さよなら、初恋
菜花
第1話 聖女召喚の事情
その異世界には魔法があった。
ただし、種類は非常に限定された。
空間移動魔法はあっても浮遊魔法はない。
発火魔法はあっても水を生み出す魔法はない。
自白魔法はあっても沈黙魔法はない、等々。
空間移動魔法で異世界から人間を呼び寄せられても、それは特定の性別の特定の年代だけで、さらにその人間はこの世界に来てから魔法が使えるようになるが、その能力も一種類だけという限定ぶり。何人呼んでも同じだった。
だがその一種類が問題だった。この異世界にはない治癒魔法が使えるようになるからだ。
その異世界を牛耳る時の王家はその力に大変な興味を示した。何故なら……。
度重なる近親婚で病弱な子供しか生まれなくなっていたからだ。
その時に呼び寄せられた人間は若い少女で、権威とか地位とかいう言葉には非常に弱かった。魔術を総括する神殿の神官が召喚し、説明を聞かせて王宮に連れていくと、少女は喜々として王太子の治療を開始。王太子は健康そのものになった。
ともに十代の二人。長く苦しんでいた病気から初めて解放された王太子と、王子様という言葉にうっとりする若き乙女。二人は瞬く間に恋に落ちた。
二人の結婚にはメリットがあった。
血族がいない少女なら外戚問題が生まれない。
閉鎖的な一族に新しい血を入れられる。
何かあった時に治癒魔法が使える人間がいれば心強い。
とはいえある程度体面が保つ必要がある。
王家は魔術を統べる神殿と組んで召喚される人間は皆聖女であると世界に知らしめ、召喚少女に地位を与えることにした。
そして病弱な子供――特に王太子となった人間が成人まで生きるのは難しいと判断された時、神殿に依頼して召喚の儀を行い、治癒してもらったあとは王太子と結婚させた。
性格も似たような子が多くなるのか、召喚少女はミーハーな子ばかりで、王族と結婚するのを嫌がる少女はまったくいなかった。
そして治してもらった王太子もまた恩義を感じて少女を大切にした。
しばらくはそれで上手くいっていたのだが、ある時にとうとうその均衡が崩れた。
公爵令嬢に心を奪われていた王太子が、病気を治してもらっても聖女とは結婚したくないと言い出したのだ。
前例のない事態に王家も神殿も混乱し、恩人となる人を粗略に扱ってはならないと進言した。それすらも恋愛に夢中な王太子――マルシオには煩わしいだけのものだった。
その時の王家には嫡子にも親戚にもマルシオ以外にまともな男児がいない状態であったこともマルシオには追い風になった。
「ちょうど大神官も退任の頃合いだっただろう。僕の言う事をよく聞く貴族の次男三男あたり、それも見目がとびきり良い男を大神官に据えて、聖女にはそいつを与えればいい」
恋愛で目が曇っていたマルシオには最善にして最高の策に思えていた。追随する人間は素晴らしいお考えですとおべっかを使った。
70代とはいえ健康に問題もなく、魔術庁に所属する神官全てから敬愛されていた大神官は、年齢を理由にマルシオによって引継ぎの間もなく強制排除させられた。
思うところがあったのだろう、大神官は去り際に「この罰当たり者が! いずれ後悔するだろう!」 とマルシオにとっては負け犬の遠吠え、みっともない捨て台詞としか思えない言葉を吐いて去っていった。
そうして新たに神官になったのはミゲルという、下級貴族の三男だった。魔力量は多いとはいえ、その身分からせいぜい中級神官になって終わるだけだろうと自分も周りも思っていたのに、二十歳にして魔術庁最高権力者である大神官になってしまった。本来ならどんなに早くとも40を越えないと大神官にはなれないというのに。
マルシオ様は自分をそこまで評価してくださる、とミゲルが思っていたのは最初だけだった。
「その顔の良さで聖女を誘惑してくれ。僕が聖女と結婚しなくていいように」
ミゲルは最初、王太子に何を言われているか分からなかった。分かった途端、能力ではなく容姿のみで評価され、マルシオが幸せになるための捨て石にされたのだと知って愕然とした。
だが到底断れるものではない。王家の命令に逆らったら最悪死罪も有り得る。死罪にされずとも下っ端人生に戻るだけ。ミゲルは前向きに考えることにした。
聖女の名声はこの世界にあまねく届いている。結婚相手が大神官は前例がないけれど、決して役不足の相手じゃない。
大神官という身分と聖女の恋人という地位が合わされば、間違いなく薔薇色の人生が送れるだろう。
ただ断る権利もなく強制された相手というだけだ。そんなもの貴族社会ではよくあること。
ミゲルは不満を押し込めて召喚の儀に臨んだ。
◇
日本の中学生、石川胡桃《いしかわくるみ…》は14になったばかりの平凡な容姿の少女だった。
普通の子と違うところがあるとすれば、家庭が常時荒れているところだろうか。
家に帰るなり母親が化粧を完璧に終えた姿で玄関から出てきて「あら帰ったの。……はぁ。あんたがいなければ離婚できたのに」 と愚痴を言われる。
母親本人からしたらちょっとした愚痴なのだろうが、こんなことを言われ続ける娘からしたら溜まったものではない。
父親は他の女の家に入り浸って帰ってこない。母親はいつも仕事が終わったら綺麗な格好をして夜の街に繰り出す。その様子は噂になって、級友に「お母さんが胡桃ちゃんとは遊ぶなって……」 と言われるほどだ。
衣食住に不自由したことはないが、それでもこんな生活をしていれば心が荒むし、逃避願望も生まれる。
誰も自分を知らない世界に行きたい。そんでお姫様みたいに扱われてみたい。見たこともないようなイケメンが傅いて愛を囁いてくるの。そして結婚して一生幸せに暮らすんだ。
そこまで日記に書いてパタンと閉じた。胡桃の日記には願望や妄想しか書いていない。普段の生活があまりに寂しいものだから。
みじめだなあ。そう呟いてから、胡桃はベッドに潜った。
だが次に目を覚ました時、日記の妄想が現実になっていた。
◇
金髪で青い目のイケメンはミゲルと名乗った。更に自分は聖女の運命であると。貴方に会うために生まれたのだと囁くように言う。
胡桃はほっぺをつねって夢ではないことを確認した。夢ではないと分かると途端にはっちゃけた。
やっと苦労が報われたんだ! ううん、私は最初から偉い人だったんだ! ちょっと手違いで今まで一般人生活送ってたけど、今からが私の本当の人生なんだ!
分かりやすく浮かれる胡桃を前に、ミゲルは笑顔の裏で呆れていた。
ちょろいやつ。こんなしょうもない嘘に引っ掛かるとかどんだけ恵まれてなかったんだよ。まあ手間が省けて助かるけど。寝起きらしくぼさぼさの髪にしわくちゃの寝間着。それでよく恥ずかしげもなく偉ぶれるなと感心すらしてしまう。
控えていた侍女に命じてみっともない服を脱がせてから高級な服を着せ、王族に前に立っても恥ずかしくない程度に仕上げると、早速馬車に乗せて王宮に向かってもらう。着いた先ではマルシオが天蓋付きのベッドで横になっていた。
マルシオの病弱は先天性のもので、普通の人間よりひたすら虚弱なのだ。一度風邪を引くとひと月は長引くし、咳で骨を折ったこともある。王も神殿もこれなら聖女を召喚するのに充分な条件を満たしているとして聖女を召喚することにした。
どこの馬の骨かもしれない異世界人のくせに、一国の王太子の命運を握るなんて生意気だ、とマルシオは聖女に捻じれた恨みをもっている。
「聖女様、こちらが……この国の王太子です。私が聖女と婚姻するためには、王太子を治療することが条件となっておりますゆえ」
「え、でも私、医者の資格なんて……」
「この世界に呼ばれた時から、聖女は治癒魔法を保持しております。どうか、手を握って王太子のためにお祈りください」
「は、はい。ミゲルがそう言うなら」
目にハートマークでも浮かんでいそうな様子で胡桃は大人しくミゲルの言うことに従った。マルシオは治してもらう立場にも関わらず、しょせん美形ならなんでもいいのが聖女だなと見下してしまう。胡桃の田舎から出てきたばかりの下級貴族のようなおどおどした態度もそれに拍車をかけてしまう。特急で仕上げただけあって格好も服に着られているといった感じだ。要するにやぼったい。
胡桃から見た王太子、マルシオはまさしく病人だった。白髪なのか銀髪なのか分からないほど褪せた髪。落ちくぼんた翠の目に、やせこけた頬、不健康な肌の色つや、ガリガリの体躯。自分は特に優しい性格ではないと思っていたが、それでもこの様子を見ると自分に何とかできるならしてあげたいと思ってしまう。そっとマルシオの手を握り「どうか健康になりますように」 と祈る。すると握った手から光が溢れ、マルシオの身体を包み込む。
光が消える頃、マルシオは自分の身体の異変に気付いた。
慢性的な疲労がすっかり抜けている。身体が軽い。それに今すぐ何かを食べたい気分だ。さては野獣が人間に戻る童話のように、自分も王太子らしい王太子の姿になったのではないかと侍従に鏡を持ってこさせる。
身体は健康なはずだが、そこに映っていたのは以前と変わらない自分だった。病人を絵に描いたような姿。どうやら聖女の治療は身体を健康にはするが、それまでに培った体格は自己責任で、ということらしい。
だがそれでも充分だ。これが人並みの身体。人並みの健康。
マルシオは治療が終わったと判断すると、お礼もそこそこにミゲルと胡桃を去らせ、父母とともに夕食に参加して、そこでスープ以外の物をもりもりと食べる姿を見せて喜ばせた。
◇
帰りの馬車の中で、胡桃は向かい合うミゲルにマルシオのことを尋ねた。
「多分健康にはなったと思うんですけれど、あれで終わりなんでしょうか? 王太子っていうくらいだし、経過を見るためにも今後も呼ばれたりするのかな?」
「……いえ、もう用はないと思います」
治療はすぐ終わる。歴代聖女の時もそうだった。本来なら二人は恋に落ちるのだろうが、生憎マルシオにはとっくに想い人がいる。治療が終われば聖女なんて邪魔なだけだ。
「そうなんですか? じゃあ私、これからはどうするんだろう」
「どうもこうも、運命の傍にいるんですよ」
「あ、そっか。そうですよね」
そう言って照れだす姿は人並みに可愛いかもしれないが、20歳のミゲルからすれば14の胡桃なぞひたすら子供っぽく思えて仕方ない。容姿で大神官に選ばれただけあってそれなりに遊んでいたミゲルにとっては、うぶな胡桃はただただ物足りない相手だった。
「時たま患者を診て貰えれば、神殿としては有り難いのですが」
「ええと、とりあず必要だったら呼んでください。言われたことはやります」
物分かりがいい部類なのだろうが、そもそも聖女は王太子に会った時から王宮住まいになるのが慣例だ。神殿に戻るなど聞いたことがない。神殿だって聖女みたいな存在の扱いには困るだろう。尼僧になってもいない女が神殿にいるというのも聞こえが悪い。せめてその治癒魔法で役に立ってもらわなければ示しがつかない。
ともかく急ごしらえで部屋は用意してあるし、侍女も十人ほど確保した。……王宮ならもっと広い部屋をあてがわれただろうし、侍女も百人単位でいたかもしれないのに。あとはとにかく聖女には聖女らしく振る舞ってもらって、神殿の権威を落とさないようにしなくては。それらを聖女に感づかれないように、それでいて自主的にそう判断したのだと思わせるように強制させなければいけないなんて。しかも聖女のご機嫌取りも同時進行。
これからのことを考えて頭の痛いミゲルと違い、これから運命の恋人とのラブラブな毎日を妄想してウキウキの胡桃。余裕のないミゲルにはそんな姿も苛立って仕方なかった。
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