元名門貴族の気弱な嫡子になりました

臨界土偶

第一章 モブの目覚め

第1話 そうだ、俺は。

 視界が暗転する。そう認識した頃には顔面に甘ったるい香りと軽い衝撃がぶつかり、奥底に眠る不快感が目を覚ます。


「貴族社会の面汚しがこんなところに来るなよ」


 俺は顔面にジュースをかけられていた。

 場所はとある伯爵家の屋敷の一角だ。丸いパーティーテーブルが邪魔にならないよう配置されており、豪華な食事が並べられている。

 それらを囲んでいるのも豪華な衣服に身を包んだ老若男女だ。性別も年齢も違うが、全員に共通していえることは貴族であることだろう。


 俺の前にいる少年も貴族だ。

 たしか、名前はメルタ・オゾとかいう。吊り上がった目に鈍色の髪を持っている。赤色の瞳がこちらを嘲るように見ている。

 彼の苗字にもある『オゾ』は伯爵家であり、王国貴族で一番勢いを伸ばしている。

 対して俺のアドマト公爵家は――


「ど、どうかしたのかい」


 おどおどとした態度で、ひとりの男性が声をかけてくる。

 エイソ・アドマト。

 俺ことフェゼ・アドマトの父にあたる人間だ。

 白髪交じりの黒髪に、平均的な四十半ばと比較しても皺の多い顔、弱々しく垂れるヒゲは威厳を損ねている。


「いーえ、どうも俺にぶつかってジュースがかかったみたいなんですよ」


 ニヒルな笑いを浮かべながら、メルタはバカにしたような口調で父に言う。

 父は「そ、そうか……気をつけないとダメじゃないか」と俺とメルタを交互に見ながらたしなめる。

 周囲から失笑が漏れているけど、おそらくこの人は気がついていないのだろう。

 これが俺の――フェゼ・アドマトの環境だ。

 不思議な感覚だった。


(どうして俺はこんなにも俯瞰して物事を捉えているのだろう)


 自分で問いかけながら、すでに答えは得ていた。

 俺は知っている。

 この世界はゲームの世界だ。

 そして俺は前世でプレイしたことがある。

 しかし、どうしたことだろう。あまり思い出せない。

 たしかにメルタという悪役はいたはずだし、パーティー会場にも見知った顔がいる。ほとんどがモブだけど。


(問題はそれだけじゃない)


 うすぼんやりと、この世界はかなりシビアだと記憶している。

 なにより、このままだとマズいと本能が告げている。

 俺は……フェゼ・アドマトは死にゆく運命にある。

 そのイベントは近くないが、遠くもない将来に発生するはずだ。

 しかし、残念なことにこの身体の持ち主もモブである。

 そんな適当なイベントをハッキリと記憶しているわけがない。

 なんならこのゲームのほとんどをスキップした覚えがある。


(なんにせよ、生き残らなければ)


 ただ生きる。

 それはほぼすべての生物に課せられた本能だろう。

 そして次に……帰還する。

 なんとかして俺の元いたあの世界に帰還してやるのだ。

 この世界のジャンルは覚えている。

『鬱ゲー』だ。

 身体も精神も蝕まれる前になんとしても脱出しなければいけない。


「あっ、フェゼ! どこに行く!」


 こんなパーティーなどに参加している場合ではないのだ。

 父の制止と嘲笑を背にしながら、俺は会場を後にした。



――と、そんなことがあったのが一年前のことだった。

 俺の目の前には瀕死の魔物が転がっている。


『……ゥァア……!』


 それはオーガと呼ばれる魔物だ。

 赤緑色の身体に禍々しい両角を生やしている。

 体躯は三メートルほどもあり、頑強な筋肉を持っている。


 脅威度を示すランクではS、A、B、C、D、E、Fまである。Fが最低でSが最高だ。

 Dともなれば多少武装している村でも半壊の恐れがある。

 このオーガは個体であればBもの脅威度を持つ。

 つまり俺は上から三番目の魔物を殺せたことになる。


「生きるのは意外と簡単そうだな」


 言いながら首を横に振る。

 油断や余裕こそ大敵だ。

 俺には『生きる』と『帰る』のふたつの目的があるのだ。

 それらの難易度が高いことくらい、この一年でわかったはずじゃないか。


「なあ、そうだよな」


 問いかけながら、片手で握っていた剣でオーガにトドメを刺す。

 強者に分類されるこの魔物も、弱肉強食の原理に則って、俺の手によって淘汰された。

 鍛えるため、目的を叶えるためなら多少のリスクも止むなしと思っていたが、これくらいならリスクでもなんでもない。

 もう一段階進めるとしよう。

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