ひたすら腕を振り下ろす作業
店長は語る、ハンターギルドの定めるルールとは何か?
実はハンターギルド内の壁に大きく文字で掲示されている文言なのだけど、あたしはこちらの文字を読めないので全く気にしていなかった事柄でもある。
原則、草原に存在する動物を狩猟すること以外は禁じる。
森や山に足を踏み入れるには、国に許可を貰う必要があるらしい。ルール違反が露見した場合には、厳格な処置が施される。例えるなら、見せしめも兼ねた公開処刑とか……。
なぜ森や山に立ち入ってはいけないのか?
森の奥や山岳地帯には、魔獣と呼ばれる強力な個体が存在する、らしい。魔獣とは、元来の生物(動植物)がマナの浸食を経て変質するものであるそうだ。
マナとは魔法使いが魔法を扱う上で利用する燃料である、らしい。このマナ、この星のどこにでも存在するのだが濃い場所と薄い場所の差が顕著であるという。平地や平野部などのマナ濃度は、深い森や山岳地帯に比べると十分の一にも満たないという。反対に考えると、森や山のマナ濃度は平地の十倍に相当するのだ。
マナにより変質した魔獣を刺激しないために森や山に入らないことは勿論のこと。
森や山から溢れた魔獣を討伐することも、またハンターギルドのルールには示されている。
多くは、森や山内部での草食獣の食料不足が挙げられる。そう言った場合、餓死する草食獣などは意外にも少ないらしい。森を抜け、山を下りるものが大半を占める。要は、平地に食料を求めて進出してくるのだ。そして、その後を追うように肉食獣がやって来る。やってきた肉食獣は痩せた草食獣を追うよりも、街や村を襲うことを優先することがあるという。これを暴走或いはスタンピードと呼ぶ。
平地に当然の如く街や村などの集落がある。
栄える街には頑丈な城門があり、そうでもない街や村にも土壁や木柵はある。だが、そんなものは気休めでしかないと店長は言う。魔獣の類は無助走で五メートル程度の跳躍を苦にしない種が存在するし、翼や翅を持つものには端から意味を為さない。中・大型の魔獣ともなれば、街の城壁など片手間に粉砕するとも言う。
そのような悲劇を未然に防ぐためにも、ハンターギルドには数多のルールが設けられている、そうな。
「で、うちもあの街に支店を構えている以上、その危険を十分に理解してはいる。その上で協力と言う建前の下、狩猟した獲物を食肉として本店や支店の料理に流用している。仕入れ値に掛かる費用は人件費のみ、食肉の購入代金と比べれば十二分に安い。要するに原価が安いに越したことはないんだ」
「……ぶっちゃけましたね」
「佐藤さんも食べればわかる。こちらのジビエはきちんとした処理を施せば、日本で流通している肉など目ではない。お陰様で本店は連日予約でいっぱいなんだ」
あたしは無意識唾を飲み込んだ。ごくり。
いけない、一端の淑女として恥ずかしい限りだわ。
「魔獣は極一部を除けば、とても食えたものじゃない。だからスタンピードが起きると大損だが、普段は草原の獲物を狩るだけの簡単なお仕事だ。ただ、命のやり取りをする以上は覚悟は必要だ。そうは思わないかい?」
「……そ、そうですよね」
「命のやり取りの結果、彼らは食肉となる。でも、俺たちがそうならない理由もない。だからこそ、佐藤さんにはこれから始める訓練には真剣に取り組んでもらいたい。ちょっと待ってね、今準備するから……」
普段の朗らかさとは対極にあるような真面目な表情で、店長はあたしに覚悟を問うた。
あたしの答えは、本店側の地下室からこちらへと至る時点で既に出ている。今更怖気づくことはない。答えを変えるつもりは毛頭ないのだ。
「門からも死角になってるし、ここでいいか。泥沼のスクロールと初心者育成用インスタントコアに間違いはないっと」
”あすかろん初心者育成キット”というラベルの貼られた箱から、店長は何かを取り出してじっくり検分していた。独り言にしてはちょっと大きな声だけど、指差し確認なのかもしれず、あたしは指摘したりはしない。
あたしは敢えて空気を読みにいく女なのよ!
「ちょっと離れててね。泥沼励起、…………よし無事完了。えーと、不動タイプのインスタントで合ってるよな? ならよし、起動!」
店長はあたしと少し離れた位置で、A3サイズの紙を低い草の生える地面に置き、紙の上に右手を添えた。完了という言葉と共に、地面が湿気を帯びたような感じがした。ただ、草がぼうぼうなのでそこまでよくは見えていないけれども。
そして、350ml缶くらいの黒い何かの塊を、先程紙を置いた位置に放り投げた。すると、地面が沸き立つかのように膨れ上がった。
「な、何ですか、これぇ!?」
「訓練とはいえ、最初から命のやり取りは出来ないでしょう? なので、訓練専用にゴーレムを作ったんだよ。佐藤さんの武器のそのバットは替えがないから、あまり負荷の掛からない性質のものを選んだつもりだよ。あと、あくまでもインスタントだからあまり頭はよくないね」
あたしはそんなことが聞きたかったわけじゃないんですけど!
「店長、これも魔法なんですか?」
「うーん、どうだろ? 魔法の一種ではあるかもね。さあ、そんなことはどうでもいい。バットを構えて! こいつが壊れるまで叩いて!」
「えええぇぇぇ!?」
さあ、さあ、早く早くと急かす店長に、あたしは何も言えなかった。
土のお人形は、テレビで時折目にすることのあるイノシシに酷似している。表面に生える草などはイノシシの毛にも見え、本当によくできている。
「そ、それじゃあ。佐藤伊織いきます!」
土イノシシの正面に立ったあたしは、振り上げた釘バットを力の限り振り下ろした。すると――
ぐちゃっ!
「うわっ」
「さっきも言ったように、バットがダメにならないために泥で造ってあるんだよ。汚れるのは分かってたから、ツナギを着せたんだけどね。さあ、気にせず、壊れるまで打ち続けて!」
土じゃなくて泥のお人形でした。釘バットを振り下ろした拍子に泥が跳ね、あたしゃ泥まみれなんだけど……。
しかも、店長の想定の範囲内であったらしい。あたしは道化もいいところよ。
でも、ここで止めるわけにはいかないのよ! 魔法○女へ至るためには!
・
・
・
あれからどれ位の時が過ぎ去ったのだろう?
あたしは何度も何度も、何度も何度も釘バットを振り上げては振り下ろし、野球のスイングのように振り回したり、ゴルフのスイングのように下から振り上げたりも何度となく繰り返した。
あたしが釘バットを振り下ろしたり振り回す度、飛び散る泥や草はそのままで泥イノシシは次第に小さくなっていった。
そして、あと一振りといったところで、あたしは飛び散った泥に足を取られて、すってんころりん!? 盛大に転んで尻もちをついた。
「ああ、もう、泥だらけですよ!」
「まあ、こんなもんかな。今日はこれで終いにしよう。佐藤さん、お疲れ様」
店長は泥んこで転がるあたしを助け起こすことなく、本当に小さくなった泥イノシシに近寄ると徐に手を突っ込み、最初に投げ込んだ黒い塊を取り出すとそのまま握りつぶした。すこく硬そうに見えた黒い塊は、店長の握力によって粉々に粉砕されてしまった。
どんな握力してんのよ、まったく! りんごも握り潰せたりするのかしら?
「もう腕が棒みたいです」
「これから週に一度か二度の割合で訓練を重ねてもらうよ。普段使わない筋肉だから適度に休ませながら鍛えないと身にならない。皿を何枚も運ぶのにも力は必要だから役には立つさ。それにね、土壇場で役立つのはやはり自身の肉体だよ。如何に魔法という技術体系が優れていたとしても、咄嗟に身体を動かすこと以上に柔軟な対応など出来はしない。まして俺たちは、魔法など非日常の日本人なのだからね」
店長の言いたいことはわかる。
わかるのだけど、ひとりの乙女としてこの泥まみれの状態はいただけない。あと、魔法に夢を見過ぎるなって意味にも聞こえたけど、店長は普通に魔法使ってるでしょ!
腕だけでなく足も棒みたいになっていることと、店長の言葉を噛み砕きながらあたしが悶々としていると、レオが何かを担いで戻って来た。
「……なんだ、あれだけ大口叩いてたったの二匹か?」
「うぅ……。でもちゃんと血抜きを済ませて、魔石化してあるぜ」
「まあ良しとしよう。じゃあ帰ろうか。佐藤さんは歩けそう?」
「えぇと、ちょっと厳しいかも、です」
激しい動きから文字通り一転してからのクールダウンで、多少疲れは抜けたと思えるけど、店長やレオの歩む速度に合わせられる自信は、今のあたしにはなかった。
店長は「仕方ないな」とひとつ呟くと、あたしの前に立ち、だたしを抱き上げた?
「ててて、てんちゅおう!? にゃにを?」
「明日は酷い筋肉痛に襲われるだろうさ。佐藤さんはまだ若いからもっと早いかもね。俺みたいなおじさんには筋肉痛は二日遅れでやってくるのが日常だぞ」
唐突に抱き上げられたあたしとは違い、あっけらかんとした店長は筋肉痛の話題を振って来るのだけど、あたしはそれどころではなかった。
あたしの人生初のお姫様抱っこなのだ! 顔が近い! そうじゃなくて、あたし泥だらけなのに……。
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