第十話 天誅と紅葉

 季節は晩秋で、紅葉が美しい。四季折々の山々を染める紅葉は美しい。千歳は鏡台に向かい、化粧をした。目元に赤を入れた。つげ櫛で髪を梳かした。


「身支度は済ませたか?」

「はいっ!」


「素直でよろしい」

 千歳は葵から三歩下がって歩いた。


「お? その姿は千歳と葵さんじゃんか!」

「あっ、朔太郎?」

 と千歳が声を掛ける。

 朔太郎は牛鍋屋新田屋の玄関を掃き掃除をしている。今日は葵と出かける。


「葵さん?」

「はい」


 葵と朔太郎ははじめて視線を通わす。


「俺は千歳と親しくさせてもらっている、水崎朔太郎と申します」

「……ええ。俺の名は黒川葵と申します」


「ほえ〜。やっぱりあの噂は本当だったんだなぁ。絶世の美貌を持つ実業家さんとは……。俺は正直、ここまでとは思わなかったよ。俺の家内の華です。この子は上の子の夏です」


「こ、こんにちは。黒川様に千歳ちゃん」

「こんにちは。夏ちゃん」


「千歳! こんな色男の許嫁の人がいるのかぁ? 今度、千歳と葵さんとでうちで飯を食っていきなよ!」


「良いの? 朔太郎? ありがとう!」

「良いんだよ。じゃあ俺達は用事があるのでここまで!」


「夏、これから、お母さんはお産だからいい子で待っているんだぞ」

 とお姉ちゃんの夏に朔太郎は声を掛ける。


「朔太郎さんは以前話していた、おまえのご友人か?」

「はい」

 千歳は葵を見遣った。葵は嬉しそうではあるがそれを面には出さない。


「ふむふむ」

「葵さま?」

 と千歳は訊く。葵は顎に手をやった。


「いや? 少し、考え事をしていてな」

「……葵さま?」

 千歳を見遣ると髪を撫でる。


「おまえと出かけようと言ったのはほかの誰でもない俺だ。おまえ以外の女性に目移りすることはない。おまえは安心しなさい」

「はっ、はい……! 葵さま……! お屋台があります!」

 千歳は葵にこう訊く。葵にも提灯が目に付く。


「もうじき、秋祭りですね」

「……そうだな」

 身長差のある二人は仲睦まじい。南東側に八田はった若葉わかばがいた。


「坂田さん? あら?」

八田はったさん?」


 女学校時代の同級生の八田はった若葉わかばは親切そうで優しい女性だ。豊かな黒髪を揺らした。


「おまえの知り合いか?」

「はい」

「……許嫁の方? こんにちは。私、八田と申します」


「ええ、俺と千歳は許嫁ですが」

 千歳の見目麗しい許嫁を見て、若葉は頬を赤く染める。


「八田さん。わたし、結婚するんです」

「けっ、結婚?」


 ◇◆◇


 紗絵は街を歩いている。

 紗絵の隣には男性がいる。そう、紗絵の旧姓は八頭である。來村らいむら康太こうたと街を歩きながら嬉しそうだ。康太は好青年であり、紗絵は來村の奥様である。康太は書店に勤めている。役職で稼ぎは良い。康太の容姿は長めの黒髪に細面に丸い目で眼鏡をかけている。


「ねぇねぇ、康太さん、どこかに連れて行ってくれない?」

「……いいけど」

 康太は不機嫌そうである。


「僕はずっと言いたかったんだ。紗絵……」

 康太は話を切り出す。

「なに?」

 紗絵はそう聞いた。


「よく、僕の知らない坂田さんと黒川様と二人の話題が出てくるよね?」

 康太は言う、紗絵を見る。

「黒川さまは絶世の美貌を持った冷徹無慈悲な実業家よね? 冷徹で奥さんを小間使いときてこき使う、気難しいと恐れられる美しい男性の話よね? いっつも私が黒川様の話してるじゃない?」

 と康太は苦しそうに続ける。


「それはそうなんだけど。いつも僕に黒川様の話題を振ってくるよね。なら紗絵は黒川様と結婚すれば良いんではないかな? 僕じゃなくて」

 康太は紗絵を見ては不満げな様子である。


「いい? 私は貴方が良かったのよ。黒川様は美貌目当てよ。でも貴方には中身があるわ」

 と紗絵は康太の前髪を払う。


「そ、そうか。でも僕と君は政略結婚だったし、両家の合意がなければ僕らは結婚できなかったよね? でも、紗絵、僕は君とじゃなくて」

 康太は目を泳がせる。


「あら? 康太さん、この私に逆らったらどうなるかは解らないわよ?」

「……そ、そうか」

 と康太の心中は穏やかではあるまい。


「あっ、あの姿は黒川様と坂田さん? 今頃黒川さまに小間使いにされてるんだわ」

 遠くから葵と千歳の姿が映ろう。紗絵は康太を引っ張って物陰に隠れる。二人は小間物屋で買い物をしていた。


「葵さま」

「……千歳、なにか欲しいものはあるか?」

 葵は千歳に聞いていた。

 まるで二人は既に結婚したかのように仲良しな様子である。


「えっ。いいです、いいです」

「遠慮しなくて良い。おまえを誘ったのは、他でもない俺だ」

「うーん。ならこちらのお品かなぁ」

「……ああ、買ってやろう」


(あの女……やけに黒川様と親しげじゃない)


「わたし、葵さまに組紐を差し上げようかと」

「……ああ、ありがとう。嬉しいよ」

 葵は普段は滅多に見せない、笑みを浮かべる。


(二人はまるで仲の良い恋人みたいじゃない!)

 紗絵は羨望の気持ちから腸が煮えくり返る気持ちへと渦巻き変わっていくのが解る。


「……紗絵」

「はい?」

 と康太は不服そうである。


「僕は君とは付き合いきれないよ。これ以上黒川様の話をするのであれば」


「え?」

「これ以上、黒川様の話をするなら僕ら離婚しよう?」

 康太はそう言い切った。紗絵の表情は一挙に暗くなる。


「なにを言ってるの?」

「君はいつも黒川様なら私を丁寧に扱ってくれるとか、容姿は僕より上だとか、僕は情けなくなってくるんだ。君といると」

 と康太は苦しげだ。


「……貴方がこの私に言いつけるの?」

「だから? 僕はずっと君に欲しいものを買ってあげていたよ。けど、君の口から出るのが黒川様だったら黒川様なら! とか坂田さんとか僕の知らない女性の話をされても付き合いきれないよ」

 と康太は紗絵をきっと睨んだ。


「私、康太さんのこと好きよ。貴方は多少は劣等感を抱えているようだけど。黒川様のことは容姿で好きになっただけよ」

「ならもうこれ以上黒川様のところに近づいたら僕は離婚する。もう二度と僕に顔を合わせないでくれ」

 と康太はきっぱり言った。


「私の他に好いた人でもいるの?」

「いたよ。でも君と僕は政略結婚だったからここまで上手く続いたのかもしれない。僕は君と付き合ってると情けない気持ちになるんだ」


 ◇◆◇


 秋の終わり。

 葵は完全なる短髪ではないが、近々、髪を切ろうと千歳に宣言をしたら千歳に「葵さまの長髪に触れなくなってしまう」と言われたのである。

 自身の長髪を許嫁のために切らないでいるのは大変喜ばしいことである。

 葵は千歳と買い物を楽しんでいるなか、葵の目に映るのは千歳だけだ。そういえば久太郎とお茶をした際に「おまえさんの奥方の座を狙っている女がいるから気をつけたほうが良いんじゃない? 黒髪の腹黒そうな女性だよ」と久太郎から忠告をされた憶えがあった。

 千歳に小間物屋で口紅を買ってあげている最中にある男性が千歳を見ていることに気づく。


 その男性は高慢ちきで、自分は頭がいいんだぞというような顔つきをしている。彼は短髪で端正な顔立ちではあるが、腹黒そうだ。


 千歳から、目を離さないように気をつけないと葵は悟る。


「葵さま?」

「大丈夫だ。俺から離れるなよ」


「うふふ。はい」

 千歳は今日は控えめな様子だ。

 それは今度は千歳が正式に葵と婚約したからだ。


 秋祭りで人がごった返す。

 いつも行く安産祈願の神様を祭る、倉光神社ではなく、秋祭りが有名な鳴神なるかみ神社に来ている。


「はぐれないようにな」

「はい!」


 はぐれないように葵は後ろから千歳に手を差し出す。千歳はその手を取った。


「葵さま」

「……なんだ?」

 千歳はふふっと微笑んだ。


「葵さまの掌に肉刺まめがあって、男性なんだなぁって感じます」

「……ありがとう。行くぞ」


 本殿のほうが見える。

 千歳と葵は鳴神神社の本殿に参拝する。


(千歳はなにを祈ったかな?)


 ◇◇◇


 千歳は参拝が終わり、参拝客の専用の階段を降りると千歳はその光景を目にした。女学校時代の結婚して苗字が変わった紗絵がいた。千歳は身が縮こまる。


「あら? その姿は坂田さんじゃない?」

「……」

 千歳は黙りこくってしまう。

「紗絵! やめないか!」

 と康太は忠告する。


「まぁ、どこぞで野垂れ死んだかと思っていたら、あらまあ? 今度は黒川様に別れを切り出されて? 嗚呼、なんと可哀想な坂田さんじゃない。ああ、とっても可哀想な人だわ!」

 紗絵はその場で高笑いをする。


「あら? 坂田さん。そのご様子では変わってはいないようね。地べたに這いつくばってその日の手当てを出してくださいとお願いをするなら手当は出してあげてもよくてよ? 黒川様が貴方のようなぼんくら女を娶ってくれる訳ないじゃない?」

 紗絵は続ける。


「嗚呼、可哀想に」

 すると紗絵には痛みの電撃が走る。

 千歳は紗絵に平手打ちをした。


「いったいじゃない……! なにをするのよ!」

 と紗絵は顔をゆがめる。

「わたしと葵さまの絆は誰にも引き裂ける事は出来ません! わたしのことも馬鹿にしないで下さい!」


「いったいわ……!」


「わたしは貴方には女学校時代ずーっと我慢していたんです! 退院しても! 貴方がしたことをわたしが許すことは人生で一度もありません!」

 と千歳はそう言った。

「なっ……! この私に口ごたえをするつもり?」


 紗絵に往復の平手打ちをした。紗絵は頬が真っ赤に腫れあがっている。すると千歳は葵の後ろに隠れる。旦那さんらしき人は紗絵の突飛な行動にびっくりしている。


「紗絵! これ以上黒川様に近づけば僕とは離婚だ!」

「貴方はお黙り!」

 と紗絵は康太を一喝した。


「……ねぇ。私、黒川様とは昔は前世で夫婦だったと思うのよね」

 紗絵は葵を見ては微笑んでいる。


「とても運命を感じるわ。私、解るの。黒川様とは離れ離れになった恋人達だったんだって」


「紗絵! やめないか!」

「康太さん。そのクズ眼鏡をどうにかしなさい」

 紗絵は冷静沈着そうだ。

「……千歳。大丈夫だ」


「あんな坂田さんみたいな売女ばいたと結婚する? 笑ってしまうわ。結ばれる? あら、黒川様、もしかしてこんな女を娶るなんてね。黒川さまのような高嶺の花の男性がするわけはないわよね」

 と紗絵は高笑いをした。


「お前のような無礼な女と前世でも結ばれていた? 甚だ冗談ではない」

「俺と前世でも、今世でも、来世でもなんらおまえとは関係がない。ここを去れ」

 葵も冷静沈着だ。

「……いったいわ……なにをするのよ!」

 葵は紗絵の頬を引っ叩いた。


「お前のような女は俺は選ばん」

「そこをどけ。どかなければお前の身がどうなるかは解っているだろうな?」


「次におまえが食らうのは拳骨だ」


「……ッ!」

「この私に逆らうつもりなのね……! 見ていなさい!」


 助走をつけて抱きしめようとするが葵にかわされて、鳴神神社の恋の池にドボンと落ちて周りの人から失笑を買ってしまう。紗絵は悔しそうだ。すると残ったのは旦那さんらしき人だった。


「黒川様、よくぞ、おおうつけ者の元嫁を引っ叩いてくださいました!」

「いえいえ、自分に礼などいりません」

 葵はため息をついてそう言った。

「坂田さま!」


 康太に呼び止められた。


「女学校時代は元妻が坂田さまに大変失礼なことをしてしまい、坂田さまのお具合を悪くさせてしまったことを深くお詫び申し上げます。元妻が大変取り返しのつかないことをしてしまい、坂田さま、重ね重ね、申し訳ありませんでした」


 康太は千歳に丁寧に詫びる。


「……」

「康太さん〜! 助けて〜! 私、溺れて死にたくないよ〜!」

 康太は無視をした。

 その後は翠夫婦が駆けつけて、あの件について話をしてくれたようで、警官の方が紗絵を引っ張り上げてくれたようである。どうやら紗絵と紗絵の父、長治ながはるは鳴神神社の方々にさんざん迷惑行為を働いていたようだ。


 翠から聞いたことだが、政府は八頭家は爵位を返上せざる得なくなり、地方暮らしになる。これから紗絵は貧乏暮らしになるそうだ。そして八頭家が爵位を返上することになってからら、來村らいむら康太からも離婚を切り出される。そして、來村らいむら家からも見放された状態にあると。


「千歳ちゃんも大変だったわね。はい、千歳ちゃん、おまんじゅうよ」

「あっ、ありがとうございます……!」


 どうやら紗絵に天誅てんちゅうが下ったのであった。季節は冬の入り口。美しい紅葉は藍を染める二人をかすかに見守っていた。

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