美しくて熱くて、そして切なく儚い

TK

美しくて熱くて、そして切なく儚い

「おお、b-boyとb-girlがめっちゃいる・・・」

僕の正面に、1000人ほどは入れそうなライブハウスが鎮座している。

入れば全くの別世界に誘ってくれそうな物々しい雰囲気を醸し出しており、上部には「STUDIO OCEAN」という電飾が備え付けられている。

ライブハウスの前には、b-boy・b-girlという表現がよく似合う若者達がたむろしており、これから始まる催しに胸を高鳴らせていた。

キッカケは、弟だった。

弟はいつの間にか毎日のようにHIP-HOPを聴くようになり、最初は「俗っぽい文化に興味持っちゃったなぁ」と心配したものだ。

ただ、少しずつではあったが、それは僕の心の隙間を埋めていった。

最初は鬱陶しかったメロディも日に日に親しみがわき、気づいたらHIP-HOPにのめり込んでいた。

その流れで「MCバトル」という、即興でラップを披露し合う催しがテレビで放送されていることを知ったのだが、僕はそれに魅了された。

いや、魅了されたという一言じゃ全く足りない。

普段は陰キャで根暗な僕が思わず声を張り上げてしまうほど、MCバトルには人を狂わす魔力があった。

突然流れてくるビートにアプローチしながら、自分の思いのたけを、韻を踏みながら綴っていく。

こんなにも美しくて熱くて、そして切なく儚い魂の叫びを、僕は見たことがなかった。

弟と僕は毎週のようにテレビ越しにMCバトルを見てきたのだが、居ても立っても居られず、惹き寄せられるように収録参加に申し込んだ。

今日はそのMCバトルを弟と二人で見に来る約束をしていたのだが、今僕は一人ぼっちである。

弟は急用で来れなくなってしまい、やむなく一人で向かうことになったのだ。

「ちょっと場違いな感じするけど、楽しみだなぁ」

周りに溶け込めない気恥ずかしさを抱えつつも、それを遥かに凌駕する期待感に僕は包み込まれていた。

「では、201番から210番の人、入ってください」

どうやら10人単位で受付をし、中に入れていくようだ。

スタッフが叫んでいる数字は事前にメールで送られており、僕は205番だったので、受付を済ませ中に入った。


中に入ると、そこにはテレビ越しに眺めていた光景が広がっており、僕のボルテージは高まっていく。

ステージの両サイドに入出場口があり、試合時にはそこから対峙するラッパーが登場する。

ステージの奥には5つの審査員席があり、彼らが毎試合勝敗を判定する。

ステージの真ん中から一本の道が伸びており、その道を進むと大人が数人立つのがやっとほどのサークルがある。

そのサークル内で、ラッパーが魂をぶつけ合うわけだ。

そして僕ら観客はそのサークルをスタンディングで取り囲んでおり、パンチラインが放たれる度に声を上げるといった感じである。

ただ、始めて収録に来たこともあり、どのあたりに陣取ればいいのかわからず僕はオロオロしていた。

「こっち、見やすいですよ!着いてきてください」

同年代と思われる真面目そうな女性が、僕に声を掛けてきた。

「あ、ありがとうございます」

彼女はどうやら経験者らしく、その足取りは確かな信頼感を漂わせていた。


「着きました。ここです!」

彼女が案内してくれた場所は、まさにベストポジションだった。

DJ・司会・審査員・ラッパーのいずれの顔もハッキリ認識できる最高の位置取りであり、僕はこの偶然の出会いに心底感謝した。

「収録には何回も参加しているんですか?」

そう言いながら改めて彼女の顔を見ると、やはり真面目で大人しそうな雰囲気を醸し出していた。

自分を棚に上げることが許されるのであれば、彼女はどう見ても場違いであった。

「なぜあなたのような方がこんなところに?」という質問も追加でしてみたくなったが、それは間違いなく余計な詮索であったので、すんでのところで言葉を飲み込んだ。

「はい!収録には何回か来ていて、この前のPIKOが大活躍した収録にも参加していました」

なんと、あの熱い日にもここに来ていたとは、羨ましい限りだ。

「そうなんですね!いつも一人で来ているんですか?」

「いえ、いつもは弟と一緒に来ています。今日もその予定だったんですけど、弟が来れなくなったので一人で来ました」

「え!?そうなんですね。実は僕も弟と来る予定だったんですけど、弟が急用で来れなくなったので一人で来ました」

にわかには信じられないが、「一緒に来る予定だった弟が急用で来れなくなった」という風変わりな条件を携えた男女が、偶然ライブハウス内で巡り合ったようだ。

仮にこの話を他人にしたら、「さすがに作り話だろ?」とバカにされそうだが、これは紛れも無い事実なのである。

「え!すごい偶然ですね。あっ、お兄さんはどんなラッパーが好きなんですか?・・・」


そこから僕たちは、MCバトルの周りのことをラリー形式で語り合った。

「S指定とDOLBYが8小説8本という異例の条件で韻を繰り出し合う試合が好きです」という言葉が彼女の口から出てきた時は、声を掛けてくれて本当に良かったと思えた。

なぜなら、普通の社会人とは決してぶつけ合えない本物の会話が、そこにはあったからだ。

僕は、天気やニュースのような真っ当な話が好きではない。

まあそもそも、別に好きな人なんてほとんどいないと思う。

みんな社会人として上手くやっていくために、仕方なくそんな話をしているんだろう。

ただ、仕方ないと思いながらも天気やニュースの話でコミュニケーションを取れる器用な人間は、多分ここには来ない。

“社会人”という仮面を被れない不器用で諦めの悪い人間、一言でいえば社会不適合者が集まる場所だと僕は思っている。

観客もラッパーも、みんなが社会不適合者だ。当然、僕も。

そしておそらく彼女も、言葉にならない何かを抱えている社会不適合者なのだ。だから、ここにいる。

「最初のチャレンジャーは、コイツだ!」

収録開始時間となり、司会がラッパーをステージ上に呼び出した。


「いやー、楽しかったですね!」

「はい!最高でした!」

興奮冷めやらぬ中、僕たちは帰路につこうとしていた。

ただ、ここから何をどう切り出せばいいのかと、僕は迷っていた。

「今日はありがとうございました」と言って別れるべきか、それとも「連絡先交換しませんか?」と言うべきか。

本音を言うと、僕は彼女の連絡先を知りたかった。

ただ、恋仲になりたいというよりは、仲間として繋がっていたいという気持ちが強かった。

これから先、彼女のような人に巡り合うことは多分ないだろう。

だから連絡先を教え合うことで、僅かでもいいから関係性を保ちたかった。

しかし「陰キャで根暗な自分が連絡先など聞いていいのか?」という、女々しい考えが僕の声帯を締め付ける。

「あっ、私帰る前にトイレ行くので。今日はありがとうございました。では」

彼女はそう言うと、ライブハウス内のトイレへと消えていった。

トイレへと向かったのは事実だが、それは僕と別れるための口実であることは明白だった。

暗に「意気地なし」と言われたような気がした僕は、肩を落としながら一人でライブハウスをあとにした。


あれから数年。世界的なウィルスの流行により人が呼べなくなり、番組はひっそりと終わりを迎えてしまった。

あの場所に集まっていた彼らは、今もやり切れない日々を過ごしているはずだ。

社会不適合者である自分を肯定しくれるアングラ感は、あの番組特有のものであった。

他の何かで代替できるものでは決してない。

僕は今でも、番組の復活を待ち望んでいる。

きっと彼らも。

きっと彼女も。

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美しくて熱くて、そして切なく儚い TK @tk20220924

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