宝積寺進の名推理

@book101060

壁を這う男 その壱





「はァ・・・・・・」


 時は明冶めいじⅩ年。場所は倫敦りんとん市を私、和藤尊わとう たけるトボトボと歩きながらため息を吐いた。

 嘉永七年に大日本帝國は二百年以上に渡って続けてきた鎖国を解いて、亜米利加アメリカ欧羅巴ヨーロッパなど外国の文化や技術を取り入れた。

 ───が、我が国が鎖国している間に、他国の文明は我々の想像をはるかに上回っており、それらをいっぺんに取り入れた結果、私たちの暮らしもガラリと変わった。

 放電灯アークとうは闇夜を昼間のように照らして、蒸気機関車は馬よりも早くて遠く離れた場所まで短時間で移動できるようになった。

 さらに、蒸気携帯電話スチームフォン──通称「スチホ」──は遠く離れた相手と会話ができるだけでなく、共有の相手と連絡ができる“呟板つぶやいったー”や“らいん”は若者の間で大流行した。

 その一方で廃藩置県、廃刀令などに多くの士族は反発して、西南戦争が勃発して職を失った武家は新しい人生を始める者や路頭に迷う者など、様々な結果をもたらした。

 そんな激動の時代の中、梶原かじばら医科大学を卒業した私は陸軍軍医学校で研修を受けた。

 日清戦争が始まると私は大日本帝國陸軍の台湾征討近衛師団の軍医補として出征したが、戦地の医療設備は凄惨窮るものだった。  充分な医療器具や薬は揃っていなかったので、手術が成功しても三人に一人は死んでしまう状況で、私は自分の無力さを実感した。さらに、亜熱帯地域ということもあってマラリア虎狼狸コロリ腸窒扶斯ちょうチフスなどの伝染病による死者も多数出た。

 そして、この私も運悪く左肩を敵兵の銃弾に撃ち抜かれてしまった。肩の怪我は思った以上に酷く、間禮まれい看護兵の献身的な看病も空しく左腕の神経は完全にマヒしてしまったので、私は祖国に帰国して左腕を丸々一本、真鍮製の機械式義手マシンアームに改造することになった。

 改造手術を無事に終えると政府から九ヶ月間の休養と障害年金を与えられて、宿屋に籠りっ放しの自堕落的な日々を送るようになった。

 本当は都内で手ごろな下宿を見付けて引っ越したかったのだが、障害年金を頼りに生活をしている人間が借りられる下宿が都合よく見つかるわけもなく、今日も特に意味もなく街をブラつていたのだ。

 いつまでこんな生活が続くんだろうと思い悩んでいたせいか昼時になったからか、小腹が空いてきたので目の前にあった〈くらいてりあん〉という、そば屋に入った。

 昼時という事もあって店内はほぼ満席状態で、店員に相席を勧められた。その席には、禿げ上がった頭の飄々とした老人が座っていた。


「ここ相席で良いですか?」と私は老紳士に聞きながら座ると、相手はたぬきそばをすすりながら「ああ、どうぞ」と返事をした。


 何を食べようかとお品書きを見ていると、老紳士がキョトンとした顔で私を見ていた。


「失礼ですが、ワトソンくんではありませんかな?」


「え、どうして僕のアダ名を・・・・・・?」


 “ワトソン”というのは和藤 尊を音読みにすると、「わとう そん」になる事から付いた私の子供の頃からのアダ名だ。


「やっぱり!ほら、ワシじゃよ。須田じゃ」


「スダ・・・・・・?」私は記憶をたどると、思わず「あ!」と少しだけ大きめの声を上げたが、すぐに声を小さくした。


「須田教授ですか?医学生の時にお世話になった?」


「そうじゃよ!思い出してくれたか」


 須田教授は聖溝呂木せいみぞろぎ大学病院の教授で、陸軍軍医学校に解剖学の特別講師として講義したことがある私の恩師だ。


「お久しぶりです、教授。お元気そうで何よりです」


「ワトソンくんも元気そう───ではなさそうじゃな。色白じゃったのに今は日に焼けていて、昔よりも痩せとるじゃないか」


「はい。実は───」


 私は食堂で語るには相応しくない戦地での体験談を周りの迷惑にならないように小声で話した。


「そうか、左腕をな・・・・・・」話を聞き終えた教授は涙ぐんだ。「その左手の手袋も義手を隠すための物か・・・・・・。スマンなァ、辛いことを聞いてしまって」


「いえ、命があっただけでも良かったですよ。でなきゃ、こうして教授に会うことも出来ませんでした」


「うむ、そうじゃな。それで、これからどうするつもりかね?」


「はい。実は、都内で手頃な下宿を借りようと思っているんですけど、これが中々見つからなくて困っているんです」


「フム、下宿か・・・・・・」と教授は少し考え込んで、「あ!いや、しかし、あそこはな・・・・・・」と、また黙りこくってしまった。


「何ですか教授。どこか良い物件を知っているんですか?」


「知っていることは知っとるんじゃがな・・・・・・。実は、ワシは教授の傍ら検死官を始めたんじゃが、ある事件の捜査で宝積寺進ほうしゃくじ すすむという青年と知り合ったんじゃ。その青年は餅家町べいかちょうの〈二二一乙にいにいいちのおつ〉という下宿の二階に住んどるんじゃ。

 そこは元々、大家の亭主が書斎部屋として使っていたんじゃが、その亭主が亡くなって以来、下宿にしたんじゃ。かなり広い部屋じゃから二人までなら借りられるハズじゃぞ。 オマケに家賃が格安な上に、大家がベッピンさんで料理上手でな、朝と夜には手料理を振る舞ってくれるんじゃ」


「そんなに良い下宿があるんですか?それこそ僕の探し求めていた下宿ですよ」


 私は身を乗り出す勢いで食いついた。散々探し回ってやっと見付けた理想的な下宿を逃してなるものか。それと、恥ずかしながら美人女将というのにも心惹かれた。が、教授はあまりお勧めしないという様子だった。


「しかしのォ、宝積寺くんはちょっと、いや、かなり風変わりじゃからなァ・・・・・・」


「どんな風に変わっているんです?もしかして、その人は酷い癇癪持ちなんですか?」


「いや、そうではないんじゃ。例えば真夜中に提琴ビオロンの演奏を始めたり、強烈な悪臭を放つ薬品を使った化学実験をする時もあれば、部屋に浮浪児の集団が出入りしたり、酷い時には暴漢が怒鳴り込んでくることもあるそうでな。おかげで、宝積寺くん以外はだァ~れも部屋を借りてくれなくて、家賃が安いのも住人を呼び込むための苦肉の策なんじゃ」


 宝積寺 進という人間の人物像を聞いて、私は開いた口が塞がらなかった。


「た、確かに風変わりな人ですね・・・・・・」


「それだけじゃないゾ。・・・・・・食事中に話すのもアレなんじゃが」と教授は声を小さくした。「宝積寺くんはワシの研究室にも出入りするようにもなったんじゃが、この前は死体を鞭で叩いたんじゃ」


「死体を叩く?」私は自分の耳を疑った。「それは死者に対する冒涜じゃありませんか?」


「いや、宝積寺くんは憂さ晴らしのために叩いてるワケではなくて、何でも遺体の偽装工作を暴くための研究をしているそうなんじゃ」


 私は宝積寺という人物が遺体を叩き回る姿を想像したが、食事中なのですぐに止めた。


「研究ということは、その人も教授と同じ医学者なんですか?」


「ん、まァ、“百聞は一見にしかず”と言うじゃろ。今から〈二二一乙〉に行こう。その下宿に住むか住まないかは、宝積寺くんの人となりを見てから判断したら良いじゃろ。最近は大きな事件も無いから下宿にいるハズじゃ」


 食事を終えてそば屋を出た私たちは〈二二一乙〉へ向かった。その途中、私はさっきの話から疑問に思ったこと尋ねた。


「教授、さっき『大きな事件も無いから宝積寺先生は下宿にいるハズ』と言いましたけど、どういう意味なんですか?」


「ウム、宝積寺くんはな──、“顧問探偵”なんじゃよ」


「コ、顧問探偵・・・・・・?」聞いたことがない職業に私は首をかしげた。「何なんですか、それは。普通の私立探偵とは違うんですか?」


「顧問探偵というのは、警視廰の刑事でも解決できない難事件が発生すると、代わりに事件の捜査をして解決してもらう世界で唯一の宝積寺くんだけの仕事──らしいぞ」


「まさか、一般人が警察の事件に介入できるはずが・・・・・・」


「にわかには信じられんが、事実じゃからな。彼のおかげで、危うく迷宮入りしかけた事件が、もう何件も解決されたんじゃぞ。この前も、警察と協力して偽札事件を解決したんじゃ」


 私は教授の話に半信半疑だった。奇妙な化学実験をしたり、家に浮浪児を連れ込んだり、あげくの果てに遺体を鞭で叩く奇妙奇天烈な人間が警察から協力を求められて事件を捜査するなんて思えなかった。どちらかと言えば、その人の方が犯罪者に近いぐらいだ。そんな話をしている内に、私たちは餅家町に入った。


 しばらく石畳で出来た道を歩いていると、「あれじゃよ、ワトソンくん」と教授が〈二二一乙〉と書かれた表札が貼られた二階建ての一軒屋を指差した。


 下宿の前には栗色の髪に白い前掛け《エプロン》と緑色の着物を着た三十代から四十代ぐらいの女性が掃き掃除をしていた。


「こんにちは、真麻まあささん。入居希望者を連れてきましたぞ」と須田教授が女性に挨拶をした。


 女性は私たちに気付くと、真っ白い歯を見せてほほ笑んだ。「あら、須田先生。こんにちは」


「真麻さん。こちらはワシの教え子だったワトソンくんです」


「はじめまして。ワトソンです。本名は和藤 尊です」


 私が自己紹介をすると、真麻さんという女性も自己紹介をしてくれた。


「こちらこそはじめまして。私は大家の鳩沢真麻はとさわ まあさといいます。入居希望者の方は久しぶりですわ。お部屋をご案内しますね」


 真麻さんが掃除を止めて、玄関を開けると教授が耳打ちしてきた。


「どうじゃ、話通りのベッピンさんじゃろ?」


「え、ええ、そうですね」


「昔からワトソンくんは美人には目が無いからの~」


「ちょ、ちょっと。からかわないでくださいよ」私は思わず顔を赤らめた。


「どうしたんですかワトソンさん?」と、真麻さんが振り返った。


「あ、いえ。何でもないですよ」私が慌てたその瞬間、───ダーーン!ダーーン!!と銃声が二階から鳴り響いた。


「何だ今のは!?」私たちは目を丸くした。なおも銃声は続く。


 驚く私たちをよそに、真麻さんは駆け足で二階へ上がったので、私たちも後に続いた。私は戦場に居た経験から、懐から拳銃を取り出した。

 真麻さんは〈宝積寺 進探偵事務所〉と書かれた表札がぶら下がった扉を勢い良く開けた。

 私たちが部屋に入ると、異様な光景が飛び込んできた。机の上には所狭しとフラスコや試験管などの実験道具や薬品の瓶、造りかけの奇妙な機械、解剖学や化学関連の本、そして、それらを超える無数の切り抜き帳などの資料が雑多に置かれていた。

 その部屋で特に異様だったのは、何と部屋の真ん中で一人の青年が壁に向かって妙に細長い拳銃を発砲していたのだ。


「ちょっと、何をしているんですか先生!」真麻さんが青年に言った。


「何って、新発明の杖型猟銃の試し撃ちをしてるんですよ」と、青年は悪びれた様子も見せず、再び壁に拳銃を向けた。壁を見ると弾痕で“暇”という文字が撃ち込まれていた。


「どう見ても、研究じゃなくて暇つぶしにしか見えませんよ」


 そう言いながら、真麻さんは青年から杖の形をした拳銃を取り上げた。


 青年は「ハイハイ」と親に怒られても悪態をつく子供のように振る舞って、今度はフラスコや試験管を手に取って化学実験を始めた。その様子を見て、私はただただ、呆然としていた。


「教授、あの人が・・・・・・」


「ああ、あの青年が宝積寺 進くんじゃよ。話通りの変わり者じゃろう?」


「た、確かに・・・・・・。まさか、日本に帰ってきても銃声を聞くとは・・・・・・。けど、この薬品の匂いは懐かしいですね。学生時代を思い出しますよ」


 部屋の主は私の独り言に気付くと、顔をヒョイと上げた。

 宝積寺 進氏はやっている事こそは、絵に描いたような狂気科学者マッドサイエンティストだが、外見は西洋風の美男子だった。およそ六尺はある長身に琥珀色の髪、切れ長の眼と色素の薄い肌の持ち主で、さぞ女性にモテるだろうと思った。この奇行さえ見なければの話だが。

 それでも、クセっ毛の髪に度の強い眼鏡をかけた冴えない男を絵に描いたような私からすれば、うらやましい限りだ。


「真麻さん、そちらは?」と宝積寺氏が言った。


「あ、そうそう。こちらは入居希望者の和藤さんです」


「はじめまして、宝積寺先生。僕は和藤 尊と言います。気軽にワトソンと呼んでください」


 自己紹介をすると、先生は私のことをジッと見るので、最初は何かと思ったが、持っている拳銃に気付いてすぐに仕舞った。その瞬間、宝積寺氏は口を開いた。


「ワトソンくん、日清戦争での任務は苦労しただろう。オマケに左腕を失って機械式義手に挿げ替えるとは、とんだ災難だったな」


 私は少しの間、ポカンとしていたが、すぐに我に返った。


「ど、どうしてそれを?何で分かったんですか?」


「先生。また、そうやって初対面の人を驚かすのは止めてください。そんなことをするから、ここを借りる人がいないんですよ」真麻さんが間に入った。


「いいじゃないですか。最近は面白い事件が無くて退屈していた所なんだ。こうでもしないと、俺の優秀な頭脳が衰えてしまう」と、先生は化学実験をしながら話し始めた。


「ワトソンくん。君はこの部屋に入ってきて『薬品の匂いが懐かしい』と言ったことと須田教授といることから医療関係者だと分かった。日に焼けた肌と『日本に帰ってきても銃声を聞くとは』という発言に加えて、軍用銃を持っているということは、日清戦争で台湾に出征した軍医に間違いない。そして、左手にのみ手袋をはめていて、動かすたびにかすかだが歯車の音と油の臭いがすることから、機械式義手にしていると見抜いたのさ」


 宝積寺氏の話を聞き終えると私は愕然とした。


「ス、すごい。何から何まで全部当たっている・・・・・・。あなたは、神通力でも持っているんですか?」


「俺のは神通力なんて非科学的なものじゃない。優れた観察力と推理力さ」


 宝積寺氏はそう言うと、私たちの存在を忘れたかのように実験に没頭し始めた。その直後、フラスコからポン!という音と共に煙が出てきた。


「先生は研究に夢中ですので、邪魔しちゃいけませんから出ましょう」と真麻さんが言うので、私たちは部屋を出た。


「どうじゃね、ワトソンくん。宝積寺くんと合った感想は。なかなか強烈じゃろ?」と須田教授が聞いてきた。


「はい・・・・・・」


 今度は真麻さんが私に話しかけた。「いかがいたしますか?ああいう方がいるのでは、とても入居する気には───」


「住みます───決めました。僕、ここに住みます」


 私の言葉に、二人は面食らった顔をした。


「ほ、本気かいワトソンくん!?宝積寺くんはあの通り部屋の中で銃を乱射するし、奇妙な化学実験をしたりするんじゃゾ?」と教授が言った。


「平気ですよ。僕はついこの間まで、戦場にいましたから銃声は気になりませんし、薬品の匂いには慣れっこです。

 それに、学生時代に教授も言ってたじゃないですか。『人類が真に研究すべき問題は人間』だって。宝積寺先生が僕を観察したように、僕も先生を観察してみようと思うんです」


「そ、そうか・・・・・・。しかし、気を付けたまえよ。宝積寺くんはあの通り、人の素性を一瞬で見抜いてしまうから、反対に君の方が研究されてしまうぞ」


 忠告する教授とは対照的に、真麻さんは今にも泣きそうなほど喜んでいた。


「ありがとうございます。やっと先生以外に借りてくれる人が来てくれました」


 こうして、私の新しい生活──宝積寺 進氏との共同生活が始まった。

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