罰を与えるなら救済を

深茜 了

少女と少女

とある繁華街の狭い路地裏で、一組の男女が言葉を交わしていた。

女の方は十代後半ほどの少女で、長い茶色のストレートヘアに、服装はカーキ色のフードの付いた上着と細身のデニムといったクールな恰好をしてた。特別美人というわけでもなかったが、悪くない顔立ちだった。


一方男の方はというと四十代後半くらいのくたびれた印象のサラリーマンで、少女は男に愛想良く話し掛け、ホテル街へ誘おうとしていた。いわゆる援助交際を持ちかけているようだった。


男が少女にほだされ、少女から腕を組み共にホテル街へと向かおうとした時だった。突然二人の前に派手な見た目の青年が現れ、男に向かって怒鳴るように何かをわめき散らした。話の内容は「俺の女に手を出した」というようなものだった。

青年は更に自身のスマートフォンを中年男に見せた。そこには先程少女と男が腕を組んでいる様子が撮影されていた。


中年男はすっかり顔から血の気が引いて、青年に言われるがまま一万円札を数枚手渡した。受け取った青年は満足そうな顔をすると一言、なにか言い、中年男の肩を乱暴な手つきで押した。よろめいた男はすぐにそこからもつれそうな足取りで逃げ出してしまった。


現場には少女と青年が残された。青年はにやけながら先程奪い取った万札を財布に入れ、少女は上着のポケットに手を突っ込み無表情でそれを見ていた。


一連の出来事のそれは当然二人の、いや三人の共謀だった。とある世の中から見放された三人の兄妹達の生きるすべだった。



緒方杏奈は三人兄妹の末っ子として生まれた。


長男の慶一は杏奈より六歳上、次男の飛翠ひすいが二歳上だった。

彼女の家庭はもともとはありふれた五人家族だったが、杏奈が十二歳の時にそれは起きた。

以前から出張の多かった父親が仕事でイタリアに行った際、現地で出会った女性にうつつを抜かし、そのまま杏奈達と母を捨ててその女と生きていくことを選んでしまったのだ。

当初は衝撃を受けた杏奈達を守るように懸命に立ち回っていた母だったが、夫から突然裏切られたショックに加え、三人の子どもを一人で育てる経済的・精神的な負担。それらにある日限界になり、父が居なくなってからそう経たないうちに母も消えてしまった。幼い杏奈達を残して。


途方に暮れた杏奈達だったが、十八歳だった長男慶一はその優れた頭脳で自分達が生きていく方法を考えだした。そして辿り着いたのが、美人局をはじめとする悪事の数々に手を染める事だった。

長男の慶一が計画の詳細を考え、必要な手配があれば準備する役割、次男の飛翠ひすいと杏奈が実行役だった。

杏奈が十九歳になるまでの七年間、そうやって兄妹達は生きてきた。



中年男から金を騙し取ると、杏奈と飛翠は三人が住むアパートへと戻った。

ぼろアパートという程でもないが、決して高級とはいえないその建物の二階に上がり、並んでいたうちの一室のドアを開けた。


「お帰り、どうだった」

部屋に居た慶一が二人に声を掛けた。それを受けた飛翠が財布から先程の万札を取り出し、にやけながらひらひらと振りかざした。

「成功したぜ。カモのおっさんをどついてやったらさ、青い顔して必死に逃げてやんの。もう、その場で噴き出すかと思ったぜ」

「ご苦労。楽しむのは構わないが、ボロは出さないように気を付けてくれよ」

万札を受け取った慶一が黒縁の眼鏡を中指でつり上げながら諫言かんげんした。

それに対し、わーってるよ、と返事をした飛翠は水を飲みに台所へと向かった。

「今日の炊事当番杏奈だろ。腹が減ってるから早めに作ってくれ」

その場に残された杏奈に、慶一は声を掛けた。兄の言葉に杏奈は眉をつり上げた。

「あたし達、ひと仕事終えて帰ってきたところなんだけど。もう少し気い遣ってくれない?」

「俺だって働いているんだよ。出掛けていなくったって、ここでね」

そう言って慶一は自分の頭を人差し指でとんとんと差した。飛翠と違って慶一の話し方は荒い言葉を使うこともなく常に落ち着いていた。


けれど、三人の中で慶一が一番残忍で冷酷、そして狡猾だった。慶一は黒い短髪に眼鏡をかけ、服装も落ち着いた印象のものをよく着ていたが、一見真面目に見える悪人が一番たちが悪いことを杏奈は知っていた。飛翠は派手な服を着て、立てた髪の色も明るく、いかにも“悪い”という印象があったが、彼は威勢がいいだけで悪事を緻密に企てる能力は無かった。それで杏奈と共に実行役に回されているのだ。

「わかったけど、先にお風呂入らせてよ」

ノートパソコンで何やら調べ物をしている慶一に一言浴びせ、杏奈は浴室へと向かった。疲労がどっと押し寄せて来るのを感じた。



次の日、杏奈は非番だった為、家から徒歩10分程のコンビニに向かった。特に一日の計画は立てていなかったが、とりあえずそのコンビニの肉まんが食べたくなったからだっだ。

肉まんを購入し、店の外にあったコンクリートの段差に腰掛けて食べた。食べながらふと空を見上げると、その色は今杏奈が座っているコンクリートのように灰色だった。


飛翠は最近熱中している駅前のダーツバーにまた行っているのだろう。慶一はというと近頃知り合った高校生の少女に売春を斡旋すると言っていた。クズ野郎、と杏奈は心の中で吐き捨てた。

もう何度も兄が計画する悪事に加担してきた彼女だったが、納得して協力している訳ではなかった。そうすることでしか生きていけなかったからであり、また今更真っ当な人生を送ろうとしたところでどうしたらいいのかも分からなかったし、兄達から逃れられるとも思わなかった。惰性の中で生きる彼女の心にはいつももやのようなものが翳っていた。


食事が終わると、杏奈は上着のポケットに手を突っ込み、中に入っていたものを取り出した。

それは華奢な印象の銀色のネックレスで、控えめな十字架が一つあしらわれていた。

自分が着飾る為に持っているのではない。ちょっとした、この歯車が食い違ってしまった人生に対する厄除けのようなものだった。

十字架のネックレスには護身の意味がある——。そうどこかで耳にしてから何となく購入し、持ち歩いていた。本当にそれで救われるとは思っていなかったが、彼女には何か一つでも気休めになるものが必要だった。


ネックレスを手から垂らして眺めていると、うっかりそれを地面に落としてしまった。慌てた杏奈は屈んですぐにネックレスを拾い立ち上がった。その時彼女は動揺していたので周囲に全く注意を払っていなかった。

立ち上がった時に、何かとぶつかった。後ろから小さな悲鳴のようなものが聞こえた。

咄嗟に振り返ると、そこには一人の少女が居た。年齢は杏奈と同じくらいだろうか。肌の色が白く、黒のショートボブが可憐な印象を与えていた。杏奈とは違い、素直で純粋そうな少女だった。

少女の視線の先には、杏奈とぶつかったことにより地面に落ちたコンビニの袋があった。袋の中から弁当の容器がのぞいていて、ホットスナックが袋から完全に飛び出して地面に落ちてしまっていた。


「あ・・・、ごめん」

思わず杏奈はそう声を掛けた。少し狼狽したが、目の前の少女は首を横に振った。

「いえ、大丈夫です・・・!私も前、ちゃんと見ていなかったので」

言い終わる頃には少女は照れ笑いを浮かべていた。その表情に彼女の人懐こそうな性格を見た。

「弁当とこれ、弁償するよ」

地面に落ちていたスナックを拾い上げながら杏奈は言った。それを聞いた少女は先程よりも激しく首を振った。

「いえ、大丈夫です・・・!お弁当なんてまだ食べられる状態ですし」

「じゃあスナックだけでも弁償させて」

そう言い残すと杏奈は店内に入り、落ちてしまったものと同じ商品を二つ購入した。

そして先程の場所に戻ると、一つを少女に差し出し、残りの一つを自分で食べ始めた。杏奈も食べれば少女の遠慮も多少はマシになるのではと思ったからだ。

「ごめんなさい・・・、私も悪かったのに」

「いいよ。時間あるならここで食べてけば?」

言ってから、自分の発言に少し驚いた。杏奈はいつも他人を避けて生活していたからだ。少女の人懐こさが杏奈の警戒心を多少緩ませた。

杏奈の誘いに少女も応じ、二人はコンクリートに並んで腰掛けた。


少女は夏葉という名前で、本業は大学生、年齢は杏奈と同じ十九歳で、今日は近くの雑貨屋でアルバイトをしているらしい。休憩に入ったところで昼食を買ってきたとのことだった。


夏葉と話すのは楽しかった。他人と深く関わると兄妹達の悪事に巻き込みかねないと思っていた杏奈は友人を作るのを避けていたが、交友関係の無い生活に少し限界を感じていたところだった。そこに馬の合う彼女と出会い、気づけば一時間近くも夏葉と会話を続けていた。



「あ・・・、そろそろ、私、行かないと」

腕時計を見た夏葉が言った。もう休憩時間が終わるのだろう。

「うん・・・、楽しかった」

杏奈が答えると、夏葉はそうだ、と言ってスマートフォンを取り出した。

「良かったら連絡先、教えてよ。今度どこか遊びに行かない?」

彼女の言葉に杏奈は一瞬躊躇った。このまま夏葉と交流を持っていいものだろうかと悩んだ。しかし一拍おいて、杏奈もスマートフォンを取り出していた。夏葉のてらいのない眩しさと、自身が長年抱えてきた孤独感が拒む選択をさせなかった。


連絡先を交換すると、夏葉は笑顔で手を振って去って行った。杏奈もわずかに笑い手を振ると、少し疲れたように溜息をついた。

兄達に夏葉の存在を知られないようにしなければいけないが、家に連れてきたりしなければいい話だ。用心していれば、へまをすることもないだろう。

杏奈は再度、上着のポケットに手を入れた。そして鎖に繋がれた十字架を取り出すと、しばらく揺れる銀色を眺め、小さく頷いた。



夏葉と出会ってから一週間後、早速彼女と一緒に出掛けることになった。長年友人を作ってこなかった杏奈はこういう時に行く場所が分からなかったので、行き先は夏葉に任せた。結果、杏奈の家から数駅離れたうさぎカフェに行くことになった。動物と触れ合えるというカフェは初めてで、カフェというくらいだから飲食をしている空間にうさぎがいるのかと思ったが、ペットボトルの飲み物が付くだけで、広い居間のような空間にうさぎが何匹もいて、客はくつろぎながらうさぎを愛でたりするようだった。


「杏奈、この子背中にハートマークあるよ!かわいい・・・」

夏葉が破顔して一羽のうさぎを指した。その茶色いうさぎは確かに背中の中心に白い模様があって、それはハートの形に似ていた。

楽しそうにあちこちのうさぎを構う夏葉を見ながら、杏奈も少しうさぎに触ってみた。その感触は思ったよりも柔らかく、温かかった。

「ごめんね、私ばっかり楽しんじゃって。ここにずっと来たかったんだ」

座ったまま、近くにやってきたうさぎだけを撫でている杏奈を見て夏葉はすまなそうにした。

「ううん、いいよ。これでも結構楽しんでるし、動物カフェ来たの初めてだから新鮮だよ」

「え、猫カフェとかも行ったことないの!?」

「うん、動物好きの友達がいなくてさ」

驚く夏葉に、杏奈は軽い嘘をついた。言いながら、幼い頃に家族五人で動物園に行ったことを思い出した。しかしすぐにその記憶を頭の中から追い出した。



「今度は杏奈の行きたいところに行こうよ」

うさぎカフェからの帰り道、歩きながら夏葉は言った。今日は私が場所を決めたから、次は杏奈の行きたい場所にしよう、そんなことを言っていた。

「夏葉の行きたい場所でいいよ」

投げやりではなく、本心からそう言った。行きたい場所は思いつかなったし、夏葉が楽しそうにしている姿が眩しくて、ずっと一人だった杏奈はそれを見ているだけで十分だったからだ。

「えー、それじゃあ不公平じゃん」

眉を困らせながら抗議する夏葉を見て、杏奈はくすりと笑った。

「じゃあ次はあたしが行きたい飲食店にでもつきあってよ。遊びに行かなくたって、話してるだけでも楽しそうじゃん」

「確かに!ガールズトーク、みたいな?絶対楽しそう」

そうして二人は笑い、駅で別れた。帰りの電車内で携帯をいじりながら、杏奈は荒んでいた自分の心が少しだけ満たされていくのを感じた。

悪くない感覚だな、そんなことを考えた彼女はふと窓の外を見、穏やかな顔をした。

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