世界の外側

連休

1 世界の外側

「僕は、世界の外側に住んでいます」


「街から離れて、村より遠くて、人が少ないところです」


「次の誕生日がきたら、お父さんが僕に馬をかってくれると言いました。馬に乗れるようになったら、どこへ行くのも早くなると思います。楽しみです」


 終わりです、と言って少年は着席した。まばらな拍手。馬に反応したクラスメイトたちがヒソヒソ話してる。


「ありがとう、レイン。誕生日が待ち遠しいわね」


 先生は笑顔で言った。ちょっと恥ずかしかったけど、作文読めた。


 国語の授業で、今日はおしまい。さぁうちへ帰ろう。

 発表がうまくできた日は、なんだかくすぐったい。帰ったらお母さんに話そう。


 街中を歩きながら、時々スキップしたり、ふわふわ気分。郊外の住宅地にあるバス停へ着くと、ちょうどバスが来た。少年は、今日って良い日じゃない? と思い始めていた。雨降りの午後でもね。





 同じ頃、世界の外側ではあまり楽しくないことが起きていた。


 郊外より先、農村部より更に外周の指定キャンプ地では、ここ数年、一世帯が居留しているのみである。

 過疎化の進行は緩やかに減速したものの、少子化の回復は未だ横這い傾向だ。

 炭洲すみすレインは、指定キャンプ地に居留する家族の子供で、兄弟姉妹はいない。両親のそれぞれの親は他界。この国の最も外側に暮らしている核家族だ。


 指定キャンプ地にはモーテルもあり、居留民はテントと併用したり、帰化申請して農村部に居を構えるものもいる。


 天気予報は、午後から高確率の雨と強風を告げていた。正午過ぎからかげり、外周の田園風景に人気ひとけはなく、雨と風の音だけが響き渡っている。


 炭洲すみすクロエは、モーテルの一室を子供部屋に使っていた。核家族化してからずっと帰化を考えている。三人では家畜の維持どころか、遊牧民という生活スタイルが無理なのだ。


「どなた……ですか?」


 リビングにあたるドーム型のテントへ戻ると、中に知らない男が居た。


「出てください。ここは私たちの家です」


 夫は仕事、子供は学校。昼間私は独りになる。防犯上も今の生活には無理がある。


「あんたは日本人、なのか?」


 男が口を開いた。日本人。久しぶりに聞く言葉。夫が、話してくれたことがある。今はあまり言わないけど、僕らが居るこの国は昔海に囲まれた島国で、日本という名前だったんだよと。


「違います」


 男が睨みつけてくる。怖い。


「日本語を話してるじゃないか。髪も黒い。日本人の血が入っているのか?」

「祖父母がアーバンの学校を出ているから日本語を習って」

「アーバンなんて言うな!! ここは日本だ!!!!」


 激昂げっこうしたように、男の口調は豹変した。なんなの? 怖い。日本なんて、今では誰も言わないわ。インテグレイティアよ。都市部にもアーバンではない昔の名前があったようだけど、私は知らない。この人は何らかの過激派とか、そういったものなのだろうか……。


「金を出せ。財布だ。家に置いてある現金も」


 強盗…………今までのやりとりは何だったの……男は強い言葉を使っているだけだが、何か刃物を隠し持っているかもしれない。


「鞄がそこに、財布は中よ。現金は、チェストのいちばん下の引出しに……」


 男はぐさま鞄を掴み、手を突っ込んで財布から数枚のさつ全てを抜き取った。チェストに向かうと、目当ての引出しを勢いよく引き抜いて、中身をあさって現金の入った封筒を見つけ出した。


「出て行ってください」


 男は応えない。テントの出入口は一つだけ。壁には木組みが入っていて、見た目より強固な造りをしている。破損は見当たらない。……さっきのやりとりは何だったのだろう。


「お金はそれで全部よ。出て行って」

「うるさい!!」


「家から出て行って!!」

「おまえこそ、日本から出て行け。おまえらが先に押し寄せて、おまえらが先に奪ったんだ」


「何を、言って……いるの??」


「俺にこんな真似させる羽目になったのは、どうしてだ??」


「知らないわ……わからない。あなた、何を言ってるの?」


 男のこめかみに血管が浮かび上がっている。興奮は男の言葉を詰まらせ、男は突然外へ飛び出して行った。乗りつけてきた車のトランクから斧を取り出すと、戻って来た。何かが強く男の胸にある。覚悟か、決意か、諦めか。


 クロエはそのまま男が出て行ったものと思ったのに、テントの出入口に男が立っている。外は雨が煩い。


 男は何か言った。雨が煩くて、クロエには聞こえなかった。





 大雨と強風は次第に嵐の様相を呈し、仕事を早めに切り上げた炭洲知波すみすちはは帰途についていた。馬は、雨で路面のコンディションが悪かろうが構わず走る。全天候型移動手段としてはまあまあだ。

 家にはクロエが独り。心配。一旦帰宅してから息子レインを迎えに行こう。


「クロエ」


 悪天候の時はモーテルの方に居る……はずだが居ないようだ。テントの方か……びしょ濡れなので風呂に入りたい。クロエの顔を見て、レインを迎えに行って、それからだ。


「クロエ?」


 テントの中は、異様な感じがした。暗くて、返事もなくて、床が濡れていて。知波ちはは突然、後頭部に衝撃を感じた。痛みを認識する間もなく倒れ込み、何かが覆い被さってきた。見知らぬ者が、両手で首を絞めてくる。頸動脈……圧迫されて脳が……酸欠状態に……男の手を引き剥がそうともがいても、力及ばず、意識が遠退いていく。


 …………数秒? 数分? 薄目しか開かない視界は濁っていた。

 突如、首に恐ろしい衝撃。それは次第に脈打つ痛みへと変わり、喉には温かい何かがあふれた。息を吸い込むことも吐き出すこともできず、視界は、今日の空のようにかげっていった。





「ぎょ〜ざ、に〜く、オムライス〜♪」

 暗い空と、生温なまぬるい風と、降り続ける雨の帰り道。レインは水たまりをよけながら歩いていた。

「ゆでた〜ま乗〜せ〜てカレ〜ライス〜♫」

 レインの他に誰もいないので、口ずさみながら歩く。

「唐揚〜げ、コ〜ロッケ、ハンバ〜グ〜♬」

 家が見えてきた。

「今日〜の夕飯な〜にかな〜♪」









 インテグレイティアの外側には荒野と砂漠が広がっている。海岸線で形造られていた美しい国は今はなく、曖昧でいびつな都市国家へ変わり果てていた。

 後退した海と隆起した海溝は、世界の外観デザインを大きく変えた。


 都市部アーバンから遠く離れても、人は居る。発電所や変電所、製鉄工場に物流鉄道、……人口減少と国土拡張により、工業地帯は分散した。海に囲まれて制限されていたアウトラインがなくなり、新たな採掘資源への着手も始まった。在り方が、根幹から変貌するブレイクスルーが起こったのだ。


 海は遠く、極点へ向かって緩やかに後退していった。海外には水没した国もある。海岸線一帯は、観光地になるでもなく、この世とあの世の境であるかのようになった。


 その最果ての海にヒプノス島はあった。インテグレイティアから見て、『世界の外側』とはこの孤島である。


 ヒプノス島には監獄があって、島そのものが檻となり、容易には出られない。刑吏けいりの住まう島でもあり、出入りするのは彼らと罪人だけである。








 インテグレイティアへ向かう隊列から離れて、刑吏のオニキスはアーバン外縁部を外乗がいじょうしていた。刑吏は物流鉄道を使わない。途中オアシスを経由する別ルートを行く。罪人を連れて戻るので、物流からは距離を置いているのだ。


 田園風景には防風林や墓所が点在し、指定キャンプ地はいちばん外側にある。

 最も外側のヒプノス島から来ておいて『外側』とは何なのか、オニキスはお盆に帰ってくる御霊みたまのような心持ちになっていた。


 外套がいとうのフードを脱ぐと日没間際。ようやく小雨降り。キャンプ地へ立ち寄って挨拶でもしたら、アーバンへ急ごう。手続きは今日中なら五時までだ。

 

 モーテルと幾つかのテント。居住や倉庫、単一世帯でもテントは複数ある。静まり返っていて人気ひとけがない。居留民が無人の留守にすることは、ほぼない。


「誰か居ますか?」


 テントの出入口が開いてる。馬を降りて中へ入る。

 誰も居ないが、小さな息遣い? 気配にも似たそれは、オニキスの耳に届いた。

 中へ入っていくと、屋内なのに水たまりが……違う。違う。これはなんだ……人が倒れている。二人。首筋に触れると濡れた感触。

 オニキスは異常さに立ち上がったが、屋内には三人目の気配がある。


「勝手に入って申し訳ない。誰か居るなら……」


 言いかけたところで音がした。見回すと、テントの奥から音がする。不自然な絨毯をゆっくり捲ると少年がうつ伏せに隠れていた。手で床を叩く音。


「ねぇ、君。どこか怪我とかしてる?」


 少年は首を振った。


「私はここへ馬で立ち寄ったんだ。これから警察へ行く。君を、いっしょに連れて行ってもいいかな?」


 少年は頷いた。


「起きられる?」


 オニキスは、両手をついて立ち上がろうとする少年に手を貸した。少年の手は震えていて、力が入らないようだ。無理もない。


「私の名前は、オニキス。君の名前は?」


 私はゆっくり言った。少年に少しでも落ち着いてほしい。

 こちらを見ている。口を開くが、言葉が出てこないようだ。


「言ってみて。声が出なくてもいいから」

「…………」


 音声が飛んでしまったように、少年は多分名前を口にした。普通なら、何も聴こえない。でも私には届いた。


「レイン」

「!」


「(心が読めるの?)」


 レインは喋った。声は音が抜けて息遣いのようだったが、オニキスはちゃんと聴いていた。


「そんな超能力持ってないよ。耳が少しいいだけ」

「(すごい!)」


「声が出ないのはいつから? レイン」


 少年は、今度こそ黙ってしまった。視線が外れる。フラフラ彷徨って、思い返しているような……





 いつから? …………いつから? オニキスの問いかけが反芻される。


 学校から帰って来て、部屋に鞄を置いて、テントの方にお母さんが居ると思って……


「ただいまー! ……お母さん?」


 中へ入って、息を呑んだ。お母さんと、お父さんも倒れている。


「お母さん?! お父さん?! どうしたの」


 二人を揺さぶって、叫んだ。手に血が付いた。血?


「怪我してるの? ねぇ、何で?!」


 どうして、何がどうなっているのかわからなかった。只二人とも、全然、動かなかった。僕は怖くなって混乱した。今のこの状況を訊きたい大人が二人とも倒れているのだ。

 とりあえず、ここを出て近くの誰かに助けを求めに行かなきゃ。僕は立ち上がれなかった。腰が抜けてる。手がブルブル震えて、僕は何かに捕まって立とうと椅子をスタックしてある方へ這いずっていった。


 その時、外で車の音がしたんだ。僕は誰か来た、助けてほしいって言おう。そう思って……

 誰かが入ってきた。知らない人。男の人……足で二人を、一人ずつ裏返した……。なに……あれ……。僕は怖くなって、椅子と丸めた絨毯じゅうたんの陰で腹這いのまま床に張り付いてた。その人何かゴソゴソして、多分何か持ってった。それで。それで……





「レイン。そこまででいい」


 オニキスは僕の話を止めた。一時停止。気持ちが悪い。吐きそうな感じ。オニキスが僕を支えている。


「このまま私に掴まってて」


 オニキスが僕をかかえて立ち上がると、外へ出て行った。馬に乗って走り出す。早い。


「アーバンへ直行するよ」

「近くの交番じゃないの?」


 子供にどう言えばわかりやすいだろう。交番へ知らせても殺人事件で実際に捜査することになるのは、アーバンにある警視庁の捜査一課、強行犯係だろう。私の手続きは五時まで、ホテルのチェックインは六時まで。


「早くていいだろ?」

「そうだね」


 僕はオニキスにしがみついたまま、オニキスの黒い服しか見えない。オニキスは凄い速さで馬を走らせてる。風と駆ける音しかしない。





 すっかり夜になってしまった。学校から帰って……又アーバンに来た。アーバンの道路には馬が走れる外乗レーンがあって、バスからたまに見たことあるけど、自分が馬に乗って(オニキスにくっついてだけど)走っているのは不思議な気分だ。


「疲れた? レイン」

「……うん」


 オニキスに連れられて、アーバンの警視庁へ行った。交番とは全然違う大きなビル。さっきオニキスに話したのと同じことを、刑事さんにも話した。

 僕はまだうまく喋れなかったから、オニキスが僕の言ったことを刑事さんに伝えてくれたんだ。


 オニキスが止めた続きは話さなかった。

 オニキスが一時停止したのは、最後の方だったから。知らない人は怒鳴って、テントから出て行った。後はオニキスが来た。それだけ。


 僕は刑事さんに話しながら泣いていた。口にすると、今がその時みたいに戻って、怖かったのもその時みたいに戻って。今はもう怖くないのに、勝手に涙が流れてきて。制服の女の人がティッシュを箱ごと渡してくれて助かったよ。


 それから、オニキスが滞在するホテルへ僕もついて行くことになった。僕が家に戻るのは危ないから。

 オニキスはホテルへ着くとフロントで話して、ベッドが二つある部屋に替えてもらってた。僕がいるからだよね? どうしよう……僕、お金持ってない。


「ねぇオニキス。ここって高いホテルだよね?」


 並んで歩いてるオニキスにこっそり訊いた。僕の身体はフラフラしていて、オニキスは寄り添って左手で僕の肩を抱いている。


「そうだね。……あ、気にしないでいいよ? 君は私のゲストだから」

「ゲスト……」

 なにそれ、かっこいい。じゃなくて、えぇと。

「レイン」

「はい」

「私は金持ちだから何も気にしないでいい」

「ははっ。自分で言うの?」

「滞在するのに、良いホテルを予約してただろ?」

 確かに、ここは大きくて立派で綺麗なホテルだ。僕が知ってるモーテルとは大違い。

「うふふ。お金持ちなら、馬じゃなくて運転手がいる車に乗ってるんじゃない?」

「運転手は休暇中なんだ」

 オニキス、笑ってる。


 実際オニキスは、突然ホテルの部屋をグレードアップさせても、フロントから高級レストランに予約を頼んでも、何ということはなかった。刑吏という公職に就いて辺鄙へんぴな孤島で生活していると、たまに来るアーバンでの滞在くらい非日常的に過ごしたかったのだ。


「レイン。夕飯食べに行こう」

「真っ暗だけど」

「食事できるよう頼んである」

「あ! お酒のお店?」

「あはは。お酒も置いてあるだろうね。普通にご飯を食べるお店だよ」


 夜の街を歩くのは不思議だった。アーバンの夜は明るくて、車も人も沢山行き交っている。時折すれ違う綺麗な服の女の人はいい匂いがする。あれ、僕、汚れてない? 大丈夫かな? 隣のオニキスをチラリと見上げた。オニキスは……男の人だけど、肩より長い真っ直ぐな黒髪で、黒い服に黒い外套。僕、黒好きだから、上から下まで真っ黒なオニキスは、ちょっとかっこよく見える。


「着いたよ」

「!!」


 ……嘘つき。繁華街から少し離れた静かな通りを歩いていたら、お屋敷に着いた。ここは絶対普通にご飯を食べるお店じゃない!


 お屋敷に入って二階の個室に通される。オニキスに好き嫌いを訊かれて、オニキスが何か注文して、なんだかよくわからないけど、美味しいものを食べている。


「僕、頭が混乱しているよ」

「そう。今日はいろいろあったからね」


 今もだよ。何この食事。お店の人が次々、やたら大きなお皿に綺麗に盛り付けられた料理を持ってくる。デザートは、口に入れた瞬間溶けて消えた。僕、いったい何を食べたの??


「オニキス。今日はありがとう」

「どういたしまして」

「警察へ連れて行ってくれて。泊まるところとご飯も」

「連れ回しただけだよ」


 大人ってすごい……。オニキスがすごいのかな? お父さんみたいに頼りになる! …………お父さん。


 夜の通りを歩いてる。オニキスは頼もしいけど、お父さんじゃない。脚が重くなって、歩くのがゆっくりになる。素敵なデザートとは違うけど、昨日お母さんが夕飯の後で梨をむいてくれた。遂に歩くのが止まってしまう。僕は泣いていた。

 オニキスも立ち止まった。さっきみたいに肩を抱いてきて、僕はオニキスの黒い服に顔を押し付けた。泣くのがとまらない。オニキスは僕をかかえ上げると、そのままホテルへ歩いて行った。


 オニキスがバスタブになみなみお湯をためて、分厚いタオルとバスローブを渡してきて、お先にどうぞ、だって。ドアを閉めて、お風呂に入る。


 僕は今日泣き過ぎじゃない? 頭が少し痛い。お風呂を出て、窓側のベッドへ横になる。十時過ぎ……いつもならもう……


 風呂を済ませて戻ると、レインがベッドの端で眠っていた。真ん中に移動させて布団を掛ける。


 炭洲すみすレイン、六才。警察で言っていた。六才。両親をなくして、これからどうする? 本人はあまりよくわかっていない節があるけど、相当のショックを受けていることだろう。現に声が戻っていない。


 明日、どうすればいいんだ? 私は明後日から仕事だ。この小さな子をどうすればいいんだ? 本当にわからない。









 朝。


 人生で、朝なんて別に毎日来なくてもいいと、思ったことが一度もない人っているのか?


 私の予定では、アーバンに一日早く着く。ホテルで昼まで寝ている。一日何もしないで、ダラけて過ごす。……だったのに。


 それがどうだ? 隣のベッドには六才の子供が寝ていて、両親を亡くし、言葉を失い、扱いの見当もつかない大人がかたわらに居るだけ!


 …………さっぱりわからんな。朝飯にでもするか。


「レイン。下に降りて朝食バイキングと、私が適当にテイクアウトしてくるの、どっちがいい?」


「ふぁ……起きます」

「別に寝ててもいいよ?」

「いっしょに連れてってくだ…さい」


 なんだか起きてないのに動いてるみたいなレインが、身支度を済ませて私のところへ来る。


「おはようございます。オニキス」

「おはよう」


 レインは普通に、多分いつも通りのようだけど、『声』がお留守だ。まるで口パクしているように言葉が喋れていない。私が聴きとって会話しているから、本人もよくわかっていないのかもしれない。


「レイン。後で学校の電話番号おしえてくれる?」

「番号、知らない」

「通っている学校の名前は?」

「中央区立第五小学校」

「当分欠席だ。私から電話しておく。あ、教科書とかは家? 学校?」

「どっちも」

「そっか。じゃ、こうしよう。家に置いてあるのは私が取りに行く。学校のはレインが。できる?」

「うん」


 中央区の学校ならホテルから歩いても行けるだろう。タクシーでもいい。家は警察が来てるかもな。教科書やノートくらい持ち出せるだろうか……





 九時前。タクシーで学校行くなんて、初めてだ。オニキスが休みますって電話していたのに、僕が教室に行って大丈夫なんだろうか??


 学校に着いた時、ちょうど休み時間でほっとした。授業中に教室へ入っていくなんて気まずい。僕は職員室へ行って担任の先生に頼もうと思った。職員室でも少し緊張する。ノックして、失礼しますと言って、ドアを開けた。


 先生が皆こちらを見る。え、なんで? 一瞬の注目。僕は担任の先生がいる机へ急ぐ。なんか居心地悪い。目の合った担任の先生が、言うより早く僕の教科書とノートを手渡してくれた。


「大変だったわね、レイン」

「えぇ、まぁ」

「! ……いいのよ。ゆっくり休みなさい」

「はい」

「これ、まだ皆には配ってないけど授業で使うプリント。先に渡しておくわ」

「ありがとうございます」


 先生は、なんだかいつもと違う感じがした。職員室を出て下駄箱で靴を履いていると名前を呼ばれた。


「レイン!」

「何? 誰?」


 聞き覚えのない声。クラスメイトじゃ…ない。多分。


「誕生日は来ないよ!」


 誕生日は来ないよ。誕生日は……何を言っ……

 僕は、何を言われたのか、わからなかった。靴を履いて、荷物を両手で抱え持って、昇降口を出た。校門で待っているタクシーに乗り込んでドアが閉まると、又ホテルへ向かって走り出した。


 何かが変わってしまっていた。

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