第4話『父の心子知らず』

 蝋燭に照らされた大理石の床を苛立ち紛れに踏み鳴らし、ルーベンスは一直線に王城の一室を目指して進んでいく。


 常に生活の大半を過ごしている王立学院ではあのじゃじゃ馬女のせいで、可愛いマリアンヌを虐めていた婚約者殿を断罪していたのにケチがついてしまった。


 一見大人しそうな顔をしたクリスティーナ嬢も所詮は只の女だったのだろう。


 いや、むしろ大人しさを装っていたのかもしれない。


 静かな者ほど何をするかわかったものではないのだから。

 

 私がマリアンヌに惚れたのは正しく運命だったのだと思っている。


 あんなに心優しい娘は見たことがない。


 日々世継ぎとして、なぜにこんなことも出来ないのかと責められた。


 きちんと出来ればこれくらい出来て当たり前だと罵られる。


 ことあるごとに、第二王子である兄上はもっと優秀です。


 兄上の方が王に向いているのではと嘲笑が聴こえてくるような気がする。


 兄上、兄上、兄上! もうたくさんだ!


 それなら兄上を後継者に指名すればいいだけだろうが。


 そんな荒んでいく苛立ちを真摯に受け止めて、無理をする事はないのだと。


 今のままでもすばらしい王子だと言って笑ってくれた笑顔はまさに天使だった。


 彼女の蕩けるような笑顔を私は護る。


 忌まわしいことに、マリアンヌ嬢に好意を寄せる男は後を絶たなかった。


 当然だな、それだけ素晴らしい女性なのだから。


 運が良かったといえば、皆それぞれ婚約者が居たと言うことだろうか。


 そんななか、マリアンヌ嬢が嫌がらせを受けているとの噂が耳に入ってきた。


 マリアンヌ嬢を問いただせば、私と言葉を交わすようになってからと言うもの目に見えて誹謗中傷が増えていったらしい。


 次第に悪質になってゆく嫌がらせ、血塗れの猫がマリアンヌ嬢の下足入れに入っていた時は戦慄さえ覚えた。


 犯人は直ぐに判明した。


 クリスティーナ・スラープ伯爵令嬢。


 そう、私の婚約者殿だったのだ。


 同日に血塗れの猫を抱えて走る姿が目撃されていたのだ。


 だからマリアンヌ嬢に好意を寄せる軍閥グラスティア侯爵家の次男で一つ年上のレブラン・グラスティアや同じく軍閥で一つ年上のクワトロ侯爵家の長男イザーク・クワトロと協力して場を整え、証拠を元にクリスティーナ嬢を断罪した。


 しかしあろうことか、邪魔をする者が現れた。


 あの忌まわしき婚約者候補だった娘だ。


 リシャーナ・ダスティア公爵令嬢。


 あの女が関わると碌なことがない。


 一々勘に障る。


 そんな女が俺の指導者だと! ふざけるな!


「ルーベンス殿下、お待ちください!」


 止めに入る騎士の制止を無視して進んで行く。


 この城の中を進むのに王子である俺を本気で制止しようとする者などどれだけいるだろうか。


 目的の部屋は城の中枢にあった。


 重厚な扉を開けると、書類の乗せられた大きな机の向こうに目的の人物が居た。


「父上!」


「いまはまだ勤めの時、陛下と呼べ」


「失礼致しました、陛下。 ダスティア公爵令嬢に不敬罪を問わないと仰られたとは本当でございますか?」


 書類から顔すらあげようとしない父に問う。


「あぁ、王立学院での素行を聞き及んでな。 いったい何を考えている?」


 何を? 父上こそ何を考えているのか、あの女の態度は王族に対して許される物ではない。


「……クリスティーナ嬢はどうした」


「クリスティーナ?」


 クリスティーナ嬢がどうしたと言うのだ。 断罪した日に自分を見上げるクリスティーナ嬢の顔が浮かぶ。


 嫉妬に狂い他者を虐げたあの女が一体なんだと言うんだ。


「そうだ、お前の婚約者クリスティーナ嬢だ。 先程学院での騒ぎは既に王宮まで届いている、お前は自分の婚約者に何をした?」


 何をした? 彼女が犯した卑劣な行いを言及しただけだ。


「彼女の罪を言及しただけです」


「罪、一体何をした?」


「学友に誹謗中傷を施し、生き物の遺骸を下足入れに入れるなど、行いの数々が目にあまり断罪致しました。 あのような卑劣な行いをできるものに正妃は相応しくありません」


 そう、正妃に相応しいのはマリアンヌ嬢より他にいない。


「お前はクリスティーナ嬢がマリアンヌ・カルハレス準男爵令嬢を虐げる現場を直に確認したのか」


 直には見ていない、だがマリアンヌが言っていたし、他にも猫を抱えて走るクリスティーナ嬢の姿を見たものはいる。


「確認していません、ですが証人はいます」


「その証人は一体何を見た? 下足入れに生き物を入れている所か?」


「いいえ、血塗れの生き物と思わしき物を運んでいる姿をですが」


「はぁ、そんなもの証拠として不十分だな。 誹謗中傷? それがどうしたと言うのだ」


「なっ、父上!」


「陛下だ。 まずひとつ、お前はクリスティーナ嬢の行いとやらを何一つ自分の目で確認していない」


 これに関しては反論のしょうがない。


「二つ目、マリアンヌ嬢は準男爵令嬢に過ぎない。 クリスティーナ嬢は伯爵令嬢、本来であればクリスティーナ嬢から声をかけない限り、準男爵令嬢から伯爵令嬢への接触は不敬、王立学院内であっても多少は考慮されてしかるべきなのだ」


 父上の言葉に顔を上げると、自分を真っ直ぐに見詰める瞳と視線があう。


「最後に」


「最後に?」


 自分の言葉に首を傾げるルーベンスを嘱目する。


「私はな、クリスティーナ嬢が不憫でならないのだ」


 書類に視線を落として何事もなかったように内容を確認して判を押す。


「彼女をルーベンスの婚約者に据えたのは私だ。 しかし、此度の一件で私はスラープ伯爵にクリスティーナ嬢が望めば此度の婚約を取り下げ、王子妃とまでは行かないが国王の名に於て同等の嫁ぎ先を用意する旨を伝えてある」


 王が嫁ぎ先を支援するなど聞いたことがない。


「長年苦しみながらも切磋琢磨する婚約者を影ながら支えてきたのに、他の女に現を抜かして実際に手をかけたのかすら定かでないにも関わらず、王立学院と言う観衆の好奇の目にさらされながら断罪と言う名の辱しめを受ける」


 嫌だ。 それ以上聞きたくない!


「私はクリスティーナ嬢にこのような状況に陥らせてしまった事を後悔しているのだろうな」


 今にも消え入りそうな声に愕然として父上を陛下の次の言葉をまった。


「リシャーナ嬢の件に関しては取り下げぬ。 かの令嬢より学ぶことは多いだろう、あとはお前次第だ。 下がれ」


「へ、へいーー」


「下がれ」


 言葉を遮られ有無を言わさず執務室から出された。


 父上の言葉を反芻しながらとぼとぼと王立学院へ、リシャーナ嬢が手ぐすねを引いて待ち構えるあの地獄への帰路へとついた。





「はぁ、全く困ったことになった」


 肩を落として退室していくルーベンスを見送り、扉が閉まったのを確認して書類の上にうつ伏せた。


 思えばダスティア公爵令嬢に婚約の打診をしたあの日、第三王子であるルーベンスをダスティア公爵の二女リシャーナ嬢に引き合わせた。


 第一王子が全盲障害を持って産まれたこともあり、 正妃が健康に生まれてきたルーベンスをことのほか甘やかしたのも悪かった。


 第一王子に落胆し、泣きくれる王妃に嫌気が差して、そんな己の不甲斐なさにも腹が立ち、思わず侍女に手を出してしまった。


 元を正せば侍女に手を出して懐妊させた私が悪い。


 第二王子が産まれた事で、只でさえ心の弱かった正妃はその後授かった第三王子に異常なほど傾倒してしまった。


 正妃腹でも、侍女が産んだ第二王子でも変わらずに我が子。 それぞれに差がつかぬよう教育者を据えた。


 ダスティア公爵家は宰相を勤める我が国を支える大貴族。 これ以上の後ろ楯はない。


 こちらから渋るロベルト・ダスティア公爵に申し入れ、彼の愛娘とルーベンスを引き合わせた。


「お初に御目にかかりますルーベンス殿下。 ダスティア公爵が二女、リシャーナ・ダスティアと申します。 以後お見知りおき下さい」


 二女のリシャーナは若冠五歳とは思えないしっかりとした挨拶をして見せた。


 流石はダスティア公爵の娘、しかも自慢の箱入り娘だけの事はある。


 その愛らしい様子に和んだ顔合わせは、ルーベンスの一言で一気に真冬の如く凍りついた。


「父上、こんなちんくしゃが僕の婚約者なのですか?」


 お、お前! 今なんといった!


「出来ればもう少し可愛い令嬢にしてください、こんな蛙みたいな娘引き立て役にすらならないではありませんか。 隣に並びたく無いです」


 音をたてて血の気が引いていくのが分かる。 分かるぞ! 今ロベルトを見てはならんことも。


 その後呆然としたその場を動かしたのもリシャーナ嬢だった。


 愚息の鳩尾に決まった綺麗な蹴り。


双方に非があった為に穏便に処理したが、これ幸いと婚約の話は無くなってしまった。


 あの場でのルーベンスのリシャーナ嬢への暴言や態度は目に余る。


 あのあと直ぐに教育者にはより厳しく指導するように指示したが、準男爵令嬢と出会ったことで全てが瓦解してしまった。


 もともと腹違いの第二王子に対して劣等感をいだいていたのは知っていた。


 勉学も武術も優秀な第二王子と常に比べられる日々。


 鬱屈した感情がマリアンヌ嬢に出会ったことで解放され、すっかり自暴自棄になってしまった。


 また甘言する貴族を排除出来ずに来てしまったのも問題だった。


 耳に心地いい甘言に身を委ねてしまったルーベンスを更生しようとすればするほど、ルーベンスの心は堅く閉じられてしまう。


 国王どころか父親としてすら失格なのではないだろうか。


「私はつくづく王に向いてないな、父親としても駄目だ」


 その結果としてまたリシャーナ嬢に苦労をかける結果になったし、ロベルトにまで嫌味を言われるはめになってしまったが。


「いっそのこと正妃派の貴族どもを粛清して第二王子を担ぎ出した方が簡単だったか?」


あとがき

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