初恋も散れば流星群

燈外町 猶

第1話・追想(前編)

 タイムスリップができるならいつに戻りたい? そんな質問は暇つぶしにもならない。私は今に十分満足している。どこにでもあるFラン大学で単位を取得したりしなかったりしながら――

「なぁにを物憂げな顔してるのかなぁ? 浮気?」

「これがデフォルトなんですけど? 失礼だねぇ」

 ――こうして、恋人からのダル絡みをいなす素晴らしい日常がある。時を巻き戻して――過去をやり直して――改変したい現実なんてない。そう、断言できる。

「これ……結婚式の招待状? 綺麗だね……。いやいやいや、ダメじゃん、結婚式の招待状届いて物憂げな表情しちゃったら浮気じゃん!」

 紙と呼ぶには装飾過多な案内状を手に取りながら、仁美ひとみは表情をコロコロ変えて言う。その速度、変面なみ。長座体前屈では記録的な硬さを叩き出したというのに、表情筋はアメリカ人並みに柔らかい。

「そういうんじゃないよ」

「嘘つけぇい! 美皓みしろが今考えていることはズバリ、いかにして新婦を格好良く協会から連れ去るか!」

 ボイラーのように鼻息を荒くしながら仁美は続けた。たぶん、少し長くなる。

「誓いのキスの寸前で『ちょっと待った』と現れて、新婦をお姫様抱っこで掻っ攫うと式場を出て表に停めていたバイクに跨る。おずおずと腰に回された新婦の左小指には、嵌められたばかりの指輪がキラリ。美皓はそれを強引に、まるで雑草かのように引っこ抜いて投げ捨てると、爆音のエンジンを吹かして走り出した。誰にも祝福されないハネムーン。行き先は誰も知らない。自分自身でさえも――」

「満足?」

「うーん、終わり方もうちょっと練りたいかも。ラストを視聴者に委ねる手法はズルいと思うんだよね」

「まぁそもそも、早い段階で頓挫してるんだけどね。二人もお姫様抱っこすんの無理だし」

「へ?」

「ほれ」

 私の言葉で妄想シアターから脱出した仁美は、新婦と、もう一人のの名を視認し「あらあらまぁまぁ」と大げさにリアクションをする。

「二人とも、私が高校生の頃コンビニでバイトしてたときの先輩なの」

「あら~もう~ステキ~!」

 日本ではまだまだ、新婦二人が挙げる結婚式は珍しい部類に入るだろう。つい最近、冗談交じりとはいえどんな式にしようか、なんて話していたから、仁美はすっかり上機嫌になった。と、思いきや。

「……先輩後輩の間柄だったんだよね? それ以上でも以下でもないよね?」

 変面はまだ続いているらしい。視線を刺身包丁みたいに鋭くして問う。

「そうだよ。仮に私がそれ以外の関係になりたかったとしても、二人の間にはもう、割り込めない程の関係性が完成されてた」

 言い切ってから。私らしくないなと思った。無意識に言葉へ含みを持たせてしまった。

 仁美は普段飄々としておちゃらけているくせに、人の機微には人一倍敏感だ。こんな言い方をすれば、きっと穿った受け取り方をしてしまう。

「……そっか」

 想像通り、彼女は声音をうんと優しくして。案内状をローテーブルに置き私を抱きしめる。スウェットと下着に隔てられても、彼女の体は温かく柔らかく、その熱が、感触が、容易く涙腺を緩ませた。

「おめでとうって、言いにいける?」

「……行くよ。一緒に来てくれる?」

「もちろん。ついでに私達も負けてませんよーってアピっちゃお?」

「嫌な来賓」

 思わず軽い笑いが零れて、彼女という存在のありがたさや、今という幸せを噛み締める。

 そうだ。

 タイムスリップができるならいつに戻りたい? そんなのは、やっぱり愚問だ。

 ――それでも。

 なぜだろうか。あの流星群は、なぜこんなにも胸を焦がすのだろう。

 彼女たちの結婚を告げる案内状があの頃の感情や情景を思い起こさせる。

 タイムスリップなんかしなくても、残酷なほど繊密で——眩しいくらいに、暖かい。

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