38 わるいまほう

「騎士が居るなら……魔法使いも居てほしい」

 シェファーが呟くように言った。

「わぁ……ファンタジー」

 僕はつい感想を口にしてしまった。

「違うんだ、レイン」

 何が違うの? 僕は好きだよ。そう言おうと思ったら、シェファーは向こう行っちゃった。





 スワスティカ。

 早朝の公園、銀杏イチョウ並木の下。マスク、ゴム手袋、軍手、トング。装備は完璧。僕たちの他にも、銀杏ぎんなん拾いのお仲間が居る。


「おにいさん、この銀杏で何つくるの?」

 シェファーはヒルコのこと、結局『おにいさん』呼びしている。

「封筒銀杏とおこわにしようかな」

 ヒルコはレストランで給仕をしているが、厨房の臨時皿洗いを手伝ううちに、調理の手伝いにも時々呼ばれ、厨房に出入りするようになっていたのだ。

「茶碗蒸し……又食べたい」

 美味しかったから。いつもは、王様と僕の二人きりの食卓は、静かで……皆で食べると、特別美味しく感じるのかな? ヒルコが笑顔。

「美味しいよね、茶碗蒸し」

「うん!」

 王様とも、あんな感じの楽しい食事をしたいな……僕はできていないのかな?? ……わかんないや。

「私といっしょに、茶碗蒸しつくる? レイン」

「いいの?」

「シェファーもいいよね?」

 いつの間にか、ヒルコの後ろにシェファーが居た。ヒルコの腰にしがみついて、仲間外れは許さないんだからと言わんばかりに頷く。









 王宮、厨房。

 朝食と昼食の、ほんの束の間、空いた厨房を使わせてもらった。


 三人で調理するのは、楽しかった。ヒルコとシェファーと僕と、王様が居れば良かったのに……仕事で外出して居なかった。


 同じものをいっしょに食べたいだけなのに、叶わないね。王様とさ。オニキスとは、もっとずっと、そう……か。


 もしかしたら、王様とオニキスが似ているから、僕はそう思うのかも。さみしいから、王様をオニキスの代わりみたいに見ている…………僕、ひどいことしてる。


 …………オニキス、僕わかったよ。誰も誰かのものにはならない。いつだったか、オニキスに『僕だけのオニキスでいてほしい』って言ったら、溜め息つかれたことがあった。今頃ちゃんとわかったよ。









 シェファーの家、夕食。

 昼間はあんなに楽しかった時間が、一変して息の詰まるものに変わっている。


 シェファーは黙々と、おかず、ご飯、口の中へ、おかず、ご飯、口の中へ、同じルートを只々繰り返していた。

 あじの塩焼きを、シェファーは中骨を外して、もう半面の身も食べ尽くす。最後の一口に合わせて、残りのご飯を口の中へ。味噌汁を啜って、小茄子の漬物を食べて、遂に一言も発せず食べ終わってしまった。


「ごちそうさま」

 席を立った。

「シェファー、桃食べる?」

 桃は好きだ。お母さんは知っている。お父さんの席に座っている男も、知っているかもしれない。

「要らない」





 シェファーが自分の部屋へ行くことができたのは、それから大分後だった。





 何が『ちょっとそこ座りなさい』だ。ふざけやがって。風呂入って、宿題したら、もう寝る時間じゃないか。まぁ、寝やしないけどね! 土曜だし。


 シェファーはベランダで夜風にあたっていた。


 週末の、ウキウキした何かとてつもなく楽しみな感じが消えてしまったのは、いつからだろう? 家族でもない見知らぬ男が家に入り込むようになってからだ!


 シェファーは滔々とうとう垂訓すいくんしてくる怪物に、身も心もかじられていた。


 お母さんはどうして……………………。お母さんは、もう半分くらいは、僕のお母さんじゃなくなってしまったのかもしれない。時々、何を考えているのか、本当にわからない。

 違うな。僕がわかりたくなくて、答えに辿り着かないでいるのかも。


 シェファーはベランダの手すりの縦パイプの間に脚を通して腰掛ける。檻の中みたい。鉄格子越しに手足をのばしてるの。


 土曜日って、どうして楽しかったんだっけ…………


 シェファーはそんなこともわからなくなっていた。





 ブラブラしていたら、ベランダ履きのサンダルがシェファーの足から脱げて、落ちてしまった。シェファーは慌てて手すりから脚を抜いて、下を見たけど真っ暗で、どこに落ちたかわからない。


 Tシャツにハーフパンツ。ちょっと下に降りるだけだから。シェファーは学校に履いていくローファーで階段を降りて行った。

 ベランダ下に拡がる芝生。シェファーはローファーを脱ぎ捨てて、素足で芝生に立ち入った。サンダルは直ぐに見つかった。





 王宮、レインの部屋。

 レインはベッドに倒れ込んで、そのまま眠っていた。





 土曜日。今日は一日ずっと楽しくて、夕食には帰ってきた王様にずっと今日の話をしていた。


「僕、喋り過ぎ? ……やめてほしい?」

 レインは王宮の静かな食堂の末席から、遠く離れた席の王様にずっと話しかけていた。

「楽しかったのでしょう? 続けて」

 王様はにこにこして、レインの話を聴きながら食事をしている。

「うん。僕は本当に今日、とっても楽しかったんだ……」

 夕方、二人とさよならするのが寂しくなるくらい。

「レインが何考えてるか、私にはわかるよ」

「えっ…………本当に?」

 王様はレインに手招きして呼び寄せる。レインは仔犬のように王様のもとへ駆け寄って縋りつく。

「二人も王宮に居ればいいのにな」

 王様は小さな小さな声で、レインに囁いた。

「……どうして? 僕、今、そう考えてたの。ねぇ、どうして?」

 レインはオニキスにするように王様に纏わりついていた。

「僕の心が読めるの?」

「ほんの少しだけ」

 王様は僕の髪に触れて、頭をなでている。オニキスみたい。

「レインもいつかできるようになるよ」

 王様はそう言ったけど…………本当? 僕は今直ぐできるようになりたいよ。









 夜のスワスティカ。

 拾ったサンダルは階下のポストにしまって、僕は駆けている。


 ローファーは走りづらいけど、なんだかドキドキして、自然に速足になって…………どこへ行こう?





 遠くへ行きたいんだ。少しだけでいいから。


 息苦しい家から離れて。普通の家の子どもが並ぶ教室のことは忘れて。





 シェファーが知っている『遠く』へ来た。背の高い鉄柵がどこまでも続く。王宮。





 来たからって、別にどうもできないんだよな……


 シェファーは昼間来た車寄せを通り過ぎて、歩き続け、正面とは別の通用門付近に差し掛かった。その時ちょうど、中から数人出てきて、シェファーは通行人の振りをしようとする。


「ねぇ、あなた。昼に厨房へ来た子?」

 声をかけられた。

「あ……はい」

 白衣を着ていないから直ぐにはわからなかったけど、厨房の人だった。

 その女の人は他のいっしょに出てきた人の中から一人だけ、僕のことがわかったみたい。

「こんな時間にどうしたの?」

 全くだ。夜の九時過ぎ……いや十時過ぎてるかもしれない。

「えぇと、あのぅ」

 女の人は、髪に白いものが混じっている。

「あのね、今日、友だちとここへ来て……とっても楽しかった。それで……今日は、土曜だし」

 僕は何を言っているんだろう?? 女の人は責め立てるでもなく、しゃがんで、優しそうな目で見ている。

「茶碗蒸し、上手にできていたわね」

「そう! 僕、友だちといっしょにつくって、今日は一日、本当に楽しかったの」

「王様もきっと美味しいって思ったわ。ねぇ、少しだけ寄っていかない?」

 注意されるかと思っていたのに、お呼ばれされてしまった……





 昼間来た厨房……じゃなくて、前に通された応接室……僕はレインみたいにマシュマロソファーに埋もれていた。女の人はお茶を淹れてくるから待っていてねと行ってしまった。





 独りで王宮に居るなんて……夢みたい。

 こんなの、レインと友だちになってから。レインと騎士になるって…………王様と会ってからだ。水曜の理科室に王様が来て、それからだ。こんな普通じゃないことが、続けて起きているのは…………


 ドアが開いた。女の人は素敵なティーセットで紅茶を持ってきてくれた。僕は、とても良い香りがしているから、ミルクも砂糖も入れないで紅茶をいただいた。


 女の人と話していたら、又ドアが開いた。王様だ。…………あ、どうしよう……さすがにこれは怒られる。こんな夜遅くに、何してるんだって……


「やぁ、シェファー」

 えぇ…………なんか普通。

「こんばんは、王様」

 女の人と入れ替わりで、今度は王様が僕の隣に座る。待って、行かないで。僕を王様と二人にしないで。(絶対これから何らかのお説教が始まる!)


「シェファー」

 ほら、来た!

「茶碗蒸し、美味しくいただきましたよ」

 …………あれ??

「レインは、もう眠ってしまったかもしれませんね」

「王様……僕のこと、怒らないんですか?」

「遅い時間に出歩いて?」

「……はい」

「反省できる人に、追い打ちはしませんよ」

「……ごめんなさい」

「帰ったらご両親にも言える?」

 ご両親……

「お母さんに……言える」

 お母さんには、言える。あの男には……どうかな? ちょっと……いやだな。

「シェファー?」

 想像しただけで、屈辱的な敗北感。

「僕、……五階のベランダからサンダル落としちゃって、拾いに外出ただけなんだけど……なんか、今日楽しかったの思い出して……」


 項垂れたシェファーには見えなかったが、王様は笑っていた。

「騎士班(仮)の、初めての活動は楽しかった?」

 シェファーは頷く。

「レインを起こしに行く?」

「行きません。僕、もう帰ります」


 嘘。家には帰りたいけど、帰りたい家はない。なくなってしまった。


「シェファー、家の電話番号を教えてくれる?」

「はい」

 王様は、夜遅くに出歩く不良息子の為にフォローの電話を入れてくれるらしい。





 僕は又ソファーに埋もれていた。

 又あのドアが開いたら、帰らないといけない。王様に挨拶をして、帰らないと……


 ドアが開いた。王様は言った。

「シェファー、客室と私の部屋、どちらに泊まりたい?」

 え?

「お母さんに、今夜は友だちのレインのところへ泊まると言っておきましたよ」

 …………?!

「僕、泊まっていいんですか? ここに?」

 てっきり僕は……王様が家に電話したのは、不良息子がこれからちゃんと帰るから心配しないで、とか、そういう……

「王宮の客室は広くて綺麗ですよ」

 客室? 広くて綺麗? 僕は王様と長い廊下を歩きながら、思考が追い付かない。

 静まり返った王宮は、少し怖い。僕はいつの間にか、王様の腕に掴まって歩いていた。

「私の部屋へ行きますか? シェファー」





 中庭と回廊を抜けて、王様の居室へ来た。朝になったら、玄関にローファーがあるの、誰か気が付く、かな……


「もう寝ましょうか」

 続き部屋の向こうに王様のベッドがみえる。真っ白で大きくて、王様といっしょじゃなかったら飛び込んでるところ。

「君一人で使っていいですよ」


 王様はシェファーに寝台を譲って、自分は客室で寝ようかと振り向く。シェファーは王様の袖口を掴んだ。


「王様。………………その、どこ、行くんですか?」

「私も、居ていいのですか?」

「王様の部屋でしょう? 居てください」

 王様はシェファーを見て、言う。

「『僕と居てください』と、言ってほしいですね」

「あ……えぇと。僕と……居てください。お願いします」





 ねぇ、いったい僕は……どうしてこんなところに居るの??


 王様のベッドの上。じゃなくて…………ベッドに腰掛けた王様の、膝の上に居る。さっきまで、部屋の椅子に座って王様と話していたのに。


「君が、行かないでくださいって、離してくれないから」

 僕は又、王様が僕を置いて、部屋を出て行ってしまうのかと思って……でも、あれ?

「話してるうちに眠ってしまったのですよ」

 王様は、会話の途中で寝落ちした僕をベッドに寝かせてくれようとしたんだ。でも僕は、又王様が出て行っちゃうと思い込んで、王様を離さなかったんだ。

 なんだか幼稚で恥ずかしい。

「王様……ごめんなさい」

「君の話を聴いていたくて、夜更かしさせてしまいました」

 王様は僕を膝から降ろして……くれない。僕を抱きしめて、それから離してくれた。

「王様?」

「シェファー。もし私が、君と同じ年だったら……私と友だちに、なってくれますか?」

 僕は、吃驚した。

「…………同じ年じゃないと、駄目ですか? 王様」

 僕は全然……今の、年上の、大人の王様と友だちになって、みたい。そう思った。そんなことができるなら。


「では、秘密の友だちに」

 王様は僕に囁いた。


「秘密の友だちに」

 僕はちゃんと応えた。









 朝は暴力的だ。

 僕は仲良くできない。


「あれ? シェファー? シェファーが居る!」

 レインが、王様と僕が二人で居るのを見つけて驚いてる。

「おはよう、シェファー。どうして??」

「私の部屋に泊めたのですよ」

 王様がレインに言ってしまう。それは秘密じゃないんだ。

「えぇ〜〜……なんで起こしてくれないんですかぁ」

「レイン、眠ってると思ったから」

「シェファーが来てくれたら絶っっ対起きるもん」

「レイン。私は一度シェファーを家まで送って、ご挨拶してくるから」

 王様に送迎してもらうなんて、畏れ多い。朝だし、僕は独りで帰れる。





 王様はいつもの青い服じゃなくて、学校へ来た時みたいな普通の格好をしている。車も王様が運転して、僕に訊いてくる。

「君の友だちの親御さんに見える?」

 見えるかもしれないけど……

「王様は、子どもがいる親には見えないです」

 王様は……ヒルコと同じ。もうちょこっと上。おじさんじゃなくて、『おにいさん』て感じ。

「不審者や変質者に見えなければいいよ」

「王様が不審者だったら……僕、騙されて、着いて行っちゃうな」


 赤信号で王様は、僕に目を合わせて言う。

「気を付けてくださいね、シェファー。悪い魔法使いが、甘い言葉で話しかけてくるのですよ?」

 悪い魔法使い? 魔法使いなんて、ほんとは居ないでしょう?

「世界の半分をあげるから」

「シェファ〜?」

「誰にも秘密の友だちになってよ……とか?」

 僕は甘い言葉なんて言えない。魔法も使えない。

「……シェファー、友だちはクーリングオフできると思う?」

「意地悪言う子はきらい」

 王様は笑ってる。


 でも僕は……僕に甘い言葉をかけてくれるなら、きっと耳を傾けてしまうだろうな…………


 それが悪い魔法でも。

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