銀のアンドロイドは月を欲す

鈴谷凌

第1話「不意の来訪者」

 その日の万屋よろずや事務所に重苦しい空気が流れていたのは、締め切られた窓と仄暗い明かりのせいだけではなかった。

 無機質な調度品と書架で乱雑に彩られた室内。奥に置かれた書机しょづくえの前には、端末を片手に眉を顰める男が一人ぽつんと。やや充血気味である青藍せいらんの瞳を見開き、手入れの行き届いていない黒髪をがりがり掻いていた。


『ミズガルズ宙域速報! 全コロニー内における昨日時点での行方不明者数が二十名に到達。フォルセティ警察の調べでは、先々月から続くこの住民の連続失踪は、同一人物の手による誘拐事件であると考えられ、組織内でも専用のチームが結成される運びに――』


 目にしていた端末をスリープ状態に、男は徐に席を立ち。ゆらゆらとした足取りでカーテンに覆われた窓の方へ。

 昨日は机に突っ伏したまま寝ていたためか気怠い様子。欠伸あくびを噛み殺しながら布を引っ張った。

 特殊ガラス越しに見える人工太陽は既に高く上がっていて。階下に伸びる通りを行く人間だったりアンドロイドや作業用ロボットだったりもすっかり賑やかなよう。


「寝すぎたな。もう始業時間じゃねえか?」


 陽光に手をかざし独り言ちる男。焦りの色はない。彼の仕事である万屋業務は絶賛無期限の休業中であった。

 三十歳も手前のこの男は非常に寝覚めが悪い。妙な体操で身体を動かしながら端のキッチンでいつもの如く珈琲コーヒーを淹れる。画一的でありきたりなインスタント。栽培から抽出まで人の手が介在していないことを思えば味気なさもひとしおだった。


 珈琲の香りと温かな光で寝ぼけた意識は幾らか覚醒。男は再び書机に向かった。端末を操作し、電子化されたニュース誌を漁る。


『相次ぐ失踪者! 他宙域からのスパイの仕業か』

『より高次の権利を主張するアンドロイドの反乱に違いない! アンドロイドの稼働停止を叫ぶ声』

『宇宙資源をことごとく食いつぶす人間への天罰――断罪の時――』


「阿呆か。他二つはまだしも天罰ってなんだよ。地球が滅びた数百年前から価値観止まってんのか?」


 苛立たしげに画面を小突く。

 人間たちの失踪が一連の事件として見られるようになってから、男も一般市民からの依頼を断ってまで捜査に明け暮れてきたが。外に出ようと内にこもろうと、手に入れられる情報はまるで役に立たないものばかり。


「ソルの手を借りるか? いや、あいつに借りなんざつくりたくねぇしな……」


 幼馴染である彼女は、今や男にとって面倒くさい立場の人間となってしまった。気軽に相談もできない。しかし他に代案があるわけでもなく、男は呻くばかりであった。背に腹は代えられないのか。


「ん?」


 物音が、男の沈殿した思考を浮き上がらせる。出入口のドアの方から、こんこんと小刻みに数回。ノック。時代の潮流に逆らい、今なお呼び鈴も電子施錠も無いぼろ屋に住んでいる身としては、馴染み深いものだったが。


「休業中の看板が見えないのかねぇ」


 今どき人々から安価に買われる作業用ロボットですら、その程度の演算は可能な世の中だ。AIを搭載した汎用アンドロイドも、下らない悪戯にリソースを割くことはない。十中八九、無駄な理性と感情に振り回された愚かな人間の仕業だった。鼻を鳴らし、無視を決め込む男。止まないドアの音。


「ああもう、なんだよ!」


 どうせ稼業を休止したことに文句を言いに来た輩だろう。男は威勢よく扉を開けて、逆に文句の一つでも決めてやろうと大きく息を吸った。しかし。


「……はあ?」


 威嚇いかくのためのそれは、困惑と共に吐き出た。来客は、意地の悪い人間でもなければ、出来の悪いロボットでもなかった。


「休業中にごめんなさいっ。それでも、助けていただきたいことがあって……!」


 来客は、麗しい銀髪の少女で。男と同じ青藍の双眸そうぼうを宿して。もはや書籍の中でしか見られないようなゴスロリのドレスを纏っていて。背丈は愛らしいほどに小さくて。

 そして、その細い首には。肌に直接埋め込まれた、淡い燐光を発するチョーカーが。

 来客は、人ではなかった。


「その、今から話を聞いてもらえませんか!?」


 来客は、アンドロイドだった。

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