第3話 シツツメという男(3)

(俺は──俺たちはどこで、何を間違った? どうしてこんなことになってるんだ?)


 少年はぜえぜえと荒れた呼吸のせいで満足に酸素も取り込めず、ぐらぐらとした頭でそんなことを考えていた。彼のすぐ後ろには仲間である、同じ高校に通う二人の同級生がいる。ダンジョン内を探索するグループを彼らは組んでおり、その二人も彼と同じように呼吸を荒くさせ、必死の形相で洞窟内の荒れた道を走っていた。その形相の中には恐怖や絶望、様々な感情が入り混じっており、彼らが冷静な状態ではないことを如実に物語っていた。


「おい、どうするんだよ! 上に戻る出口は一体どこにあるんだよ!」

「うるせえよ、俺に聞くな! ──ああ、くそっ! 何でこんなことになってんだ! ちょっと潜って、お宝見つけて帰るだけじゃなかったのかよ!」

「俺もそのつもりだったよ! でもまさか、ここのダンジョンがこんなヤバいなんて……! あいつとははぐれちまったし、出口も見つからねえし……!」


 後ろで二人の言い争いが聞こえる。どちらもお互いを気遣う様子など欠片も見られず、ひたすら責任を擦り付け合い、この状況を認められないでいた。それを先頭の少年は聞きながら、必死に頭を働かせて考える。


(ああ、そうだ。こいつら二人の言う通りだ。攻略難易度10のこのダンジョンに潜って、お宝見つけて、すぐに脱出するはずだったんだ。もしお宝が見つけられなくても、夜桜市のダンジョンに挑戦したっていうだけで箔がつく。それを今度の配信の話で盛りまくって、バズってやろうと思っていたのに──なんで、俺たちは死にかけてんだよ?)


 第二階層など、あの第一階層の延長線上でしかないと思っていた。だがこの第二階層の洞窟は一体夜桜市のどこに、これほどまで広大な地下空間が作られたのかと思うほどに入り組んでいた。構造的に似たような風景しか広がっておらず、いつ通った道なのかも分からない。ダンジョンというよりはまるで迷宮に迷い込んでしまったかのようで、彼らは早い段階でお宝の捜索を諦め、第一階層に戻ることを決めていた。

 だが上へと戻る出口を探している最中に、彼らはダンジョン内に生息している怪物に遭遇した。これ自体は、ダンジョン内にいるのだから珍しくも何とも無いことだ。むしろ彼ら四人(一人は既に外にいる)は全員、適応者ハイブリッド。出口を探すため、歩き回っている鬱憤を怪物を倒すことで晴らそうと考えていたぐらいだ。


 だが、彼らのその考えを打ち砕くかのように、遭遇した怪物は強かった。彼らが今までダンジョン内で戦闘した怪物たちは適応者ハイブリッドの能力を使用すれば、比較的簡単に倒すことが出来ていた。勿論危ないと思う事も何回かあったが、命の危険を感じる程ではない。

 しかし彼らは今まさに、この瞬間、生まれて初めて命の危険を感じている。それは死神の足音とか、そういう第六感的なものではなく、逃げる彼らを追い詰める複数の足音によって近づいて来た。


「き、来た──嘘だろ、さっきよりも増えてる!」


 振り返った少年の一人が、自分たちを狙い追いかけ回す存在をその目で確認していた。それらは二足で立ち、そして走っているが人間ではない。人型ではあるが体を覆う鱗や、爬虫類特有のぎょろぎょろとした瞳──身の毛もよだつような、甲高い奇声を上げるその存在は、リザードマンと呼ばれている。このリザードマン自体は世界各地のダンジョンで生息が確認されており、彼らもリザードマンと戦闘をした経験がある。

 だがその強さ、そして凶暴性が彼らの知っているそれとは余りにもかけ離れていた。適応者ハイブリッドの能力を使用し、攻撃をしても怯む様子も倒せる気配も無く、彼らを餌として認識しているのか執拗なまでに追いかけて来る。一体なら決死の覚悟で戦いに臨めば倒せるのかも知れないが、彼らを狙うリザードマンの数は確認できるだけでも六体。もしかしたら、もっとその数は多いのかも知れない。


「ちくしょう、食われてたまるか……!」


 必死に走り、リザードマンから逃げる少年の内の一人が後ろを振り返ると、適応者ハイブリッドの能力を使用した。洞窟内の岩や鉱石が持ち上がったかと思えば、勢いよくリザードマンたち目掛けて吹き飛んでいく。いわゆるサイコキネシスの一種で、適応者ハイブリッドの能力としては多く見られる部類である。

 その岩や鉱石が、リザードマンの数匹に直撃する。間違いなくダメージはあるはずだ。人間ならば大怪我、下手をしなくても死んでしまうような攻撃だ。

 しかし元々の強靭さに加え、体を覆う鱗が簡易的な鎧のような役割を持っており、決定的な攻撃とならない。赤黒い血を流しその場に勢いよく倒れるもすぐさま起き上がり、獲物を追いかけていく。


「おい! 余計な体力使うな! 追いつかれたら終わりだぞ!」


 完全なノーリスクで能力を乱用できるほど、適応者ハイブリッドは万能の存在ではない。万全な状態ならばともかく平静を保っておらず、体力も消耗したこの状況下では能力を使用するのは非常にリスキーで、実際に能力を使った少年は滝のような汗を流し、よろめく足で必死に前へと走る。立ち止まった五秒後には、リザードマンたちの餌だ。

 ようやく狭い道を抜けた彼ら三人の前に、開けた空間が広がった。天井も高く、もしかしたらここから外に出られないかと思い、三人はそれぞれこの広い空間に視線を巡らせる。


 そしてすぐに気づいた。外に出るどころか、この場所には今出て来た道以外に通れるような所はなく、行き止まりになっているということに。つまり三人は、ゆっくりと食べられる場所へと誘い込まれていたという訳だ。その証拠として、地面には人骨らしき物がいくつも転がっている。どうやら骨までは食べないらしいが、むしろ何も残っていなかった方がまだ良かっただろう。


(やばいやばいやばい──どうする? どうすればいい? どうすれば助かる?)


 グループ内でリーダーの役割を持っている少年の能力は身体能力の強化。だがそれを使用したとしても、自分たちににじり寄るリザードマンの数は六体。どうあがいたところで勝ち目は無い。先ほどサイコキネシスを使った一人は立っているのもやっとという様子で、もう一人に至っては能力はテレパシー。ここで心と心を通わせ、会話をしたところで一体どうなるというのか。

 強烈な死の予感が三人を包み込む。一人は緊張や恐怖の余り、嘔吐をしてしまっていた。普段ならば嫌悪感しかないその行動も、今はまったく気にならない。どの道、気にした所で意味は無い。どうせもうすぐ死ぬのだから。

 リーダー格の少年の視界がぐらぐらと揺れ、気絶してしまいそうになっていた。抵抗する気力も失せ、後は食べられるだけ。──そうなっていたはずだった。

 不意に、この空間に何かが破裂したような音が鳴り響いた。その音が鳴ったことで、リーダー格の少年ははっと意識を繋ぎ止めることができた。そして目の前にいるリザードマン六体の内の一体が、頭から血を撒き散らしその場に倒れたのを目撃する。


「本当にギリギリだったが、間に合ったな。良く生きていてくれた」


 聞き覚えの無い男の声が耳に入る。そして彼ら三人は、つい先ほど自分たちが出てきた道の前に声の主である男が拳銃を構えて立っていることに気づいた。その男が一体何者なのか、彼らには分からない。全く見覚えが無いのだから。だがひとつ言えることは、その男──シツツメは、今まさにリザードマンに食われそうになっていた三人を助けるために、ここに来たのだ。


「獲物を追いかけ回し、逃げる体力を完全に失わせたところでここまで追い込み捕食する。理に適っているが悪趣味だな」


 吐き捨てるようにシツツメは言う。その言葉の意味をリザードマンが理解しているはずは無いが、その言葉が合図になったかのように、四体のリザードマンが雄叫びを上げ、シツツメに向かって駆け出す。その動きは非常に素早い。

 シツツメは両手で構えている拳銃の銃口を横にスライドさせると、まず一番自分に対して近いリザードマンの頭部に狙いを定め、引き金を引いた。強く引き金を引き過ぎるとその際に銃口がズレてしまい、弾が明後日の方向に飛んでいく。そうならないようにするため、シツツメの人差し指の動きは緩い。

 放たれた銃弾は一発。それはリザードマンの眉間を綺麗に撃ち抜いた。シツツメはすぐさま銃口をスライドさせると、そのすぐ横にいたもう一匹にも同じように引き金を引く。シツツメに焦りは無く、その動きは非常に滑らかだ。

 リザードマン二匹に対し、それぞれワンショットでシツツメはカタをつける。駆け出してきた残りの二匹だが、シツツメの正面ではなく左右にそれぞれ移動していた。同時に襲い掛かれば一匹は倒されても、もう一匹がシツツメを仕留められると考えたのだろう。


 そして左右同時に、リザードマンが襲い掛かってくる。シツツメは拳銃から手を離し、そのまま地面に落としながら、腰に差している二本のナイフを右手と左手で引き抜く。シツツメの頭部に向かって振り下ろされる、リザードマンの鋭い爪。それをバックステップで回避しながら、シツツメは二本のナイフを横に薙ぐようにして振るう。体を覆っている鱗はかなりの硬度を持っているはずだった。しかしその鱗ごと、シツツメが振るったナイフはリザードマンの手首から先をそれぞれ斬り落としていた。見れば、シツツメの二本のナイフは刀身が異常なまでに研ぎ澄まされており、まるで水に濡らし、凍らせたかのような輝きを放っている。明らかに普通の金属で作られたナイフではない。

 攻撃をかわされた上、手首を斬り落とされて怯んだリザードマンの隙をシツツメは見逃さない。踏み込み、繰り出した左手のナイフの切っ先がリザードマンの首筋に入れば、そのままナイフを薙いで首を切り裂く。身体と頭部が離れ、崩れ落ちている最中にもう一匹がシツツメに掴みかかろうとまだある方の手を伸ばす。その手もシツツメは流れるような動きで右手のナイフで斬り落とせば、スナップさせた手首の動きによって急激にナイフの射程を伸ばし、その刀身を根元までリザードマンの喉元に突き立てる。シツツメの前蹴りを受け、ナイフを乱暴に喉元から引き抜かれたリザードマンは、血を撒き散らしながら地面に倒れた。

 一瞬の出来事だ。少年たちが逃げ惑っていたリザードマン四体をシツツメが片付けたのは。


「……な、何者だよあの人……」

「もしかして俺たち、助かった……?」


 目の前で起きた出来事を少年たちは呆然と見ていた。リザードマンたちをシツツメが倒したことで、奇跡的に助かったのか──そんなことを思った瞬間、残っていたリザードマンの一体がシツツメではなく、少年たちに向かって走り出した。完全に意識外だった少年たちは「え?」と気の抜けた声を上げてしまう。

 それを見たシツツメは地面に落とした拳銃を拾い上げようと一瞬、視線を下に向ける。だが拾い上げて狙いを定め、撃つのでは間に合わない。そう判断をしたシツツメが取った行動は、その場でナイフを無造作とも言える動きで横に振るうことだった。どう見ても意味の無いその行動は、むしろ滑稽にも見える。

 だが少年たちに飛びかかったリザードマンの頭部が横にズレたかと思えば、そのまま真っ二つとなった。目の前でリザードマンの頭部が二つに分かれたのを見た少年たちは、「うわああああああ!」と絶叫を上げ、その場にへたり込んでしまった。怪物の死体を見るのは勿論初めてではないが、今回のこれは状況が状況である。取り乱しても仕方のないことだろう。


「使うつもりはなかったんだけどな。俺の詰めが甘かったか」


 とシツツメは呟き、二本のナイフを鞘に収めて拳銃を拾い上げ、ホルスターに仕舞ってから三人の少年に歩み寄った。彼らには何が起こったか分からないだろうが、今の攻撃はシツツメの能力である。

 斬撃をリザードマンの頭部に繋ぎ、渡らせた。行ったことはそれだけ。ただその攻撃は回避不能。必殺とも言える。しかしシツツメが最初からそれを使用しなかったことにも、理由がある。──能力の泉は無限では無いということだ。


「うん、ちゃんと三人いるな。地上にいる子を合わせて四人。全員生きていて何よりだ」

「……は? え? 地上って……あいつ一人で逃げたのかよ!?」

「でもそれを知ってるってことは……俺たちを助けに来てくれたんですか?」

「ああ。正直、生きている可能性は五割と見ていたんだけど、良い方の五割を取ってくれて何よりだ」

「だけど、あんな化物がうろついている中、上に戻る出口を探さなきゃいけないんですよね? 大丈夫なんですか?」


 と一人の少年に心配そうな目で見上げられる。実際、彼らの今の状態を見るとそれはかなり厳しいことのようにも思えた。ここまでリザードマンに追いかけ回され疲労困憊の中、再び出口を探すためダンジョン内を歩かなければいけない。シツツメがいるとは言え、不安に思うのは無理もないだろう。

 だがシツツメはこくりと頷き「俺を含めて四人。第二階層で運が良かったな」と彼ら三人に言えば、その三人の前で握手をするように右手を差し出した。


「三人共、俺の右手を握ってくれ。絶対に離すなよ」


 いきなりのことで三人は訳が分からずすぐにはシツツメの右手を握らなかったが、「早くしろ」とシツツメに促されれば、三人はそれぞれシツツメの右手を握った。確認したシツツメはふう、と息を吐く。


「三人も連れて渡るのは久しぶりだな。明日は昼まで寝てるか」


 その呟きとリザードマン六匹の死体、そして血の匂いを残し──シツツメとダンジョン内で死にかけていた三人の少年の姿が、忽然と消えた。

 シツツメはあえて自分の適応者ハイブリッドの能力を説明しなかった。質問の時間が無駄だったのと、彼らを不安にさせたくなかったからである。



 ◇



「藤村、三人を救出して上に戻って来た。第二階層で捜索に当たってる他の人員に、もう戻っても良いと連絡してくれ」


 ダンジョン内でも使用できる特別製のトランシーバーで藤村に連絡をしたシツツメは、「さすがに疲れたな……」とぼやきながらトランシーバーを腰のベルトに戻す。それから三人の少年の背中をそれぞれ叩き、照明で眩しいぐらい照らされているダンジョンの入り口を指差した。


「ここから出るぞ。君たちの帰りを待っている仲間がいるからな」

「……あの、訳が分からないんですけど」

「何で俺たち、出口まで戻って来ているんですか? さっきまで第二階層にいましたよね?」

「お兄さん、マジで何者なんですか?」

「毎月赤字の店の店主」


 次々に質問が飛んでくるが、シツツメはそれに適当であると同時に事実を答える。自分が一番先にダンジョンから出ようとしているのか、出口に向かって歩いて行く。それを見た三人の少年たちも慌ててシツツメについて行った。

 シツツメは面倒なので説明は一切していないが、第二階層から第一階層まで自分と彼ら三人を繋ぎ、渡って来たのだ。彼らからすればまるで手品のようにしか思えないだろう。だが彼らは気づいていないが、シツツメの表情は疲弊している。

 ──もし彼らが知っていたら、ぞっとするだろう。今の一連の流れが、命がけの行動だったということを。


「三人共無事か。さすがだな、四季」

「あと一分俺の到着が遅れていたら、リザードマンの食事に出くわしていたよ」


 シツツメがダンジョンの外に出ると、藤村がそれを出迎える。少し遅れて三人がやって来た。藤村はその三人を見ると、「命があって良かったな」としみじみと言った。


「ダンジョン内の捜索は自己責任だが、助けられる命があれば助けたいと思っている。それに今回はグループの全員が生きて戻って来られた。僥倖だよ」


 藤村はそう言うと、先にダンジョンから脱出していた一人を三人の前に来させた。彼が脱出できたのは完全に偶然で、リザードマンに追われていた最中にはぐれ、一人で彷徨っていた時に上へと戻る道を見つけ、戻ってくることができたのだ。


「ご、ごめん。俺だけ先に──」


 その先に脱出していた少年が謝った。そして次の瞬間には、リーダー格の少年に殴り飛ばされていた。尻もちをついた彼に、リーダー格の少年は怒りを露にしている。


「てめえ、ふざけんじゃねえよ! 何一人で勝手に逃げ出してんだ!? てめえが地上でのんびり待っている間、俺たちは死にかけてたんだよ!」

「ごめん……ごめん……! 上に戻る道を見つけた時、もう逃げることしか考えられなくて……! 皆を探したかったけど、どこにいるのかも分からなかったから……!」

「言い訳かよ! 俺たちを助けに来てくれたこの人がいなきゃ、てめえ以外全員食われていたよ! そもそもてめえは前から──」

「つーか、そもそもお前がここのダンジョンに行こうって言い出したのが、全部悪いだろ。何こいつだけのせいにしてんの?」

「てか、逃げている最中、お前俺らのこと全然気にかけなかったじゃん。普段威張ってるくせに、どこがリーダーだよ。自分のことだけじゃねえか」


 怒りをぶつけている最中、それを聞いていた他の二人が声を上げた。リーダー格の少年は「は?」と声を漏らし、視線をそちらに向ける。


「何だよ、全然役に立たなかった癖に文句だけ言うの? マジ無いわ、どういう神経してんの? 命拾いしたから普段言えないこと言っちゃおうと思った?」

「調子乗んなよお前。この機会だから言うけど、前からお前にはムカついてたんだよ。この前だって──」


 極限の状況から解放され、余裕というものがまったく無い今、彼らの口から出るのは不平不満や罵詈雑言だ。藤村はこういった状況は今まで何度も見て来ているが、やはり面白いものではない。しかめっ面を浮かべている。

 そしてシツツメはと言えば全く興味が無いのか、「後は任せた」と藤村に告げると言い争っている彼らに一瞥もやることなく、乗ってきた車の方へと向かおうとする。そこに藤村が声をかけた。


「いいのか、四季。彼らのこと」

「これだけ元気があるんだ。病院にぶち込んで何日か入院させれば、頭も冷える。それに──命が無ければ、喧嘩もできない。今回の結果は上出来だよ」


 シツツメはそう言うと、「じゃあな」と歩きながら背中越しに藤村に手を振って見せた。取っ組み合いの喧嘩が始まりかけたのを待機していた救急隊員たちが止めているのを見ながら、藤村は苦笑いを浮かべた。


「四季に言われたら、これでも上出来としか言えんな」


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