セイレーンは恋するあなたに呪いをかける
竹神チエ
第1話 サンゴちゃんとスオウくん
『サンゴちぁーん、だぁいすきっ』
そんな、舌足らずの男の子の声。
潮の香りと波の音。
砂浜の熱を手足にかんじる。
それらを夢に残して、わたしは目を覚ました。
あの男の子はスオウくんだろうな。
スオウくんはお隣に住む同い年の男の子だ。
アルバムをめくれば、わたしのそばには、いつもスオウくんがいる。
だけど、そんな時間はもう終わったのかな。
スオウくんが映る写真は、去年の夏休み家族でバーベキューしたときのものが最後だ。それから中三になった今、カメラロールの中に増えたスオウくんとの写真は一枚もない。
今年ももうすぐ夏休みがくるけれど、去年は一緒に行った夏祭りも、今年は絶対ふたりでなんて行かないだろう。あの時もクラスの子にばったり会って、ほんと恥ずかしかったんだから。
スオウくんは人気がある。特に女子に。
これといった欠点もない。見た目も良いし、性格も優しいし、勉強も運動もできる。すっかり完璧な子に育ってしまった。
昔からカッコよかったけど、どちらかというとカワイイ系で。サンゴちゃんサンゴちゃんって。わたしがおねえさんで、スオウくんがおとうとみだいだったのに。
それが今じゃ話し方も変わった気がするんだよね。なんかスオウくん、怖くなった。無口っていうか冷めたかんじで。笑っている姿も学校ではほとんど見かけなくなった。身長だって、いつの間にか追い越されてて、視線を上向けないといけなくなったし。でもそれがうけてるらしい。
ついこのあいだも、告白されているところを目撃してしまったから。
中学に入って何人目?
カワイイ子はみんなスオウくんに告白してる気がする。
スオウくん、まだ誰とも付き合ってないと思うけど。
でもわからないよね。最近はぜんぜん話してないもん。三人目、四人目のカノジョがいてもおかしくない。それくらいモテモテなんだから。
まるでアイドル。
話しかけられたら、逃げ出したくなっちゃう。
……って、思ってるのに。
「サンゴちゃん、大丈夫?」
なあんで、フツーに話しかけてくるかな、この人。
「大丈夫って、どういう意味? 何が大丈夫なわけ?」
「えっと、顔くらいよ。調子悪いのかなって」
トイレに行った友だちを待っていた廊下の端っこで。階段を誰か上がって来たな、と思ったらスオウくんだった。こっちは目を合わせないようにしたのに、近づいてくるんだもん。
「べつにどこも悪くないし。しいていうなら頭悪いだけだし」
「頭痛?」
「ちがうよ。英語で見たことない点数とった。ああ、もういいから、あっち行って」
落ちつかない。今のところ、周りには誰もいないけど。スオウくんと一緒にいるところなんて見られたくないんだけどな。わたしもトイレ行っとけばよかった。なんで荷物持って待っとく、なんていっちゃったんだろ。
「サンゴちゃん」
「もうっ、元気だよ。たまに、ぼけぇ、てするときあるでしょ。今がそうだったの。モモカがトイレ行ったから、ここで待ってるだけ。わかった?」
ごめん、モモカ。男子に「トイレ行った」なんていって。
でもあんたなら平気だよね。これだけ人気のスオウくんですら眼中になくて、現実か妄想かわかんないけど、「国宝級イケメン」に夢中みたいだから。
でもスオウくんも国宝級じゃない? まあタイプが違うのかもな。ってどうでもいいし。わたしは標語のポスターを眺めるふりして彼が立ち去るのを待った。でもスオウくんたら動かない。何、わたしそんな変な顔してる? 今にも気絶しそう? 挙動がおかしいんだとしたら、それはスオウくんが近くにいるからだよっ。
「サンゴちゃん」
「シッ、うるさいよ。ねえ、もう中三だよ? ちゃん付けで呼ぶなんて恥ずかしくないの? いやなんだけど」
「だったら、サンゴ」
「ばかっ。呼び捨てすんなっ」
思わず大声で返してしまった。
んもーっ、ニコニコ笑うな! そういうのはファンの子の前でやれ。
「名字で呼ぶとかあるでしょ。っていうか、呼んでくれなくていいし、話しかけないで。あっち行って、早く」
スオウくんといると目立つ。とにかく目立つ。
だって注目度がちがうから。わたしはそういうのイヤ。
仲良しの子とすみっこでしゃべってるのが好き。スポットライトを浴びるなんて恥ずかしくてたまらない。スオウくんの目にわたしが映んなければいいとすら思う。関わりたくない。スオウくんはもうアルバムの中の人なんだから。
でもちょっと言いすぎたかも。スオウくん、怒り出すかと思ったら、しょぼんってしてるんだもん。ぺたんと垂れてる耳が見えそう。
こういう時は「おとうと」時代のスオウくんがちょっとだけ戻ってくる。でもだまされない。また背が伸びてるもん。こんな大きなおとうと、わたしにはいない!
「スオウくん、早くどっか行ってってば。二度と話しかけないでよ。わたしは存在しないものと思って過ごして、わかった?」
「おれ、サンゴにきらわれるようなこと何かした?」
「この野郎、しれっと呼び捨てすんなよ。やめろ、つったろ」
「サンゴちゃん、おれのこときらいになった?」
へにょ、て情けない顔。
きらいだよ、て。つい、言い返しそうになったけど。
でもそれは言いすぎだってことくらいわかる。
スオウくんを傷つけたいなんて思ってない。ただ自分が傷つきたくないだけなんだ。わたしにとってスオウくんは「小さいころ仲良かった子」でじゅうぶんなんだよ。どうしてそれがわかんないの?
モモカがトイレから出てきたのが見えたから、わたしは何もいわずそっちに向かって走った。振り返ったらスオウくん、きっと。
さみしそうにしてるんだろうな。
そう、わかるのに。
わたしはぜったい振り向かなかった。
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