昨今の聖女は魔法なんか使わないと言うけれど
睦月はむ
第一章 神薙降臨
第0話:転移
──走っていた。
着慣れないドレスのスカートを両手でグワシと掴み、およそ上品とは言えない歩幅でダッシュしていた。
「こちらですわ!」
「はいっ」
わたしを誘導してくれた二人の女性は、大急ぎで飛び込んだ部屋のドアを閉めると、その細い腕で椅子や机をうんしょうんしょと動かし始める。即席バリケードにしようというのだ。
わたしも手伝った。
「そちらの中に!」
「ははいっ!」
言われたとおり、クローゼットに飛び込んだ。
同時に「ゴッ!」と音がして目から火花が散る。バーに掛かっていた重たい木のハンガーに頭がぶつかったのだ。
い、痛いです……(泣)
ハンガーを二つ外してスペースを確保し、両手に一つずつ握った。あの頼りないバリケードを突破されたら、もうこれを振り回して戦うしかない。
はあぁぁぁ……
なんでこんなことになっているのでしょうか。
狭いクローゼットの中でしゃがみ込んだ。
わたしは今、ぜんぜん知らない場所で、ぜんぜん知らない変態(?)に追われている。
ここがどこなのかも分かっていない。
昨日の晩、間違いなく自分の部屋で寝たのに、目が覚めたら別の場所にいたのだ。しかも富豪が泊まるホテルのような部屋だった。
いくら貯金が趣味だからといって、ただの会社員であるわたしがそんな豪華な部屋に泊まれるわけがない。
丸いシーリングライトしかないはずの天井に、ゴージャスなトリの絵が描いてあり目を疑った。
ちなみに何のトリかは不明。パッと見て分かるトリは、ニワトリ、ハト、それからスズメくらいなのだ。ぎりぎりセキセイインコもいけそうだけれど、隣に他のインコを並べられたら見分けられる自信がない。
大きなベッドだった。
そっと掛け布団を持ち上げてみた。昨晩寝る時に着た豆柴さんのパジャマ。
富豪ルームと庶民パジャマのギャップは非情だ(泣)
ベッド脇には、薄い水色のお姫様のようなドレスを身にまとった女性がいた。
その存在に気づいた瞬間、びくりと体が硬直した。
しかし、心配そうにこちらの様子を窺っている。悪い人ではなさそうだ。
彼女は北欧系の顔立ちで、綺麗なブロンドの髪を結い上げていた。年齢は二十代前半くらいに見える。そして、ぜんぜん知らない人だった。
わたしは反射的に朝の挨拶をして、ここはどこかと尋ねた。
彼女は人差し指を唇に当て、もっと小さな声で話すように合図をしながら、「オートです」と答えた。
オート。
自動……という意味ではない、ですよね……。
嫌な予感がした。
別の質問をしようとしたその瞬間、ドアをノックする音が聞こえた。わたしと彼女は、ほぼ同時にドアのほうへ視線を送った。
彼女の表情から、ドアの向こうにいる人物があまり好ましくない人だと分かった。
彼女がドアに向かって返事をすると、ガチャリと音がして、妙な恰好をした男性が三人部屋に入ってきた。
おおーっと、三人のオジサンが、裾の長いローブを引きずって歩いてきたぁーーっ……
実況中継している場合か。
濃いパープルの地に金の刺繍が施されたゴテゴテのローブは、まるでハロウィンパーティーや漫画に出てくるインチキ魔法使いのようだった。その姿は愉快そのもので、なおかつ彼らが真顔であることから、さらにシュールな印象を与えていた。
わたしは口を真一文字に結んで笑うのを我慢しつつ、この面白い人々を仮に「魔法使い軍団」と呼ぶことにした。
さて、おかしな恰好はさておき、男性が連れ立って女性の寝室にズカズカ入ってくるのは、いかがなものか。
彼らは口々にわたしを「神薙様」と呼んだ。
たぶん彼らは人違いをしている。
なぜなら、わたしの名前は
彼らは誰一人として名乗らず、わたしのことは勝手に違う名前で呼び続けていた。
彼らもまた整った北欧系の顔立ちをしていた。
ただ、床に膝をついて話しかけてくるわりに、時折ニヤリと上がる口角が気持ち悪い。そのいやらしい表情が、美しい顔立ちと酷くミスマッチを起こしている。
失礼ながら、「ゼッタイ悪者だ」と思ってしまった。
彼らはやんわりと、しかし強引に、わたしの意にそぐわない要求をし始めた。
例を挙げると、「お風呂に入れ」だったり、「自分たちが選んだ服を着ろ」といったものだ。
彼らのご指定の服は、透け透けのネグリジェのような服だった。
お、オバカサンなのでしょうか?(汗)
初対面の人に言われるがまま入浴して、スケスケを着る人がどこにいるのだろう。誰でも断るだろうに。
ベッドサイドにいた水色ドレスの女性には仲間が二人いて、どうやらわたしの着替えなどを手伝ってくれる人達のようだ。
彼女たちは「スケスケを着せろ」と言う変態と、「そんな非常識なものは着ない」と言うわたしの間に挟まれてオロオロしていた。
しかし、どう考えても魔法使い軍団の言っていることのほうが数千倍おかしかったので、最終的にはわたしの意に沿う服を選んでくれた。
当然ながら、露出がぜんっぜんないドレスを選んでもらった。
あんな連中の前で一ミリたりとも肌を出してなるものか。
悔い改めなさい、変態さんめっ。
彼らの最終的な要求は、予想通り「男女のまじわり」だった。ぶっ飛ばしてやりたい。しかも、寝室に監禁されそうな雰囲気が漂っていた。
わたしは女子三人に協力してもらい、逃げ出した。
パッと見、退路を断たれているような感じには見えたのだけど、着替えをした支度部屋から出た瞬間、化粧品の瓶をフルスイングで投げつけたのだ。
相手がオタオタ・ワタワタ・イタイイタイと騒いでいる隙に逃げた。
彼らの動きづらそうな服と、時代遅れなほどに重たい化粧品の瓶、そしてわたしの足が速かったことが功を奏した。
ほっほっほ。
なんて華麗な脱出でしょう。
今日から「イリュージョニスト」を名乗っちゃおうかな。
調子に乗って喜んでいたわたしに、女子三人は「隠れましょう」と言った。なんでも魔法使い軍団は十数人で構成されており、同じ建物の中には大勢の「順番待ち」がいると言う。
順番に何をする気だったのでしょうか……。
ちょっと、犯罪集団すぎやしませんか?
そんなこんなで猛ダッシュで逃げたというわけだ。
現在地は、ぜんぜん知らない場所の、ぜんぜん知らない建物の、ぜんぜん知らない誰かの部屋の、クローゼットの中である。
三人いた女性の一人が建物の外へ助けを呼びにいっており、援軍を連れてくるまで、ここで時間を稼ぐという籠城作戦の真っ只中だ。
狭いよ、暗いよ、怖いよー。
わたしの幸せな土曜の朝を返してください(泣)
「必ず助けが来るはずです。しばらくの辛抱ですわ」と、水色ドレスの女子は言った。
ご令嬢ことばが可愛い。
真似したい。
わたしも心の中で言ってみた。
「アテクシは、昨日買ったチョットいいコーヒーを淹れて、優雅な朝ごはんがしたいですワっ」
なんかチガウ……
たぶん、育ちがチガウのだと思う。
彼女の言うとおり、しばらくすると正義の味方がなだれ込んできた。
聞いたところによれば、クマとゴリラの群れらしい(?)
クローゼットに隠れてプルプル震えていたわたしは現場を見ていないけれど、一部始終を見ていた女子が一生懸命その様子を話してくれた。
ただ、彼女の話の中には良く分からない単語がたくさん出てくるので、そういった名詞をクマとゴリラに変換し、ちょちょいとデフォルメを加えると、こういう内容だ。
指揮官のクマが地を割くような雄叫びを上げ、吠え散らかして敵を震えあがらせた。
部下のゴリ軍団が一斉に魔法使い軍団へと襲い掛かり、ちぎっては投げちぎっては投げした。
……本当ですかぁ?(笑)
「神薙様、もう安全ですわ」
「第三騎士団が助けてくださいました」
「クランツ団長様とお会いになられますか?」
わたしの混乱は続いていた。
神薙様ってなんでしょうか?(まずはそこから)
このあたりには、騎士がいるのですか?
第三ということは、第一と第二もあるのですね?
クランツさんという人が団長さんで、件のクマなのですね?
乱れた髪を整えてもらい、お礼を言うためクマさん(※クランツ団長)のもとへと向かった。
道中、縄でギッチギチに縛り上げられた紫色の変態が、次々連れていかれる場面を目撃した。
言い訳をする変態に向かって「黙って歩け!」とゴリさん(※団員)が吠えていた。
クマだのゴリラだのと、かなり大袈裟なデフォルメを加えてイメージしていたのに、現実がそれとあまり大差ないのは気のせいかしら……。
彼らはいわゆる「白馬の騎士」とは毛色の異なる騎士様だ。
女の子のピンチを救うのはイケメン騎士というのがテンプレだけれど、彼らは超パワー系ゴリゴリマッチョの集まりで、全員が総合格闘家のようだった。
前に大きく張り出した胸筋に、有り得ない太さの上腕二頭筋、そのサイズ感、普通じゃない。
ナルホド、これが現実というわけですか……。
本気で強さを求めると、人体はこうなるのだ。
戦うことが仕事の騎士が、少女漫画のヒーローのようにヒョロヒョロ痩せ型なワケがなかった。
まさに、力こそパワーだ(?)
おかげで助かりました。
くま…じゃなく…クランツ団長は、毛先があっちこっちを向いた伸び放題のブラウンヘアとヒゲ、そして若干繋がり気味の眉毛が特大のインパクトをもたらすクマ、もとい人だった。瞳の色は綺麗なブルーだ。
彼は正規の護衛が来るまでの間、自分たちが警護をすると言ってくれた。
第三騎士団の人々は、その見た目からは想像がつかないほど、皆さん優しい方達だった。
できる限り丁寧にお礼を言った。
「お疲れでしょう。茶を淹れさせますから、座ってゆっくりと休んでください」
クマン…もといクランツ団長が、優しい言葉を掛けてくれた。すごくいい声で癒される。
頭部がやけに多毛なせいでクマに似てしまっているけれども、その中身は紳士な騎士様だ。
「サロン」と呼ばれている部屋に入り、暖炉に近いソファーに座ると体の力が抜けた。
豪華絢爛なのは寝室と同じだけれど、なんだか不思議な部屋だ。
やたらと椅子とソファーが沢山あり、それらの近くにお茶やお菓子を置くのに良さそうなテーブルがある。高い高い天井から、大きなシャンデリアがぶら下がり、陽の光を反射してキラキラしていた。壁は寝室と同じ配色で、白と金だった。
娯楽らしきものは本棚とピアノ、それからハープのような楽器のみ。テレビなどの家電は一切置いていなかった。
爽やかなオレンジの香りがする紅茶が出てきたので、助けてくれた女性三人と一緒にティータイムにした。
小さなサンドウィッチとクッキーも出してくれて嬉しい。起きてから何も口に入れていなかったし、走ったせいか喉も乾いていた。
ハムとキュウリに塩コショウという超絶シンプルなサンドウィッチが、このドッと疲れた朝にちょうど良い。
サクサクとしたクッキーは僅かに塩味がして美味しかった。
三人の女性は最初、「神薙様と席を共にはできない」と言って近くに座ることすら固辞した。しかし、色々と教えて頂きたいことがあるので、説得してようやく席についてもらった。
お茶セットが運ばれてくると、彼女たちは口々に「夢みたいです」「こんな日が来るなんて」と言った。嫌がられてはいなかったので、あえてその言葉の真意は確認しなかった。
わたしは自分の名前を名乗り、彼女たちの名前を聞いた。
「神薙の侍女」が職業だという彼女たちは、年の順にフリガ、イルサ、マリンと名乗った。
最年長のフリガは水色ドレスの女子だ。彼女は「侍女長」だとのこと。しかし、三人とも二十代前半に見えるので、そこまで厳密な上下関係はなさそうだった。
侍女が何をする人達なのかも気になるけれど、すべてを聞いていたらキリがない。今は後回しだ。
最初の質問はこれに決まっている。
「神薙様」とは一体何でしょうか。
つい普段の習慣でネット検索をしたくなったけれど、買い換えたばかりのスマートフォンは影も形もなかった。
確か「巫女さんの仲間」だった気はするけれども、それを確認する手立てがない。
「神に遣わされた方のことですわ」
「一時代に一人、大陸に一人しか現れない、高貴な方なのです」
「まさかこんなに穏やかな方で、一緒にお茶ができるなんて」
ほう……っ、と彼女たちはうっとり顔だ。
いくつか質問を追加したものの要領を得なかったので、諦めて別の人に聞くことにした。
くまん…じゃなかった、クランツ団長はどうだろう。
わたしはカップを置いて立ち上がり、彼のもとへと歩いていった。
「すみません。ちょっとお伺いしたいのですが……」
声を掛けると、彼はビッと背を伸ばした。
そのせいで余計にお顔が遥か上へと遠ざかる。三十センチ近く身長差がありそうだ。
高い、遠い……くま……どうしよう、くまのぬいぐるみに見えて仕方がない。
「どうされましたか?」と、彼は言った。
「神薙というのは何のことでしょうか。それと、わたしがなぜここにいるのか、お分かりになる方はいらっしゃいますか?」
僅かに彼の顔が引きつった。
そして、「なる、ほど……」という、微妙な反応が返ってきた。
「つまり、まだ誰からも何も聞いていらっしゃらないと……。そういうことですね?」
わたしは「ハイ」と、素直に答えた。
彼は「承知しました」と言うと、早速部下に指示を出し始めた。
彼に聞いたのは正解だった。
わたしが監禁されそうになった件も含め、関係各所と連絡を取り合ってくれていたらしい。
乗り掛かった舟だと言って「諸般の事情に詳しい方」とも連絡を取ってくれることになった。そして、早々にその人物と会う段取りを付けてくれたのだった。
わたしはお茶を頂いて少しゆっくりした後、侍女さんたちに手伝ってもらって外出用のドレス(?)というのに着替えた。
口には出さなかったけれど、出てくる服がことごとくお姫様のようなドレスで、ワケが分からない。
その前まで着ていたドレスと新たに出てきた「よそゆきドレス」との違いも分からなかった。
少し、生地が固い……? いや、同じですねぇ……。
違いを探そうと頑張ってみたけれど、ちょっと無理そうだ。深く考えるのはやめた。
いずれにせよ、「本日の主役」と書いてあるパーティーグッズのたすきがピッタンコ。
「魔法使い軍団」だなんて、自分を棚に上げて何を言っていたのだろう。わたしもハロウィンパーティーから飛び出してきた人のようだった。
明るい色は避けて、ブルーグレーのドレスにしてもらい、オススメされたでっかい宝石のアクセサリー類は丁重にお断りした。
なぜこんなコスプレをして、こんな豪華絢爛な場所をしずしずと歩いているのだろう……。
「本来なら神薙様の警護は第一騎士団の任務なのですが、今日は責任者が別の任務で終日不在です。不慣れではありますが、我々がお供をさせて頂きます」
「ハ、ハイ、よろしくお願い致します……」
「外に車を待たせてあります」
「ハイッ」
くまんつ団長のエスコートで建物の外へ出ると、『馬車』が待っていた。
いやいやいや、そうですか。
車って、馬車なのですねぇ~……。
リアルにお馬さんが引っ張るやつである。
鹿毛と栗毛の馬が二頭ずつスタンバっていた。
大きい。
競馬場でもここまで接近して見たことはない。
ツヤツヤの毛並み。
つぶらな瞳。
まつげが長い。
可愛い♪
棒立ちしてお馬さんを見ていると、くまんつ団長が心配そうな顔で覗き込んできた。慌てて「スミマセン」と言うと、彼はニコリと笑顔を見せた。
裾の広がった長いスカートを片手で持ち上げ、彼の大きな手を支えに階段をよいしょよいしょと上って馬車に乗り込んだ。
ブフォッ、ブフォッ、ブルルルルッ……!
文字にしたら旧式の車のエンジン音にも見えるけれど、ここで聞こえているのは『馬の息づかい』だ。
四頭引き、四馬力。
自動車は確か、二百馬力とか三百馬力とかだった気がする。比べてはいけない。
地球環境への配慮で馬車を使っているのだろうか。
後部から出るものが『排気ガス』か『排泄ブツ』かで、環境への影響はかなり違うはず。
乗り込む際に容赦なく降り注ぐバフンを見てしまったせいか、同時多発的に色々なことが起きているせいか少し頭が痛い。
これは、自動車のない時代にタイムスリップでもしているのか、それとも……。
わたしの不安をよそに、カッポンカッポンと小気味良い音を立てながら、馬車はゆったりと進む。
窓の向こうには、ぜんぜん知らない街並みが見えていた。
もしかして、異世界とかにいます??
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。