第19話 To be or not to be, that is the question(3)

 その日の夜、シツツメは夜桜市のダンジョンの入口の前に立っていた。タクティカルスーツ姿のシツツメは、いつもは比較的軽装備で臨むのだが、今回は背中に登山用のリュックサックを背負っていた。その中には長期間ダンジョン内に潜るための物資が詰め込まれているが、準備し過ぎで荷物が多くなり、満足に動けなくなるのを防ぐため、必要最低限の物で揃えている。


「四季。考えたんだが、例えばひとつの階層をある程度調べ終えたら一度戻って来て、充分に休養を取ってから次の階層を……という方法じゃダメなのか? その方がリスクもずっと少ないと思うぞ」


 この場に立ち会っていた藤村がシツツメに提案する。ダンジョンに入る前に睡眠を取ってきたのか、シツツメはくあっと欠伸をしてから、首を横に振った。


「それだと時間がかかりすぎる。藤村も御柳さんを見て、思ったんじゃないのか。この人にはもう余裕が無いとな。何、死なない程度に無理と無茶をするだけだし、本当にまずいと思ったら能力を使って上まで戻ってくるさ」

「ならいいんだが──ギリギリまで捜索をするなよ。能力を使って、上まで戻るぐらいの体力は最低限残しておくんだぞ」

「そこは間違えないさ。それに俺が上に戻ってくるのは、御柳さんの息子さんを見つけた時だけだ。……無駄話はこのぐらいにしておくか。じゃあ行って来る」


 シツツメは両手を上げて体をぐっと伸ばしてから、ダンジョンへと歩みを進めて行く。これは登山ではなく怪物が徘徊し、トラップが至るところに仕掛けられているダンジョンでの捜索だ。どこにあるのかも分からない行方不明となった人間の遺品、もしくは遺骨を見つけ出さなければいけない。それが可能か不可能かで言えば、天秤は不可能に大きく傾くだろう。だがシツツメは成し遂げるつもりでいる。そうしなければ、御柳は生きる気力を無くしたままだ。時間が止まり、生きながらにして死んでいく残りの人生を歩むことになる。


「四季! 店はちゃんと掃除しておくからな!」


 シツツメがダンジョン内に入っていく前、藤村はシツツメ商店のシャッターの鍵を掲げながら、そう伝えた。シツツメは一度振り返ると、ひらひらと右手を振る。


「掃除したら、好きな飲み物か菓子でも持ってけ」


 と藤村にそう伝えたシツツメは、この夜桜市のダンジョンで唯一安全が確保されている第一階層の中に入っていけば、腕時計に視線を落とす。日付と時刻を確認し、ここから活動を開始することにした。


(最大で二週間だが──実際は、もう少し短いだろうな。まさかの依頼になったが、後はもう探すだけだ)


 シツツメはその場にしゃがむと、地面に手を当てる。そして適応者ハイブリッドの能力を使用し、シツツメが繋いだのは第二階層だ。順々に調べていくしか方法は無い。シツツメはふうとひとつ息を吐いてから、自分と繋いだ第二階層へと渡った。

 第二階層は第一階層と同じく、洞窟の構造をしているがその規模は非常に広い。ここを探すだけでも相当骨が折れるのは、想像に容易いというものだ。


「早速か。暇人か? お前ら。……ああ、人じゃないな」


 探索を始めようとしたところに近づく、無数の気配をシツツメは察知していた。後ろを振り返ってみると、そこにやって来たのはシツツメの膝ぐらいまでの身の丈しかないが、濃い緑色の皮膚に粗暴さを感じさせる、異形の顔つきをしているその存在はゴブリンと呼ばれており、 多くのダンジョンで確認されている。単独ではなく複数で行動をすることが多いが、大した脅威にはならない雑魚モンスターというのが多くの人間の認識だ。

 しかしシツツメを狙うゴブリンの数は、少なく見積もっても二十体以上はいる。そのどれもが鼻息荒く涎を垂らし、シツツメを狙っていた。シツツメの能力を使用すれば、撃退するのは簡単だが──


「よし、逃げるか」


 ここからはいかに体力と気力を効率的に使えるかの勝負になってくる。何しろ、ここまで長期間ダンジョン内に潜るつもりなのは、シツツメにとっても初めてなのだから。

 なのでシツツメは能力をむやみやたらに使用するのではなく、温存することにした。背中をゴブリンたちに向け走り出すと、後ろの集団もシツツメを追いかけてくる。命懸けの鬼ごっこだが、シツツメは腰のホルスターから拳銃を引き抜くと、走りながら後ろを振り向き、ゴブリンの集団に銃口を合わせて引き金を三回連続で引いた。普通ならば当たりもしないはずの適当な射撃だが、あれだけ密集していればゴブリンの何匹かには当たったようだ。血を撒き散らし、絶叫してその場に倒れる。だがまだ数多くのゴブリンがいるが、シツツメの狙いは違う。一匹にでも当たれば良かったのだ。


 血を流し倒れたゴブリンはどうやら同胞ではなく、餌だと認識されたようだ。ゴブリンの集団は足を止め、シツツメの銃撃を受けて倒れた何匹かのゴブリンに群がり、その肉を貪り食い始めた。シツツメはそれに一瞥もくれることなくその場から離れると、洞窟内の探索に取り掛かっていく。


「しかし、いきなりこれか。化物共も連休で嬉しいのか?」


 シツツメは思わず舌打ちをし、呟く。だが誰もそれに反応しない。

 孤独な戦いは、幕を開けたばかりだ。

 


 ◇



「いきなり電話しても大丈夫かな……いや、言うほど迷惑じゃないよねきっと……うーん、でも……」


 自室のベッドの上でごろごろと寝返りを打ちながら、手に持ったスマホの画面を眺めている伊月は自問自答をしていた。画面には「シツツメさん」と名前が表示されており、後は発信をタップすればシツツメに電話をかけられるのだが、十分ほど電話をかけるべきかどうかで伊月は悩んでいた。

 連休初日は学校の友人たちと市内でショッピングをしたり、カラオケに行ったりと夜になるまで遊んでいた。ここが夜桜市でなければちょっとした冒険がてら、ダンジョンに行くことも考えたのだが、あのダンジョンに行くのは流石に無謀すぎるというものだ。基本的にダンジョンに行く際は、夜桜市以外のダンジョンに向かう。


「休みだからシツツメさん、どこかに出かけてるかな……でも普段とそんなに変わらないよね、多分。……よし」


 ベッドから起き上がった伊月は「えいっ」という掛け声と共に、発信をタップした。スピーカーモードにしているので、シツツメに電話を繋ぐ音が部屋の中に聞こえている。

 だが五回、六回とコールが続いてもシツツメは出る気配は無い。最後にはコールは切られ、留守電メッセージに移ってしまった。がっかりしたような、ある意味ほっとしたような、何だか不思議な気分を伊月は感じながら、できるだけいつもの口調でシツツメの留守電にメッセージを残す。


「こんばんは、シツツメさん。今忙しいんだ? あのさ、もしシツツメさんの方で時間あったら、明日一緒にカフェでも行かない? ほら、最近できたところ。新作のコーヒーが出たんだよ。シツツメさん良く缶コーヒー飲んでるし、私も飲んでみたいからどうかなって。用事はそれだけ。おやすみ、シツツメさん」


 と伊月は留守電メッセージを残し、シツツメには繋がらなかったが通話を終えてスマホの画面を切り替えると、ベッドの上に仰向けにどさりと体を倒した。変な口調になっていたり、声を出していなかったか思い出し、留守電メッセージを残した後に自分からシツツメを誘ったという実感が湧いてきて、伊月は「先走ったかな……」と口に出していた。


(この前誘ったのは、貸しを返して貰うためっていう名目があったけど、今日のこれは違うし……もう送ったから、シツツメさんの連絡待ちだけど)


 伊月はぼんやりと考えながらスマホを操作し、ギャラリーの中から一枚の写真を表示する。その写真はこの前、シツツメがスーツを着ていた時に撮ったものだ。初めて見たシツツメのスーツ姿は新鮮だったと同時に、伊月の何かを刺激してしまったらしい。スーツ姿のシツツメの写真をじっと見ながら、伊月は呟く。


「……できればスーツ着てほしいって、シツツメさんに送ろうかな」



 ◇



「そうですね、この前のことがありますし──ダンジョンでの配信は、もう少し経過を見てからになると思います。待たせてしまい、申し訳ありません」


 定期配信を行っている凛音は艶やかな黒髪を指先で撫でながら、視聴者に向けてそう言った。配信を見ている人間たちからはすぐさま、怒涛のコメントが送られてくる。流れるコメントを読んでいると、ここ最近の定期配信では必ずと言っていいほど話題に上がるシツツメの名前が、今日も上がっていた。


『そういえばあのシツツメって人は、次のダンジョン配信に出るの?』

『ボランティアなんだろ? 出ないんじゃね?』

『そこは凛音ちゃんのお願いで何とかなんだろ』

『まあ、貴重なイケメン枠ってことで確保しておけばええやろ』

『超絶美少女とイケメン二人の配信とか、薄い本が厚くなるな』

『つーか、二人付き合ってんの? そこ重要なんだが』

『あーあ、訊いちゃったよ。付き合ってるとか言ったら、お終いやThis配信』


 そのコメントを読んでいて、あまりのくだらなさに凛音は思わず笑ってしまった。クスクスと笑いつつ、指先で目元を拭うと「付き合ってなどいませんよ」と口にする。


「そもそもシツツメさんのことは、私が夜桜市のダンジョンを攻略するために協力者として選んだ方です。まだ首を縦には振って貰えてはいませんが、快い返事をしてくれると私は信じています」


 と凛音が言ったその言葉に対し、またもコメントが無数に投稿されていくが──その中のひとつのコメントを見て、凛音は自分の胸に手を当てた。


『もしかしたら、シツツメって人に好意抱いてない?』


 そのコメントは一瞬で流れていき、誰も気づいてはいないようだった。凛音は視聴者同士のコメントでのやり取りを見ながらスマホに手を伸ばそうとするが、スマホを掴みかけたところで手を止める。


(ああ、そう言えば──シツツメさんの連絡先を知りませんでしたね。聞けば教えてくれるとは思いますが……)


 そこで凛音は自分がシツツメの連絡先を知らなかったのを、残念がっていることに気づいた。

 好意を抱いていないかとコメントで見て、自分は何をするつもりだったんだろうと凛音は思う。まさかシツツメに「私のことが好きですか?」と確認を取ってみるつもりだったのか、と苦笑を浮かべる。もしその様子を配信したら、あのシツツメの炎上など比べ物にならないぐらいの騒ぎが起こるに違いない。


(私はシツツメさんを協力者として見ているのか、自分の思い通りにならない──靡かないから自分のモノにしようとしているのか……でも、これが好意かと言われれば違う気がします。好意とは、八雲さんがシツツメさんに抱いている感情でしょう)


 と今の自分を、凛音は冷静に分析しようとする。実際、それはできているはずなのだが、感じたことのない何かが胸の奥にあるような気がしてならなかった。

 その何かを少々煩わしく思いながら、凛音は明日にでもシツツメ商店に行き、シツツメと連絡先を交換しようと考えていた。

 凛音は自分のそれが好意ではないと考えているが、少なくとも嫌いな人間だったり、関わりたくない人間と連絡先を交換しようとは思わないだろう。

 はっきりとするまで、もう少し時間がかかりそうだった。

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