神の仕事
岡倉桜紅
瞑 めい
色とりどりのステンドグラスが太陽の光を透過して大理石の床を彩っている。大理石の床の大きく、美しいロビーには、上品なスーツに身を包み、ブリーフケースを持った者たちがにこやかに挨拶を交わしながら行き交う靴音であふれている。
その和やかで瑞々しい風景を一直線に横切る男がいた。男は大股でずんずん進み、ロビーを移動する者の間をかいくぐり、半ば押しのけるようにしてまっすぐにエレベーターホールへと向かう。今まさに乗ろうとしていた女は男の様子を見て思わず順番を譲った。
「どうも」
男はすでにいっぱいのエレベーターの籠の中に自分の体をねじ込むと、閉じるのボタンを押した。チン、という上品な音がしてエレベーターの扉は閉まり、籠は上昇していった。
男はエレベーターの扉のつやつやに磨き込まれた金色の金属でできた部分に自らの顔を映し、速足で歩いてきたために乱れた髪を撫で付けた。曲がったネクタイを正す。
エレベーターは各階に順に止まっていき、やがて最上階に男を運んだ。扉が開くやいなや男はエレベーターから出て、速足で廊下を進んだ。最上階の廊下には落ち着いた暗い青色のじゅうたんが敷いてある。速足で歩いているうちに男のスピードはだんだん上がっていき、最後はほぼ走るような速度で廊下を移動した。そして廊下の突き当りにある、大きな部屋の前までたどり着く。
「どういうことですかっ!」
男は重厚な扉を開け放って叫んだ。その部屋は大きな窓のある明るい部屋で、床には青いじゅうたん、壁際には趣味の良いインテリアが飾ってある。
部屋の真ん中に据えられたデスクに初老の男がついており、その横に薄い緑色のスーツに身を包んだ女性がクリップボードを持って立っている。どちらも急な侵入者に少し驚いた表情をしたが、次の瞬間にはもう落ち着きを取り戻していた。
「
初老の男が言った。深い青のスーツを着て、ネクタイピンは金色で上等なものだというのがうかがえた。銀髪はワックスで整えてある。
「すみません、空様。しかし」
瞑は言葉を続けようとしたが、空様、と呼ばれた初老の男が手で制した。
「わかっている。君の移動についてだな」
「そうです」
空様は隣に立つ女性に、「また後でもう一度来てくれないか」と言った。女は一礼して部屋を出ていく。扉が閉められ、部屋が静かになったところで瞑が口を開く。
「私は納得できません。なぜ私が空の神の役目を降りなければならないのですか」
空様はふぅと静かに息を吐いた。ここは日本の遥か上空、天界と呼ばれる場所であり、神と呼ばれる者たちが集い、日本に暮らす人間のために働いている。
「まず、君はいくつか我々のルールを破っているね。管理員の神からたびたび連絡が来ていた。雨の日の頻度が規定を下回ったり、規定量を大幅に超える特別な気象現象、また、特定のインクの使いすぎなど」
この天界で働く神は、キャンバスにインクで色を落とすことで日本の天気を操作している。
神が真っ青なインクをキャンバスに落とせば、日本に住む人々が見上げる空は快晴になる。神が白い絵の具で絵を描けばそれは雲になり、灰色を混ぜれば雨が降る。空の神たちは空のデザイナーなのである。
デザイナーである空の神は何人もいて、時間帯ごとにそれぞれ役目を受け持っており、瞑は夕日が沈むか沈まないかの、少し寂しくなるようなほの暗い時間を担当していた。
「ルールを何度か破ったことは認めますが、破るのは私だけではないはずです。私たちは人間の幸せのために空をデザインしているのです。幸せのためだったら多少の規定のオーバーは許容される、という規則ではないですか」
瞑は訴える。空様は首を振った。
「最後まで聞きなさい。もちろん、君以外の空の神たちも芸術的表現のためや、人間の幸福のためなどの理由をつけてしょっちゅう規則を破ることは私も把握している。ただ私は、君は管理員をやるべき神だと思ったから移動したのだ」
「私はデザイナーです!技術やセンスはこれまで一心に磨いてきたつもりで、事実、私のデザインした空は評価も高い!自分で言うのも恐縮ですが、勤務態度も他の神に比べ、なんら劣っているところはないと自負しています」
瞑は強い口調で言ったが、空様は表情を動かさなかった。
「管理員の仕事も、人間のために働く立派な仕事だ。
瞑は唇の裏を軽く噛む。
「私の瞑という名も、手放さなくてはならないのですね」
天界で生まれるすべての神は、天界を統べる空様が必要とすることによって生まれてくる。大体の神は20代前半の人間のような姿で生まれ、人間のように見た目の歳をとり、50代に差し掛かる前ほどで神を引退し、また空様によって生まれ変わらされる。
神の名は、生まれたときに空様からその役目によって与えられ、別の役目に就く時や、引退するときに空様に返還する。
空様は頷いた。
「そうだ。君はこれから瞑ではなく、
「……承知しました」
空様はゆっくりと手のひらで出入口の扉の方を指示した。話は終わった、という合図だった。空様は忙しい。今この時間も本来やらねばならない仕事があったはずである。
「お時間ありがとうございました。失礼します」
藍は礼をして部屋を出た。空様は変わらぬ表情で黙って藍を見送った。
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