第14話 炎上モード(2)
その日の授業が終わり、放課後になるとすぐに伊月は下校した。友人から帰りにカフェでも寄らない? と誘われたのを断り、向かったのは自宅ではなくシツツメ商店である。呼んではいなかったのだが、琉衣も伊月に同行していた。
「何で琉衣まで来るのよ」
「いや、別にいいじゃん。俺だってシツツメさんのことが気になるし」
雨が降る中、傘を差して二人で並んで歩いている様子は付き合って間もないカップルにも見える。だが実際は、小学生の時から続いている腐れ縁だ。それもあり、伊月と琉衣はあまり遠慮のない会話ができるので、お互いに気を遣うということは殆ど無かった。空気を読むことはあるが。
「シツツメさん、SNSとか見て無さそうだけど教えた方がいいかな?」
「言った方が良いと思う。炎上とか気にする人じゃないと思うけど、雨宮さんの配信に思い切り出ていたし……シツツメさん、配信とかにも疎いから問題になってることも知らないわよ、きっと」
二人はそんな会話を交わしながら雨の降る中歩いて行き、シツツメ商店に到着した。シャッターが開いているので開店はしているようだ。しかし天気のせいか、この時間帯には小学生たちを店の前でよく見かけるのだが、今日はその姿は無い。伊月と琉衣が傘を畳んで店内に入っても、客の姿は無かった。
「よう、いらっしゃい。今日は雨のせいで客足が全然だな」
とカウンターの奥で椅子に座り、文庫本を読んでいたシツツメは二人に気づくと顔を上げて、そう声をかけた。黒のジーンズに白のパーカーと、非常にゆったりとした格好のシツツメはこの雨にうんざりしているようだ。伊月も琉衣も「客足は雨のせいじゃ無いかも」と言いたくなったが、それを言ったらシツツメの機嫌が非常に悪くなるのは目に見えているので、心の中に留めておく。
だが見た限りでは、シツツメの様子はいつも通りだ。そもそも凛音の配信に目を通していないだろうから、炎上しかけていることすら恐らく知らないはずである。
「シツツメさん、昨日の雨宮さんの配信見た? シツツメさんも出ていたんだね」
「ああ、そうらしいな。朝に藤村から連絡があったよ。お前の発言が問題になってるぞってな」
「え? シツツメさん、知ってたんだ?」
試しに琉衣がそう聞いてみると、意外にもシツツメはその件を知っているようだ。だが当の本人はまったく気にしていないのか、欠伸をひとつすると、文庫本にまた視線を戻した。その様子を見て伊月が「そんな悠長にしてる場合じゃないよ」と声を上げる。
「雨宮さんがダンジョンの攻略とかを配信している人間の中でも、人気ナンバーワンなのは知っているでしょ? その雨宮さんの配信に出たシツツメさんの発言が問題になっているんだよ。SNSでもそれが話題になっているし……」
「へえ。雨宮の奴、本当に人気があるんだな。凄いじゃないか」
「ちょっとシツツメさん、真面目に聞いてよ!」
文庫本のページを捲りながらどうでも良さそうに言うシツツメに、伊月は声を大きくした。琉衣はハラハラとした様子で伊月とシツツメを交互に見ている。肝心のシツツメはぱたんと文庫本を閉じると組んでいた足を戻し、椅子に座り直した。
「伊月は一体、何を心配しているんだ?」
「何をって……それは、その──シツツメさん、のこと。だって炎上なんかしたら、住所とかもSNSに晒されて、嫌がらせを受けて日常生活もまともに送れなくなった人もいるんだよ」
「つまり遠方から客が来るのか。大繁盛だな」
「違うって! もしそうなったら、シツツメさんも今まで通りにダンジョンに行けなくなって、助けられる人も助けられなくなるってことを言いたいの! 私も琉衣も、シツツメさんに助けられた……他にも、シツツメさんに救われた人が大勢いる。そのシツツメさんを知らない人たちがあんな風に馬鹿にしているなんて、私は嫌だよ!」
感情が抑えられないのか、シツツメに自分の本心を伊月はぶつけていた。目元に浮かぶ涙を伊月は拭い「シツツメさん、うるさくしてごめん」と、震えた声で呟く。シツツメは伊月をじっと見た後、隣の琉衣に視線を移した。
「琉衣、お前もそう思っているのか?」
「うん。俺も伊月と同じさ、シツツメさん。雨宮さんの配信も、SNSも見ていないだろうシツツメさんが心配で心配で……」
「それが心配している奴の言う台詞か?」
少しでも場の空気を変えようと思ったのか、琉衣は大袈裟に溜息を吐く。シツツメがそれを笑った時、「失礼します」と綺麗な少女の声が聞こえた。伊月と琉衣、そしてシツツメが入口に視線を向ければ、戸を開けて傘を畳み、店内に入ってくる凛音の姿を目にする。傘を畳むその動きすら様になるのは、凛音の容姿がなせることだろう。
「八雲さん、宗像さん、お話し中のところすいません。やはり私も、シツツメさんにお会いしなければならないと思いまして」
「雨宮さん。……もしかしてさっきの聞こえてた?」
「さっきの? 何のことでしょうか」
バツが悪そうに尋ねる伊月に、凛音は首を傾げて見せた。泣きそうになっていたのがバレるのは恥ずかしいと思ったのか、伊月は目元を隠そうとする。その伊月を見て小さく笑みを見せた凛音は「シツツメさん」と、カウンター越しにシツツメの前まで歩み寄った。
「察しがついているとは思いますが、昨日の件でお話したいことが」
「……伊月、琉衣。外して貰っても良いか?」
とシツツメは伊月と琉衣に言った。伊月としてはここに残りたいだろう。琉衣はそれを分かってはいるがシツツメの頼みを断る訳にもいかず、何か言いたそうにしている伊月に頷きかけた。
「オッケー。今日はいきなりで悪かったね、シツツメさん。今度はちゃんと買い物するからさ」
「ああ。一万円分ぐらいは買えよ」
「そうしたら、シツツメさんの店の商品無くなるじゃん」
「舐めてんのかお前」
琉衣の軽口に、シツツメはガラを悪くした口調で返す。琉衣は「うわ、こっわ」とわざとらしく言いながら、伊月を連れて店の外へと出て行こうとする。伊月は先ほどシツツメに本心を包み隠さず言ったことを気にしているのか、申し訳なさそうにシツツメを見ていた。
シツツメはそれに気づいてなのか、元々そう言おうと思っていたのか「伊月、琉衣」と二人を呼び止め、少し恥ずかし気にこう口にする。
「わざわざ来てくれて、ありがとう」
伊月と琉衣は珍しく──というより、初めて聞いたシツツメの素直な感謝の言葉に驚いたようだ。琉衣は「どうしたしまして!」と明るく笑うも、伊月にとってはなかなかの破壊力だったようで、すぐには反応を返せないでいた。琉衣がその伊月の手を引いて店の外に出たのを確認してからシツツメは凛音に視線を戻すも、凛音はにこにこと笑っている。
「……何かおかしいか?」
「いえ、そんなことはありません。素晴らしいと思いますよ。今のシツツメさん、とても映えています──動画に残したいぐらいですね」
「からかうな。人の善意には素直に礼を言うさ。……雨宮お前、途中から聞いていたな?」
「ええ。でも、あそこで店内に入るのも空気を読めていないでしょう?」
「伊月には黙っておけよ」
くす、と悪戯っぽく笑いかける凛音にシツツメはやれやれと溜息を吐いた。凛音に途中から聞かれていたと知ったら、伊月は恥ずかしさで次の日の学校を休んでしまうかも知れない。
「で──お前が俺に話したいことってのは、昨日の配信でのことだろ? どうも炎上しかけているらしいな」
「はい。ですが昨日の行方不明となった方の遺体を配信中に発見したのは、完全に偶然です。そもそも生きていると思っていましたから。助けることができなかったのは、シツツメさんと同様に私も悔いが残ります」
凛音はそう言いながら、カウンターに両手を突くとシツツメに顔をぐいと近づける。凛音の惚れ惚れしてしまうような、非常に整った顔を近づけられれば平常心でいることはとてもできなさそうだが、シツツメは慌てる素振りも見せず凛音の目線を真っすぐに受け止める。そのシツツメを凛音は満足そうに見つめていた。
「シツツメさんがああいった形で炎上してしまい、謂れも無い誹謗中傷をされているのは私としても非常に心苦しいですし、責任を感じています。ですがいくらシツツメさんでも、個人の力では炎上を鎮静化することは不可能です」
「俺にどうしろと?」
シツツメの言葉を聞き、凛音の笑みが蠱惑的なものに変わる。その唇から紡がれる言葉も抗えないような魔力を秘めていた。
「簡単です。私の協力者となるのであれば、そのような炎上を気にする必要などありません。私からしてみれば、吹けば消せるような小火です」
凛音の細長く、綺麗な指がシツツメの頬を撫でた。唇がシツツメの耳元に寄り、妖しく囁きかける。
「卑怯に思うでしょうが、利用できるものは利用しなければいけませんから。……どうしますか? シツツメさん」
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