悪役令嬢、傭兵になる。

溶くアメンドウ

序章 悪役令嬢の初恋

第1話 ロサリアの産声

『地獄に堕ちろ、クソ女!!!』

『プライム家の汚点めが…消え果てよ』

『汚泥に塗れた世界にでも落ちて行け!!』


……他にも私に浴びせかけられた罵詈雑言は如何様にも思い出す事が出来ますけれど、特に事態が変わる訳でも時間が巻き戻るわけでも無いので遠慮させて頂きますね。


 そう、私は今、底が深過ぎる余り闇だけが漂う峡谷—『深淵の入り口アビス・バレー』—を真っ逆さまに落下中でありますの。『青薔薇の令嬢』とまで謳われた乙女の最期が光すら届かない奈落の底の底に独りぼっちだなんて、とんだお笑い草だと思いませんこと?フフ、少しだけ楽しくなってしまいます。ご存知? この峡谷の底は、実は別世界へと繋っている門であるですとか、一つの大陸程もある巨大な鯨の…お尻の穴ですとか、他愛無い噂に富んでおりますのよ。幾度も調査されて来ましたが、結局は分からず仕舞い。もうじき、私にだけは明かされる手筈ではありますけれど……。


 思い返してみれば、常に他者に利用されて道具として扱われ邪険にされていただけの生涯でございました。大公の娘であるから、都一と名高い美貌の女だから、庶民の女と恋愛結婚などなさろうとした王子への叛逆の旗印として使えるから……。自分で何かを決めた憶えもございませんし、お父様、もとい大公殿下の言われた通りに漠然と日々を過ごしておりました。死を前にしてみると、退屈の一言に尽きる限りで。


「もしも、また人の身に生まれ堕ちる事がありましたら、その時は自分の事は自分で決める……そのように過ごしてみたいですわね」


尤も、私の様な多くの人の死に関わっている存在にその様な御慈悲が降り掛かるなんて、それこそお笑い草でなくって? 意志も形もどうであれ、私は確かに人の死を願い、そしてそれは確実に現実になったのですから。


「地獄はどのような出立をされているのかしら? フフ———」


もう長らく風と暗闇の間を縫って落ち進んで参りましたし、思案するお時間も存分に使わせて頂きました。後は唯、目を閉じて地獄に堕ちるその刹那をお迎えするとしましょう。


……


……


…………


…………


………………


………………


……………………はて?


「まだ掛かるのね」


世界で最も深いというのはどうやら、間違いなく真実である様子。石を底まで落として落ちた音が聞こえて来るまでの間隔で、深さというのはおおよそ測りうると聞き及んだ事がございます。


「よいしょ」


プライム家に代々受け継がれて来た親指大程もある巨大な蒼い宝石の着いた指輪。文字通り「家宝」の筈ですが、私が鬱陶しい余り外さないまま突き落としてしまわれたよう。


「お先にどうぞ、フフ」


指輪をそっと虚空へ放して遊ばせたのですけれど、奈落へ落ちていく姿を思い描いておりましたのに、次第に淡い光の粒を飛ばしながら何処かへと消え果ててしまわれた。


「あらあら、フラれてしまいましたね」


指輪はまだお2人・・・、私の手の内に佇まれていますが、この方々も私が奈落の空へソッと放した途端に消えてしまわれる気がして、何だかそうはさせては差し上げられなくなった。


「……孤独に死を迎えるのは、こんなにも寂しいモノなのですね」


真心から人と打ち解けた事のない孤独な生である事は、遥か彼方の昔に受け入れておりましたが、どうにも死に様ばかりは駄目のよう。私自身、意外な発見だと思いましたのよ?


「ようやく…待ち草臥れてしまうところでしたわ」


何か如実な景色の変化に至った訳ではございませんけれど、私の身に大きな変化が生じる確信が第六感から齎されたように感じたのです。呑気で穏やかな最期は私には相応しくないと常思っておりましたので、ペシャンコに潰れて華やか・・・に逝ける事に感謝を。


「それでは皆様、御先に失礼致します」


かつて余りに品性を欠いた殿方にかなり強引に迫られた事がございましたので、その折に人間が高所から落ちると如何遊ばせるかは知っているつもりなのです。


全身の力を隈なく抜いて、鼻唄を口遊む。


「〜〜〜♪」


やがて、鼻唄が終わると同時に

その悪き令嬢の身体を衝撃が包んだ。



————————————



「ッッッッッタァ!?!?」


 いや、正確には腰から全身へと伝わっていった。脆い木箱が木片と土煙と黒い灰を巻き上げながら派手な騒音を立てて割れた。悪き令嬢はどうやら、木箱の真上から堕ちてきて五体満足の様子。


「なんなの……」


思わぬ衝撃にはしたない言葉遣いが漏れてしまい、令嬢は腰をさすっていない右手で発作的に口元を抑えた。令嬢は割れた木箱が舞上げた汚らしい土煙が落ち着いた後、辺りを背伸びしながら見回した。


「どなた様の居城かしら? それにしては無骨が過ぎる意匠ともお見受け出来ますが……」


どちらかと申し上げれば砦や要塞などの軍事的な物とお見受けするのが自然。鼻の奥を初めてくすぐる臭いといい、さながら此方は——


「…なぁ…そこの誰か……」

「私ですの?」


城壁からか細い声が聞こえましたので其方を見遣ると、鼻先より上が|抉(えぐ)れた血塗れの殿方が既に失くされただろう視線を私に向けていた。


「女……?」


地獄に堕ちて早々に人と出逢えるとは、僥倖の2文字に尽きますわね! 1人でお話ししているのも丁度辟易しておりましたし。


「私はロサリア・ヴァルプス=プライムと申します」

「随分と…長い名前の…女だな…ハァ…クソッ……フゥー…フゥー…」

「その、貴方様の名前を頂戴しても?」

「……シドー…分かってるくせに、何で聞くんだ……?」

「?」


初対面の殿方の筈ですが、シドー様は私を一方的に知っているのでしょうか? もしそうであれば、此処は地獄ではなく私に縁のある世界という事ですが、少なくとも辺りの焼け野原や今私達が立っている(シドー様はぐったりと城壁に背を預けて臥せられていますけれど)砦に見覚えはありません。どうなっているのでしょうか?


「……女も抱かずに死ぬのが惜しくて、ハァ…ッッ…ハハ、てめぇで声だけでも頭ん中に流しちまうたぁ…ヒヒ、いよいよだな俺も…」

「もし、シドー様? よもや私を幻聴か小さな妖精の囁きとでも思っていらっしゃる??」

「…たりまえだ……ハァ、こんなニブ砂漠の辺境も辺境の地で……箱入り娘・・・・の綺麗な声なんか、ハァ、ウッ……」


品性の欠けた殿方にだけは恵まれますのよね、私。声が綺麗だとおっしゃって頂いたので、今回は目を瞑る事に致します。未だ私の存在を信じて頂けていないシドー様に近づいて、彼のボロボロの左手の手袋を外して私の両手で包んで差し上げた。


「…手、? ……まさか…本当に女?」

「残念ながらそうでしてよ」


太ましい腕からは想像もつかない程弱々しい力が、シドー様の左手から私の左手に伝わってくる。舞台の乙女の様に彼の左手を握り返すとどうやら、シドー様は遂に私を認めて下さった。かと思えば、突如大層大きなお声で笑い始められた。


「アッハハハハハハハ!! …ゲホッ、ハァ……ハハ、地獄に何とやら…」

「華、でしょうか」

「華か、ハハ…華、ねぇ……自分でいうかね…ヒヒ……」

「こう見えても容姿だけは都一だと、貴族中からも民草からも持て囃されておりましたのよ?」

「生憎、見えない・・・・もんでね……ハァ…」

「あら、それは残念ですわ」


プライム家一の名士と云われた御祖母様にすら、容姿と振る舞いだけは褒められていました。お話しして下さる方には髪の一本から爪先の端まで、たんと私という人間を知っておいて頂きたいのに。


「シドー様、よろしかったら私を抱きませんこと?」

「……なんて?」

「私を、抱きませんか?」

「……馬鹿なのか、お前?…ハハ…」


見返りも無しに望むことを与えると提案してくる私を訝しむのは至極当然の事ではございますが、流石に「馬鹿」という言葉は過ぎたものでは??


「失礼ですわね、シドー様。当然私は聖人君子ではございませんので対価は頂きます。そして馬鹿でもございませんのよ?」

「イタタ…わ、分かったよ……ハァ…マジで死ぬ…」


抗議の意味を込めてシドー様の耳を引っ張ると、本当に千切れそうになった。あまり気にしていませんでしたけれども、シドー様の身に何があったのでしょう?


「で、何が…ハァ…欲しいんだ…? お嬢ちゃん」

「今いるこの場所と周辺の仔細、それからこの世界の事について少々ご教授頂ければ幸いです」


この世界が私と縁のある可能性は低い様に思われますが、思い掛けない繋がりがあるやもしれませんし、未だ痛みや人の温もりを感じている身である様ですので生きるに困らない程度の立場と環境は手に入れる必要があります。その為には兎にも角にも、知識と情報を収集しなければなりません。まずは、足掛かりから。


「…ハァ……そんなんでいいのか…?」

「えぇ、ですから…」


私自身この様に振る舞うのは初めてで戸惑いを隠しおおせていないと思うのですが…。


「どうぞ、堪能して下さいまし」

「…本気でいいのか?」

「はい」


シドー様に馬乗りになる形で手を広げて身構えていますと彼の手が弱々しくも徐に私の胸へと触れた。


「もし!? 何をしておりますの!!!」


思いの外、素っ頓狂な声と共に鋭い平手打ちがシドー様の右頬を打ち抜いた。


「イッタ!?!? …な、何って…フゥー……せっ、セックスだろ…?」

「なっ!? そ、その様な事まで許した憶えはございませんことよ!!」


何を聞いておりましたら、そのような解釈に至れるのかしら! 殿方のお考えというのはやはり私には理解しかねますわ。


「……もしかして?」

「……はい?」

「抱くって、抱き締めるの事だと?」

「他に何がございますの??」

「……はぁ…おもしれぇ嬢ちゃんだな…ゲホッゲホッ……」

「嬢ちゃん嬢ちゃんと申されておりますけれど、シドー様と余り年齢は離れていないと思いますわよ、私?」


吐血、そして一瞬の沈黙の後、シドー様は溜息を1つ零された。


「そーゆーのが…嬢ちゃんなんだよ…」

「どういう事ですの??」


勝手に納得された様子のシドー様は顎で私に抱擁する様にと促し遊ばされた。


「もう…あんま力、が…入らねんだわ…」

「はぁ、我が儘なお方ですね」

「…ちっとくらい他人に……優しくしてもバチは、当たんねぇって……」

「それは確かに、そうですわね…」


 プライム家という強大な後ろ盾も、手ずから築いた資産も失った以上、好き勝手放題に振る舞っていては再び奈落の底へ突き落とされる日もそう遠くはないでしょう。


「…これでよろしいかしら?」

「…あぁ……ハァ…ッッ…」

「お加減如何です?」

「…んぁ…天国…かな……」

「それは何よりです」


シドー様のお顔を私の胸へそっと沈めると、彼の冷たい体温と生温かな血液の2つの温度が感じられて、大変に不思議な感触。読み物の中の殿方を抱擁している乙女を思い出しては、それとなく猿真似をしてみる。シドー様の血濡れた栗毛色の髪を撫でてみたり、煤や灰に塗れた背中をゆったり摩って差し上げたり。次第に、シドー様の荒かった息遣いが俄かに落ち着いているのに気が付いた。


「私、抱擁するのが上手なのね」

「…悔しいが、そうらしいな……」


もう暫く程穏やかな時間が続いて、やがてシドー様は私の身体をそれとなく押し退けた。


「もうよろしいんですの??」

「…あぁ、ハァ…礼をする前に死んじまうからな……ありがとな、嬢ちゃん」

「ありがとう…」

「…?」


ありがとう、久々に——いや、生まれて初めて——その響きを聞いた様な心地。そうか、そうなのね。


「私、お礼を言われたの、初めてなんだわ」

「…フゥ……なんだそりゃ、フッ……マジならどんな風に生きてたんだよ…ハハ……まったく…」


本当の意味で私は、人間ではなかったのだ。他人が決めた事に従い、他人の意思で自らを定義する。人間ではなく『人形』だった、生きているようで生きていなかった。


「シドー様! 私、生きます!」

「お、おう…どーした急に…ゴホッ」

「この生涯は、自分で選び、自分で殺し、自分で掴んでみせますわ!!」


唯のプライム家のお人形は奈落の底で死んだのです。

ならば新たな生を得た私は——


「私はロサリア! ロサリア・ヴァルプス、ただの乙女でございます!」

「乙女って…殺す? ……ゲッホゲホ、今、殺すって言ったのか……?」


シドー様の低くなった声音が鮮明に届く。


「はい、自分で殺すと申し上げました」

「そうか」


何故か息の整ったシドー様は顎に手を当てて暫く手元にある筒を握りながらウンウンと唸っていた。それが終わったかと思いますと、突如ぬっと立ち上がられて私の前に筒を差し出された。


「ロサリア」

「え、あ、はい」


立ち上がって背筋がピッと伸びたシドー様は私よりも頭2つほど大きな背丈で、もうすぐ生命を終える方とは思えない程の活力に満ち満ちた佇まいで、私が知っている殿方の中で最も品位を備えた存在に見えた。そんな殿方に突然名前を呼ばれたものですから、何だか面食らってしまいました。


「この『銃』で、殺して欲しい子どもがいる」

「銃…?」

「受けて貰えるか?」

「…対価は?」


質問に質問を返すのは大変不作法だと承知の身ではありますが、聞かずにはいられなかったのです。


「英雄、あるいは人殺しの称号と…ゲホッッゲフ……暫く食うには困らない金」

「なるほど…それともう一つ」

「なんだ」

「シドー様が殺したいから、殺すんですの?」


悩むかと思っていましたが、シドー様は迷いもなく即座に答えを差し出して下さった。


「俺が殺したいから殺すわけじゃねぇ、だが俺がこの仕事を受けると決めた。だから殺すって意志は明確に俺の意志でもある」


「……分かりました、では受領致します。

 私が殺します」


私はシドー様から、銃を受け取った。

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