おやつには珍種の果実を②
「うん、いい感じ」
「コレ?」
「イチゴだよ」
「イヒ、ゴ……」
ウッドデッキの端に並べられたプランターには、『早見』という名札が貼られたものがある。自分のお気に入りの植物を育てたい場合ベランダでも良いのだが、管理人に許可をとれば屋上の隅を貸してくれるのだ。
早見家のプランターにはイチゴが実っており、紫音は持ってきたカゴに熟したものを選別していった。栞も気になったのか、1つ取って興味深そうに苺を眺めている。
数分もすれば、カゴは新鮮なイチゴでいっぱいになった。少し形は不揃いだが、赤々とした
「よし、じゃあ戻って洗っちゃ―…」
「ж▼ΦЪб」
「あ、こら!」
気付いたときには遅く、プランターが緑色に発光した途端、土からひょこりと新たな芽が出た。
芽は照りつける春の日差しを糧にぐんぐん成長していき、遂には1mほどの細い樹へと育っていく。横に伸びた枝には花が咲くと、花は多種多様な果実へと姿を変えた。この世の理から外れた成長速度に、紫音はその様子を眺めることしか出来ない。
そんな家主をよそに栞は果実を1つをむしり取ると、紫音に無言で差し出してきた。バナナのような形をしているが、配色は完全に
「もう……ありがとう」
「ん」
この不可思議な術について色々注意しておかなければならないが、今は受け取ってそっと頭を撫でた。
☆材料(3人分)
・薄力粉 150g
・砂糖 40ml
・塩 5ml
・卵 4個
・牛乳 600cc
・バター 15ml
・異界の果実
今回作るのは、家でも簡単にできるクレープ生地。手始めにボウルに薄力粉・砂糖・塩の粉系3種類を入れ、良くかき混ぜる。
混ぜ終わったら、次は卵と牛乳を半分ほど混ぜた。ダマを減らすように練りこみ、無くなったところで残りの牛乳の半分を入れ、同じ作業をして少し生地がトロトロになったら、余った牛乳を混ぜ合わせる。一度で混ぜようとすると、硬い泥のようになってしまうことがあるのだ。
サラサラになったところでバターを投入。ボウルにラップをかけたら、冷蔵庫に入れて冷えるのを待つだけだ。
生地が冷えるのを待つ間に、採集した果物をひと口サイズに切り分け、こちらも冷蔵庫に入れて冷やしておく。栞の出したものはどれも皮は蛍光色で悪魔のソレにしか見えないが、産地直送のためか実は甘く引き締まっており、市販の物とは比べ物にならなかった。
「紅茶とコーヒー、どっちが良いですか?」
「じゃあコーヒーで」
下準備を終えた紫音はコーヒーを2人分淹れ、座ってテレビを見る栞を眺めながら果実が冷えるのを待った。画面に食いつく姿は普通の子供の様だが、やはりこれまでの行いがそれを否定している。
(ちゃんと今後の事も考えないとな……)
先行きに不安を覚える紫音の向かいで、みゆきはスマホの画面に鋭い視線を向けて小さく唸っていた。心なしか、仕事中より眉間のしわが深くなっているようだ。
「先生、料理が得意になるコツって何ですか?」
「日々の努力と経験です。それ以外に上達する手段はないですね」
「ですよねー……」
「べつに料理ができなくても受け入れてくれる異性も多いんじゃないですか?最近は専業主夫なんて言葉も聞きますし」
それを聞いたみゆきはスマホを勢いよく置いて、テーブルに顔を伏せた。画面には紫音の予想通り、婚活アプリの画面が映っている。
「くっ……先生みたいな勘のいい方は嫌われますよ」
「別に他人からの評価なんてどうでもいいです」
「わ、若者のセリフとは思えない。先生って大学に何しに行ってるんですか?」
「勉強に決まってるでしょ」
そんな会話をしていれば30分があっという間に過ぎ、紫音は油を伸ばしたフライパンを2つ並べた。ホットプレートで焼くのも考えたが、フライパンであれば生地をわざわざ円状に広げる手間が省けるのだ。
まずは熱したフライパンにお玉で薄く生地を流しいれ、フライパンを傾けて全体に広げる。この時は1分弱火で熱を通し、生地がほんのり色づいたら、裏返して反対側を少し焼く。これだけで生地は完成だ。
焼き始めて20分ほどで、食卓は大量のフルーツと生地が並べられた食べ放題コーナーへと様変わりした。
「こちらのフルーツは自分で好きなように盛ってください」
「すごい種類ですね!迷ってしまいます」
「栞、最初は一緒にやろうか」
初めてのクレープという事もあり、栞の生地にバナナと市販のホイップをトッピング。その上からパンに塗るチョコを温めて溶かしたチョコソースをかけてくるめば、チョコバナナクレープの完成だ。
みゆきの方は、イチゴとジャムを使ったイチゴクレープにしたようだ。
「では、いただきますね」
「ぁむ」
みゆきはお手製クレープを頬張った途端、蕩けるような甘さに頬をさすった。栞もよほど美味しかったのか、口周りに大量のクリームをつけながらも嬉しそうに頬張っている。急いで食べているせいか、膨らんだ頬はリスのようだった。
紫音もみゆきと同じものをひと口味見した。
「ん……甘っ」
口に含んだ途端、甘すぎない生クリームとイチゴの程よい酸味がふんわりと広がった。生地もパリッと焼けているので、水分を多少吸っても形を保っているので崩れにくい。使った卵が良かったのもあるのだろう。
「美味しいです!そっちのフルーツはなんですか?」
「……多分、キウイです」
「え?多分?」
「キウイです、味は確かですから。それよりまだ生地がたくさんあるので、休まず食べて下さい」
「なんで時間制限付きの食べ放題みたいになってるんですか……」
誤魔化すように新しい生地を押し付け、紫音も好きなフルーツを乗せた。
(たまには甘いものも悪くないか)
果物の栄養を十分に摂取できるという点においても、手作りクレープは中々に優秀なお菓子だ。
それに生地が余ったとしても冷蔵庫にとっておき、次使うときに中にサラダの具材やツナを入れれば、ヘルシーな野菜クレープを作ることもできる。急いでいる朝や小腹を満たしたい時などに手軽に食べれるので、ダイエットにも有効だ。
そんなことを考えていると、服が引っ張られる感覚がした。何かと思えば、隣に座っていた栞が服の裾をぎゅっとつかんでいた。
「どうしたの?」
「……ぉ」
「ん?」
「おい……しぃ」
「……そっか」
はじめて食事の感想を耳にして、紫音は小さく口角が上がっていた。賑やかな食卓など今まであまり経験のなかった紫音だが、こういうのも悪くないとどこか気が安らいでいた。
結局、食欲の爆発した栞と甘いものが好きなみゆきにより、大量にあったクレープの生地はあっという間に完食された。
窓から差す夕焼が、部屋を茜色に染める。吹き入れる暖かい風に、家路に着く子供たちの声やどこかの学校の鐘の音が乗っていた。
軽く打ち合わせを済ませたみゆきは、玄関先で靴を履いたは良いものの、しばらく俯いて壁に手をついていた。燃え尽きた格闘家のような貫禄すら感じさせる。
「う゛っ……もう食べれないです……」
「さすがに8枚は食べ過ぎでは?」
「先生の作る料理が悪いんです。あんなの、誰だって胃を掴まれちゃいますよ」
「お菓子くらいで大げさな……」
みゆきは一息ついて立ち上がると、リビングの方へと眼をやった。おやつをたらふく食べて、眠くなってしまったのだろう。ソファでは栞がぬいぐるみを抱いて静かに寝息を立てていた。
「栞さん、いい子ですね。先生の事がとても好きなようですし」
「そうですか?私、あまり子供の相手が得意でもないんですけど」
「先生もあの子といると楽しそうでしたよ。なんというか、姉妹みたいでした」
まさかと疑う紫音に、みゆきは食事の礼を伝え職場へと戻って行った。
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