世界の外側
連休
1 世界の外側
「僕は、世界の外側に住んでいます」
「街から離れて、村より遠くて、人が少ないところです」
「次の誕生日が来たら、お父さんが僕に馬をかってくれると言いました。馬に乗れるようになったら、どこへ行くのも早くなると思います。楽しみです」
終わりです、と言って着席した。まばらな拍手。馬に反応したクラスメイトたちが、ヒソヒソ話してる。
「ありがとう、レイン。誕生日が待ち遠しいわね」
先生は笑顔で言った。ちょっと恥ずかしかったけど、作文読めた。家族と自分について。先生に差されて、宿題の作文を読む。国語の授業で、今日はおしまい。さぁ、
街中を歩きながら、時々スキップしたり、ふわふわ気分。郊外の住宅地にあるバス停へ着くと、ちょうどバスが来た。僕は、今日って良い日じゃない? と思い始めていた。雨降りの午後でもね。
同じ頃、世界の外側ではあまり楽しくないことが起きていた。
郊外より
天気予報は、午後から高確率の雨と強風を告げていた。正午過ぎから陽は
「どなた……ですか?」
リビングにあたるドーム型のテントへ戻ると、中に知らない男が居た。
「出てください。ここは私たちの家です」
夫は仕事、子供は学校。昼間私は独りになる。防犯上も今の生活には無理がある。
「あんたは日本人、なのか?」
男が口を開いた。日本人。久しぶりに聞く言葉。夫が、話してくれたことがある。今はあまり言わないけど、僕らが居るこの国は、昔海に囲まれた島国で、日本という名前だったんだよ。そんな話を……
「違います」
男が睨みつけてくる。怖い。
「日本語を話してるじゃないか。髪も黒い。日本人の血が入っているのか?」
「祖父母がアーバンの学校を出ているから、日本語を習って」
「アーバンなんて言うな!! ここは日本だ!!!!」
「金を出せ。財布だ。家に置いてある現金も」
強盗…………今までのやりとりは何だったの? 男は強い言葉を使っている。何か刃物を隠し持っているかもしれない。
「鞄がそこに、財布は中よ。現金は、チェストのいちばん下の引出しに」
男は直ぐさま鞄を掴み、手を突っ込んで、財布から数枚の札全てを抜き取った。チェストに向かうと、目当ての引出しを勢いよく引き抜いて、中身を漁って、現金の入った封筒を見つけ出した。
「出て行ってください」
男は応えない。テントの出入口は一つだけ。壁には木組みが入っていて、見た目より強固な造りをしている。破損は見当たらない。……さっきのやりとりは、何だったのだろう。
「お金はそれで全部よ。出て行って」
「うるさい!!」
「家から出て行って!!」
「おまえこそ、日本から出て行け。おまえらが先に押し寄せて、おまえらが先に奪ったんだ」
「何を、言って……いるの??」
「俺にっ……こんな真似させる羽目になったのは、どうしてだ??」
「知らないわ……わからない。あなた、何を言ってるの?」
男のこめかみに血管が浮かび上がっている。興奮は男の言葉を詰まらせ、男は突然外へ飛び出して行った。乗りつけてきた車のトランクから斧を取り出すと、戻って来た。何かが強く男の胸にある。覚悟か、決意か、諦めか。
クロエはそのまま男が出て行ったものと思ったのに、テントの出入口に男が立っている。外は雨が
男は何か言った。雨が煩くて、クロエには聞こえなかった。
大雨と強風は次第に嵐の様相を呈し、仕事を早めに切り上げた、
家にはクロエが独り。心配。一旦帰宅してから
「クロエ」
悪天候の時はモーテルの方に居る……はずだが居ないようだ。テントの方か? ……びしょ濡れなので、風呂に入りたい。クロエの顔を見て、レインを迎えに行って、それからだ。
「クロエ?」
テントの中は、異様な感じがした。暗くて、返事もなくて、床が濡れている。突然、後頭部に衝撃を感じた。痛みを認識する間もなく倒れ込み、何かが覆い被さってきた。見知らぬ者が、両手で首を絞めてくる。頸動脈……圧迫されて脳が……酸欠状態に……男の手を引き剥がそうともがいても、力及ばず、意識が遠退いていく。
…………数秒? 数分? 薄目しか開かない視界は、濁っていた。
突如、首に恐ろしい衝撃。それは次第に脈打つ痛みへと変わり、喉には温かい何かが溢れた。息を吸い込むことも、吐き出すこともできず、視界は、今日の空のように
「ぎょ〜ざ、に〜く、オムライス〜♪」
暗い空と、
「ゆでた〜ま乗〜せ〜てカレ〜ライス〜♫」
他に誰もいないから、口ずさむ。
「唐揚〜げ、コ〜ロッケ、ハンバ〜グ〜♬」
家が見えてきた。
「今日〜の夕飯、な〜にかな〜♪」
インテグレイティアの外側には、荒野と砂漠が広がっている。海岸線で形造られていた、美しい国は今はなく、曖昧で
後退した海と隆起した海溝は、世界の外観デザインを、大きく変えた。
都市部から遠く離れても、人は居る。発電所や変電所、製鉄工場に物流鉄道……人口減少と国土拡張により、工業地帯は分散した。新たな採掘資源への着手も始まった。
元々は海に囲まれて、山と滝のような河川ばかりで、平野部の少ない国土は、制限されていたアウトラインから解放されて……在り方が、根幹から変貌する、極めて大きなブレイクスルーが、この国全体に起こったのだ。
海は遠く、極点へ向かって、緩やかに後退していった。海外には、水没した国もある。外交も激変した。海岸線一帯は観光地になるでもなく、港湾関係者の集まりや倉庫、そんなものがあるだけだった。
人々の意識からも、物理的な距離からも、遠く離れた末に海があり、その果てにヒプノス島はあった。インテグレイティアから見て、意識的な『世界の外側』とは、この孤島を含む海であり……あまりに遠く離れてしまったそれらは、普段足の小指を覚えていないように、ぶつけてでもみないと、思い出すことはほとんどない。そのようなものだった。
又、ヒプノス島には……監獄があって、島そのものが檻となり、容易には出られない。
インテグレイティアへ向かう隊列から離れて、
田園風景には防風林や墓所が点在し、指定キャンプ地はいちばん外側にある。
最も外側のヒプノス島から来ておいて、『外側』とは何なのか、オニキスはお盆に帰ってくる
外套のフードを脱ぐと、日没間際。漸く小雨降り。キャンプ地へ立ち寄って、遠巻きに目視したら、アーバンへ急ごう。諸々の手続きも、五時までに済ませたい。
モーテルと幾つかのテント。住居や倉庫、単一世帯でもテントは複数ある。静まり返っていて
「誰か居ますか?」
テントの出入口が、開いている。馬を降りて中へ入る。
誰も居ないが、小さな息遣い? 気配にも似た、それは耳に届いた。
中へ入っていくと、屋内なのに水たまりが……違う。……違う。これはなんだ? ……人が、倒れている。二人。首筋に触れると、濡れた感触。異常さに立ち上がった。屋内には、三人目の気配がある。
「勝手に入って申し訳ない。誰か居るなら……」
言いかけたところで音がした。見回すと、テントの奥から音がする。椅子が重ねられてスタックしてあり、丸めた絨毯も置かれて、音はそこからしているようだ。近付いてよく見ると、絨毯の巻き終わりは不自然な形で……ゆっくり捲ると、少年が
「ねぇ、君。どこか、怪我とかしてる?」
少年は首を振った。
「私はここへ、馬で立ち寄ったんだ。これから警察へ行く。君をいっしょに、連れて行っても……いいかな?」
少年は頷いた。
「起きられる?」
両手をついて、立ち上がろうとする少年に、手を貸した。少年の手は震えていて、力が入らないようだ。無理もない。
「私の名前は、オニキス。君の名前は?」
こちらを見て口を開いた。が、言葉が出てこないようだ。
「言ってみて」
「……」
音声が飛んでしまったように、少年は多分、名前を口にした。普通なら、何も聞こえない。でも……私は聴いた。
「レイン」
「! (あなたは……心が、読めるの?)」
レインは喋った。声は音が抜けて、息遣いのようだったが、私は聞き取った。
「そんな超能力持ってないよ。耳が少しいいだけ」
「(すごい!)」
「声が出ないのはいつから? レイン」
レインは、今度こそ黙ってしまった。視線が外れる。フラフラ彷徨って、思い返しているような……
いつから? …………いつから? オニキスの問いかけが反芻される。
学校から帰って来て、部屋に鞄を置いて、テントの方にお母さんが居ると思って……
「ただいまー! お母さん」
中へ入って、息を呑んだ。お母さんと、お父さんも倒れている。
「お母さん? お父さん?! どうしたの」
二人を揺さぶって、叫んだ。手に何か付いた。なに? ……血?
「怪我してるの?! ねぇ、何で?」
どうして……何がどうなっているのか、全然わからなかった。二人とも動かない。僕は混乱して怖くなった。今、この状況を訊きたい大人が、二人とも倒れているのだ。
とりあえず、ここを出て、近くの誰かに助けを求めに行かなきゃ。僕は、立ち上がれ……なかった。腰が抜けてる。手がブルブル震えて、僕は何かに捕まって立とうと、椅子をスタックしてある方へ、這いずっていった。
その時、外で車の音がした。誰か来たんだ。助けてって言おう。そう思って……
誰か入ってきた。知らない人。男の人。二人を足で……一人ずつ裏返した。なに……あれ。なにが……起きてるの? 僕は隠れた。椅子と、丸めた絨毯の陰で、腹這いのまま床に張り付いてた。その人、何かゴソゴソして、何か持ってった。それで。……それで、
「レイン。そこまででいい」
オニキスは僕の話を止めた。一時停止。気持ちが悪い。吐きそうだ。オニキスが僕を支えている。
「このまま私に掴まってて」
オニキスが僕を
「アーバンへ直行するよ」
「近くの交番じゃ、ないの?」
子どもにどう言えば……わかってもらえるだろう。交番へ知らせても、殺人事件で実際に捜査することになるのは、アーバンにある警視庁の捜査一課、強行犯係だ。私の手続きは五時までで……ホテルのチェックインは六時までで……
「早くて、いいだろ?」
「そ……だね」
僕はオニキスにしがみついたまま、オニキスの黒い服しか見えない。オニキスは、物凄い速さで馬を走らせてる。風と、駆ける音しかしない。
すっかり夜になってしまった。学校から帰って……又アーバンに来てる。アーバンの道路には、馬が走れる外乗レーンがあって、バスからたまに見たことあるけど、自分が馬に乗って(オニキスにくっついてだけど)走っているのは、不思議な気分だ。
「疲れた? レイン」
「……うん」
オニキスに連れられて、アーバンの警視庁へ行った。交番とは全然違う大きなビル。さっきオニキスに話したのと同じこと、刑事さんにも話した。
僕はまだうまく喋れなかったから、オニキスが横で、僕の言ったことを刑事さんに伝えてくれたんだ。
僕は……オニキスが止めた続きは話さなかった。続きは、知らない男の人が怒鳴って、テントから出て行った。それで終わり。
僕は刑事さんに話しながら、泣いていた。口にすると、今があの時に戻るみたい。もう今は平気なのに、勝手に涙が流れてくる。制服の女の人が、ティッシュを箱ごと渡してくれて、僕はぐしゃぐしゃなのを
それから、オニキスが滞在するホテルへ、僕もついて行くことになったよ。僕が、家に戻るのは危ないんだって。オニキスが言ってた。
ホテルへ着くと、オニキスはフロントで話して、ベッドが二つある部屋に替えてもらってた。僕が居るからだよね? どうしよう……僕、お金持ってない。
「ねぇ、オニキス。ここって高いホテルだよね?」
並んで歩いてるオニキスに、こっそり訊いた。僕の身体はフラフラしたままで、なんだか真っ直ぐ歩けない。オニキスは僕に寄り添って、左手を僕の肩に置いている。
「そうだね。……あ、気にしないでいいよ? 君は私のゲストだから」
「ゲスト……」
なにそれ、かっこいい。じゃなくて、えぇと。
「レイン」
「はい」
「私は金持ちだから、何も気にしないでいい」
「それ、自分で言うこと?」
「滞在するのに、良いホテルを予約してただろ?」
確かに、ここは大きくて、立派で綺麗なホテルだ。僕が知ってるモーテルとは大違い。
「ふふ。お金持ちなら、馬じゃなくて、運転手がいる車に乗ってるんじゃない?」
「運転手は休暇中なんだ」
オニキス、笑ってる。
実際オニキスは、突然ホテルの部屋をグレードアップさせても、フロントから高級レストランに予約を頼んでも、何ということはなかった。刑吏という公職に就いて、辺鄙な孤島で生活していると、たまに来るアーバンでの滞在くらい、非日常的に過ごしたかったのだ。
「レイン。夕飯食べに行こう」
「真っ暗だけど」
「食事できるよう頼んである」
「あ! お酒のお店?」
「お酒も置いてあるだろうね。普通にご飯を食べるお店だよ」
夜の街を歩くのは不思議だった。アーバンの夜は明るくて、車も人も沢山行き交っている。時折すれ違う綺麗な服の女の人は、いい匂いがする。あれ、僕、汚れてない? 大丈夫? 隣のオニキスをチラリと見上げた。オニキスは……男の人だけど、肩より長い、真っ直ぐな黒髪で、黒い服に、黒い外套。僕、黒好きだから、上から下まで真っ黒なオニキスは、ちょっとかっこよく見える。
「着いたよ」
「!!」
……嘘つき。繁華街から少し離れた、静かな通りを歩いていたら、お屋敷に着いた。ここは絶対、普通にご飯を食べるお店じゃない!
お屋敷に入って、二階の個室に通される。オニキスに好き嫌いを訊かれて、オニキスが何か注文して、なんだかよくわからないけど、美味しいものを食べている。
「僕、頭が混乱しているよ」
「そう。今日はいろいろあったからね」
今もだよ。何この食事。お店の人が次々、やたら大きなお皿に綺麗に盛り付けられた料理を持ってくる。デザートは、口に入れた瞬間、溶けて消えた。僕、いったい何を食べたの??
「オニキス。今日はありがとう」
「どういたしまして」
「警察へ連れて行ってくれて。泊まるところと、ご飯も」
「連れ回しただけだよ」
大人って……すごい。オニキスがすごいのかな? お父さんみたいに頼りになる! …………お父さん。
夜の通りを歩いてる。オニキスは頼もしいけど、お父さんじゃない。脚が重くなって、歩くのがゆっくりになる。素敵なデザートとは違うけど、昨日お母さんが、夕飯の後で梨を
オニキスも立ち止まった。さっきみたいに肩へ手を置いて、僕はオニキスの黒い服に顔を押し付けた。涙がとまらないんだ。オニキスは僕を
ホテルの部屋へ着くと、オニキスがバスタブになみなみお湯をためて、分厚いタオルとバスローブを渡してきて、お先にどうぞ、だって。ドアを閉めて、お風呂に入る。
僕は今日泣き過ぎじゃない?
頭が痛い。お風呂を出て、髪を拭いて、窓側のベッドへ倒れ込む。十時過ぎか……いつもなら、もう……
風呂を済ませて戻ると、レインがベッドの端で眠っていた。真ん中へ移動させて、布団を掛ける。
どうすればいいんだ? 明後日から私は仕事だ。この小さな子をどうすればいい? 本当にわからない。
朝。
人生で、朝なんて別に毎日来なくてもいいと思ったことが、一度もない人って、居るのか?
私の予定では、アーバンに一日早く着く。ホテルで昼まで寝ている。一日何もしないでのんびり過ごす……だったはずなのに。
それがどうだ? 隣のベッドには六才の子供が寝ていて、両親を亡くし、声を失い、扱いの見当もつかない、頼りない大人が
…………さっぱりわからんな。
「レイン。下に降りて朝食バイキングと、私が適当にテイクアウトしてくるの、どっちがいい?」
「ふぁ……起きます」
「別に寝ててもいいよ?」
「いっしょに連れてってくだ…さい」
なんだか起きてないのに動いてるみたいなレインが、身支度を済ませて、私のところへ来る。
「おはようございます。オニキス」
「おはよう」
レインは普通に、多分いつも通りのようだけど、声がお留守だ。まるで口パクしているように、言葉が喋れていない。私が聞き取って会話しているから、本人もよくわかっていないのかもしれない。
「レイン。後で学校の電話番号、教えてくれる?」
「番号、知らない」
「通っている学校の名前は?」
「中央区立第五小学校」
「当分欠席だ。私から電話しておく。あ、教科書とかは家? 学校?」
「どっちも」
「そっか。じゃ、こうしよう。家に置いてあるのは私が取りに行く。学校のはレインが。できる?」
「うん」
中央区の学校なら、ホテルから歩いても行けるだろう。タクシーでもいい。家は警察が来てるかもな。教科書やノートくらい持ち出せるだろうか……
九時前。タクシーで学校行くなんて、初めてだ。オニキスが休みますって電話していたのに、僕、教室行って、ほんとに大丈夫??
学校に着いた時、ちょうど休み時間でほっとした。授業中に教室へ入っていくなんて、気まずい。僕は職員室へ行って、担任の先生に頼むことにした。職員室、緊張する。ノックして、失礼しますと言って、ドアを開けた。
先生が皆、こちらを見る。え、なんで? 一瞬の注目。僕は、担任の先生がいる机へ急ぐ。なんか居心地悪い。目の合った担任の先生が、言うより早く、僕の教科書とノートを手渡してくれた。
「大変だったわね、レイン」
「えぇ、まぁ」
「! ……いいのよ。ゆっくり休みなさい」
「はい」
「これ、まだ皆には配ってないけど、授業で使うプリントね。先に渡しておくわ」
「ありがとうございます」
先生は、なんだかいつもと違う感じがした。職員室を出て、下駄箱で靴を履いていると名前を呼ばれた。
「レイン!」
「何? 誰?」
聞き覚えのない声。クラスメイトじゃない。多分。
「誕生日は来ないよ!」
誕生日は来ない? 誕生日は……何を言っ……
僕は、何を言われたのか、わからなかった。靴を履いて、荷物を両手で抱え持って、昇降口を出た。校門で待っているタクシーに乗り込んで、ドアが閉まると、又ホテルへ向かって走り出した。
何かが変わってしまっていた。
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