第8話 膝枕をしてくれる眠り姫

 帰宅部の我々にとって、放課後ほど清々しい時間もない。


 待ち受けているのはフリーダムだ。なにをしてもかまわないし、なにもしなくてもかまわない。束縛されることはないのだ。


「それで、公園にいきたいと」

「最高の昼寝スポットなること間違いなし」

「期待が高まるな」


 眠ることに関しては一家言ある姫川だ。公園といっても、学校から電車で三十分ほどかかる。やや遠い。


 そこまでするか、と問うた。愚問だった。大智はパンケーキをなにも混ぜずに焼くのかと。おいしい食事のためには下準備が欠かせないと。


「ちなみに、人気はあまりない。いるとしても、おじさんおばさんばっかり」

「姫川が気に入ってるならいいじゃないか」

「そう。評判なんて関係ないの。私にとってはね」


 電車に揺られ、駅からやや歩くと、目的地だ。


「本当にあってるのか?」

「間違いない」

「広いな」


 そこそこ人がいた。子供から大人まで、幅広い年齢層だ。


 きょうは晴れている。絶好の公園日和とあって、人が集まっているのだろう。


「穴場スポットがある。レジャーシートをひいて、上に寝る」

「電車でも寝てたか」

「通常運行だから」


 そこまで寝ているのか。もはやコアラの領域だ。


「とにかく向かうか」


 穴場まで、迷わぬ足取りだった。本当に空いていた。最高といえるロケーションかは判断しかねるが、充分いい景色だ。


「ここなら人が来ないから、安心してぐっすりできる」

「姫川の判断基準は、やはりそこだよな」

「日当たりとかにこだわると、私たちは泥と傷だらけになる。子供たちの遊びで」

「妥協も必要だ」


 実際に座ってみると、確かに心地よい。お気に入りの理由もわかるというものだ。


「たまに目を覚ますと暗くなってた、なんてことがある」

「気持ちがよくわかるよ」

「でしょでしょ?」


 やや食い気味に、姫川はこたえた。好きなものに共感を得られることほどうれしいものはない。そういうものではないか。


「自然はいいな。忘れていた心を、取り戻してくれる」


 深呼吸。新鮮な空気だ。澄んでいて、沢山のん肺に取り入れておきたい。


「空気だけごっそり持ち帰りたいことがしばしば。ビニール袋いっぱいに詰め込みたい」

「甲子園の土かよ」

「それだけの価値があるわ」 

「納得だな」


 黙っていると、人の声や、動きが耳でひしひしと伝わるものだ。


 雰囲気よし、空気よし、満足度よし。これ以上望むことはない。ここにいられるだけで充分だ。


「ごめん、もう無理」

「寝るのか」

「……」


 返事はなかった。そのままいびきをかきはじめたのが、間接的な返事だった。


 かすかに日に当たっている姫川は、後光を受けた天使だ。眠り姫だけでなく、天使様もあだ名に適しているかもしれない。


 しかし、天使様はいろいろとアウトだ。天使チックな眠り姫、このあたりが妥協点。ナンセンスなことはさておいて。


「あぅえぁ」


 姫川の、言葉にならぬ声が聞こえる。動物の鳴き声に近い。


 寝返りをうったり、ときには口をだらしなく開いたり。よだれが垂れそうになったときには、さすがにティッシュで頬を拭った。


「いい眠りっぷりだよな、ほんと」


 人がぐっすり眠っているとき、もしくはうとうとしているとき。


 眠気というのは、近くにいる人にも伝播するものだ。科学的な根拠があるかは知らないが、実感として確かにあるものだ。


 例に漏れず、俺の頭はぼんやりしてきた。疑う余地もなく、姫川の影響だろう。


 まぶたと頭が、次第に重くなる。操り人形の糸が切られたときのように、脱力してしまう。


 こういったとき、抗うことはよくない選択だ。三大欲求、こいつに身を委ねてやるのがベターだ。


「すぅ、すぅ」


 こいつ、誘っていやがる! 


 俺を、平穏で快適な眠りの園へと!


 諦めたらそこで覚醒状態は終了だ。俺の意識は、知らぬ間に途切れーー。




「おはよう、大智」


 気づいたときには、もう陽が暮れかかっていた。おかしい、さっきまで眠気に抗っていたではないか。


 体勢もおかしい。片耳に、柔らかいマシュマロの感触。むろん、本物のマシュマロではない。


 姫川の膝だ。


 俺はいま、姫川に膝枕をされていることになる。顔は姫川の体の方に向いている。相当な密着だ。


「姫川、これは……?」

「膝枕」

「そりゃそうだけど」

「無防備に眠っている人を、放っては置けない」


 一番無防備に寝ている姫川がいえるのかどうかはさておいて。


 俺のことを心配してくれたようだ。


「かといって、これは誤解の種になる。まるで恋人みたいじゃないか」

「恋人じゃなくても、お世話係には、最高のお返しをするものだから」

「ノブレスオブリージュかな」 


 身分の高い人には、低い人に能力を還元すべきとかなんとか。


「ギブアンドテイク。私だって、タダでお世話係をさせるほど、人間性が終わっているわけじゃない」


 お返しにしては、なかなか質が高すぎる。量も過剰だ。


「こんなことされたって、お世話係に身が入るわけじゃ」


 嘘である。本心と真逆のことをいいたいお年頃なのだ。


「じゃあ、ギブを増やさないと」


 僕の顔が、もっと姫川に密着させられる。


「やりすぎ! これ以上はアウト!」


 甘くて落ち着く香りに、頭がおかしくなりそうだ。


 ちくしょう、姫川にママ成分が含まれているとは聞いていないぞ!


 ややあって、姫川ママタイムは幕を閉じた。


「姫川」

「ん?」

「自分の価値を、安く見積もらないほうがいい」

「ありがと」


 婉曲的にいったが、真意はくまれたらしい。

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