異世界風居酒屋 あすかろん というお店で働いて(修行して)います

月見うどん

面接にきました


 ここで合ってるよね? MAP検索でもここだって出てるし、住所も合ってるはず。

 でも、どう見てもお店って感じじゃない。ただの民家なんだけど……。


 あっ、店舗兼住宅なのかも?

 だったら、こっちじゃなくて、このお家の壁沿いに回り込んでみよう。一昨日の電話で決めてもらった面接の時間まであと一時間はあるし、仮に違ったとしても何とかなると思う。


 頑張のよ、あたし!

 大学を中退してからこっち、家に引き籠ってのほほんと暮らしてたけど、さすがに親や姉弟の眼が厳しくなってきたし……。

 数日前のこと。

 新聞の折り込みチラシの、一枚の紙面にずらりと並んだ求人広告の隅に記載されていた、それ。

 店長候補、手取り二十五万円保証。厚生年金、他福利厚生アリ!

 学歴不問。運動を苦にしない方大歓迎という求人に飛びつかない理由は私には無かった。

 そして経験者歓迎の文字。短かった大学時代には某ファミレスでアルバイトしていた経験がある。まあ今日面接に訪れるお店は、個人経営の居酒屋なんだけど……どこまで活かせるは謎だ。でも接客業を経験していることに嘘はないもの。



 民家の壁、じゃなくて生垣沿いにちんたら歩くこと一分弱。

 気合のまま、過去を妄想している場合じゃなかった。

 そんな生垣の切れめから望むは、こじんまりとした喫茶店のような建物。庭木に混じり、色とりどりお花の鉢植えが並ぶ。水槽らしきものも幾つか列を成しているけど、あれは何なのかしら?


 居酒屋ぽくないファンシーな扉の上に掲げられている木製の看板。

 そこには……異世界風居酒屋 あすかろんと書かれていた。”あすかろん”はひらがな。


 ファンシーな扉には小窓が付いていて、中の様子が窺えそう。

 時間的には少々早すぎるのだけど、様子見そう様子見なのよ。

 誰にでもなく言い訳しながら扉を覗き込もうとしたら―― 


からん、からん


 開いてしまった!

 内開きの扉だったらしい。



「お客さん、ごめんねぇ。うちはランチはやってないんだわ。斜向かいの喫茶ならこの時間帯はワンコインランチをやってると思うぜ」


「……あの、えと、すみません。今日十三時に面接のお約束をした佐藤です」


「あ、あぁ、随分と早いな。ちょっと適当に掛けてくれ。今、仕込みの最中でね。十分もあれば片も付くから」


「はい、申し訳ないです。早く着きすぎてしまって……」


「遅刻するよりずっとマシだよ。ほんの少しだけ待っててくれな」


 あたしの居酒屋というイメージとチガウ。大きさの大小はあるけど、全部がテーブル席。カウンター席の正面奥には壁に据え付けられているようなソファの席もある。

 たぶん店主と思われる男性も、居酒屋の店主というよりも喫茶店のマスターやバーテンダーと呼んだ方が良さげな雰囲気がある。

 何よりバリントンボイスっていうの? 低くて重厚な声が渋い。


 あたしは突っ立ているのも何なので、男性のお言葉に甘えることにした。

 仕込み作業をじろじろの眺めるわけにもいかず、テーブル席についた。

 テーブルの上には何もない。メニューとか調味料とかもない。けど、モコモコしたな割りと触り心地のいいテーブルクロスは掛かって、いやこれは巻き付けられている?




「お待たせしました。ええと、佐藤伊織さんで良かったかな? とりあえず、こっちのテーブルに移ってもらえる。そこアンダークロスのままなんでね」


「あの、これ履歴書です」


「…………ふむ、ファミレスでのアルバイト経験ありと。うちは看板こそ居酒屋名乗ってるけど、敷居を低くしたレストランみたいなものだから似たようなもんだ。あっと、ちょっと待ってて」


 男性に呼ばれたテーブルには、先程のテーブルとは違いサラリとした手触りのテーブルクロスが皺のひとつも無く綺麗に掛けられている。あたしが履歴書を手渡すと、氏名と住所の欄を指先で一撫でした後、苦労して書き込んだ学歴欄には一切触れることなく、アルバイト経験のみに言及した。


「コーヒー飲めるかな? デカフェもあるからダメだったら言ってよ? ミルクと砂糖はこれね」


 ……デカフェって何かしら?


「ありがとうございます。ミルクだけいただきます」


「うちはコーヒーのお替りは自由だからね。……で話を戻すけど、志望動機を教えて欲しいな」


 よく冷えたミルクが小さな淡い金色の金属でできたピッチャーに入っていて、お砂糖は茶色い不定形の塊が複数、陶器の器に盛られていた。

 なんか凄いおしゃれなんですけど! 絶対、あたしの知ってる居酒屋じゃないわ。

 カップに口を付ければ、てっきりインスタントコーヒーなのかと思ったのに、芳醇な香りに驚く。その驚きは失礼極まりないのであたしは必死に隠した。


 志望動機を聞かれたことに関して、どう答えようか迷ったあげく――


「大学を中退してからずっと何もやる気がなかったんです。でも、家にも居づらくなって、そんな時にこのお店の求人広告を見て、これだって思ったんです。店長候補というのも魅力的で、学歴不問だから大学中退も関係ないし、福利厚生もしっかりしてそうなので……そうやって色々考えて志望しました。あ、あと異世界風っていうフレーズも気になります」


 素直にぶちまけたった。

 

「……飾った言葉がないのは好印象だね。実は君以外にも何人か面接には来たんだけど、どうも変なのが多くて困ってたんだよ。まあ何でもかんでもぶちまければいいってわけでもないけどさ。私の率直な感想としては君を採用したいかな」


「えっ、えっ? 採用ですか!?」


「うん、そう採用。女の子の制服は倉庫にあったと思う。探しておくけど、靴とシャツっていうかブラウスは自前で準備してもらっていい? 靴は革靴の黒か茶色。靴もブラウスもデザインはあまり派手じゃないなら何でもいい。で、いつから来れそう?」


 靴もブラウスもある。だって、今日着ているもの。

 買ってよかったリクルートスーツ! スカートとパンツのセット。

 でも店主さん、異世界風に関しては華麗にスルーするのね。


「一応、明日からでも来れます!」


「じゃあ明日は、普段着で朝の八時にここに来てね。あまり綺麗な恰好じゃなくて、動きやすい服装がいいなぁ。スニーカーなんかあったら履いてきて」


「ス、スニーカーですか?」


「そう、スニーカー必須」


「はぁ、わかりました。明日八時にここに、スニーカー履きで、ですね」


「うん、よろしくね」


「コーヒー、ごちそうさまでした。明日からよろしくお願いします」


 扉を開けて見送ってくれた店主さんは朗らかに笑っていた。

 そういえば、終始笑顔だった店主さんの名前を聞き忘れていた。明日必ず訊こう、忘れずに。

 しかし変わったお店だったなぁ。店構えも店内もまったく居酒屋っぽくない。店主曰く、敷居を低くしたレストランというフレーズがしっくりくる。そんなお店と店主さんだった。


 スニーカーは運動不足解消にウォーキング用のがあるから大丈夫。

 だから最も大事なことは、明日寝坊しないように早起きしなければならない。目覚ましと、お母さんに五時半に起こしてとお願いしておこう。


 その前に、お昼ご飯に牛丼食べて帰ろ。

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