第4話 聖女vs
立地は王宮にほど近く。
外装も内装も、流行の最先端と旧来の伝統をかけあわせたハイセンスな趣向が凝らされていて。
客層はもちろん、上流階級の面々。
ここまで揃いも揃った中、気持ちはド庶民のイリナは、他のお客様方の注目など絶対に集めたくなかったのであるが。
目の前に立つ男性の存在が、それを許さない。
肩を過ぎる、長い黒髪。あまり日に焼けていない滑らかな肌。軽く引き結ばれた薄い唇。睫毛は長く、眉の形が美しい。
瞳は湖面の青。天使画の青年天使のように整った容貌。
身につけているのは仕立ての良いシルクのシャツに、ジャケット。シンプルな装いながら、肩幅の広さやすらりとした足の長さといった、均整の取れた体つきがそれだけで絵になる。
誰かが彼へと目を向け、そのまま釘付けとなり、同じテーブルの他のひとも気づいて振り返る。そのまま彼を見つめ、はしたないと目をそらした後も、話題のすべてをさらっていったであろうことは想像に難くない。
うなだれて顔を隠そうにも、ジーナがそれを許さない。
毅然と顔を上げて、前を向く。
唇には、不敵な笑み。
口火を切ったのは、青年だった。
「せっかくだからお茶でも飲むつもりだったんだが。君が一緒のテーブルについてくれたら、二人ともお茶を飲めそうだ」
見たこともない美青年にさらりとそんなことを言われ、イリナはジーナから主導権を奪い返す。
くたびれたバッグを握りしめて、声を潜めて控えめに言った。
「私は、帰るところでして」
「まだ店に入ったばかりだ。休憩するつもりだったのでは?」
(あなた様はどこのどなた様ですか?)
言えなかった言葉に反応して、頭の中で叫んだのはジーナ。
《これって! イリナ、あなた男性に誘われているわよ!? どうするどうするって、悩むところじゃないわ! お茶もできるしデートもできる。このチャンスを逃す手はないわね!》
そのようなことを言われましても。
イリナは、いかにもこの場では浮いてしまう普段着同然の自分の装いに目を落とし、悲しい気持ちになった。しかし、ジーナの性格上「この男性に私は釣り合わないですし、そもそも私という人間がこの場にふさわしくないんです」なんて言ったら、火を吹くほどに怒りかねない。
もっと、違う方向で、諦めさせねば。
(私にも人並みの矜持がありまして……。見知らぬ男性の誘いを簡単に受けることはできません)
とっさに知恵を絞って「軽い女じゃないのよ」という線で否定をしてみた。しかしジーナには言葉の裏もイリナの気持ちも一切通じなかった。
体を乗っ取り、しゃきっと顔を上げたジーナが、男性に真っ向から尋ねた。
「知らないひととお茶をするほど気安い女じゃないのよ。名乗って」
(その通りだけど~~! そんな高飛車な言い方する必要、ある!?)
焦るイリナさておき、男性は一度まばたきをして、まっすぐにイリナを見つめてきた。
けぶるような青の瞳を細め、不思議そうに一言。
「気づいていなかったのか。私だ。ミケランジェロ・ホルツァーだ。む、フルネームよりも役職の方がわかりやすいか? 館長補佐の」
「補……佐…………?」
「なぜそんな目で見られるのかわからないが。君の目に私はどう見えているんだ? 羽の生えたガーゴイルか、異形のキマイラか?」
補佐、想像の翼をはためかせて大空を自由闊達に飛びすぎです。
もう少し手前でとどまりくださいますよう、お願い申し上げます。
人間に、見えています。
言いたいことは胸の中にいっぱいあったが、声にならない。
こんなときこそのジーナも、なぜか何も言ってくれない。
困ったときばかり頼っている場合ではないと、イリナはかすれ声で尋ねた。
「素顔、はじめて見まして……。言われてみれば、声は補佐のものなんですけど。ここで何をしてらっしゃるんですか」
「君の様子がおかしかったので、途中で倒れないか追いかけてきた。そこで追いついて、この店に入るところが見えたから。しかしなるほど、たしかに言われて見れば君は私の素顔を知らないかもしれないな。私は、君の出勤、退勤時の姿もよく見ているから、間違えることはない。その服も、数年前から着ているな」
顔から火が出るような、背筋が凍るような。
がつんと頭を殴られたような衝撃があり、イリナが唇を震わせたそのとき、ジーナが率直な感想を告げた。
「マイナス百億点よ。デリカシーのない男」
(ジーナ、いまの声に出てる……!)
《このわからず屋な男に聞かせるつもりで言ったんだもの、当たり前じゃない。女の子が何年も同じ服着ていることを他人に言われて、楽しい気持ちになるわけないでしょう! 「お気に入りだと思っていた」なんて言い出したら、それこそはっ倒してやるわよ!》
前哨戦よろしく、言葉ではっ倒されたミケランジェロはといえば、心なしか頬をこわばらせているように見えた。
少しの沈黙。
マイナス百億点の内容を吟味しているようにも見えた。
(う、うちの聖女が補佐に対して無礼を。すみません。俗世に疎いものでして)
などとフォローの必要性を感じたイリナより先に、ミケランジェロが口を開いた。
「この通りの並びに、伯母の経営する服飾関連の店がある。今から君を連れて行きたい」
「なんのために、ですか」
「君に似合う服があると思う。選ばせてもらいたい」
何故、と聞き返す間もなくジーナが脳内で騒ぐ。
《素敵~! そうそう、わかってるじゃない! 私、可愛い服が着てみたかったの! イリナは自分の服装ダサイって思ってそうだけど、聖女の服装なんてもっと質素素素素くらいの素だからね? あなたのためにじゃなくて、私のためにこの話受けてよ~!》
(でもジーナ。上司が部下に服を選ぶのは、仕事の範疇ではありません。いまは仕事中でもありませんし)
《イリナ! したいの? したくないの? 興味があるのに無いふりはやめてよ。後先ばっかり考えて、明日死んだらどうするの?》
(死んだら死んだでそれまでかと)
《意地にならないでよ馬鹿―! 人生、ときには冒険よ! 見ず知らずの男ならともかく、何年も近くで一緒に働いてきた相手なら、人柄くらいはわかってるでしょ! イリナの目から見てこの男はどうなの? 大丈夫な相手じゃないの? 答えなさいよ、二十五年も生きてるなら、自信をもって言い切れることのひとつやふたつ、あるでしょう!》
ジーナがあまりにも騒ぐので。
それが、ただのわがままではなく、イリナを未来へ蹴飛ばそうとしているのだと感じて。
これ以上、言葉の上でごまかしてはいけない、とイリナも強く思った。
(私は、補佐に関して、仕事のときの姿しか知りません。とても頼りになる上司です。真面目で、信頼できる方だと思います)
イリナは、目の前の相手と過ごしてきた時間を思い出して、ようやく一歩踏み出す決心をした。
「三十年くらいかけて、お代を返すことになるかもしれませんが……」
恐る恐る言うと、ミケランジェロは青い目を瞠り、口元に笑みを浮かべて頷いた。
「その提案は興味深い。君のような優秀な人材が、この先ずっと俺のそばにいてくれるというのなら、返し切る前にどんどん上乗せしたいくらいだ」
「さらっと恐ろしいことを言わないでください!」
(借金漬けにする気だなんて! こんなとんでもない上司だったなんて!)
心の中でわめくイリナさておき、ジーナは《きゃっほぅ! 可愛い服着てイケメンと素敵なお店でデートだーっ! この世の春よ、若い子の体侵食してほんと良かった!》と物騒な喜び方をしていた。
補佐も聖女も、喜びの表現がエグいな、とイリナはしみじみ思った。
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