あなたを『分かりたい』から

半チャーハン

あなたを『分かりたい』から

 私の名前は、月島つきしま愛華あいか

 血液型はAB型。誕生日は9月21日で、おとめ座。好きな食べ物はカツ丼。


 ポツポツと、自分が誰か忘れないように、頭の中で反芻する。


 小学生の自己紹介みたいなプロフィールは分かるのに、頭の中がぐちゃぐちゃで、ぐちゃぐちゃで、……何も分からない。


 息をするのさえ苦しい。苦しみながら息を吐くくらいなら、もう呼吸なんてしなくていい。


 走馬灯みたいに、今までのことが脳内に走った。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


 私は、昔からよく悩みを相談される方だった。みんなが私を頼ってくれて、私も頼られるのが嬉しかった。


 過去形なのは、近頃、相談者を不快にさせてしまっているようだから。


「あたしブスだし、最近ニキビが酷くてさ」

「胸が小さいのが悩みなの」

「細くなりたい」

「勉強しなさいって、親がウザいの」


───────────そうだね。分かる。


 共感しているつもりなのに、その言葉にみんなが顔を歪める。口を揃えて言うんだ。


「「「「愛華あいかには分からないよ」」」」


 私は真摯に受け止めてるはずなのに、最近そう突き放されることが多くなった。


 確かに私の肌はよく手入れもしているからニキビも少なくてツルツルしてるし、親もそこまで厳しくないからうるさく言われることもない。細身だけど、そこそこ胸もある。Cカップ……くらいかな。


 そんな私が「わかるー」と言うと、バカにしているとしていると思われるらしい。今まではそんなこと無かったのに。


 歳を重ねるにつれて、みんなそれぞれ自分の世界を持って、悩みを抱えるようになるのかもしれない。私はそれに置いていかれてしまったのかもしれない。


 どうしたらいいのか、思案する毎日だった。


「そっか、完璧に分かればいいんだ」


 授業中にペン回しをしているとき、急に思いついた。勢い余って飛んでいったシャーペンが隣の机にぶつかり、床を転がる。


「お、落としたよ……」


「ありがとっ!」


 隣の席の大人しい女の子が拾ってくれたシャーペンを受け取って、私はノートに設計図を書き始めた。

 

 相手の心をコピーして、私の脳に送り込む機械の設計図を。


「できたー!」


 一年後、私は亡くなった父が残した研究室で、一人ガッツポーズをしていた。睡眠時間を削りまくって作り続けた『ココロわかるくん』がやっと完成したのだ。


 鈍い輝きを発する鉛色の機械に、スリスリと頬ずりする。


「まずは紗佑里さゆりで試そうかな」


 紗佑里は私の幼馴染みで、一番の親友でもある。スマホを開いて、ポチッと通話ボタンを押した。


「あ、もしもし。紗佑里、今暇?えっとね……」

 

 30分後、紗佑里が家にやってきた。


「いらっしゃい。適当にその辺座ってて」


 オレンジジュースをコップに注いでいると、紗佑里が少しだけ不満そうに言った。


「なんかすごい機械作ったんだって?愛華が昔から機械いじり好きなのは知ってるけど……。ずっと私とも遊んでくれなかったし、生活習慣も相当乱れてたでしょ。そこまでしてくだらないものだったら許さないよ」


 不機嫌そうに言ってるけど、それが紗佑里なりに心配してくれているからこその態度であることを私は知っている。


「大丈夫。すっごい機械だから」


 オレンジジュースがなみなみと入ったコップを彼女の前に置いて、私も隣に座った。


「『ココロわかるくん』だよ。気持ちが分かる機械。ほら、私、前は結構悩み事の相談に乗ってたりしたじゃない? でも、だんだんさ、私には気持ちが分からないって言われるようになっちゃって、私も自信がなくなっちゃったんだ。相談してくれる人の気持ちが、本当に分かってるのか……」


 口に出してみて、初めて分かった。私、寂しかったんだ。


「だからね、正真正銘分かろうと思ったの。機械は嘘をつかないから、私はみんなのありのままの心を本当の意味で理解できる」


「……そっか」


 少しの間の後、紗佑里はそう言ってくれた。


「いいじゃん。愛華らしくて」


 私の隣で、笑ってくれた。


「……うん! 」


 ジュースを飲み終わると、紗佑里を研究室に案内した。


「ここだよ。ちょっと散らかってるけどごめんね」


「本当だ。足の踏み場がちょっとしかない」


 私は、紗佑里を研究室の中央の椅子に座らせる。カンカン、と鉛色の機械を叩いた。


「これが『ココロわかるくん』だよ」


「すご……。これ、愛華が作ったの? 」


 口を半開きにして唖然とする紗佑里に、胸を張ってみせる。


「もちろんだよ! 使い方説明するね」


 私は、機械の中から赤いヘルメットを取り出した。わかるくんとはホースで繋がっている。


「まず、これを紗佑里がかぶる」


 紗佑里がヘルメットをかぶったのを確認すると、私はもう一つ青いヘルメットをわかるくんから引っ張り出して、かぶった。


「紗佑里、悩み事を思い浮かべてみて」


「……分かった」


 彼女が、そっと目を瞑る。


 次の瞬間、私の頭にたくさんの言葉と音と景色が飛び込んできた。


 ○○○○○○○○○○○○○


 私はテレビを見ている。毛穴もニキビも知らないアニメの女の子と、ふと画面が暗くなるときに写し出される自分の顔を見比べて、紗佑里の顔をした私はため息を吐いていた。


 一瞬、場面が途切れる。


 今度は、賑やかなグループの中心にいる可愛い女の子の額を見つめていた。


 気づいたグループの子が、私に尖った視線を向ける。


「何見てんの、ニキビ面。キモぉ」


 学校帰りにスーパーへよってキャベツを買った私は、台所に立っている女の人に声をかけた。


「お母さん、今日はご飯いらない」


「あらどうしたの紗佑里。具合でも悪いの?」


「ううん。ちょっとね」


 私は、女の人の心配そうな視線から逃げるように階段を駆け上がった。


 部屋のベッドに腰掛けて、食物繊維たっぷりのキャベツを食べてると、一筋の涙が頬を伝った。


「私だって、好きでこんなにたくさんニキビ作ったんじゃないよ……」


 喉の奥が熱くなって、鉛みたいに重くなって、キャベツが少ししょっぱくなった。


 ○○○○○○○○○○○○


「……か………いか……愛華! 」


 私を呼ぶ声がする。ハッと気が付くと、見慣れた研究室で紗佑里に肩を揺すぶられていた。目から熱い液体がとめどなく溢れる。


 私は悲しみの底へ突き落とされたような絶望の中で、同時に深い喜びに浸っていた。


「わ、私……分かったよ……。紗佑里の気持ち、全部、完璧に……」


「うん……ありがとう」


 今までに感じたことのないような充足感が、私を満たしていた。


 次の日は、真美まみを家にお招きした。


 研究室に案内して、ココロわかるくんからホースで繋がれたヘルメットを渡すと、少し胡散臭そうに顔をしかめた。


「愛華……。これ大丈夫なやつ? 」 


「全然大丈夫だよ!昨日紗佑里で試したし」


「友達を実験道具扱いすんな」


 真美の鋭いツッコミに、お互い笑い合う。


「真美は勉強のことで悩んでたんだよね」


「勉強……ってか。うん、まぁ、そう」

 

 曖昧に答える真美を不思議に思いながらも、私はヘルメットの着用を促す。


「思い浮かべて。辛かったこと」


 ○○○○○○○○○○○○○

 

「アンタって子は、どうしてこうも出来が悪いのかしら」


 女の人の、静かで暗くて冷たい声が突然に浴びせられた。目の前には、87点のテスト。


「ご、ごめんなさい……」


 声が震えた。顔の筋肉が強ばって、上手く喋れない。


「小さい頃から塾に行かせて、お金も沢山かけているのになんの成果も出せないなんて。お母さん、恥ずかしいわ」


 女の人は、表面だけ優しげに笑う。


「次は100点。最低でも95点よね」


 場面が切り替わって、私は自室で勉強していた。


「次は絶対に100点とらなきゃ……」


 呪いのように呟く。


「だって、100点取ったらお母さんは褒めてくれるし、笑ってくれる……。お母さんが笑えないのは、私のせいなんだ」


 カクンと頭が揺れる。そのまま私は寝入ってしまっていた。


 気が付くと私は、教室に中学校の制服を着て立っていた。背も伸びているのがわかる。


「愛華、聞いてほしいことがあるの……」


 あれ、目の前にいるの、『私』だ……。


「もちろん! なんでも言って! 」


 え? これが辛かったこと? てか私の声って、こんなに耳障りだったっけ。


「あの……」


 心臓が、すごく嫌な音を立てた。


「最近、勉強しろって親がウザイの! 」


「そうなんだ。大変だよね〜」


 脳天気な声が耳の中を這いずり回るような感覚に陥る。気がつくと、私はその場から走り去っていた。


 ○○○○○○○○○○○○○


「あの、愛華……? 」


 とんとんと肩を叩かれる。慌てて目を開いた。心配そうなんだ表情の真美が、私を見下ろしていた。


「愛華、顔、真っ青だよ。大丈夫……?」


「真美……。私に相談したことが、そんなに辛かったの?」


 私は気がおかしくなりそうだった。今まで、少しでも友達の役に立ちたくて、相談事を聞いていたのに。


「あ、それは……」


 真美が気まずそうに目を逸らした。


「親がウザいだなんて言うの初めてだったから、すごく不安だったの。こんなこと言っていいのかなって」

 

 でも、と真美は言葉を続ける。


「今、愛華が全部肯定してくれたような気がしたから。辛そうな顔して、そんな思いさせちゃったのは申し訳ないんだけど……。でも、辛いって思っていいんだって分かったから。ありがとう」

 

 ヘルメットを取って、彼女は眩しく笑った。ああ、この瞬間が、何よりも満たされるんだ。


 私は、中毒症状でも起こしたように一日ごとに友達を部屋に呼んでは、ココロわかるくんを使った。かつて悩みを相談されて、ちゃんと応えられなかった人たちを。


 優香ゆうかちゃんも笑ってくれた。


 瑞稀みずきちゃんも笑ってくれた。


 明日香あすかちゃんも笑ってくれた。


 私が気持ちを完璧に理解すると


 ココロわかるくんを使うと


「「「「「「「笑ってくれた」」」」」」」


 ▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△


「……ぃか!!愛華!!」


 ハッと目を覚ました。見知った、教室の中だった。『私』の顔を心配そうに覗き込んでいるのは親友の紗佑里。


「愛華、最近居眠り多いよね。家で眠れてないの?」


「……ちょっと疲れちゃって。ゲームのやり過ぎかなー、なんて。……ハハッ」


 たぶん、『ココロわかるくん』の副作用みたいなものだというのは分かっている。ときどき自分が誰なのか分からなくなって、自分のものじゃない感情が湧き上がって、どうしようもなくなる。


 この、行き場のない感情を追い払いたくて胸を掻きむしるけど、何にもならなくて、むしろ塵が降り積もるみたいで、疲れて……矛盾してるかもだけど、眠れなくなる。


「大丈夫だよ。気にしないで。全然、何ともないから」


 愛想笑いで誤魔化そうとした。だけど、相手が悪かった。そんなので誤魔化せるような紗佑里じゃなかった。


「ねえ……、愛華がおかしくなったのって、あの機械のせい?」


 ココロわかるくんのことを指しているのだろう。『私』は何も答えなかった。


「そうでしょ。だって、あのときから、愛華だんだんおかしくなったもん。何か、変なんだもん」

 

 『私』がなんの反応も示さないのに苛立ったのか、紗佑里は私の腕を乱暴に掴んだ。


「来て!! 親友なんだから、幼馴染みなんだから……少しくらい頼ってよ!! 」


 学校を出て、紗佑里に引っ張られる形で私たちはしばらく歩いた。紗佑里が足を止めたのは、『私』の家の前だった。


「ここ……『私』の家じゃん」


「そうだよ。……ちょっとごめん」


 紗佑里は『私』のカバンをガサゴソ漁ると、勝手に家の鍵を取り出してドアを開けてしまった。強引に歩かされて、ココロわかるくんがある部屋に連れてこられる。


「なに……学校抜け出してまで悩み相談?」


 そうだよ。今は昼休みだってのに、何やってんだ『私』たち。


「紗佑里、一回学校戻ろう。別に放課後でも……」


 『親友』を見て、『私』はギョッとした。彼女は、ココロわかるくんに繋がっているヘルメットを被っていた。私にもカチャカチャとヘルメットをかぶせる。抵抗する元気もなくて、されるがままになる。


「何してんの……」


 『紗佑里』は、今までに見たことがないくらい強い目で『『私』』を見ていた。


「聞かせて、愛華の気持ち。私も一緒に背負うから」


 そのあとは、何も考えていなかった。無理矢理押し込めていた感情の蓋を緩めた。


 頭がごちゃごちゃする。もう、何も分からない。何も分かりたくない。『『私』』はなに。『『『私』』』はどこ。かろうじて分かることを必死に数える。私は、愛華。月島愛華。血液型はAB型。誕生日は7月21日でおとめ座。好きな食べ物はカツ丼。それから……。


 ぎゅっと、手を握られた。白くて細い指が、縋るように絡みついていた。


 ヘルメットを被ったままの『紗佑里』だった。目は虚ろで、どこかを必死に見つめているようにも何も見ていないようにも見える。


 私は月島愛華。『紗佑里』という、『『親友』』がいる。自分のことよりも、一番に私のことを思ってくれる『『親友』』がいる。


 『『『『私』』』』 も、細い指を握り返した。強く強く、握り返した。


 さっきまでと何も変わっていない。頭の中はごちゃごちゃしていて、全身を這いずり回る苦しさは私を押し潰そうとするばかり。


 でも、『『『『『私』』』』』は少しだけ微笑むことができた。


 焦点が定まらない、ぐるぐる回る洗濯機の中に閉じ込められたみたいな世界で『『『紗佑里』』』と一瞬目が合った。


 少し微笑んでいた、ような、気がした。

 

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