のっぽだって恋をする

いとうみこと

第1話

「ねえ、ママ、また身長伸びてるよぉ」


 知沙ちさは柱の前にしゃがみ込むと、この世の終わりと言わんばかりの声を上げた。


「そんなに嫌なら測らなきゃいいじゃないの」


 朝食のパンにジャムを塗りながら、母の八枝やえはまたかといった表情で答える。


「だって、今日身体測定があるんだもん。その前に知っておきたいじゃん」


「学校に行くまでに縮むといいわねえ。そんなことよりさっさと食べちゃいなさい」


「ママの意地悪っ!」


 戸塚とつか知沙ちさはこの春中学に入ったばかり。幼い頃から身長が高く目立つのが悩みだ。意地悪な男子からは『デカ女』と呼ばれ、一部の女子からも『のっぽちゃん』とからかわれ続けてきた。既に中学でもその名は定着しつつある。


「ち〜さ〜」


 外から知沙の名前を呼ぶ声が聞こえた。幼なじみの優花ゆうかが迎えに来たのだ。知沙は湯呑みのお茶を飲み干すと「行ってきます」も言わずに家を出た。


「おはよー」


 今朝も笑顔が可愛い優花は幼稚園からの友だちだ。控え目だが芯が強くて頼りになる、いちばんの親友と言っていい。ただ、優花は女子の中でも小柄な方で、一緒にいると知沙がますます大きく見えるのが少し嫌だった。


「今日身体測定じゃん? さっき測ったらまた伸びてたんだよ」


「わたしは体重の方が心配だよ〜」


 優花は少しぽっちゃりしている。ガリガリの知沙から見ると、丸くてちっちゃくて、まるでハムスターみたいで可愛くて仕方ないのだが、本人はそれが苦痛らしい。


「優花はそれくらいがちょうどいいよ」


「スタイル抜群の知沙に言われたくな〜い」


 その時、追い抜きざまに「おはよー」と声をかけて行く男子がいた。顔を見なくても井田いだ遼太りょうたとすぐわかる。母親同士が幼なじみという縁で長いこと家族ぐるみの付き合いがあり、小学生の頃はよく互いの家を行き来したものだった。


「遼太くん、最近急に背が伸びたよね」


 確かに小学生の頃はずっと見下ろす感じだったのが、最近ではその差が随分縮まった気がする。それはそれで何だか面白くない気がして、知沙は「中身は全然成長してないけどねえ」と言って優花を笑わせた。



 その日は朝から全校集会があった。一年一組の知沙の場所からは全校生徒がよく見渡せる。三年の男子でも一七〇センチ近い知沙より大きい生徒はそう多くない。そんな中、ひと際目を引く男子がいる。バスケ部部長の矢部やべ蒼佑そうすけだ。背だけでなく顔面偏差値も高いので、他校に練習試合に行くと関係のない女子が体育館を取り囲むという伝説の持ち主だ。その噂は小学校にまで広がっていて知沙も楽しみにしていた。そして部活動紹介で壇上に立った蒼佑をひと目見るなり「こんなかっこいい人が世の中にいるんだ!」と心を奪われてしまった。


 しかし、どう頑張っても手の届く存在ではないことは自覚している。知沙が背の高さを活かしてバスケ部に入れば話をする機会もあっただろうし、実際女子バスケ部からの誘いがあったのだが、生憎と球技はさっぱりで断らざるを得なかった。そのためこうしてたまに見られる機会を心待ちにしている。それは知沙に限ったことではなく、恐らく女子生徒の半数以上が同じ気持ちだろう。



 教室へ戻っても女子の興奮は収まらず、教室のあちこちから蒼佑を賞賛する声が聞こえてきていた。知沙もまたひとり余韻に浸っていたのだが、それを邪魔するかのように隣の席の遼太が言った。


「どいつもこいつも『蒼佑先輩、蒼佑先輩』って、他にもいい男はいるだろうに」


 羨ましいのか妬ましいのか、それとも単なる意見なのか……知沙は遼太の顔をまじまじと見つめて言った。


「例えば遼太とか?」


「ち、違うよっ」


 冗談のつもりだったのに日に焼けた遼太の顔が見る間に赤くなり、知沙は少し可笑しくなった。


「遼太もそれなりにいい男だよ」


「なんだよそれなりって。こう見えてもこの間……」


 遼太がハッとして口をつぐんだ。


「何? この間何かあったの?」


「なんでもない」


「何よ、言いなさいよ」


 この後遼太は、どれだけ知沙が問いただしても頑として口を割らなかった。

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