五 清らかなる行進

 風をくような喇叭らっぱの音が尾を引きながらゆっくりと消えていく。

 喇叭の音の出所は〈白幹ノ帝国駅しろもとのていこくえき〉からだった。高久たかひさ達の居る場所からは到底見えないが、駅の周辺に居た人々はあり得ないものを見たように立ち尽くしていた。声を発することも出来ず、金縛りにあったように目の前の光景を受け入れて見つめるしか出来なかった。

〈白幹ノ帝国駅〉を始まりに軍靴を鳴らし、歩く音が響く。まるで鐘を鳴らすように重みを伴う軍靴の音はその場に居る者の息を止めた。

 誰もが驚きに満ちた目で、目の前を通り過ぎるものを見つめていた。

 軍帽、軍衣ぐんい軍袴ぐんこ、軍靴、肩章けんしょう襟章えりしょう飾緒しょくちょ軍刀帯ぐんとうたい、軍刀――身に着けるもの全てが色の違う白で作られた白装束は〈白天ノ子はくてんのこ〉しか身に着けることの許されないこの国の誉れの証である軍装だ。その軍装をまとった、顔のない軍人が隊列を組んで行進している。

白幹ノ国しろもとのくに〉の旗を手に一糸乱れることなく歩を進める隊列を前に誰もが声を失っている。その行進は総司令部へと繋がる〈白幹ノ通しろもとのとおり〉に歩を進めていた。


 白い煉瓦造りの建物に挟まれた〈白幹ノ通〉を白い行進が進む。白に満ちた国で白い行進は一層、目立っていた。昼か夜かも分からない透明な光の中で純白の軍装は内側から発光するように輝いている。様々な色の白で彩られた軍装は決して白一色ではない。〈雪白ゆきしろ〉、〈白月しらつき〉、〈綾虹あやにじ〉、〈白間はくま〉。白に満ちた〈白幹ノ国〉で生まれた白の名が〈白天ノ子〉の軍装につけられている。

 軍靴が石畳の上をならすように進む。軽やかな音を立てて進む行進を歩道にいる人々は眺めている。それぞれが戸惑いに満ちた表情を浮かべながらも、その目は無意識に誰かを捜すように動いていた。

 そうしてある一人がその中に見知った顔を見つけた時、静寂は破られた。

彩記子さきこさん!」

 子どもを抱いている男性が思わず、名前を呼んだ。途端、女性の顔から花びらが剥がれ落ちるようにして顔が現れた。とても美しい顔をした女性、彩記子と呼ばれた人は立ち止まると、妻と並び、我が子を抱く男性に向かって笑みを向けた。その間にも行進は彩記子と呼ばれた女性を避けるように通り過ぎてく。

 二人の間にあるへだたりをものともせず、彩記子は声を上げた。

 ――幸せになって。

 それは心の底からの祝福の声だった。かつて、妻になる筈だった人の、あまりにも純粋で他意のない清らかさに満ちた言葉が男性の胸にえぐるように突き刺さった。彩記子は微笑みを残し、その体を少しずつ、花びらと姿を変えて散るように姿を消していった。残された花びらは男性の頬を優しく撫で、石畳の上にゆっくりと落ちていった。

 男性は子どもを抱いたまま膝から崩れ落ち、長い絶叫と共に子どものように泣き声をあげた。

 長い絶叫が始まりを告げるように次から次へと顔のない軍人の名前が呼ばれる。誰かの名前が呼ばれる度にその人の〈のっぺらぼう〉の顔から花びらが剥がれ落ちると、顔が現れ、言葉と笑顔を残して消えていく。〈白幹ノ通〉を埋め尽くすように舞う花びらは、半透明の膜に覆われたような淡い白さを纏いながら、立ち尽くす人、泣き崩れる人を優しく包み込んでいった。


 **

 ――その場にいる誰もが、目の前の光景に声を失っている。

 遠目から見ても分かる。隊列を組み、行進しているのは顔のない軍人だった。〈のっぺらぼう〉のような顔が軍装と共に白い景色の中で更に白く際立つ。隊列を組んだ顔のない〈白天ノ子〉による行進は一糸乱れぬ動きでこちらに向かっている。近付く度に花びららしきものが凱旋がいせんの花吹雪のように舞い上がり、行進を彩っていた。

 高久は行進から目をそらせないまま、黙視していた。

 行進が近づくにつれて、耳鳴りが聞こえ、耳鳴りはやがて雨の音に変わった。耳の奥で降る雨の音は少しずつ激しさを増していた。

 思えば、雨の音は〈日ノ裏ひのうら〉からずっと聞こえていた。そして〈顔無之村かんばせなきむら〉で聞こえた声を高久は今、聞いていた。

 雨の音の先にあるものは、ただすの姿だ。雨の音と共に軍靴が鳴り、石畳を叩くように歩く。ゆっくりと近づく軍靴の音は高久の目の前で立ち止まった。

 雨に濡れた顔。流れることなく赤く染まった軍装を纏う糺の口がゆっくりと動く。

 ――兄さん。こっち。

 雨の音に紛れて記憶よりも幼い声が聞こえる。

 ――手遅れになる前に、早く止めて。

 微睡みに落ちそうな意識を糺の声が引き上げた。

 ――兄さん! 早く!

 ぱあん、と手を叩く音と共に高久は我に返った。

「貴様ら! 気を持て!」

 鏡一郎きょういちろうが荒い息を吐き出した。額にはいくつもの汗の玉が浮き上がっている。

志々目しのめ先生! 大丈夫ですか?」

 鏡一郎は手を合わせたまま、高久を見た。

「いいから……早く事を済ませろ。このままだと、狂人が出るぞ」

 高久は迷う間もなく羽坂はざかを見た。

「羽坂。澄人をさがそう」

 羽坂は驚いた顔をしていたが、すぐに頷いた。〈白幹ノ通〉に入ろうとする二人を止めたのは八代やしろだった。

「貴様らは今、何が起きているか分かっているんだな? それは澄人に関係することか?」

 八代の問いかけに高久は言葉に詰まった。人のいるこの場所で本当のことは伝えられない。迷っていると八代が舌打ちをした。

「高久。羽坂。貴様らはどうするつもりだ?」

 険しい表情を向けたまま八代が問う。高久は八代の問いに答えた。

「澄人を見つけてこの異変を止める。八代。お前はここに居てくれ。これ以上は巻き込めない」

 八代は高久を厳しい表情で見つめていた。

「これは最早、〈秘級〉案件だ。貴様らだけの問題ではない」

 八代の言いたいことを高久はすぐに察した。

 この責の向かう先は自分ではない。〈白幹ノ帝国軍しろもとのていこくぐん〉大将である桐ケ谷きりがや与久よしひさに向けられる。叔父には多大な迷惑をこれからかけることになるだろう。それでも、自分がやるべきことは決まっていた。

「私は」

 高久の言葉に八代は食い入るように被せた。

「だから、私を連れて行け」

 思いがけない友の言葉に高久は声を失った。羽坂もまた、八代の言葉に青ざめた表情を見せている。

「高久。私が〈殿ノ前あらかのまえ〉で言ったことを覚えているか?」

「え?」

「不味いと思ったらすぐに報告しろ。その為に私は階級を上げることを選んだ」

「八代……」

 八代は美しく微笑んだ。

「私は貴様らと泥船に乗る。全ての責は私が被る」

 八代の言葉に高久は首を振った。それだけは八代にさせてはならない。

「それだけは駄目だ」

「そうだ。八代。お前さんには家族がいるだろう」

 羽坂もまた、高久と同じ思いだった。だが、八代は二人の言葉を払うように息を吸った。

「高久! 羽坂!」

 気遣いを一蹴する八代の叱咤の声に高久と羽坂は硬直した。八代は高久と羽坂を睨んだ。

「貴様らの階級で責任を取るだと? 馬鹿を言うな。高久。全ての責はお前じゃなく、〈白幹ノ帝国軍〉桐ヶ谷与久大将に向かうと思え」

 八代の脅しめいた言葉に高久は息を呑んだ。

「だから、私を使え。貴様らは私の独断で動いた。いいな?」

「八代……」

 八代は微笑んだ。

「貴様らの泥船に私も乗せろ。沈む時は一緒だ」

 友である八代の覚悟を高久と羽坂は受け入れ、笑んだ。

「ということで当真とうま。お前は今すぐに新人軍人と共に総司令部に戻り、負傷者の手当てをして欲しい。頭を打った者もいるだろうから、くれぐれも慎重に動かすように」

「分かった。ただ、この調子だと軍医も気絶しているだろうな……」

 当真は総司令部を見た。

「なら、私に手伝わせてください」

 声をあげたのは車に隠れていた幸間こうまだった。往診鞄を手にこちらに歩いている。

「幸間先生……。しかし」

 羽坂の言葉を幸間は手で制した。

「羽坂様。私は闇医者です。ですが、倒れた人を見捨てる非情な真似は出来ない。それで捕らえられたとしても、私は構いません。八代少将。どうか、軍人達の手当ての許可を」

 八代は迷いを見せることなく答えた。

「幸間先生。こちらこそお願い申し上げます。恩を仇で返すような真似は致しません。どうか、お助けいただけないでしょうか」

 深々と頭を下げた八代に幸間は深く頷いた。

「当真。幸間先生を連れて負傷者の手当てに回って欲しい。もしも何か聞かれたら、私の命令だと答えろ」

 八代の命令に当真は姿勢を正し、敬礼した。

「分かった。……高久。八代。生きて戻れよ」

 羽坂もな――と取ってつけた台詞を残して、当真は周囲の軍人を集めると総司令部の中に戻って行った。

「志々目先生。ここまでありがとうございました」

 高久が鏡一郎に頭を下げると、鏡一郎は鼻を鳴らした。

「ああ。貴様らが軍人を辞めないことを祈っている。軍人は嫌いだが、貴様らは好きだ」

 鏡一郎は三人の顔を順に見ていくと満足そうに微笑んだ。

「僕は晴彦はるひこが心配だから、帰る。それから――」

 鏡一郎は三人に向かってもう一度、手を叩いた。

「後、一度だ。違和は弾くことが出来る」

 高久は鏡一郎と、幸間に向かって頭を下げた。続けて羽坂と八代も同じように頭を下げた。そしてすぐに踵を返すと、〈白幹ノ通〉に向かって駆け出していった。


 残された二人は〈白幹ノ通〉に向かう三人の背中を見つめていた。

 そして鏡一郎は幸間に向き合うと手を叩いた。幸間は鏡一郎を見上げて問いかけた。

「志々目先生。あなたは一体、何者なのですか?」

 だが、鏡一郎は微笑みを浮かべておどけたように返した。

「何者だと思う?」

 おどける鏡一郎に幸間は呆れたように微笑んだ。

「幸間。貴様の帰りを晴彦と乙顔おとがおと共に待っているからな」

 幸間は驚くと、目を細めて頷いた。そして、恭しく頭を下げると幸間は門に向かって歩き出した。

 鏡一郎は最後に〈白幹ノ通〉に目を向けると、もう一度、祈りのように手を叩いた。


 **

 高久と羽坂、八代は〈白幹ノ通〉を走っていた。走る度に己の軍靴の音が痛い位に耳に響く。

 通りには倒れている軍人を民間人が介抱している姿があちこちに見受けられた。その先で行進が静かに迫っている。

 行進が目視出来るまでに近づいた頃、総毛立つ光景が待っていた。三人はあまりの光景を前に、思わず足を止めた。

 花びらが風に吹かれ、体を撫でる。

 その花びらの正体を見た時、高久は無意識に歯を食いしばっていた。

 顔のない行進は誰かが名前を叫ぶ度、花びらが剥がれるようにして顔を現した。顔が現れると、名前を呼んだ人に向けて最後に言葉を残し、体を花びらへと変えて消えていく。

 白い花びらが爆ぜるように舞い上がる様子を三人は無言で見つめることしか出来なかった。

 沿道に立ち尽くしていた一人の女性が行進に近付いたかと思うと縋るように手を伸ばした。その瞬間、顔を現した女性がすがるように伸ばした人に向かって走り、その体を抱き締めた。

 途端、顔を戻した女性の体は花びらが爆ぜるように消えていき、抱きしめられた女性は背中に手を回すことも叶わず、膝から崩れ落ちると残された花びらを抱き締めて声を上げて泣き叫んだ。

 顔のない行進は誰もが顔を表した瞬間に花びらが散る如く姿を消していった。

 その度に悲鳴と泣き声があちこちからあがった。名前を呼びながら行列に向かおうとする年配の女性に手をふりながら答えた顔のない男性もまた、白い花びらを散らしながら、女性の体を包み込んだと思えば、空に吸い込まれるように消えていった。

 そこには救いもなければ、善悪も存在しない。ただ、白に満ちた世界の中で、白く清らかな花が舞い散っていた。

 呆然としている三人を余所にどこからか演奏する音が聞こえ、朗々とした歌声が響き始めた。国のどこにいても届くような歌声だった。


 ――誉れも高き白山しろやまの、せぬ姿を仰ぎては、

   白き御楯みたてと選ばれた、この身を更に誇るなり

   清き心に勇ましき、白幹しろもと覆う白桜しろさくら


 懐かしい響きをはらむ歌は、かつて高久達が歌った士官学校の校歌だった。

 力強い声と共に迫りくるように行進がこちらに近づいてくる。


 ――道行みちゆく駒は怖れなく、戦の道を歩まなば

   若き心に刻みゆく、我が身をなどてかえりみん

   赤き血潮に燃えたぎる、白幹ゆる血の色よ


 行進の先頭が高久達の手前まで近づいた時、八代が驚きに目を開いた

真瀬まなせ萩原はぎわら枩田まつだ三山みやま?」

 八代が震える声で名前を読んだ順に顔から花びらが剥がれ落ち、顔が現れる。美しく凛々しい表情を浮かべた女性達は八代のかつての同期で、もうすでにこの世に存在しない友人であり、高久と羽坂にとっては共に戦場を駆けた戦友だった。

 八代は無意識のうちに彼女達に近付いていた。

 歩みを止めて八代を見つめる彼女達は美しい笑みをたたえたままだった。同時に口を開いた彼女達は、力強い声で八代に言った。

 ――生きて。

 八代が思わず伸ばした手は彼女達に触れることはなかった。八代が伸ばした手は花びらをつかみ、舞い上がる花びらは八代の頬を、手で触れるように、体を抱き締めるように優しく包んでいった。

 八代は声をかけることも出来ず、友人である彼女達の残した花びらが舞い散る様子を見つめることしか出来なかった。

 白い花びらが舞い散る中で八代は静かな声を落とした。

むごいな……」

 八代は固く目を閉じて花びらを握りしめた手を額に持っていくと、体を震わせた。

 最期の言葉を交わせぬまま、戦場で亡くなった友の言葉は身を裂くような優しさに満ちていた。

「それは、こちらの台詞だ……」

 死んだ友に向けた言葉を花びらがさらう。高久と羽坂は友の死を再び突きつけられた八代の背中をしばらく見つめていた。

 それから間を置かずに八代は弾かれたように顔をあげて高久と羽坂を見た。その目は不安に満ちていた。

「ちょっと待て……。澄人が顔を戻したら、消えるということはないだろうな……?」

 八代の言葉を聞いて高久の心に不安が押し寄せた。大丈夫だと思いたかったが、確信が持てなかった。その間にも行進は高久達を避けながら総司令部へと進んでいく。

 しかし、羽坂は怪訝な表情を二人に向けていた。

「どういうことだ?」

「だから、澄人は今、顔がないだろう。顔が戻った瞬間に今みたいに消えないか心配しているんだ」

 八代の言葉に羽坂は眉間に皺を寄せていた。戸惑ったように片手で口を押さえ、俯いてしばらく考えてから、高久と八代を見た。

「待て……お前さん達、本当に、言っているのか?」

 高久と八代は顔を見合わせた。顔を見合わせた二人は羽坂の問いかけの意図を察して目を開いた。

「まさか羽坂。お前、澄人の顔が分かるのか……?」

 高久が羽坂に視線を移すと、羽坂は戸惑い、傷ついたような顔をしていた。怒ることも、悲しむこともなく、羽坂は静かに言葉を落とした。

「忘れる訳がないだろう……」

 白い花びらが視界を覆うように満ちていく。

 亡くなった人の名を呼ぶ嘆きの声が聞こえる中で、行進は一糸乱れることなく、それでも一人、また一人と姿を消しながら、総司令部へと突き進んでいた。

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