第11話 望まぬ形で(4)

 凛音は行方不明者の捜索に向かう前に、制服の懐に手を入れた。そこから取り出したのは掌ほどのサイズしかない、小型の撮影用ドローンだ。スマホを手に何やら設定をしているようだが、それもすぐに終わったのか小型ドローンは凛音の掌からふわりと浮いて、周囲を漂い始める。


「それで配信の映像を撮影しているのか」

「ええ。内蔵されたマイクとカメラで音と映像を記録しています。スマホとも連動しているので、既にもう私のチャンネルで配信が始まっていますよ」

「手際の良いことだ」


 ちらりと小型ドローンに視線を向けたシツツメだが、凛音の説明に対する反応は素っ気ない。ブーツの音を鳴らし、石畳の道を歩き始めたシツツメの後ろを凛音は着いていく。


(先ほどシツツメさんが言った、そんな便利なものじゃないという言葉……なるほど、行方不明になった人間の場所へ直接、行ける訳ではないのですね。あくまでも第四階層に来ただけで、どれほどの広さがあるか分からないここを探さなければいけない)


 シツツメには捜索に専念して欲しいと言ったが、果たして見つけることができるのだろうかと凛音は思う。だがそれが叶うように襲い掛かってくる敵は全て倒すと、自ら宣言したのだ。


(その約束を破る訳にはいきませんね)


 凛音はそう意気込み、手に握っているスマホを胸ポケットに入れた。いつもは滝のように流れて来るコメントを見て反応を返したり、配信映えするように様々な工夫を凝らすのだが、今回はそのようなことをしている場合ではないと、前を歩くシツツメの背中を見てそう感じた。


 胸ポケットにスマホを入れる際、少しだけコメント欄を凛音は見たのだが、異質のダンジョンの風景に関するコメントとシツツメに関するコメントが、大体半々ぐらいの割合だった。このダンジョンが最高難易度の夜桜市のダンジョンではないかというのは、視聴者の多数は察しがつくはずだ。しかしシツツメのことは、何故か凛音と行動を共にしている謎の男性としか映らないだろう。シツツメは配信も動画も投稿していないのだから。しかし皮肉にも、これがシツツメの配信デビューとなってしまった訳だ。


「止まれ」


 とシツツメは振り向かずに短く言うと、後ろを歩く凛音を右手で制した。凛音がそれに従い立ち止まると、目の前の二手に分かれている通路のそれぞれから足音が聞こえてくる。


「行方不明の方でしょうか?」

「足音が複数だから違うな。気を抜くなよ」


 その足音はどんどん近づいて来て、すぐに足音の正体が現れた。凛音は行方不明者が自分からこっちにやって来たのではと思ったが、さすがに考えが甘すぎたようだ。そもそも、現れたのは一人ではなく、二体である。

 牛頭の大きな黒目がそれぞれ、シツツメと凛音を捉える。だが牛の形をしているのは頭部だけで、その下の体は筋骨隆々の人身。あまりにもミスマッチなそれは、出来の良いハロウィンの仮装を疑ってしまいそうになる。

 古くからミノタウロスと呼ばれているその怪物は、ダンジョンでは珍しくない存在だ。だが凛音が知るミノタウロスよりもその体は大きく、雰囲気は禍々しい。肌を刺すような、明確な殺意をシツツメと凛音に向けていた。シツツメは振り返らず、凛音に確認する。


「任せて良いのか、本当に。無理なら俺が倒すが」

「言ったでしょう、シツツメさん。二言はありません。それに私の適応者ハイブリッドの能力をまだ披露してはいませんから、丁度良い機会です」


 凛音は艶やかな黒髪を指先でさらりと撫でればシツツメの横を通り、そのまま二体のミノタウロスが待ち構えている二手に分かれた通路の方へ歩いて行った。あまりにも自然に横を通って行ったので、シツツメは凛音を止め損なってしまう。

 シツツメはちっ、と舌打ちをすると腰に差している二本のナイフの内、一本を右手で鞘から引き抜いた。拳銃では一発で仕留めきれないと考えたのだろう、いざという時はナイフの斬撃をミノタウロスに繋ぎ、渡らせれば倒すことができる。


「ご心配なく。私に近づいた瞬間に終わります」


 シツツメの警戒を知りつつ、凛音は涼やかにそう言った。その言葉に含まれる自信の根拠を、凛音の配信を見ていないシツツメは知らない。

 ミノタウロスの一匹が雄叫びを上げ左手を振り上げると、優雅とも言える様子で歩み寄る凛音の頭目掛けて、その左手を叩きつけるように打ち下ろした。巨大な槌を思わせる一撃が直撃すれば、凛音の頭部を粉砕するどころか体そのものを容易に叩き潰すだろう。

 シツツメは咄嗟にナイフを振るおうとしたその時、ぴたりと動きを止める。凛音を見る表情には、隠し切れない驚きがあった。


 凛音は無傷で、ミノタウロスの左手は凛音に当たってはいない。だが凛音は打ち下ろされた左手を避けることもしていなかった。いや、その必要も無かったのだ。

 何故ならミノタウロスの左手は、肘からその先が無くなっているのだから。千切れた左手が石畳の床の上に落ちているが、それを行ったのはシツツメではない。

 凛音の目の前にいつの間にか出現し、ふわふわと浮かんでいる真っ黒な球体が振り下ろされた左手を弾き飛ばしたのを、シツツメの目は見ていた。


 その黒い球体の大きさは野球のボールと同じか、それよりも少し小さいぐらいだ。凛音が右手の指先をぱちんっ、と小気味よく鳴らせば、同じ大きさの黒い球体がもう一個出現し、凛音の周囲を漂い始める。だが宙に浮き、そして動いているというのにまったく音がしない。小型ドローンのような機械だとシツツメは思ったが、その動きはあまりにも滑らかだ。では、そこから導かれる結論はひとつしかない。


「これが私の適応者ハイブリッドとしての能力です。私は漂う衛星スプートニクの恋人と名付けています」


 凛音はシツツメに簡単な説明をしながら、右手の指先をまるで指揮を取るようについ、と動かした。すると二つ出現した黒い球体の内の一つが、弾かれたようにミノタウロスの頭部に向かった。ミノタウロスはその球体を、まだ無事な右手で咄嗟に掴み取ろうとする。

 だがその右手に黒い球体と同じ大きさの穴が空いたかと思えば、ミノタウロスの牛頭にもその穴が開通した。一瞬遅れて、穴の開いた右手と頭部から血が噴き出せば、ミノタウロスの巨躯が崩れ落ちる。

 しかしまだ無傷のもう一体が、凛音の体を握り潰そうと丸太のように太い両腕で抱え込もうとした。その抱擁を受ければ、骨がへし折れ、すぐさま圧死してしまうだろう。


 だがその抱擁は、凛音にとっては暑苦しい以外の何物でもないようだ。凛音の周囲に浮いていたもう一つの黒い球体がミノタウロスの動きに反応し、高速で動く。凛音の体に手がかかりそうになった瞬間、ミノタウロスの左胸に黒い球体と同じ大きさの穴が開いた。心臓を貫き、背後まで回っていた黒い球体はミノタウロスの腹部を貫通して、凛音の傍まで戻ってくる。黒い球体からは何も音がせず、まるでプログラミングされたかのような機械的な動きで、二体のミノタウロスを瞬殺した。

 凛音の足元に崩れ落ち、二体のミノタウロスの絶命を確認したシツツメはナイフを鞘に戻すも、今の凛音に近寄って良いのかどうか、判断しているようだ。それに気づいた凛音はにこりと、この状況にはむしろ不釣り合いな笑みを浮かべた。


「心配はいりません、今はオートに戻しています。あえて分かりやすくするため、一体は私が操作して倒しましたが、この黒い球体は私に敵意や殺意を抱く存在にしか反応しません。シツツメさんが近づいても何ら問題はありません」

「その物騒な黒い球体は、雨宮が動かしたりすることもできるのか」

「はい。任意の敵を倒す際には自分で操作しますが、基本的にはオートにしています。というよりも、それで充分なのですが。私に近づいた瞬間に終わるので」


 凛音の言葉を聞いたシツツメはそれを信用し、凛音へと歩み寄る。敵意や殺意にしか反応しないというのは本当のようで、シツツメが近づいても凛音の周囲を漂う黒い球体は何も反応しない。試しにシツツメが手を伸ばしてみると、黒い球体は磁石が反発するかのように、シツツメの手から遠ざかった。どうやら誤って触れて大惨事、ということにはならないらしい。小型ドローンも機械なので、攻撃の対象にはならないようだ。


「その黒い球体、最大で何個まで出せる?」

「最大六個まで同時に使用できます。数が多いほど体力も消耗しますが、大抵は二個の使用で充分ですね。──シツツメさんが捜索中、私は常に能力を使用します。それならば、捜索に全力を注げますよね?」

「……なるほど、美少女配信者と自分で謳う訳だ。えげつない能力を持ってるな」


 シツツメが足元に転がるミノタウロスの死骸を跨ぎ、先へ進もうとする。そこに凛音が「シツツメさん」と声をかけた。その声は少し気を損ねているようにも聞こえた。


「美少女配信者ではなく、超絶美少女配信者です。ただの美少女なら、それほど珍しくはないでしょう?」

「はいはい、そうだな」


 心底どうでも良さそうに、シツツメは気の抜けた返事をする。凛音はそれに怒るかと思いきや、何故だか嬉しそうだ。

 左右二手に分かれている通路の手前で、どちらに向かおうか考えているシツツメは「そういえば」と思い出したように口にした。それは純粋な疑問である。


「雨宮お前、適応者ハイブリッドの能力に名前つけてるのか?」

「はい。でも、配信者では割と普通ですよ? その方が配信映えするので」

「配信映えを狙うにはエグい能力だと思うがな」


 とシツツメは言いながら右の通路に進もうとして──足を止めた。左の通路に視線を向けると、何か匂いを嗅ぐように鼻をすんすんと鳴らす。ミノタウロスから流れる血の匂いを嗅いでいるのではなく、そこに混じる別の匂いにシツツメは気づいたのだ。だがその匂いは、どことなく不快感を感じるものだった。


「右に行くのではないのですか?」

「……いや、左にする」


 そして向かう先を右から左の通路にすれば、シツツメは走り出した。凛音も慌ててそれについていく。シツツメはそれなりのペースで走っているが、凛音は苦しそうな表情ひとつせずに、シツツメの横に並んでいる。身体能力も凛音は優れているようだ。


「シツツメさん、何故右ではなく左へ?」

「簡単だ、この先に行方不明者がいる可能性が高い。そして──」


 シツツメがそれをすぐに言わないのは、認めたくないからだった。きゅっと下唇を噛んだシツツメはこの事実を受け入れ、そして口に出した。


「最悪のケースになっている可能性も高い」

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