第12話 果て

 千尋峡谷に落とされた俺は、ついに人間に変化出来るようになった。



 さて、人間に変化出来るようになって、この千尋峡谷から出る事も可能になったが、どうしたものか。

 と言うのも、千尋峡谷の絶壁には、間隔をあけて縄梯子がかけてある。


 これ、どれを使っても同じなのか?

 たどり着く場所に違いがあるのでは?


 そう思うと、慎重に選ばざるをえない。

 俺としては、ここに落とされた時に初めて見た縄梯子が、最適だと思う。

 あそこからなら、俺が落とされた場所に出られるはずだ。

 だけど、それがどこだか分からない。

 最初に落とされた場所など、とうに忘れてしまった。


 その場所を探すためにも、俺はここ千尋峡谷を探索する事にした。


 そして改めて思うのだが、この廃墟の街並みは何なのだろう。

 明らかに人間が暮らしていた痕跡だ。

 その人間は、どこに行ってしまったのか。

 と言うか、こんな谷底で、生活していたのだろうか。


 今ここの住人は、ドラゴンだ。

 そのドラゴン達は、この廃墟の街並みに、何の興味もないらしい。

 まあ、ドラゴンの身体には小さすぎるから、変てこな地形としか感じないのかもしれない。

 かく言う俺も、前世の人間としての記憶が無ければ、なんとも思わないだろう。


 俺は人間に変化して、廃墟跡に入ってみた。

 そこは屋根も半分ほど残っていて、他の廃屋よりは保存状態はいいようだ。

 そこには確かに、人の生活の痕跡があった。

 テーブルに並んだ食器類。

 そのテーブルの片側の足が折れ、斜めに傾いている。

 並んだ食器類も、斜めのテーブルを滑り落ちたように、一カ所に固まっている。

 お皿もコップも、木製だった。

 文明レベルで言ったら、産業革命以前ってところか。


 他の廃屋にも寄ってみたかったが、俺が人間に変化出来るのは、近くに他のドラゴンが居ない時のみ。

 そんな機会は、わりと少なかった。


 何度か人間に変化してみて、分かった事もある。

 人間になると、大気中の魔素の吸収が出来ない。

 だけど普段の代謝は、ドラゴンの方が多い。

 だから餌を食う時だけドラゴンに戻って、普段は人間に変化するのが効率がいい。

 餌の子羊は、ドラゴンの時は普通に食えるが、人間の姿ではそのまま食う気にはなれなかった。


 そして空を飛んでて気づいた事は、誰も上空に注意を向けない事だ。

 俺が上空から影を落としても、誰も上を見上げなかった。

 まあ、確かに上空には何もないから、地上に意識を集中するよな。

 俺も以前はそうだった気がする。

 上空のミーシャは警戒すべきだが、ミーシャだけのために、注意を削ぐ事はしなかった。


 そう言えば、ミーシャは今、何をしてるのだろう。

 あれ以来、ミーシャには会っていない。

 温泉に行けば会えるかもしれないが、色々動き回っていたら、温泉の場所を忘れてしまった。

 近くに行けば、思い出すかもしれないが。


 そうこう動き回っていたら、千尋峡谷の果てを見つけてしまった。

 左右にある絶壁が、その場所で重なっている。

 あそこが千尋峡谷の果てか。

 見つけたのはいいが、まだたどり着いてはいない。


 そこは、廃墟の街並みが途切れた、数百キロ先。

 廃墟の街並みの外には、魔素の流れを感じない。

 つまり、魔素の淀みで発生する餌の子羊は、この先発生しない。

 そして俺自身も、大気中の魔素を吸収して、飢えを凌ぐ事も出来ない。

 ドラゴンの身体で、この距離を補給なしで往復するのは、不可能だ。

 代謝の少ない人間体なら、行けるかもしれない。


 うーん、どうしよう。

 そもそも俺は、ここから脱出するために、最初に落とされた場所を探してたんだよな。

 ならば放っておいてもいいのだが、普通に気になる。

 人間に変化出来るって、厄介だな。

 ドラゴンとしての思考に、人間としての知的好奇心が割り込んでくる。


 俺は行ってみる事にした。

 千尋峡谷の果てに。

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