第5話 今日のイリナはすごく可愛い

 かくして、店にはお茶の予約を取り付け、再来店を約束。

 その足で、近所であるというミケランジェロの伯母の店へと向かった。


 身分としては侯爵夫人で、以前は王宮に出仕し王妃の侍女を勤めていた、と。

 二人で肩を並べて歩きながら受けた説明は、「図書館の変わり者上司」ではなく「公爵家の次男」由来のまばゆいばかりの話。

 たどりついた店も気後れする高級店だった。

 しかし、ミケランジェロは頓着することなくさっさと店に入り、顔見知りらしい店員に手厚く遇されながら「彼女に似合う服を」とすみやかに注文していた。


「ミケぼっちゃんが女性を……!?」


 店中がざわめき、ちょうど店に来ていたという、経営者である侯爵夫人が姿を見せた。

 白髪と呼ぶにはあまりにも美しい、銀髪。目鼻立ちのくっきりとした美人で、どことなくミケランジェロの素顔に似た容貌。口を閉ざした表情には厳しさものぞかせていたが、笑った瞬間、ひどく親しみやすい印象になった。


「ここはね、年齢にかかわらずおしゃれをしたい女性のためのお店なの! 絶対に、あなたに似合う服があります。好みは?」

「彼女は、何を着ても似合うと思う。普段の制服も素晴らしく似合っている」

「ミケには聞いてないわよ!」


 イリナが何か言う前に、上司が変なことを言った。それをぴしゃりといなして、侯爵夫人は「手の空いているひと全員来て! 大仕事よ!」と威勢よく言う。

 まるで狼煙を上げたかのように、着飾った女性たちが店内のあちこちから飛び出してきた。

 誰もが、イリナに対して感じよく「いらっしゃいませ」と微笑みかけてくる。


(高級店ってこういう感じなの? いままでお店で服を買ったことがないから、わからない!)


 思っていたのと違う! とジーナと騒ごうとしたイリナであったが、なぜか返事がなかった。

 こんなときこそ、恐れ知らずのジーナに任せてしまいたかったのに。


 侯爵夫人は、イリナを上から下まで眺め、次々と指示を飛ばし、自らも精力的に動き回る。

 慌ただしく店中からドレスや宝飾品、靴やバッグがかき集められ、とっかえひっかえ着せられた。


(ジーナ! ジーナが着たいものを選んでいいのよ? どれもすごく可愛い。「最高! 生きてるって幸せ!」て気分になれるから。出てきて、ジーナ!)


 やはり、返事は無い。

 そのまま、店の奥で湯浴みまでさせられ、メイクもきっちり施された。「着替え一つ」に時間を思う存分かけられてしまい、仕上がったのは日が傾く夕暮れ時。

 ミケランジェロはサロンスペースで、ソファにゆったりと座りながら本を読んでいたが、おどおどと姿を見せたイリナの気配に顔を上げた。


 穴が開く。

 まばたきもせぬまま見つめられ、言葉をかけられることもなく、イリナはどんどん不安になってきた。


「お待たせ……しました」


 ようやく声を絞り出してそれだけ言う。

 ミケランジェロは長い間止めていたように、深く深く息を吐き出す。


「生きていて良かった」


 そっと片手で目元を覆ってしまった。


(どういう反応!?)


「補佐……? そういう壮大な表現ではなくて、もう少し私にもわかるように」

「とても美しくて可愛らしい。目が潰れるかと思った」

「物騒な外見過ぎるという意味ですか!?」


 そんなに変わったのかな? とイリナは自分の体を見下ろした。

 たしかに、これまでの人生で見たことも触ったこともない可愛いドレスを着させてもらったのは間違いない。

 が、イリナ自身はまだ鏡を見ていない。

 一撃必殺で上司の目を潰すほどの威力は、どのへんにあるのだろう。


(補佐も私も、目が命! って仕事だから。目が見えなくなると本を読めなくなり、なにかと支障があります。今日の約束のおかげで、あと三十年は、目を健康に保って働く必要があるわけでして)


 三十年分の借金……。


(ジーナ、いないの? 一世一代の晴れ姿なんだから、見てよ。少しくらい私の体を使っても構わないから。あの、補佐に変なことだけは言わないでよね!)


 気配の消えたジーナに呼びかけていると、侯爵夫人自らが、店員の女性たちと立てかけるタイプの大鏡を運んできた。「大丈夫なんですか!?」と手を出そうとしたイリナに「大丈夫、力はあるから」と軽く答えて、近場の壁に鏡をたてかける。

 手を出しかねながら後を追いかけていたイリナは、そのまま鏡に映った自分の姿を目にして、動きを止めた。


 ドレスは柔らかな色合いの白。立ち襟が首に添っていて、前身頃にはずらりとボタンが並んでいる。袖は肩から肘までがふんわりとしたオーガンジーで、手首にかけてはきゅっとしまったストレート。スカートは自然に広がるラインで、腰回りには青いベルトリボンが結ばれており、背中で蝶結びになっている。編み込みながら結い上げた髪には、真珠と青い花が飾られていた。


 ふと、数年前に見た姉の結婚式を思い出した。

 自分はあんなドレスを着ることは一生涯ないかもしれない。そう思いながら見つめた覚えがある。

 背後から近づいてきた侯爵夫人が、青い耳飾りを手にのせて尋ねてきた。


「この色で大丈夫? あなたの同行者の色でもあるのだけど」

「特に問題ないと思います」


 語彙がろくになくなっていたせいで、最低限の返答しかできなかった。問題ないどころか、星をダイヤで縁取り、揺れる青い石をつけた耳飾りはイリナの心を十分にかき乱していた。


(贅沢品なんて自分には関係ないって思っていたけど、すごく綺麗。あれもいらない、これもいらない、じゃなくて。今度は自分の手の届く範囲で何か買ってみようかな……)


 我慢は、生まれたときからずっとしてきたから、いまさら辛いなんて思わない。

 そう言い聞かせて生きてきたのに。

 ジーナに振り回されてここまで来てしまったら、思った以上に楽しくて。


「それじゃあ、つけてあげるわね。あなたの耳は、白い貝のように綺麗ね。これから、たくさん飾ってあげるといいわよ。鏡を見るのが楽しくなるわ」


 歌うように囁きながら、侯爵夫人が手ずからイリナの耳に飾りをつけてくれた。

 そばに控えていた店員から、青いリボンがアクセントになっている、小さな白いバッグを受け取る。

 イリナと正面から向き合い、手渡してくれた。


 受け取りながら顔を上げると、皺の刻まれた顔に満面の笑みを浮かべて、ウィンクをひとつ。

 離れた位置に立っているミケランジェロを、ちらりと視線だけで示してから、イリナへと素早く囁いた。


「今日のイリナ、すごく可愛いわ。行ってらっしゃい。人生は楽しむためにあるのよ」


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