第二編 優しい葵さまとの結婚生活

第十一話 求婚

 二人は年末年始の小旅行も兼ねて、青島呉服屋に入る。葵は千歳に目をやった。千歳は、色素が薄い絶世の美女。千歳は街の誰もが認める美人だ。


「千歳に着物を贈りたく」

「ええ、承知しました。こちらの反物がよくお似合いかと」

「……ああ」

 葵は反物に目をやった。桜の反物。特にそれは、葵の目を引いた。繊細で、どこか華やかな色合いで、儚さも美しさも合わせた反物。


(……綺麗だ。似合うだろうな)

 店の奥に千歳は佇む。千歳の目の大きさがより、一層、際立つ。先ず、葵は素直に千歳に着物を贈りたくて青島呉服屋を訪ねた。千歳は前髪を作り、栗髪を垂らした。千歳は髪を揺らし、その、綺麗な顔を見せた。


「葵さま」

「どうしたんだ?」

「今日は葵さまと話せただけでも嬉しくて」

「そうか。俺の買い物に付き合ってくれてありがとう」


 千歳は嬉しそうだ。

 街を巡る。千歳は葵とともに歩きながら、帰る道を行く。


「千歳?」

「はっ、はい……!」

「千歳、小雨が降ってきたな」


 葵が傘まで差してくれた。千歳は葵の眼にきょとんとしている。千歳は葵に贈られた上等な着物にきれいな長羽織を着ている。


「葵さま?」

「……どうした?」

 葵は千歳を見遣った。千歳は嬉しそうに微笑んだ。千歳は葵を見上げる。千歳は葵と手をつなぎたそうだ。二人は雪景色の灰色の空を背後に手をつないだ。


「……わたし、このような高価な買い物は初めてです」

 千歳は葵に無垢むくな笑みを浮かべる。嬉しそうに羽織をかける。

 葵が次に連れて行ってくれたのは小間物屋の類滝るいたき屋だ。千歳は色とりどりのかんざしを見ている。


「おまえにはこの方が良いだろう?」

 葵が艶のある声で言い、後ろから千歳の髪の片側に簪を挿してくれた。


「あっ、ありがとうございます……。わたし貰ってばかりで葵さまに悪いです」

「受け取っておきなさい」

「……?」


 高価な着物を買い、旅籠はたごに入ると受付の女性が「ここは満室です。申し訳ありません」とやんわりと断られてしまった。篠屋しのやの看板があった。恐らく今日旅館に泊まれるのはここしかない。篠屋の暖簾をくぐる。受付の女性が部屋を案内してくれた。葵との旅行は灯湯の里以来だ。今回は年末年始の小旅行であるが、部屋で葵と二人きりになる。千歳は葵に抱き締められると心地が良い。


「……千歳」

「はい?」


 葵の心音しんおんが聞こえる。

 千歳はなんだか、葵といると落ち着く様子である。宿屋は二階建ての宿屋で、二人は二階の角部屋にいる。雪化粧が舞う頃に桜の樹の枝が天を伸ばした。


「……おまえはきれいだな」

 千歳はきょとんとしていた。葵は千歳を抱き締める。「そうですか?」と千歳は問うた。葵は自身の腕の中にいる千歳を見遣った。


「俺は自分の容姿には無頓着だが。俺と違っておまえは顔がきれいだろう?」

 と葵は嬉しそうに、麗らかな笑みを浮かべる。

 千歳は花のように優しい笑みを浮かべる。


「ありがとうございます。葵さまも、おきれいですよ」

 と千歳は葵に身を寄せる。葵は千歳をより一層に抱き締める。

「……ありがとう。素直に受け取っておく」

 葵は照れくさそうだ。千歳もなんだか、照れくさい。


「葵さまからの『ありがとう』は二回目に言われましたね」

 腕から覗く千歳の顔は綺麗だ。

 雪のように白い肌と琥珀色の瞳が憂いて綺麗だ。

「……おまえ、俺から言われたことを数えているのか?」

 葵は千歳に訊く。

「……そうですよ」

 千歳も葵を抱き締める。二人は千歳は葵のおでこをくっつけて笑いあった。二人は愛し合う男と女である。


「……おまえはきれいな肌だ。染みひとつない」

 葵はそう言い、空を見上げる。

 どんよりとした曇り空はやがて紺碧の夜空へと変わる。長い間の沈黙が続き、葵は千歳を見遣った。千歳はぎゅっと葵の袖をつかむ。


「……葵さまはとてもお優しい人です」


 千歳は葵が肩にうずもれる。葵から良い薫りがする。黒髪の長髪がくすぐったい。


「……おまえの栗髪がきれいだ」

「……ふえ?」

 葵は後ろから千歳を抱き締める。千歳は自身をあまりにも惚けた声が出でしまったと自嘲する。


 千歳の栗毛がきれいなのだろうか。葵は嬉しそうだ。御膳は運ばれてこない。否。来てほしくない。葵とのこの二人きりの時間が恋しい。愛おしい。


「葵さまはお食事ではどんなものがお好きなんですか?」

 千歳は問うた。

 葵は少し間を置き、答える。

「……うーん。あんみつときな粉もちかな」

「ふふ。はなみつの頃からお好きですものですね」

 千歳は「うふふ」と口元を隠して微笑んだ。

 二人のこのときは愛おしい時間なのだから。襖越しからお声がかかり、二人は食事をした。料理は年越し蕎麦もある。二人は蕎麦を啜る。葵は痩せの大食いでよく食べる。細身のしなやかな筋肉質ではあるが。脱ぐと意外とガッチリしてる。温泉街に行ったときから周知の上である。お蕎麦を食べ終え、就寝の時間だ。二人は一つのお布団で眠る。


(葵さまと一つのお布団で寝る? あんまりにも恥ずかしすぎるわ……!)

「葵さま、お布団が……」

「あの気のいい主人のことだろうな。気を回したんだろう?」

(わたし、すごく恥ずかしいわ……!)


「千歳」

「……はい」

「恥ずかしいか?」

 千歳は頷く。


「なら俺が子守唄でも歌ってやろう?」

「ありがとうございます……!」

 葵と一緒のお布団で寝静まる。千歳は葵に抱き寄せられた。葵の厚い胸板にすっぽり収まった。子守唄を唄ってくれて心地良くうとうと眠ろうとしたところ。

 葵が千歳を見遣ると二人の唇が重なりそうになる。


「……おまえは俺の者だろう?」

「……そうですよ。うふふ」


 宿屋の窓辺の向こうにパアン! パアン! パアン! と花火の音が鳴る。葵は外を見遣った。葵と共に宿屋の窓辺の方に行く。年末年始には日神市では打ち上げ花火が上がる。年始は篠屋で豪勢な料理を食べて、年神さまが来たら近くの神社にお参りをする。


「きれいですね」

「……きれいだな」

 恥ずかしい状況はまぬがれる。でも葵からさっきは情景が目に浮かんで嬉しかった。葵と一緒のお布団ではないのはちょっぴりとさみしいものだ。

 千歳は嬉しそうに葵の着物の袖を握る。


「おまえにやる。欲しかっただろう?」

「……こちらのものも? いいんですか?」

 葵は気恥ずかしそうに渡す。

 高級な贈り物? 千歳は渡された調度品を見遣った。箱を開けると中身はつげ櫛だった。千歳は無垢な笑みを浮かべる。




「遠慮するな。受け取っておきなさい」


 葵は千歳を見遣った。千歳はこの意に気づくだろうか。女性に櫛や簪を贈るのは求婚の意がある。


「こんなにしてもらってすごく嬉しいです。葵さま、わたしからも贈り物が有って……」

「贈り物?」


 高級箱に入れてあった。千歳は天女のような笑みを浮かべる。


「……腕時計?」

「特別に高価なものではありませんが」

 葵は目を張った。

 千歳から贈られたものは高価な腕時計だった。たしか、時計の贈り物には意がある。千歳は自分と同じ気持ちだったのか? 千歳ははにかみながら葵を見て話す。


「葵さまと同じときを歩みたいと思って」

 千歳の目は真剣だった。

 深い愛情を持った眼は葵も同じ。

 葵は千歳に深い愛情とたしかな覚悟を抱いた。


「千歳。俺は未熟者である。それでいてつまらん男だ。……俺と結婚してくれるか?」

 千歳は目を丸くして驚いた。夏祭りで二人で初めて出かけた。あの打ち上げ花火が上がるあの丘を思い出す。千歳は一瞬なにがなんだが解らない。自分は求婚されたのかしら? それもおこがましいけど、自分はその好意を一身に受けてばかりだった。千歳は思う。葵と出会えて本当に心より嬉しい。何度、生まれ変わっても葵の婚約者になるんだ。


「……こんなわたしで良ければ」

 千歳は長羽織の袖を振る。葵は千歳を抱き締める。「おまえは決してこんなではない。俺はおまえが良いんだ」と葵も嬉しそうだ。

 二人はぎゅっと抱き合い、夜空に浮かぶ華を見る。篠屋の窓辺で二人は抱き合いながら夜空を見上げる。雪化粧が舞う頃に次の花火が打ち上がる。


「俺はこの街で降る雪をおまえと見たかったんだ」

「うふふ。その台詞は二回目ですよ?」


 葵は千歳の顔を見遣った。

 花火の灯りに照らされてより一層にきれいだ。

 葵は千歳を抱き締める。

 夜空に散る華をうっとりとした気持ちで葵と千歳は抱き締め合って花火をみる。

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