵐が、微塵に砕けて渦を巻くその美しい解像度!

 九〇年代テクノ・ミュージックの大音量とカラフルな大光量にのせて、ガガチョゴガガチョゴ病院の中を飛翔し回りたいと思います!

 そうかWMPの音楽を映像化する機能って、スッゴク正しいんだ。あれみたいな感じで頭の中で映像が次次切り替わる。

 光の渦と音楽の洪水だぁーっ!


★★★


「フフフフフフ……」


 とめどない流れ。ピンクのグリッドで飾りつけられた病院の風景の向こうからふざけた奴が高速接近してくる。

 正面衝突する!と思った瞬間、いつのまにか並走していた。

 何だ、このフランシスコ・ザビエルの指人形みたいな火を噴いて空飛ぶおっさん?

 幻覚には違いないけど妄想に引きずられないようにしなくては。

 レッツ・客観視!


「フフフ……私は天使。天使エンジェルハート」


 いきなりその格好で天使とか何言ってんだ。おっさん。


「天使は昔はこんな表現だったのだよ。……君の名は何だね?」


 え。俺の名? (何か本名言うの怖いな)えっと俺は……ランダムリピートだ。


「この病院の幻覚空間へようこそランダムリピート。早速だがこの世の秘密を知りたくないかね。悟りの境地は得たくないかね」


 そういう宗教めいたのはお断りします。

 あと幻覚で悟りの境地に達してもそれは「悟りの境地と同じ精神状態になった」だけで悟った事にはならないだろうが。

 早く消えてくれないかな。この幻覚。


「私は君の精神の幻覚を見る部分に作用し、君には実像として投影してるのだ。私は幻覚であり、現実だ」


 ちぇ。でも理屈っぽいのは嫌いじゃない。


 俺達は明るい紫の電飾が明滅するナースーセンターの中を飛び抜けて、長い廊下の直角コーナーを曲がった。

 BGMはキャント・アンデゥ・ディスだ。やり直しはきかない。


★★★


「時間旅行に連れていってやろうか」


 だからそういうのはお断りしてますってば、エンジェルハート。


「行くとしたら何処へ行きたい」


 うーん。

 ケネディ暗殺の現場に行きたいな。

 あ、思わず答えてしまった。


「ケネディ暗殺か。君は誰が犯人だと信じているかね?」


 別に誰でもいいです。

 真実が知りたいだけ。


「そうか。それならいいかもしれない。時間をかき乱す事にはならないだろう」


 え? 場合によっては具合の悪い事になるんで?


「うむ。君が確信を持って過去に行った場合……歴史が変わる」


 どういう事?


「未来が無限の可能性を持っているのと同じ様に……過去も無限の可能性を持っている」


 へ? 現代から過ぎ去った歴史なんて確固たる物じゃないの? 過去なんて決定された記録としてじーっとそこに立っているのみで。


「過去が永遠なんてのは人間の主観的な感想にすぎない。現在は一瞬の夢。予想と残像の隙間にしかないイマという化け物だ。そして過ぎ去った過去は物理的な証拠がない限り、またアグレッシブにほどけていくのだよ」


 どういう事になるんで?


「例えばケネディ暗殺の真犯人はCIAだ!と信じる人間が当時の過去に時間旅行すれば、確信に応じてその人間はCIA犯人観の過去に辿りつく。そしてその人間がそこで物理的証拠を持って現在以降に戻ればCIAが犯人だという歴史は確定してしまうのだ」


 ひでえ。観察が過去に影響を与えるなんて。


「これも時間という物は、人間の意識がエントロピーの増減を感知してその流れを整えているからこそ起こりえる現象なんだ」


 人間中心主義でしょうか。今どき流行らないと思うけど。


「現代量子論は観察者の干渉を排除した理論作りに成功しているが、それとは別に人間という物はやはり宇宙の構築には重要な要素なんだ」


 うーん(そういえば俺、エンジェルハートとまともに会話してるな)。

 じゃあ、時間旅行の結果によってはアポロ計画が月に人間を送ってない歴史が真実になってしまったりするのか。


「なる」


 世界同時多発テロの真相がアメリカ政府の陰謀になってしまったり。


「なる」


 広島、長崎への原爆投下が捏造になってしまったり。


「なる」


 ユダヤ人ホロコーストがなかった事になってしまったり。


「なる」


 頭痛いな。


 ランダムリピートである俺とエンジェルハートは下階に降りる蛍光ミントグリーンの階段へと高速で突っ込んだ。

 踊り場で多角型コーナリングをし、地下階の閉まった売店の前を通過する。


★★★


「病院には肉体の束縛から放たれた幽霊が沢山いる。その中には過去を変えようと時間航行をもくろむ不届き者も多いのだ。それらを狩るのも天使としての私の役割だ」


 幽霊?

 そういえば周囲の雰囲気が変わってきたな。

 不気味さが増してきた。怪奇の光景だ。

 うえー。何か心霊動画めいてきたぞ。景色のあちらこちらに死体めいた物が増えてきた。

 駄目だ。客観視して幻覚だと解っても死体が消えない。こりゃ最悪のバッドトリップだ。


「宇宙は過去を眺めても未来を眺めても、時間の流れは同じだ。でも直観的に未来から『過去』から『未来』への一方向のみを普通だと感じる。何故か? 脳がある人間の意識が逆の流れを受けつけないからだ。直観的にエントロピーが増える方向を未来と信じてしまう」


 それはさっきまでの理屈だな。

 幽霊とかいうのと関係あるのか。


「では人間の意識をそれがあるまま肉体より切り離せばどうなるか。肉体を失った意識はタイムマシンの様に自由自在に飛びまわれるのではないか。それが幽霊だ」


 肉体を失ってなお保たれる意識が時間を超えるのか。


「欲望のままに歴史を変えようとする輩がいるのだ。私達は歴史が大きく変わるのを阻止しなければいけない」


 誰かに命令されたんで?


「別に」


 そこで神とか出てくると思ったんだが違うのか。


「歴史は盆栽だよ、ランダムリピート。より自然である為には、誰かがより加工しなければいけない」


 そういう立場で歴史を整えてるんですか。


 ちょっと待った。

 バッドトリップの死体達が起き上がって、こちらへ向かって飛んでくるぞ。


「それが幽霊だよ。……不味いな。数が多い」


 幽霊に襲われる?

 回避! 取り舵一杯!

 BGMがウォーニングの繰り返しになる。

 赤く点滅する景色が急カーブし、走る速さで追いかけてくる幽霊の群を振り切る。


「まずいな。君の脳が歴史保存体として狙われているぞ!」


 イミフです。


「君は生きている。君の本体である肉体が幽霊達に狙われているのだ。君の脳は眠りながらも情報を蓄えている。そこには君が学んだ歴史知識もある。過去へ戻る為の強力な礎となるのだ。君に憑りついて歴史を辿って過去へ遡り、そこで破局的な歴史改変を行うつもりだ」


 え、そうなると俺はどうなるんで。


「幽霊に憑りつかれると狂人になる。人間的終わりだ」


 そんな事を聞かされて俺が焦らないわけがない。

 撤退だ! 俺の脳を守るぞ!

 俺はダークブルーに病的青に染まった風景を一八〇度ターンさせ、急カーブの曲面となった階段を猛スピードで昇って自分の病室へ帰る。


★★★


 帰る最中も幽霊が襲ってきた。

 鉤爪を突き出した不気味な死体の群。


「主は智!」


 その幽霊を吹き飛ばしたのは、エンジェルハートが胸前で組んだ十字の手からほとばしった銀色の光線。

 幽霊の一体は聖光めいた爆発に呑み込まれて悲鳴と共に消えていく。


「数が多くなってきたぞ! 君は完全に狙われている!」


 どうすりゃいいんってゆーんだ!


「エンドレスウィッチと合流する!」


 エンドレスウイッチ? なんだそりゃ。


 階段を一階上がる度にその階の幽霊が合流してくる。

 今や自分を追いかけてくる幽霊は津波にも似た勢いになっていた。


『私達は神の命令のもとに過去の入れ替え作業をしてイマ~ス!』


 集まった幽霊の先頭はまるで一個の巨大な頭蓋骨を形作っている。そんな巨大な頭蓋骨の喋った太い声がその言葉だ。

 何が神だ。俺は宗教はお断りだぜ。

 もう少しで病室だが、幽霊群のスピードはもうちょっとで俺をその顎へ飲み込める。

 エンジェルハートが後ろへ向けて十字光線を放つが、それが巨大な頭蓋骨を爆発させてもすぐ代わりの幽霊が傷を埋めてくる。


 俺とエンジェルハートが全開の顎に呑み込まれる。


 その寸前。


 三日月の様な巨大な草刈り鎌の一閃が、幽霊達を薙ぎ倒した。


 幽霊達は爆発し、次次と尾まで誘爆していく。


 なんだ!? あいつは!?

 俺が見たのは長い白髪を強い風になびかせている様な白銀鎧の若い女だった。

 死神が持つ大鎌を肩に担ぎ、その右の足首には大きな鉄球が鎖でつながれている。


「あれがエンドレスウィッチだよ、ランダムリピート」


 彼女は死神なんすか。


「エンドレスウイッチはこの病院の守護者だ。この病院から出られない彼女は常に幽霊から狙われているが、それらを寄せつけない絶対的な強さを持っている」


 美人さんですね。彼女もあなたの様な天使なんでしょうか。


「エンドレスウィッチは、エンドレスウィッチだよ」


 エンドレスウィッチは俺達に振り向いてエンジェルハートをひと睨みした。

 そして俺に微笑む。

 俺、あんな知り合いいたっけ? いや社交辞令の笑みじゃないな。慈母が弱い者に惜しげなく振る舞う、そんな笑みだ。


★★★


 病室に着く。

 後方に置いてきたエンドレスウィッチの姿を思い出す。

 ミスリルの鎧。

 異世界ファンタジーに定番として出てくる、強力な魔法の金属ミスリルという言葉がエンドレスウィッチの鎧にふさわしい。

 しかし彼女の鎧の袖は思いきり膨らみ、肘の関節辺りを大きく空けて上下がつながってない。腕を巻き込む様に螺旋を巻いた一本ずつの銀の紐がかろうじて繋いでいる。

 何だあれ。ひ弱そ。

 いやその紐こそ彼女の筋力倍化鎧の神髄だ。あれは弱そうにに見えてミスリルの細い発条なんだ。魔法の発条が彼女の瞬発力を高める。

 そう思った時、俺の姿は眼下のベッドに横たわる俺の肉体へと吸い込まれていた。


「アデュー、ランダムリピート。ボーナスタイムはこれで終わりだ」


 俺の視界は暗闇となり、エンジェルハートの声が何処かに消え去っていく。

 唐突過ぎて訳が解らない。

 いや入院初日の不安から来る悪夢に筋が通っているの求める方が間違ってるか。

 いつのまにかBGMが派手なテクノに戻っていた俺の暗闇。濃い紫色の照明が明滅しながらバニーガール達が『満員御礼』という電飾を上げ下げする光景に変わっていく。

 効果音はあふれるパチンコ玉の洪水。ジャラジャラジャラジャラ……。

 やっぱり訳が解らない。

 この幻覚を観ながら俺の意識は急速に落ち込んでいく。


★★★


 眼が醒めた。

 夢が速やかに砂の城の様に崩れていく。

 あれ。俺、どんな夢を観てたんだっけ。

 ランダムリピート。

 その語はかろうじて思い出せるが意味が解らない。いやプレイヤーがランダム再生をずっと繰り返す機能ってのは解るけどさ、その言葉が特別かどうかってのは。

 何だっけ、ランダムリピート。うーん……。

 まあ夢の内容は思い出せないし、これ以上こだわらなくてもいいだろう。

 今日も入院生活だ。


★★★


 エンドレスウィッチ!

 美味なる昼食を食べている時に不意に思い出した。

 しかしその名前だけだ。女の名前というのはかろうじて思い出した。

 何で思い出したのかというと、午前中に家族と電話していた時に祖母もその病院に入院していたという話を聞いたからだ。

 祖母が死ぬまでの時をすごしたのがこの病院なのだ。

 そうだっけ? 俺は憶えてないなぁ。まあ祖母の記憶もちっちゃな子供の時だからなぁ。

 死んだ祖母は当時珍しかったファンタジー作家だったらしい。作家だったなんて初耳だ。

 ペンネームは戸羽(とわ)なにがしというそうだ。

 それが何故か引っかかっていたのだが、脳に栄養補給された瞬間にエンドレスウィッチの名を連想した。


 戸羽→とわ→永遠→エンドレス。

 そーかー。エンドレスウィッチかー。

 ……って何者だ。


 結局、夢は思い出せないしランダムリピートの特別な意味も解らない。

 なんか、こー、宇宙の秘密をせっかく知ったのに全てをあっさり失った喪失感ってゆうかー……。

 俺が退院になる日はまだ解らない。

 またこの病院で思い出せない夢を味わう時が来るかもしれない。


「ずっと想いを残し続けなさい、ランダムリピート。では夢と時の彼方でいつかまた会いましょう」


 幻聴に振り向いた時、俺は何故かザビエル頭を連想していた。

 何だ、ザビエル頭って。


 想いは時間を超える。

 ……はずだ。


 了

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