第13話 炎上モード(1)
本降りになり始めてきた雨を鬱陶しく思いながら、伊月は傘を差した。雲の流れを空を見上げて確認すると、雨雲は切れ間なく空を覆っている。予め天気予報を見てから家を出たが、この様子だと今日一日雨という天気予報は覆りそうにはなかった。
(あーあ。登校している間はそんなに降らないと思ったのに)
溜息を吐きつつ、伊月は夜桜高校へと歩いて行く。そこまで距離はないので、自転車通学の人たちよりはマシかなと考えつつ、伊月は雨が降っているにも関わらず登校ルートから少し外れて、シツツメ商店の方へと向かった。とは言えこの雨では、開店していることはないだろうなと伊月は思っていた。
「やっぱり」
その予想は的中する。シツツメ商店のシャッターは閉まっていた。元々開店時間と閉店時間すら決めていないシツツメは、下手をすれば「雨が降っているから今日は休む」と決めているのかも知れない。そもそも起きているのかすら不明だ。伊月はポケットからスマホを取り出すと、履歴を確認し始めた。その履歴の中に「シツツメさん」と表示された電話番号を見つければ、スマホを持っている手の親指でその番号をタップしようとするが、親指を何度か上下に小さく動かした後、ホーム画面に戻ってスマホをポケットに入れた。
(起きているのかどうか確認しようとするなんて、重い女と思われそうだし……)
と伊月は自分を戒めるように心の中で呟けば、シャッターが閉まっているシツツメ商店を後にした。むしろこの時間に開いていることの方が珍しいのだから、伊月も特に気にはしていなかった。
◇
伊月が生徒玄関で内履きに靴を履き替え、教室に向かっている最中、すれ違う生徒や廊下でたむろしている生徒は皆一様に、スマホを見ていた。夜桜高校はスマホの持ち込みや使用を禁止にしてはいない。勿論、授業中に大っぴらに使用はできないが。
生徒たちの様子から何かびっくりするようなニュースでもあったのか、それとも今話題のバンドが新曲でも発表したのか──少なくとも、伊月が家を出るまでに見ていた朝のニュースにはそんな話題になるような報道は無かったはずである。
伊月が自分のクラスに入っても、同じような光景が教室内に広がっていた。クラスメイトたちもスマホを見ており、ざわついている。そのざわつき方は例えば、スポーツで日本代表が世界の強豪国を倒して優勝した時のようなざわつきではなく、良くない報せを受けた時のざわつきだった。
「あ、おい伊月! お前、あれ見たか!?」
「は? いきなりどうしたの? 何か面白いニュースでもあった?」
伊月が自分の席にバッグを置いたところで、琉衣が慌てた様子で伊月に話しかけてきた。あれ見たか、という言葉から察するに、やはり何かあったのだろう。
「あれだけで分かるはずないでしょ。その騒ぎ方じゃ、消費税が50%ぐらいになったの?」
「違うって! お前、昨日の雨宮さんの配信見てないのかよ!」
「え? 雨宮さん、昨日配信してたんだ。昨日は眠くて、すぐに寝ちゃったから分からなかったな……」
帰る前に凛音と話したのを思い出しながら、伊月はそう答えた。あの後に夜桜市のダンジョンに向かったのだろうか。そう言えば今日はまだ雨宮さん来ていないな、と誰も座っていない隣の席に伊月は視線を向ける。そこで伊月は良くない想像をしてしまった。
「もしかして、雨宮さんに何かあったの? 今日まだ来ていないし」
「いや、雨宮さんは無事だよ。そこは流石だよな。肝心の問題は雨宮さんじゃなくて──シツツメさんなんだよ」
「……は? 何でシツツメさんが問題なの?」
シツツメのことを口にした瞬間、伊月の雰囲気と口調が変わったのを琉衣は察しながらも、意を決して口にした。
「シツツメさん、昨日の雨宮さんの配信に一緒に出ていてさ。多分、夜桜市のダンジョンに入るのは雨宮さん初めてだから、案内か何かをお願いしたと思うんだけど……問題になっているのが、これなんだよ」
と琉衣は言いながら、自分のスマホの画面を伊月に見せる。伊月がその画面を見ると、昨日凛音が配信していた動画が再生されている。そこに映っている映像は、凛音が
「ここ! このシーン!」
琉衣がスマホの画面を指差しながら、伊月に説明をする。そのシーンというのは、シツツメが凛音に背中を向けながらしゃがんでいる映像だ。シツツメは何かを確認しているようで、その何かを隠しているようにも見える。そしてスマホからは、伊月も殆ど聞いたことがないようなシツツメの荒げた声が再生される。
『いいから配信を止めろ!』
シツツメが叫ぶようにそう言った後、凛音の配信は終わった。だがその配信が終わる直前の、配信当時のコメント欄にはシツツメに対する多くの否定的な──むしろ、罵詈雑言と言ってもいいコメントが一気に書きこまれていた。
『いや、凛音と一緒にいるこいつ何なの?』
『てか何もしてねーじゃん』
『いきなり配信止めさせるとか、どう考えてもヤるつもりじゃね?』
『は? 何? ちょっと顔が良いからって調子乗りすぎだろ』
そのコメントを伊月は最後まで見ることなく、伊月に視線を向ける。その目には明らかな怒りの感情が浮かんでいた。琉衣は動画の再生を止めると、やりきれないような表情で伊月の視線を受け止める。
「SNSにも似たような投稿があってさ……シツツメさん、炎上しかけてんだよ。俺ら夜桜市にいる人間とか、シツツメさんに助けられた人間だったら、何で配信を中断させたのか何となく分かるじゃん。でも雨宮さんの配信を見ている人間でシツツメさんのことを知っている奴なんて、殆どいないだろうし……」
「だからってシツツメさんがこんな風に書かれる理由になんてならないでしょ」
「俺だってそう思うけど、これを言った相手が雨宮さんだからさ……」
琉衣に当たってもどうにもならないことは、伊月も理解していた。だが口調が荒くなってしまうのを、伊月は抑えることができていない。それが伊月自身を更に苛立たせている。琉衣もどう声をかけていいものか、迷っているようだ。
「おはようございます」
そんな中、このような状況でなければ朝の時間を爽やかにさせてくれる、凛音の透き通るような声が聞こえた。挨拶と共に制服姿の凛音が教室内に入ってくるが、クラスメイト達がいつもとは違う視線を向けていることに凛音は不思議そうだ。
「? どうしましたか? あまりいい空気ではありませんが……」
と凛音は口にしながら、自分の席へと向かう。そこで隣の席の伊月を見て「おはようございます、八雲さん」と笑みを浮かべた。いつもの伊月ならば「おはよ、雨宮さん」と軽く挨拶を返すのだが、今の伊月にはとてもそんな余裕はない。
「雨宮さん、昨日夜桜市のダンジョンに入ったのね。それはまだ分かるけど──どうして、シツツメさんが一緒にいたの? 雨宮さんも自分の配信で、シツツメさんがどういう風にコメントで書かれているか知らない訳ないよね?」
という伊月の問いかけを受け、凛音は「そのことですか」と呟いた。神妙な面持ちだが、それが本心なのか演技か伊月には分からない。
「もちろん、シツツメさんに対するコメントは把握しています。本来ならばすぐ私がフォローを入れるべきだったのですが、あの時はそのような状況ではなかったのです」
「ダンジョンを攻略しようとするだけなら、配信を止める必要は無いよね。じゃあ、もしかして──」
「はい、八雲さんの考えている通りです。私は昨日、シツツメさんの行方不明者の捜索の手伝いをしにダンジョンへ一緒に入りました。シツツメさんに配信を止めるよう言われたのは、行方不明者となっていた方の遺体を発見したからです」
凛音が配信を中断した理由を口にすれば、教室内の生徒たちはさすがに驚いたようだ。シツツメがあれだけ声を荒げていたのも、それが理由だと。だが伊月は納得がいかないらしい。
「雨宮さんが昨日、私にシツツメさんのことを聞いたのはシツツメさんのボランティアを手伝いたかったからなの? 他に理由があるんじゃない? じゃなきゃわざわざ、シツツメさんを配信で映す必要なんてない」
「考えすぎですよ、八雲さん。私がシツツメさんのことを八雲さんに聞いたのも、行方不明者の捜索をしたのも、夜桜市のダンジョンを攻略する情報を得るためです。シツツメさんの手伝いもその延長線上──ですが、配信をしたのは私が浅はかでしたね。こんなことになるとは、予想がつきませんでした」
凛音はそこまで話すと伊月に「本当に申し訳ありません」と、頭を下げる。クラス中の視線を受ける中で、更に凛音を追及するようなことを言うのは非常に勇気と覚悟のいることだ。伊月は喉元まで出かかった言葉をぐっと堪えれば、ふう、と自分を落ち着かせるように息を吐く。
「ごめん、雨宮さん。私もちょっと熱くなり過ぎた」
「いえ、気になさらないでください。せめて八雲さんには、一言言うべきでしたね」
朝から人気実力ナンバーワン配信者の凛音と、本人は知らないが学校内でも非常に人気のある伊月の衝突はクラス内だけではなく、廊下から教室内を覗き込む無数の男子生徒にも非常に見応えがあったようだ。その終わりを告げるようにチャイムが鳴り響くと、「何やってんだ、早く教室に戻れ!」という教師の声が廊下から聞こえて来た。この教室にもすぐに担任の教師がやってきて、生徒たちも自分の席に戻っていく。
「ん……? 何かあったか? まあとりあえず、ショートホームルーム始めるか」
と担任の教師を含めた朝の挨拶を終えた後、連絡事項を聞きながら、凛音は頭の中で考えを巡らせていた。
(八雲さんはやはり、簡単にはいきませんね。ですが、シツツメさんの今回の件……面倒だと思っていましたが、上手くすればシツツメさんを私の協力者にすることができるのかも……更に炎上すれば、シツツメさんもボランティア活動が取りにくくなり、その炎上の火の粉がかかったと言う体でシツツメさんに協力を願えば……)
炎上の鎮静化なんて彼を取り込んだ後でどうにでもなる、と凛音は考えた。もし考えの通りに行ったとして、一番厄介なのはむしろ隣にいる八雲さんか──と、凛音は前髪を指先で撫でた。
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