第44話 選択
お母さんを一人にしない。ずっと一緒にいるって決めたのは自分だった。
しかも、まだ、小さかった透子に、そう選択させたのが自分自身だった。そして、わたしはその自分自身の決断に20年余りとらわれていたということになる。
暗転の闇でぐるんぐるんしながら、自分の決意が呪いのようになっていたことに気付いて、苦い気持ちになった。
次の瞬間、光の中に放り出された。
うぇぇ?
ばっと目が覚めると、そこは、柊ちゃんのベッドで、隣には柊ちゃんが寝ていた。ふううっと深く息を吐いた。
柊ちゃんの瞼がぴくぴくしていてるから、柊ちゃんももうすぐ目を覚ますだろうな。しばらくその寝顔を見てから、周りを見渡した。それからぎゅっと目をつぶって、自分で自分の体を抱き締めて、自分の体が自分の体であることを感じ取る。目を開けて、手を見て握ったり開いたり。
ああ、これは自分の体だ。
ベッドを降りて、少しだけカーテンを開けて外を覗くと、マンションのベランダの向こうに、なんだか久しぶりだっていう少しの違和感を伴って、よく見慣れた風景が広がっていた。これは、わたしの時代。美帆のでも小さな透子のでもない。
また、美帆や透子の中に戻るのかな。
戻りたい気持ちと戻りたくない気持ちがぶつかる。
どうなるのかな、と思い巡らせながらリビングに入ると、真っ黒なテレビのディスプレイに自分が映っていた。美帆じゃなくて、自分が映っていることに違和感をあって、苦笑いしている自分と目が合った。
それから、デッキから真っ白い円形のDVDを取り出して、ケースに収めた。
美帆の想いがこめられたフィルム。
「透子」
いつの間にか起きてきた柊ちゃんが背中からお腹に手を回して、わたしの後頭部に額を押し付けてきて、軽く体重を掛けてくる。朝から甘えん坊モードだ。でも。
「柊ちゃん、わたしね」
お腹の前にある柊ちゃんの手に自分の手を重ねた。
「……お母さんを一人にしないって、子供の時からずっと決めてた」
柊ちゃんの手をぎゅっとする。そう、自分が生まれる前から決めていたことになるのかな。
「透子、どうして?」
奇跡が起きて、わたしは美帆の恋を見た。その恋が美帆の人生からわたしの人生にもつながっていることを知ってしまったんだ。
「だって、わたしがいなきゃ、お母さん一人になっちゃうもん」
あのとき、美帆は、下原先輩より麻友を選んだ。
今のわたしは、……お母さんを選ぶ。
柊ちゃんと、一緒には暮らせない。
「ごめんね」
少しだけの沈黙の後、柊ちゃんは頷いたようだった。
「うん」
柊ちゃんはわたしのうなじの少し上にコツンコツンと額を当てた。
「透子。私さ、透子のこと、お母さんごと好きだよ」
どういう意味?
「美帆……さん、透子のお母さんに会いたい」
へ??
「お母さんの名前知ってんの?わたし言ったっけ」
わたしは首を回して柊ちゃんの顔を覗く。
「そう、やっぱり美帆なんだ」
呼び捨て?
一緒に暮らせないと言ってしまったのに、柊ちゃんは穏やかな笑みを浮かべて、わたしの額に自分の額を当てて、そのまま話し出す。
「私、美帆と、……透子のお母さんとお話したい」
柊ちゃんは、そう言った。
だから、なぜに呼び捨てにする?
「お願い、透子」
呼び捨てを追求する前に、可愛く頼まれてしまって、わたしはおねだりに敗北した。
柊ちゃんに頼まれるまま、わたしはお母さんを開店前の
木製に見える扉を開けると、すぐにコーヒーのいい匂いがした。この匂いはブレンドだ。
おばちゃんがコーヒーを準備してくれていたのが分かる。お母さんがカウンターで一足先に白いカップを傾けていた。
お母さんに会うのも、おばちゃんのコーヒーの匂いを嗅ぐのも、実はたったの二日ぶりなのに、会うのが10年振りみたいで、ちょっとドキドキした。
美帆だ
お母さんを見て、美帆だと思った。
30年経っているけれど、肩の線は美帆のままだ。顎のラインは流石に緩んだなあ。
お母さんは、やっぱり美帆だ。なんだか、昔の友達に再会したような懐かしい気持ちになった。美帆がわたしを知らないのが寂しくて残念。
「あ、透子ぉ。どうしたの、朝から呼び出して」
のんびりとした声も口調も、やっぱり美帆だ。
さっきから、お母さんが美帆だということを確認してばかりいる。
「や、わたしが呼んだんじゃなく」
「申し訳ありません、わたしが透子、さんにお願いして、お母様をお呼び出ししました」
柊ちゃんが、わたしを遮って、お母さんに話し掛けた。久々に聞く、大学祭実行委員長モードの時のかっちりした通る声。
「あらぁ、石井さんでしたっけ」
「はい、石井柊子です。ご無沙汰しております」
柊ちゃんが他所行き顔でお母さんに挨拶している。大人っぽいなあ、格好いいなあ、とわたしは柊ちゃんを見て嬉しくなる。
「こっち、座りな」
おばちゃんが、トレイにコーヒーカップを乗せて、わたしたちを呼んでくれたので、テーブル席に座り直す。
トレイを持ってカウンターの向こうに戻ろうとしたおばちゃんに柊ちゃんが声を掛けた。
「よろしければ、一緒に座っていただけませんか?」
「あら私も?」
「はい、是非」
柊ちゃんがにっこりと笑った。
おばちゃんは不思議そうな顔で腰掛けた。
「さぁて、あらたまって、一体なんなの?」
お母さんが首を傾げる。ああ、このあざとい仕草が美帆っぽい。や、そんなこと考えている場合じゃなかった。
「申し訳ございません。私からお願いがお二人にあります」
柊ちゃんがシュッと背を伸ばす。
「まず、改めてご報告させて下さい。私と透子は、学生時代からお付き合いしております」
柊ちゃん!?ちょっと、いきなりすぎる!!
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