第8話 望まぬ形で(1)

「八雲さん、少しお時間頂いてもよろしいでしょうか?」


 授業が終わった放課後の教室で、伊月は凛音にそう話しかけられた。伊月は特に部活動に参加していないのでこのまま帰宅し、その帰り道にシツツメ商店に寄ろうと考えていた。凛音はと言えば転校してきてから数日が経過し、初日のような大騒ぎはなくなったものの、やはりそこは超絶美少女とまで言われるだけはある。学年問わず、クラスの前には大勢の生徒が凛音を目当てに来ていた。まるでアイドルの出待ちだ。


 席が隣ということで凛音と関わる機会の多い伊月は、何かと凛音と一緒に行動してその度に凛音の人気っぷりを目の当たりにしている。SNSなどで夜桜高校に凛音が転校して来たというのはもうとっくに書き込まれているので、他の学校の生徒が校門の前まで来てもおかしくはない。

 なので伊月はせめて放課後だけは落ち着ける場所でゆっくり過ごしたいと考えていたので、やんわりと断ることにした。


「ごめんね雨宮さん、今日は用事が──」

「シツツメさんのことで、お聞きしたいことがありまして……」


 申し訳なさそうな表情を作り断ろうとした伊月の言葉を、凛音の声が遮る。シツツメさんのことで、というのを耳にすれば伊月はぴく、と反応した。平静を装っているが、右手の指先は髪の毛先を弄っており、どこか落ち着きが無く見える。


「えっと、シツツメさんのことをどうして私に聞くの? シツツメさん本人に聞けば早いと思うけど」

「そうしたいところなのですが、前のことがあって……少々、聞きにくいのです。それなら、八雲さんを頼ろうと」

「だから、それを何で私に?」

「八雲さんとシツツメさん、仲が良さそうに見えたので。それにあの時、私の誘いを断ったシツツメさんを真っ先に庇ったのは八雲さんでした」


 数日前にシツツメ商店であった出来事だ。確かにあの時、シツツメのことでいの一番に声を上げたのは私だったな、と伊月は思い返す。もしかしたら少々うかつだったのかも知れないが、わざわざそんなことまで憶えているものだろうか。


(でも仲が良さそうに見えたって……ふーん、そう見えるんだ……いやいや、何を良い気になっているんだ私は)


 思わず口元が緩みそうになってしまったのを堪え、伊月は隣の席に座る凛音に視線を向けた。──この顔でお願いされたら、断れなくなるなと伊月はつくづく思う。その凛音があれだけ情熱的に協力者となるのを誘ったのに、いつもの調子で断ったシツツメのことが伊月は羨ましかった。


「まあ私もそこまで詳しい訳じゃないけど、知っていることでよければ」

「本当ですか? ありがとうございます」


 何だか上手い具合に煽動されてしまったような気もするが、凛音がシツツメのどんなところを気にかけているのか知りたいので、伊月は誘いを受けることにした。凛音はぱっと顔を明るくさせる。

 教室の外から他の生徒たちが中を覗いているのは正直気になったが、どこか別の場所に移動しようとしても付いて来るだろうと考えた伊月は、隣同士の席に座ったまま話すことにした。


「おい、凛音ちゃんと話しているの八雲じゃん」

「席隣なんだ、あの二人。あそこの席、レベル高すぎだろ」

「なあ、お前話しかけてこいよ」

「無理に決まってんだろ。俺の顔面レベルが足りなさすぎる」


 廊下から教室内を伺っているギャラリーたちが、そんな話をしている。伊月自身は気づいていないしどうでもいいと思っているが、伊月も学校内で人気がある女子生徒だ。そして彗星のごとく転校してきた凛音。その二人が何やら話しているのだから、誰もが興味津々だ。

 そんなギャラリーを尻目に、二人は会話を始めた。


「シツツメさんは、いつ頃からあのダンジョンで人助けのボランティアをし始めたのですか? 結構長そうですが」

「うーん、いつ頃かははっきりと聞いていないけど、確か二十代前半って言ってた。だから少なくとも五年ぐらいは続けているんじゃないかな」

「五年……普通ならばとっくに止めているか、命を落としていそうなものですが」

「それに関しては私も同意。人を助けるためとは言え、あのダンジョンに出たり入ったりを繰り返しているんだから、凄いよね」


 伊月は自分のことではないが、どこか自慢げだ。そんな様子を楽しそうに凛音に見られているのに気づいたのか、伊月は小さく咳払いをしてから腕を組む。凛音は質問を続けた。


「ボランティアと言いますが、助けた人間から謝礼などは受け取っていないのでしょうか? それに企業や組織などがシツツメさんを放っておくのは、考えにくいですし」

「シツツメさんは自分の好きなように動けなくなるのが嫌だから、そういう誘いは全部断っているんだって。昔からの知り合いの藤村さんって人とは、協力しているみたいだけど。それと助けた人からは、謝礼とかは一切貰わないって言ってた。向こうが渡そうとしても、絶対に」


 それを聞いた凛音は流石に驚いたのか「本当ですか?」と、伊月に体を近づけた。世の男ならこれで確実に勘違いするだろうなと思いつつ、伊月は頷く。


「うん。だからこそ、ボランティアなんだろうけど」

「こう言うのも何ですが……今時、珍しい人ですね。シツツメさん程の人でしたら、すぐにでも人気を博すことできるのに」

「そうかな? まあ、雨宮さんが言うならそうなんだろうけど……雨宮さんは何が根拠でそう思うの?」


 伊月のふとした疑問に「簡単ですよ」と凛音は、自分の顔を指差した。その意味するところが分からずに伊月が首を傾げると、悪戯っぽく凛音が笑う。


「シツツメさん、顔が良いじゃないですか。今まで無数の修羅場をくぐってきたという凛々しさがあります。配信や動画では、まず顔を出しますから──シツツメさんでしたら、すぐに沢山の女性ファンがつくでしょうね」

「そんなこと……いや、シツツメさんの顔が悪いって言っているんじゃなくて。むしろ雨宮さんと同意見っていうか……でも、女性ファンなんてそう簡単には……」


 凛音の正直かつ直球な答えに、伊月は何故だか慌てた様子だ。その上で、顔を少し赤くさせて「確かに顔は良いけどさ」と呟く。クスクスと無邪気に笑う凛音は「そういえば」と、何か気になったのか伊月にこう聞いた。


「八雲さんはシツツメさんのボランティアとしての活動を、手伝ったことがあるんでしょうか? 随分と詳しいので」

「あー……まあ、詳しくもなるよね」

「? と言うと?」


 伊月は昔のことを思い出したのか、どこか恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。それから恥ずかしそうな苦笑いをそのままに、こう口にした。


「だって私も、夜桜市のダンジョンでシツツメさんに命を救われたことがあるから」

「八雲さんが、シツツメさんに?」

「うん。まだ私が中学生の時だけどね。シツツメさんがいなかったら、あのダンジョンで死んでた」


 と伊月は言いながら鞄を手にすると、席を立つ。凛音は自然と伊月のことを見上げていた。


「雨宮さんが夜桜市のダンジョンをクリアするために、シツツメさんを協力者にしたいって言うのを止めはしないよ。でも、シツツメさんにもシツツメさんの事情があるのを知って貰いたいなって。──それじゃ私、先に帰るから」


 ひらひらと手を振った伊月は、そのまま教室から出て行った。廊下から教室内を見ていたギャラリーの生徒たちから「凛音ちゃんと何話したの?」と尋ねられているのが聞こえた。だが恐らく伊月はそのことを話したりはしないだろうな、と凛音は思った。この数日間の会話の中で、凛音は伊月に好感を抱いていた。凛音にとっては珍しいことだ。

 伊月に聞いた限りでは、シツツメに今のボランティアを止めてもらうというのは恐らく無理だろう。現実的な手段として凛音は自分に協力してくれるならば多額の謝礼を、とも考えていたが、それも望み薄である。

 どちらにせよ、もっとシツツメのことを知る必要がある──そう考えた凛音は席から立ち上がると、前髪を指先でさらりと撫でる。


「やはり、直接この目で見てみるのが一番ですね」


 呟いた凛音の声、そして瞳は楽しさを隠し切れてはいなかった。それが向けられている対象はもちろん、シツツメである。


(でもその前に……ファンサといきましょうか。これも私の役目ですからね)


 凛音は教室から廊下に出ると、自分の元に押し寄せて来る生徒たちに嫌な顔ひとつ見せず、笑顔で対応していた。この辺りは人気圧倒的ナンバーワンと言われているだけはある。ちなみに伊月が帰る際、伊月のことが気になっている生徒数人からも声をかけられていたが「今急いでるからパスで」と、塩対応をしていた。

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