あの人と私の物語

北渡 九郎

第1話  あの頃の記憶と新社会人

 夕刻に室蘭市内を走る時、遠回りと分かっていても走る道路がある。


「室蘭新道」。室蘭市内の国道36号線のバイパスとして設定されている道路だ。北海道初の無料自動車専用道路。室蘭市輪西町付近では高架を走り、左に住宅街があり、そんなに高くはないがちょっとしたビルがある。


 右に製鉄所を望みこの周辺はちょっとした都会を感じるエリアである。この道路は東京の首都高速と同じ設計で、ここを走り御前水方面へ行くと「昭和」を思わせるような懐かしい風景が続く。この風景を見ると何故か別の土地に住んでいた時にそっと寄り添ってくれていた人を思い出す。


 ある日この道路を走りながら聞いていた曲が当時のあの人の姿にダブってしまい、バブル全盛期の東京へと心は旅をする。あれからどれだけの月日が流れただろうか。今も忘れる事ができない大切な人。


 特に今年は何故かこの頃のことが普段よりも増して胸に押し寄せ、その波は一瞬引いたかと思うと再び次々と押し寄せるのだ。このあまりにも切ない思いにこれを文章に纏める事とした。


 昭和62年3月31日、日本がまだバブルを謳歌していた頃、日本国有鉄道が解体され翌日4月1日にはJRグル-プが発足。民間会社のJR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、JR貨物へと分割されて再スタ-トを切った。


 ちょうどこの日から新社会人となった私は、真新しいス-ツを来てJR東日本の総武線新検見川駅のホ-ムに立っていた。車両は201系通勤型電車。こちらも新しいJRマ-クを着けてレモン色の車両がゆっくりと入線して来たのを鮮明に覚えている。


 この日より特殊法人(現在の独立行政法人)職員としての生活が始まった。あの頃、専門学校に在籍していた私は学校に出されている求人に納得が行かず、全く別のル-トからの仕事を探した。前例のない事業体への就職が決まった事に先生方が凄く喜んでくれた事を覚えている。ただ、勉強をした専門分野とはほぼ無縁の世界に入ってしまう事になった。


 入職後の2カ月間の研修では4人の同期の者とともに社会人の基本、事業の内容と関係法令の理解に全力が注がれ、ひたすら座学で日々を過ごす。若干の変化があるとすれば外部から招聘された講師が取引先の話を聞かせてくれる事、見学研修と称して病院や福祉施設、監督省庁に出向く位であった。


 だから毎日昼食後は眠気と格闘していた記憶がある。しかも研修室は理事室の一角にあった。ここを管理しているのは秘書室であり、入ってから暫く新人はほぼ秘書室に管理されていたようなものだ。しかも秘書を率いる女性は厳格で評判のバリバリのビジネスウーマンだった。かと言って男勝りではなく、黒髪ロングで女性らしさも持っており、いつも笑顔で人と接しているのが印象的であった。


 そして6月1日には配属先発表の日を迎える。今では配属先ガチャなどと呼ばれるがこれは当時も同じであった。学校ではマスコミ広報という科目でルポルタ-ジュ等の文章作成の勉強をしていた私は、学んだ知識を生かしたいと広報関係部署を希望していた。


 学生時代はクラスの中心的な存在で、マスコミライタ-ゼミや撮像研究でも20名のゼミ生を引っ張っていた。文章も写真にも自信を持っており、必ず社会に出ても役に立てると自負もしていた。


 しかし配属された所は経理部資金課。資金の流れを覚えて全体を眺められるようになってから広報をやって欲しいと上層部は言っていたが、同期が広報に配属された事でスタートから気落ちしてしまう事になる。当時はとにかく学歴社会で広報に配属された同期は大卒、私は短大卒扱いで学歴偏向社会の影響はこういう事なのだと妙に納得したのも事実であった。


 更に数字が苦手な私は小学校の算数では居残りの常連、中学や高校の数学はテスト毎に追試を受けるという有様だった。そんな人間が増してや「苦手な数字の部署」に配属されてしまい、緊張して研修の事なんか頭からすっ飛んでしまっている状況なのだ。更に訳の分からない専門用語が追い打ちを掛ける。「財政投融資や繰上償還による資金運用」「予算編成」、「監督部署は大蔵省主計局だから…」って何ですかそれ?という不思議な世界に足を踏み込む事となってしまった。


 日々の業務は「電算部」の馬鹿でかいコンピュ-タ-から出されて来る資料から数字を拾う事から始まる。来る日も来る日も普段馴染みのない膨大な桁の数字、と言っても書類上だけなのであるが、この書類上ながらも膨大な数字を書き間違ったりしたら国や事業体の資金運用益に大きな支障が出る事になる。


 電算化されて出て来た資料をコピ-すれば良いのでは?と思うが、この時代、コピ-機はあったが、公的機関関係の書類は紙と紙の間にカーボン紙を挟んで手書きで複写をしていた。この複写がかなり面倒で提出用と保管用に分かれており、間違えれば全て書き直しとなる。複写して書かれた数字を基に日々積算作業を行う為の重要な書類なのであった。ここで扱っているのは国民が国に納めてくれた税金や郵便貯金として預けられている「国民のお金」なのだ。


 更に予算面において言えば間違った数字を書けばそれが国からこの特殊法人に与えられる数字になってしまう。貰った金額と予算案の数字が合わなければ監督省庁も絡んで大問題になってしまう事から、プレッシャ-を感じて日々を過ごす事になった。


 現在の作業は恐らくパソコンに数字を打ち込んでデータ化していると思うが、当時はパソコンなんて存在しない時代。あったのはせいぜいワープロと呼ばれる現在のワードの祖先の機種で確かシャープの「書院」という名称であったと思う。字を打つ専門の機械で、企画書や監督省庁に提出する書類はワープロによって製作され始めた頃であった。


 よって計算の際には1人1台14桁の電卓が与えられ、左手でキ-を打ち右手にはペンを持って打った数字を記録して行く。しかも慣れてくれば指が勝手に数字を探すようになるから、とにかくブラインドタッチでキ-は絶対に見ないで打てと厳命されていた。


 そこに数字が苦手と来ているものだから日々間違いの連続。加えて膨大な業務量で残業、下手すると泊まり込み、休日出勤をしてまで向き合う事で数字はすっかり私の天敵となってしまった。


 残業して最終近くで帰り、再び朝早く出勤という負のスパイラルの日々。当時は残業して残っていれば「頑張っている」と云われた時代だった。そんなある日、事業体の福利厚生の一環として結構な高級ホテルでの食事会が催された。この日ばかりは定時で上がり、さっさと食事会が終わったら家に帰ろうと考えながらも長々と出されて来るコ-ス料理に嫌気が差してよっぽと浮かない顔で食べていたに違いない。

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