フルールの白いエマシン

【第03節】昭和五十年代生まれの男

俺の手を引く女性が足を止めた。

だとすると、この目の前にあるものが「エマシン」に違いない。

だが、現実の光景とは思えなかった。

「嘘だろう……？」

思わず声が漏れていた。

太い幹の間に、うずくまっていたのは膝立ちをした巨人だった。

漆黒の鎧を纏った姿は、巨大化した人である。

金属のような質感と直線を多用したデザインから受ける印象は、生物的というよりは機械的だった。

端的に言えば巨大ロボットに見える。

「もしかして、エマシンを見るのも初めて？」

「これは、ありふれたものなのか？　どれくらいの数が普及している？」

「そんなの、たくさんあるとしか言えないんだけど」

「普通の村には、何体くらいがあるものなんだ？」

「少なくても二、三体。多いところだと五体を超えるところもあるみたい」

「村の平均人口は？」

「大体、百から三、四百人くらいだけど」

話をしながらも、意識はエマシンに向いていた。

気持ちが、激しく沸き立っている。

心の深い部分が、得も言われぬほどに興奮していからだ。ときめいていると言ってもいい。

一方で、思考は冷静だった。

「こんなものに乗って戦ったら。……死ぬんじゃないのか？」

「操縦房に直撃を受けなければ、即死はしないはず」

「動けなくなった後、引きずり出されて殺されるんだろう？」

「それは相手によるけど……」

否定はせずに口ごもった。

顔を見ると目を逸らす。

中々、素直な性格をしているようだ。

もう一度、エマシンと呼ばれた巨人を見上げる。

これに乗って戦えば死ぬかも知れない。それは理解した。

それでも沸き立つ心が鎮まらない。

当たり前だ。

昭和五十年代生まれの男なのである。

巨大ロボットを前にして、乗らないという選択肢を選ぶはずがない。

「……こいつは、どうやって動かす？」

「操縦房へ乗込んで。首元に入り口があるから。大丈夫。動かすだけなら、誰にでも出来るから」

「どうやって、あそこまで行く？」

月光に照らされている巨人を見上げた。

首元までは四メートルほどの高さがある。

「ささやきに耳を傾けて。常識的なことは大体分かるから。心を落ち着けて、したいことを思い描くの」

指先で自分のイヤーカフに触れてみせてきた。

「ささやき？　何のことを言っている？」

疑問を抱きながらも仕草を真似た。

イヤーカフに触れて疑問を思い浮かべる。

（エマシンはどうやって動かす？）

数秒が経過した。

何も起こらない。

ふと、アームバングルに視線を向ける。

細い金属の輪に紋様が浮かんでいた。

「模様？　文字のようにも見えるが……？」

紋様が歪むと形を変えていった。

日本語が表示されている。

『搭乗』と読めた。

「ささやき、の答えはアームバングルに文字で表示されるのか？」

「そんなに、はっきりとした答えは返ってこないから。何となく、こうしてみればいいんじゃないかって分かるというか、……そうね、閃き、に近いと思う」

答えを聞きながら、心の中で念じてみる。

（外からは、どうやってエマシンを動かす？）

表示される文字の形が変わった。

『思念伝達』と読める。

「思念伝達だと……。考えるだけで巨人が動くのか？」

「触れられるくらいまで近づいて。操縦房に人の居ないエマシンは外から動かせるから」

頭の中で指示をした。

エマシンが左腕を、ゆっくりと動かし始める。手の甲を地面に着けてくると、掌を開いてきた。

（指示したとおりに、指を動かして見せろ）

人差し指から小指までを順に動かすように指示する。

指示通りに指を一本ずつ曲げて伸してきた。滑らかな動作である。

「本当に、思い通りに動くんだな……」

「用心深いんだ」

「こんなものに乗ろうとしているんだ。少しは慎重にもなる」

巨大な掌に乗り、首元に運ぶよう指示した。

上昇に伴い、冷たい風が頬を撫でて、髪を揺らす。

地上から四メートルほどの高さに達したところで、掌が首元へ移動していく。

「狭いが、降りるしかない」

踏み外さないように注意をして、狭いスペースに足を降ろした。

足元には、七十センチほどの円形をした穴が開いている。

中は暗い。身を屈めて、ライトで照らしてみる。

深さは二メートルほど。円形の床は直径は二メートルくらいの広さだ。

穴の中は、円柱形にくりぬかれた空洞だと分かった。

見る限り、無色透明の空間である。

ただ、微かな違和感があった。指先を穴の中へ伸してみる。

「……液体で満たされているのか？」

穴の中は縁までが、無色透明の液体で満たされているようだ。

手のひらで液体を掬ってみる。濡れた感触がない。

液体の表面には、薄い皮膜が形成されているようだ。

「乗込め、と言っていたが。窒息したりしないだろうな……？」

確認するために、穴の中に顔を埋めてみた。やはり濡れた感覚はない。

ゆっくりと息を吐いてみる。

空気中と何ら変わらない。気泡が浮かぶこともなかった。

意を決して、ゆっくりと慎重に息を吸ってみる。

特に問題はない。自然な吸気が出来た。

女性の大声が、下から届いてくる。

「脱いだ服は、収納へ仕舞っておいて。入り口の横にあるから」

「……？　なんで服を脱がなければならない？」

「溶けるからに決まっているでしょう。早く乗ってみて」

「分かった。もう少しだけ待ってくれ。すぐに動かす」

穴の縁から二十センチほど離れた足元に、取っ手が埋め込まれていた。

手を掛けて引いてみると、床の一部が浮き上がる。床下収納のような仕組みらしい。

浮いた床の下に現れた空洞へ、脱いだダッフルコートを放り込んだ。

ただ、服が溶けるという言葉を信じたわけではない。

単に邪魔になると思ったからだ。

「どうやって降りる？　飛び込むしかないのか？」

穴の中へ右足を入れて動かしてみた。何の感触も伝わってこない。液体にあるべき粘度や抵抗がないようだ。

深さは二メートルしかない。手を伸せば縁には十分に届く。

足を踏み出して、穴の中へ飛び降りた。

すとん、と床に着地する。

浮力は感じられない。

立ち上がって、じっとしてみる。とても液体の中にいるとは思えなかった。

天井を見上げると、入り口から内側に向かって扉が垂れ下がっていた。かなり分厚い。

押し上げようとして指先で触れると、それがきっかけだったのか自動的に閉じていった。

閉じきると、バシュンという音が鳴る。おそらく密閉されたのだろう。

暗い。

持ち込んでおいたライトを点灯する。

「……何だ？　これは？」

濁った泡で服の表面が覆われていた。

細かい泡を、手で払い除けると、生地が傷んでいることが分かる。

十数秒で、泡は消えてなくなった。残された生地は、ぼろぼろに傷みきっていた。

「化学繊維の部分だけが残ったのか……？」

パーカー、Ｔシャツ、カーゴパンツ、スニーカーはいずれも表面が裂けて、大小の穴が無数に空いていた。

穴の隙間から見えるボクサーパンツには変わりがないようだ。うろ覚えだが素材はナイロン、ポリウレタン、アクリルあたりだったような気がする。

「早くして！　エマシンが一体、迫ってきている」

危機を訴える声が耳を打った。

地面から直接届くはずはない。この穴の中で再現された声なのだろう。

生木の折れる鈍い音が届いてきた。それほど遠くはない。

気持ちが焦りそうになるのを意志の力で押し止めた。

イヤーカフに触れる。ささやきへ問い掛けた。

（エマシンの操作方法を教えてくれ！）