第20話【第二章】轍編・プロローグ


朝から快晴の神之島。


前回の話で総代となった広央は、晴れて自らの屋敷となった住居・総代屋敷の掃除に勤しんでいた。


ついこの間まで、前総代である広央の父親が住んでいた屋敷である。

家というのは、住んでいた人間の気配を濃厚に宿しているものだ。

そこかしこに、もうすでにこの世の人ではない父親の気配を感じさせた。


二階建ての広く古く重厚な日本家屋。柱や鴨居などの木材部分は経年変化で濃い飴色になっていて、この家の古さと歴史を物語っている。洋間以外はすべて畳敷きで、大きなガラスの引き戸に簡素な飾り障子。広くて長い縁側が家をぐるりとめぐっている。


(赤の他人の住居だ)


広央の率直な感想だった。


決して知らない家ではない。子供の頃から父との面会のために何度となく足を運んできた。欄間の透かし彫りの模様でさえ、残らず記憶している。


けれど広央にとって“実家”と呼べるのはあの海辺の平屋建てだ。


母、ユキ、小春おばさんとキヨおじさん。皆で暮らしたあの家。

凄惨な悲劇で皆の暮らしが断ち切られた後も、あの家以外の家はなかった。


総代に就任し住居を移すにあたりユキ(便宜上、一緒に暮らすことになった)、そして奇妙な縁で一緒に暮らす事になった知広と拓海。ついでに賄い婦のおマキまで巻き込んで一緒に大掃除する事にしたのは、広央の無意識のマーキングかもしれない。父の残滓を取り払い、少しでも自分の匂いを付ける為に。


「こらてめえら、廊下で遊ぶんじゃねえ!ちゃんと雑巾がけしろ!」


ユキのよく通る大きな声が聞こえた。

見ると知広と拓海が縁側の雑巾がけらしい事をしていたのだが、途中で遊びに変換されてたらしい。


広い屋敷の事なので、朝から取り掛かってはいるが掃除する場所はいくらでもある。

そこでいったん、昼休憩をする事になった。

おマキは炊事場に、拓海はお昼ができあがるまでユキと畳干し。広央と知広は引き続き廊下の雑巾がけ…という名の一足早い休憩タイムに入っていた。


広央は縁側に腰かけ、眼下に広がる光景を見つめていた。


「ここから海が見えるんだよね、最高のロケーションじゃん」

知広も隣に来て腰かけた。


確かにこの総代屋敷の庭からは、眼下に海が見える。素朴だが趣のある広い庭、そして何よりも空と海の景色。何も知らない人からすれば羨ましい限りの住まいなのかもしれない。

そう、何も知らない人からすれば。


広央はずっと海を見つめている。


「あれ、ヒロさん。首の所にすっごい傷があるね、どうしたのそれ?」

汐風が吹いて広央の髪が舞い上がり、それで気付いたのだ。


広央は思わず、うなじに手をやった。

確かに、一直線に切り付けられた傷跡がある。

実は襟足を中途半端に伸ばしているのも、この傷を隠すためだった。


「…もしかして、聞いちゃダメなやつだった?」


何も答えない広央の様子を見て、知広はうっかりと聞いてしまった事を後悔しているようだった。


広央は傷跡を確かめるようにさすった。もうずいぶん昔の傷で、とっくに治ってしまっているのに時折痛みが走る。精神的なものだろうか。


「いや…」

うなじをさすりながら、広央は海を見つめた。

今日の波は静かだ、陽も穏やかで暖かい。


庭からはユキと拓海が畳をはたきでポンポン叩く、リズミカルな音が聞こえてくる。


「義理の弟のちーちゃんには、話しておくべきだね…」


ポンポン音をBGMに、広央はゆっくりと話し始めた。

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