第2話 珈琲

「おばちゃーん、コロンビアもらうね」

「んー?いいけど、あとどれくらい残ってる?」

「まだ大丈夫ー」


 喫茶店『半月ハーフムーン


 わたしとお母さんの家から歩いて5分くらいのところのビルの1階にある喫茶店だ。

 テーブルは4つ。カウンターに椅子は4つ。奥にコーヒーを飲みながら集まれる小部屋もある。

 20人で満席だから、さほど大きな店ではないけれど、この辺りはチェーン店以外の喫茶店が少なくて、ちゃんと美味しいコーヒーや紅茶が飲める店は「半月ハーフムーン」くらいだ。コーヒー好き、紅茶好き、カフェ好きの人たちに加え、ご近所の有閑マダムたちがそれなりに集まってくる。

 そこそこ繁盛しているから食うには困らない、っておばちゃんは言う。



 経営者のおばちゃんは遠い親戚だ。銀髪をベリーショートにして色付きの大ぶりな眼鏡を掛けている。おばちゃんは、実は、何歳なのか、とか、どういう経緯でこの店を開いたのか、とか、どんな過去があって独身なのか、とかとか、わたしは教えてもらっていないし、お母さんも教えてくれない。

 結構ミステリアスな存在かも。

 でも、ミステリアスと言うにはわたしには近過ぎる存在だ。

 お母さんがお父さんと離婚して、実家のあるこの街に戻って来て、しばらくすると、後から引っ越してきたおばちゃんが、この喫茶店を開いて、学童の代わりにわたしを店の隅っこであずかってくれた。学校の先生をしている母よりも、おばちゃんの方が勉強を教えてくれたし、宿題も手伝ってくれた。

 おばちゃんは、いわば、わたしのもう一人の母親なのだ。


 コーヒー豆を機械のミルで粉砕すると、いい匂いがする。手動のミルもあるけれど面倒臭いし、挽き具合をスイッチ一つで調整できる機械の方が楽だ。

 わたしは高校に入った頃から、この喫茶店でアルバイトをさせてもらっていた。だからドリップでコーヒーを淹れるのは得意だ。

 社会人になった今でも、時々この店を手伝っている。おばちゃんはわたしを猫の手よりマシだと評価してくれている。


 ここのところは、柊ちゃんの家から自宅に戻る前に、ワンクッション置きたくて、コーヒーを飲んでから帰るようになった。

「透子、柊ちゃんは今日は来ないの?」

「うん、明日は朝から出向だから、準備があるんだって」

「あらあら日曜なのに大変なこと」

 おばちゃんは、柊ちゃんのことを仲良しの先輩だと思ってる。「半月」には、二人でもよく来るし、柊ちゃんもわたしがいなくてもコーヒーを飲みに来るので、おばちゃんは柊ちゃんのことをよく知っているけれど、肝心のわたしとの関係までは知らない。教えてない。

 ……言いにくい。


「ねぇ、おばちゃん、わたし、そろそろ家を出て独り立ちしていいかな?」

 おばちゃんは一寸手を止めた。

「いいも悪いも私が決めることじゃないじゃん。透子ももう大人だから自分で決めればいいでしょうが」

「おばちゃんはどう思う?」

「ううん?何も。何とも思わないよ。まあ、透子がここに来れないくらいの距離に行かれるのは寂しいかなって、思うけどさ」

 ちょっと嬉しい答に、わたしは笑顔になる。

 でも。


「お母さん、一人にしていいんだろうか」


 ため息を吐き出しながら呟く。

「あたしじゃなくて、ちゃんとお母さんにききな。リハーサルしたいなら付き合ってあげてもいいよ」

「おばちゃん相手じゃ、リハーサルになんないよ。話しやすすぎちゃう」

「そんなものかね」

 おばちゃんが肩をすくめてるのを見ながら、わたしは自分で淹れたコーヒーを飲んだ。


 少し苦い。

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